第二百九十七話「準備指示!」
メディテレニアンを超えて、南の暗黒大陸を探検する。それと大洋を西へと向かう。そのために俺は航海術や航海に必要な道具の開発を進めてきた。大型船なら物資も大量に積める。相当期間無補給でも何とかなるはずだ。
恐ろしいのは疫病と壊血病だろう。疫病は免疫を持たない地域に一度流行ると大変なことになる。だけど現在の技術や医療じゃそれらの病気に対抗することは出来ない。疫病の存在を知っていてもそれを治す術がなければ無意味だ。
壊血病の方はまだ何とかなる可能性はある。地球の大航海時代も船乗り達は壊血病に悩まされて大勢が命を落とした。壊血病の原因はビタミンCの不足だ。新鮮な生野菜などは長期間の航海でもたない。漬物や干物や肉食が中心の船乗り達はビタミンC不足によって壊血病となり、原因不明の病として船乗り達に恐れられた。
俺はその経緯を知っているからどうにかする方法はある。一番良いのはビタミンCを抽出して錠剤、サプリメントでも作れば良いだろう。それが出来るのなら一番確実かもしれない。
でも残念ながら現時点でビタミンCを抽出、加工する方法がない。もしかしたら出来るのかもしれないけど、俺の知識でそんな方法は知らないからだ。ビタミンCの存在を教えることは出来ても、それを抽出したり加工したりする方法は知らない。
まぁ生野菜や柑橘類の補給は難しくても、ビタミンCが豊富な食べ物を積極的に食べさせたり、魚などの生食を勧めたりすればいい。
嘘か本当かは知らないけど日本人の漁師達は無人島に漂流しても生魚を食べるから壊血病になる者が少なかった、というような話を聞いたことがある。それが嘘か本当かはともかくビタミンCは熱に弱く加熱すると壊れやすい。生で食べてあたったら目も当てられないけど、壊血病対策という意味では生魚も効果があるかもしれない。
「暗黒大陸の探検ってのは……、どうされるんで?メディテレニアンの沿岸から上陸するんですかい?」
「いえ……、我々がメディテレニアンに入ればいらぬ争いを呼びます。沿岸は沿岸国同士に任せておきましょう。我々は内海へと入らずに暗黒大陸沿いに沿岸を探ります。まだ内陸に入る必要はありません。まずは暗黒大陸の沿岸全容の解明を……。それから今後の補給拠点の建設です」
暗黒大陸を沿岸沿いに探検して大陸の全体像を確認する。そして……、南端を回って東や北東へ進めるのならさらに先へと進みたい。
「西へってのは何ですかね?」
「現在はブリッシュ島やこの半島や暗黒大陸の西には何も確認されておりません。ですが私はこの先へ進めば何かあると思っています。それを確認したい。そしてこの先に大陸があるのなら……、そこへ到達したいのです」
シュバルツは優秀ではあるけど俺とでは物事の認識が違う。もう少し説明するか。
「私達が立っているこの大地は丸いのです。北の星の位置で方位や現在地を調べる方法がありますね?あれはこの大地が丸く、そして回転しているからです。船乗りなら……、本当は実感出来ているのでしょう?」
「う~ん……」
俺も人にうまく説明出来ないけど……、シュバルツに簡単に説明していく。俺が教えた航海術は星が丸く自転していることを前提に考えられているものだ。だから理屈でわからなくても船乗り達は直感的にわかる……、んじゃないかな?いや、知らないけど……。
「もし海が平らならばずっと先まで見えているはずです。ですが実際には少し先までしか見えません。それに水平線も僅かに曲がっているはずです。あれはこの大地が丸いから。丸みの先はその高さのままでは見えないからです。見張り台や櫓に立てばもっと先まで見えるようになるのは、見る位置が高くなると見える丸みの先が遠くなるためです」
「ほ~……。なるほど……。そういわれりゃそうかもしれませんな」
俺が適当に絵を描いて説明するとシュバルツはウンウンと頷いていた。本当にわかっているのかどうかは知らないけど、何となく納得出来る部分もあるんだろう。
「つまり……、この丸い大地ならば一方向にずっと進み続ければ、やがて逆から戻ってくるのです。東に進み続ければ西から、西に進み続ければ東から……、一周して逆から戻ってくることになります。ですからこの大洋を西へ渡れば必ずどこかには出ます。ただしその距離や位置はわかりません。それを知るための探検です」
「…………」
シュバルツは黙り込む。だから俺はその先を言わなければならない。俺の責任においてそれをさせるのだから……。
「私は必ずどこかに出ると確信しています。ですがそれがどれほど先であるかは行ってみなければわかりません。つまり……、現在の船や積載量、航海可能日数を超えて遥か遠くまで行かなければならないかもしれません。もし途中で補給出来る場所が見つからなければ……、帰って来ることは出来ません。命懸けの探検です」
そう……、俺のこの提案は……、試しに死んで来いと言っているに等しい。何日進めば何があるとわかっているわけじゃない。そんな所に補給もなしで向かえということは、もし積み込んでいる物資で行ける範囲を超えたら死ねと言っているのと同じだ。
「まぁなんとかなるんじゃないですかね?何なら魚でも釣って食えばいいでしょう」
「シュバルツ……」
シュバルツはニッコリ笑ってそういった。その顔は好奇心に溢れた少年の顔だ。
「言っておきますけどシュバルツは行かせられませんよ。シュバルツには他にたくさん仕事がありますからね」
「えっ!?」
俺の言葉に驚いた顔をする。当たり前だろうが……。死ぬ可能性も高い冒険にうちの提督様を行かせられるわけがない。せめてある程度は安全が確保されないことには重要な者を派遣するわけにはいかない。
「装備や物資については全てカーン家が援助します。一切遠慮は必要ありません。重要なのは派遣する者達です」
小銃はもうすぐ完成する。大砲もある。ガレオン船に満載で行けばかなりの距離は稼げるだろう。それらの心配はあまりしていない。問題があるとすれば船員や船長と現地での交渉だ。
西に新大陸があるかどうかは不明だけど、南に暗黒大陸沿いに南下することは確定している。そして暗黒大陸において補給拠点を確保していかなければならない。そうなると当然原住民達と接触することになるだろう。
地球の大航海時代に派遣されていた探検隊はならず者とか犯罪者が多数だった。つまり無事に帰れなくても良い者達が派遣されていたというわけだ。そんな者が各地で原住民達と接触すればあちこちでトラブルが起きる。実際大航海時代はあちこちで争いを起こしているからな。
俺は相手を高圧的に支配したり、土地を奪ったりしようとは思っていない。ただ現在国や所有者がいない場所を当家の領地として取り込むだけだ。すでに人がいる場所を無理に奪おうとすれば戦争になる。
とはいえ人がいるということは人が住める環境ということであり、人がいないということは人が住めない環境である可能性が高い。人が何故狭い川や沿岸に集中するのか。それは水がない内陸部では生きていけないからだ。だから人は川や沿岸に集中している。
俺達も補給拠点が欲しいわけで、水もない所を領土だと言っても仕方がない。まぁ仕方がないことはないんだけど、ある程度は補給が可能な所が欲しい。でも前述通りそういう所にはすでに人が住んでいる可能性が高い。
もしならず者達を派遣したら余計な争いになる可能性が高いだろう。こちらから攻撃しなくても襲われる可能性はあるけど……、派遣する者達は俺の考えを理解し、指示を守り、統率された者達でなければならない。
機密の塊であるガレオン船に乗り、カーン砲と小銃の扱いに長け、カーン家の指示を守る。そんな条件を満たす者と言えば優秀な船乗りや軍人しかあり得ない。でも優秀な人材をそんな賭けのようなもので送り出して死なせたくはない。
ならず者なら死んでも良いという意味ではないけど……、派遣する者達は慎重に選ばなければ……。
「私の考えは以上です。それに見合う者で……、言葉は悪いですが送り出しても良い者、送り出すことが可能な者を選抜してください」
死んでこいと言っているにも等しい命令……。それでもしないわけにはいかない。これから先のことを思えば……。
「そんな条件に当てはまるなんて俺……」
「却下です!シュバルツは絶対に行かせません!」
お前がいなくなったら誰がカーン家商船団を纏めるというのか。冗談でもそんなことは言ってもらっちゃ困る。
「そんなに俺のことが心配なんですか?もしかしてお嬢は俺のことが好きなんですか?」
「…………」
何かこんなような件……、ついこの前もあったような気がするな……。あのじじい相手なら地の俺を出しても大丈夫だろうけど、シュバルツに俺の本性を見せるわけにはいかない。ある意味事前に同じ経験があってよかった。こっちが先だったら地で突っ込みを入れていたかもしれない。
「シュバルツがいなくなったらカーン家商船団を纏める者がいなくなります。シュバルツが行く時は私が出向く船の船長としてということになるでしょう。まず先遣隊として派遣する者を選抜してください」
「まぁ……、西の大洋の先や暗黒大陸について思いを馳せるのは良いんですがね……。まずは足元のヘルマン海をどうするかですがね」
俺が反応せず真面目に答えたらシュバルツも真面目に話を戻した。確かにそれは問題だ。ブリッシュ島を北に迂回していけば、どことも争わず、こちらの動きも察知されずに遠洋に出られるかもしれない。でも遠回りすぎて補給がますます厳しくなる。
「私はもっと早くにホーラント王国やフラシア王国が手を出してくると思ったのですけどね……」
海賊騒ぎの後ですぐにホーラント王国が動いてくるかと思っていた。でも現実には今でもまだ何も動きがない。水面下では動いているのかもしれないけど、直接武力侵攻してきたり、宣戦布告してきたりはない。
ホーラント王国と戦争をして、逆に港を手に入れてやろうと思っていた俺のあては完全に外れた。こちらから戦争を仕掛けるわけにはいかない。今ホーラント王国に戦争を仕掛ければフラシア王国とも戦争になり、ポルスキー王国との戦争が終わった直後のカーン家・カーザース家ではそれに対応出来ない。
モスコーフ公国も動きが怪しいし、ポルスキー王国だってこちらに隙があると思えば逆襲に出てこないとも限らない。
「探検に出るのもまだすぐというわけではありませんが……、先にヘルマン海の拠点を確保しておく必要はありますね。まずはそちらの準備から進めましょう」
「どうするおつもりで?」
シュバルツもわかっているだろうに……、あえて聞いてくるんだから……。でも俺が自分の口で言う必要がある。そういうことだろう。俺の責任においてさせるということは俺がはっきり示し、命令しなければならない。どこかの国のように、喉まで出掛かっていたけど言えなかった、顔で察して欲しかった、などというふざけたことで済ませるわけにはいかないだろう。
「ブリッシュ島に国を興し、統一します。ブリッシュ島を拠点とし西の大洋及び暗黒大陸探検を実施します。ブリッシュ島への上陸は……、次の私の長期休暇を目標にしましょう」
現在ブリッシュ島は小国が乱立した状態だ。そこにカーン家が上陸して国を興す。そしてブリッシュ島を統一する。次の長期休暇まで五ヶ月もないけど、船や兵の準備だけなら十分可能だろう。
何も五ヵ月後に上陸してそのまま全土を統一しようというわけじゃない。次の長期休暇で第一陣として、俺自身がまず一度現地に上陸してみようというだけのことだ。その時にすぐに戦争を仕掛けようというわけでもない。まずは現地の確認。そして可能なら拠点の確保や国を興す段取りを進める。
「それまでに私がカーン家商船団を増強し、上陸部隊も育て上げれば良いということですね」
真面目な顔になったシュバルツが地図を見てから俺を真っ直ぐに見詰めてきた。俺もシュバルツを見詰め返して頷く。
「はい。まずはここからブリッシュ島へ侵出しましょう。シュバルツはその間も西の大洋や暗黒大陸探検に出る者達の選抜と教育を進めてくださいね。私はまずはそのための足がかりを作りに行くことにしましょう」
「はっ!必ずや期待に副えてご覧にいれましょう!」
大仰に頭を下げるシュバルツに満足した俺は、カタリーナが用意した詰めた紅茶を渡してシュバルツを見送ったのだった。




