第三話「家庭教師が来た!」
父との約束から暫く経っているけどまだ俺の家庭教師のことについては何の連絡もない。そこらの者に適当に家庭教師をさせるつもりかと思っていたけどどうやらそうでもないようだ。かなり本格的な家庭教師を探しているらしく募集して面接して決定してここにやって来るまでにそれなりに時間がかかるようだった。
その間の俺はというと母に滅茶苦茶構われていた。母マリアは女の子が欲しかったらしくようやく念願の娘が生まれたということで非常に俺を可愛がってくれている。まだ髪も薄い三歳児だというのに髪型をセットしたりドレスを着せたりとまるで着せ替え人形にされている気分だ。
だけど別に母も玩具にして遊んでいるわけじゃない。俺はこれからカーザース辺境伯家の娘として習い事をしてマナーを身に付けて社交界にデビュー、そして他の有力貴族の子息と婚約、やがて結婚しなければならないだろう。そのためにも幼い頃からこうしておしゃれさせたり辛抱させたりして忍耐力をつけさせている。
「おかあしゃま、このどれす、すこしきついです」
今着せ替えさせられているドレスのスカートを摘んで母に訴えかける。これは少し前に作ったドレスで成長が早い幼児である俺にはもうすでに大きさが合わない。
「まぁ……、フローラはもうそんなに大きくなったのね。うふふ。娘の成長がこんなに楽しみだなんて思いもしなかったわ」
慈愛に満ちた表情で俺を抱え上げてメイドのエマの方へと連れて行く。エマは俺が最初にこの世界で意識を取り戻した時にいたメイドさんだ。子供自体は兄二人を育てた経験がある母だったけど女の子は初めてということでエマにあれこれ相談しながら俺の子育てをしてくれている。
俺を受け取ったエマは手早く俺のドレスを脱がせて他のドレスを見繕う。普通なら先に着替えるドレスを選ぶかもしれないけど今の場合は俺はきついドレスで締め付けられていたから先に脱がせてくれたのだろう。
こういう異世界転生物の定番ならメイドさんは若くて綺麗な女性で主人公の良き理解者とかのケースが多いような気がする。だけど残念ながらエマは結構な年のおばちゃんだ。母マリアよりも年上で四十~五十代くらいだろうか。
もちろんエマは俺にも優しいし手際も良いよく出来たメイドではある。ただ俺は若くて綺麗なメイドさんとのキャッキャウフフを期待していただけに少し残念だ。まぁ俺が大きくなれば俺専用の俺付きのメイドでも用意してもらえるかもしれない。そこそこ大きくなった子供に同世代のメイドを付けるなんてありがちなパターンだ。その時に期待だろう。
俺が接するのはほとんど母とエマで他の人との接点はほとんどない。俺がまだ幼児だとしてもこの辺境伯家の屋敷内ですらほとんど他の者と接しないというのは少々腑に落ちない。他のメイドや執事とも多少は顔を合わせるけど必要最小限の用事を済ませるだけだ。
父と兄二人ともほとんど会ったことがない。俺はまだ幼児だから食事も別で食堂で一同に会するということもないのかもしれないけどそれにしても何だか妙な家のような気がする。それとも庶民育ちの俺の感覚やイメージがおかしいだけで高貴な家というのはこういうものなのだろうか。
そんなこんなでさらに数日が経過したのだった。
=======
今日はようやく父が見つけてきてくれた家庭教師がやってくる日だ。俺は書斎で父に見つかって以来本を読めていない。父か執事長のマリウスに言えば書斎に入っても良いみたいだけど何だか言い難い。父とは接点もほとんどないし執事長も俺と会ったことなんて数えるほどかもしれない。
しかも読んでいる間中ずっと見張られでもしたら何か嫌だ。いちいち何を読んでいるとかどれくらいのペースで読んでいるとか見られていたら誰でも嫌だろう。だからあれ以来書斎には入っていない。家庭教師が教えてくれるのなら無理に一人で本を読む必要もないだろうと我慢していた。それが今日ようやく来るというのだから期待するなという方が無理な話だった。
「クリストフ・バイルシュミットだ」
だけど何か違う。今俺に自己紹介した人物は一言で言うと冷酷に見える。実際の所はどうか知らない。ただそう見えるというだけで人を見た目で判断しちゃ駄目かもしれない。
でもそうじゃないだろう?普通魔法の家庭教師っていうと綺麗な女性エルフの魔法使いとか、若くて可愛い冒険者の魔法使いとかじゃないのか?次点として引退した大魔法使いとか賢者のおじいちゃんが後継者として可愛がってくれるとかそういう展開じゃないか?
それなのにどうだ。今俺の目の前にいる人物は三十代そこそこくらいの無表情か冷酷かという顔をした男だ。いくら俺が三歳児だとしてもそれが普通これから勉強を教える雇い主の娘に向ける目か?
年齢的にも中途半端という印象が拭えない。普通なら中学生の家庭教師なら高校生が、高校生の家庭教師なら大学生がする。少し上くらいの者が少し下の者に教えるくらいが丁度良いだろう。あるいは引退したベテランの高齢者が家庭教師になるというのもあるかもしれない。
現代日本なら専門の家庭教師や塾の講師という職業があるから中高年や壮年の家庭教師や講師も普通にいるだろう。だけどこの世界でそんな職業が成り立っているとは聞いていない。子供に英才教育を施せるのも貴族や裕福な豪商くらいだろうから家庭教師が職業として成立していたとしても極少数だけだろう。
このクリストフ・バイルシュミットと名乗った男はとてもじゃないけど家庭教師とは思えない。俺のイメージで言えばこんな態度の家庭教師がいれば雇い主の貴族家が怒ってよくて追放。最悪無礼だとして牢にでもぶち込まれるんじゃないだろうか。
「ふろーら・しゃるろって・ふぉん・かーざーすです」
とはいえ俺もこのまま呆けているわけにもいかない。まだ礼儀作法もマナーも学んではいないけど母やアンナの動きの見様見真似で挨拶をする。スカートを摘んで持ち上げて片足を下げて膝を曲げて頭を下げる。地球でもあったカーテシーというやつがだいたいこういう感じだったはずだ。母も似たようなことをしていたのを見たことがあるからこの世界でも似た挨拶の仕方があるに違いない。
「……挨拶は結構。私が教えるに値しないと思ったならばいつでも帰って良いと言われている。これから教えるに値するかテストするのでその結果如何によってはもう二度と会うこともないだろう。まずは前提として最低限の知識があるか試すのでこれを解きなさい」
挨拶もそこそこにすぐに机に向かって座らさせられるとクリストフは鞄から紙を取り出した。所謂パピルスというやつに似ているのだろうか。和紙と比べたら品質が悪くて扱いにくそうだ。ここは異世界だから元居た世界のパピルスとまったく同じなのか、異世界特有の不思議物質なのかは知らないけど質が悪く書きにくそうだとは思う。
問題らしきものが書かれている用紙が一枚。解答を書き込むらしい白紙が一枚。品質も悪いことだしこの世界でも恐らく紙は貴重品なのだろう。無駄にでかでかと書くのももったいないのでなるべく詰めて解答を書き込んでいく。
……はっきり言って難しい。もちろん俺が解けないレベルかと言えばそんなことはない。それほど良い大学ではないとは言っても一応俺も大学を卒業した身だ。所々忘れたりしていて悩む所はあるけど内容としては中学生~高校生くらいのレベルが中心なので俺がまったくわからないというほどではない。
ただ俺が驚いた理由はこれが『魔法を覚えるための前提条件』ということだ。クリストフが最初に言った通りこれが魔法を覚えるために必要な前提の知識だとすれば魔法とは相当高度な知識を要するということになる。この世界の子供達はこんなものを簡単にこなせるだけの知識と教養があるのか?
俺は前世の知識があるからと思って少し思いあがっていたようだ。貴族の子供は早ければ五歳前後から、遅くとも十歳頃までには一度は魔法を学ぶらしい。もちろん誰もが魔法を使えるわけではないけど例え使えなくとも知識として知っておく必要がある。
貴族とは本来戦場で戦ったり内政を掌ったりする役目を負う者だ。そういう立場である以上は自分が使えないからといって魔法の知識がなくても良いということはない。戦場で敵が使ってくるかもしれない魔法の知識がなければ敵への対応など出来ないだろう。魔法を使えば簡単に出来る作業を把握していなければ政策も決定出来ないだろう。
あるいは暗殺者への備えとしてどういう魔法がありどういう方法で暗殺してくるかも知らなければならない。だから全ての貴族の子息子女は一応知識としては魔法について学ぶことになるはずだ。その子供達がこのレベルの知識を身に付けているのかと思うと驚きでしかない。
歴史や魔法についての専門知識はまぁいい。この国の歴史について前世の知識が利用出来ないのは当然だ。魔法なんてなかった世界からやってきた俺が魔法についての知識がないのもやむを得ない。日本で言う所の国語や英語がなくてこの国の言葉で問題が書かれているので文章問題はこの国の国語とも言えるだろう。
数学に関しては発達の度合いにバラつきがあるのか中学生程度の理論までしか達していないものもあれば高校生レベルの問題まで様々だ。
理科科目に関してはほとんど発達していないように思える。物理や科学の問題はほとんどなく、この世界の物理法則が地球とは違うのか、それとも理解が間違っているのか、地球ではあり得ないような問題もある。
何にしろ数学や国語は中高生レベル。俺にとっては歴史や魔法の知識は書斎で読んだ程度の知識しかないので非常に難しい。悪戦苦闘して解き終わってクリストフに解答用紙を差し出すと黙って受け取って、じっと用紙を睨んでいた。どうやら採点はしないようだ。
「次はこれだ」
「えっ!?」
俺の解答用紙を睨んだまま鞄からさらに別の問題を出してきた。
「何だ?先ほどのものは前提条件だと言ったはずだ。こちらは今の君の実力を確かめるためのものだ」
「わかりました……」
どうやら一応俺の家庭教師になる気にはなったようだ。前提条件はクリアしたから次はどこから教えれば良いか実力テストをしようということだろう。
それにしても次に出て来た問題はまた先ほどにも増して難しい。完全に高校生レベルで中学生レベルの簡単な問題は一つもない。しかも歴史や魔法に関しては俺の知らない言葉もたくさん出てくる。一応無駄かとも思ったけど知らない言葉についてはクリストフに質問してみたら答えてくれた。
それはそうか。別に学校のテストじゃないんだ。俺の現時点での実力を測るためのものなんだから知らないものがあれば知らないという結果でも良い。ただそのせいで解けるはずの問題が解けないことになっては無駄なので最低限の説明はしてくれる。クリストフは無表情というか冷酷かと思ったけど常識はあるようだ。
ようやく二枚目の問題も解き終わった俺が解答用紙を差し出すとクリストフは再びじっとそれを見詰めていた。
「今日は実力を確かめる用意しかしていなかった。魔法の勉強については後日また来る。来る日は前日までに知らせておくので予定は空けておくように」
「はい。ありがとうございました」
どうやらクリストフは俺の家庭教師を引き受けてくれるようだ。冷酷そうで怖いけどそこそこ優秀そうな気もする。父がわざわざ連れて来たような人だしこの人に教われば俺も魔法が使えるようになるかもしれない。そう思うといきなり実力テストさせられた疲れも忘れてクリストフを見送ってから俺は自室へと戻ったのだった。
~~~~~~~
時は少し遡りカーザース辺境伯アルベルトは廊下を歩いていた。書斎から何やら気配を感じる。時々書斎の物が動いている形跡があったことから誰かが入っているのではないかと思っていた。ただ荒らされたような形跡はなく少し物が動いている程度なのでメイドが掃除して動かしただけかとも思っていた。
しかし今日は明らかにおかしい。今メイドが書斎を掃除しているなどということはあり得ない。一体誰が書斎に入り何をしているのかアルベルトは扉を開けて確かめることにした。
そこに居たのは一番下の幼い娘だった。書斎には子供が読むような本などない。絵本や童話の類もなければ子供が理解出来るような簡単な内容のものすらない。精々子供が読めるとすれば作法についての本くらいだろうか。
それなのにどうだ。たった三歳の娘が読んでいた本は大人でも難解な魔法理論が書かれた本だ。子供が魔法を習うために書かれている簡単な手引書とは違う。魔法を研究する者が基礎理論を学ぶための専門書だ。しかもその内容を理解しているのだという。アルベルトでも半分も理解出来ない専門書を三歳の子供が理解しているなど何の冗談だと笑ってしまうところだ。
しかしアルベルトは笑わなかった。この娘、フローラがおかしいことには薄々気付いていた。三歳児とは思えぬ明確な意思を持ち活動している。自分の娘が天才だなどと喜ぶつもりはない。むしろ悪魔にでも取り付かれている悪魔の子だとでも言った方がしっくりくるような恐怖を感じる。
だが、それでも娘フローラの可能性に賭けてみる価値はあるかもしれない。まるで悪魔に取り付かれたかのような不気味な子供であろうともカーザース辺境伯家のためになるのならば利用する。それが例え悪魔そのものであったとしてもだ。
三歳児とは思えないしっかりとした言葉のやりとりを経て確信を持ったアルベルトはフローラに家庭教師をつける約束をしてその場を去ったのだった。
=======
アルベルトに呼ばれたクリストフは仏頂面を隠そうともしていなかった。王都にある学園の講師を経て王宮魔法使いにまで上り詰めていたクリストフはある事情により王都から逃げるように辺境へと引き篭もっていた。
そんな自分を助けてくれたアルベルトに恩義はある。子供の家庭教師をして欲しいと言われて引き受けてみればそれなりの年齢の二人の息子達ではなく三歳の娘の家庭教師だと聞かされて断ろうと思っていた。
いくら落ち目の自分とはいっても学園の講師をしていたこともある。王宮魔法使いに選ばれたこともある。そんな自分が三歳児の家庭教師などいくら何でもすることは出来ない。最低でも学園でトップクラスの実力と学力があるような子でもなければ専属で家庭教師として付くに値するとは思えない。
そう告げたクリストフにアルベルトは怒るでもなく淡々と実力を確かめて納得出来なければ断れば良いと言った。恩人で大物貴族であるアルベルトにそんなことを言うような性格だから王都から逃げ出さなければならなくなったのだが性分というものはそう簡単には変えられない。
フローラの実力を確かめてから引き受けるかどうか決めるということになりクリストフは少々意地悪な問題を作ってフローラと対面したのだった。
=======
クリストフのフローラに対する第一印象は随分ませた子供だなというものだった。三歳児といえばこんなしっかりした子供などまずいないだろう。確かにこれでは親が勘違いして自分の子供は天才だとでも思いこんでもやむを得ないかもしれない。その鼻をへし折ってやろうとクリストフは意地悪な問題をフローラに解かせた。
王都の学園の履修課程を全て終えて首席で卒業したような者でもほとんど解けないような王宮魔法使いの研究者並の問題ばかりを並べた問題用紙を差し出す。普通の子供ならば問題用紙を見ただけで意味がわからず投げ出すことだろう。
そう思って見ていたというのにフローラはスルスルと問題を解き始めた。しかもほとんど手が止まることもない。時々考えているようではあったが学園の生徒達にテストをさせた時のような手の止まり方とは違う。少し考えているだけでわからないから手が止まっているわけではないようだ。
解答もいい加減に滅茶苦茶なことを書いているわけではない。解答内容まで全て見ているわけではないがしっかりとした答えが書かれていることはわかる。
受け取った解答用紙を見てクリストフは驚愕した。自分でも間違える可能性がある問題をほぼ完璧に解いている。
(興味深い)
クリストフはフローラを見ながらそう思った。歴史や魔法についての問題は一部間違っていたり無回答になっているがそれは知らないからだろう。この手の問題は本人の発想や頭の回転の良さではなく知っているか知らないかで決まる。三歳児にこの国の歴史で知らないことがあるから無知だなどと言えるはずもない。むしろ三歳児にしてはここまで知っているだけでも驚愕なのだから……。
さらにクリストフは自分でも解けない研究中の問題をフローラに解かせてみた。まだ解明されていない数学理論などの、この世界で誰も解けない問題が多数含まれている。
だというのにフローラはそれすらも解いてみせた。その答えが全て合っているのかはクリストフにはわからない。これからこの解答をもとに実証でもしてみないことには合っているかどうかすらわからないような問題なのだ。
クリストフは震えた。この子の頭は一体どうなっているというのか。もしかしたら悪魔にでも取り付かれているとでも言われた方が納得出来る。
しかしそんなことはどうでも良い。クリストフにとってはこの世の神秘、森羅万象を解き明かせるのであれば神でも悪魔でも利用出来るものは何でも利用する。この娘、フローラに自身の持てるものを全て教え込めばこの娘はもしかしたら誰も解き明かしたことのないこの世の真理を解き明かすかもしれない。
そう思うとクリストフはすぐさまアルベルトの下へと向かい家庭教師の件を承諾して帰って行った。それを見たアルベルトもまたさらに確信した。クリストフは少々性格に難はあるが王宮魔法使いの中でも最高の才能を持っていた。そのクリストフがフローラの家庭教師を引き受けたということはあの娘には何かがある。
アルベルトとクリストフはそれぞれこれからのフローラへの英才教育についてどうするか考えながら笑みを浮かべていたのだった。