第二百九十六話「探検隊募集!」
「アインス博士……、くれぐれも……、くれぐれも蒸気機関の取り扱いには注意してください。それから安易に人に教えないように……。研究員も信用のおける限られた者だけを集めてください」
「カーン様がそこまで言われるとは……、それほど危険ということですかな?」
いつもは俺はアインスに適当に設計図や理論を書いた物を渡したりするだけだ。口頭で説明したり、俺が作らせた実験装置で目の前で実演したり……、あとは図面や理論を適当に書いて渡すだけで任せることが多い。俺がこれだけ口を酸っぱくして注意するということの意味を理解しているのだろう。
「大きな力を取り出すにはそれだけ装置に大きな圧がかかります。そして……、まだ未熟な素材や加工技術で作られた装置は高圧に耐えられません。失敗して動かないというのならどうということはありません。ですがこれは失敗したら爆発します。くれぐれも……、くれぐれも気をつけてください」
どれだけ言っても不安はなくならない。じゃあ何故教えたんだって話だけど……。
俺だってまだ早いと思う。製鉄や加工技術が伴わない。俺が色々とアドバイス出来ることはしてきたけど、それでもこの世界の技術はまだまだ未熟だ。でも人手も労力も足りないカーン家ではそれを補う技術が必要だ。それに凪では動けない船には動力が必要になる。
俺は今後大洋に出ていくつもりだ。だから……、今はガレオン船で大洋に出ようと思っているけど、いずれそれだけでは足りなくなる。俺が生きているうちに技術革新を起こそうと思ったら少しでも早いうちから着手しなければ間に合わない。
それにうちは領地が遠くに散らばっている。船だけじゃなくて内陸での鉄道輸送が出来るようになれば、距離や輸送の問題が一気に解決出来る。不安はあるけどまだ研究に着手するだけだ。これがいきなり世に出るわけじゃない……。
「ふーむ……。では技術研究所が吹き飛ばないようにどこか遠くに実験場でも作りますかのう」
「建物などいくら吹き飛ぼうがどうでもいい話です!ですが優秀な研究者は国にとってかけがえのない存在なのです!建物や施設がいくら吹き飛んでも構いません!アインスも……、他の研究者達も……、誰も犠牲にならないように細心の注意を払ってください!」
建物なんて壊れたらまた建てればいい。装置だって壊れたら直せば良い。でも人は死んだら終わりだ。それも優秀な研究者となれば換えも利かない。人は何よりの宝だ。うちは人手が足りないからこそ余計にそれがよくわかる。
「ほぉ~~!カーン様がわしのことを……。ですが残念ながらわしは妻を愛しておりますのでカーン様の想いには応えられませんな」
「ふざけんなじじい!気持ち悪いわ!冗談でもふざけたことをぬかすな!…………ぁ」
頬を赤らめてクネクネとしているじじいの気持ち悪さについ本音が漏れてしまった……。
「ふぇっふぇっふぇっ!カーン様はそれくらいどっしり構えておられれば良い!わしらがこの蒸気機関を完成させましょう!」
「あ~……」
どうやら俺はこのじじいにのせられたようだ……。つい本性が出てしまった。アインスは研究者気質だからあまり気にしないだろうし俺の秘密も悪用しないだろうけど、これからはもっと本性が出ないように気をつける必要があるな……。
「それでは……、任せましたよ」
「はい。お任せください」
大仰に頭を下げるアインスの研究室から出る。あとはアインスがうまくやってくれるだろう。俺が作らせた実験装置の設計図や理論や注意点を記したものはもう渡してある。あの実験装置と渡した書類だけでアインスには十分だろう。
あんな小型の玩具で何も働かせないのなら大した圧力はかからない。でもより大きな力を取り出そうとすればそれだけ装置自体にも高圧がかかってしまう。
初期型の蒸気機関、天秤が上下するような装置なら良い。あれはほぼ釣り合っている天秤をシリンダーで押し上げる力があればいい。もちろん装置が大型化すればそれだけ大きな力がかかるけど押し上げていくだけだから内部圧もそれほどではない。
元々蒸気機関の最初の利用法は炭鉱の水の排出が目的だった。何故あんな天秤のような装置だったかと言えば、天秤が上下することで水を掬って排出するためだ。シリンダーの逆の方の天秤には水を掬い上げるものが取り付けられていて、上下するたびにそちらで水を掬って排出していたというわけだ。
ただしあの天秤型は負圧で動かす。負圧とは、多少齟齬があるとしても、単純にわかりやすくいえば空気の力、大気圧を利用していると思えばいい。
水蒸気の力で押し上げたシリンダー内の水蒸気を冷やして水に戻すとほぼ真空状態になる。つまり何の圧も持っていない状態だ。地球上の物質には全て空気が乗っかっている。慣れているから空気の重みを人間は感じないだろうけど、常に空気の圧、大気圧を受けて生活している。
シリンダー内が真空になると大気圧に押されてシリンダーが下がる。だから天秤型で持ち上げられるのはシリンダーを押し下げる負圧の力分しか働かせられない。もし持ち上げる物が負圧より重かったらシリンダーが下がらないままというわけだ。
しかも前に言った通りこれは非常に熱効率が悪い。シリンダー内を水蒸気で満たしたいのに、シリンダーが冷えていたらいくら水蒸気を送っても冷えて水に戻ってしまう。シリンダーが温まって水蒸気が水蒸気のままでいられる温度にならないと、再びシリンダーが上がることがないというわけだ。
この方式では非常に効率が悪いということで改良されたのがクランクで回転するタイプだ。こちらは前述通りシリンダーから取り出した水蒸気を、復水器で冷やして水に戻すためにシリンダーが冷えることがない。これは非常に熱効率が良い。
天秤型が鉱山で掘り出した燃料の三分の一を消費していたといわれるのに対して、滑り弁・復水器型の効率は天秤型の五分の一とか言われるくらいだ。この圧倒的な燃費の差を聞けばどれほど画期的な改良であるのかは一目瞭然だろう。
ただ滑り弁・復水器型は構造も複雑で内部圧も高くなってしまう。今の未熟な製鉄、加工技術ではあまりに圧が高いものを作ると耐え切れずに爆発する可能性が高い。
それに何もこちらの世界だって地球とまったく同じ進化を遂げる必要はないだろう。負圧の利用だってもしかしたら別の視点や発想や技術から役に立つ方法があるかもしれない。だから俺はアインスにあまり高圧になる物は作らないようにと、それから天秤型のような物も発展性がないか研究するように伝えている。
普通に考えたら地球で、現代ですら良い利用法がないものだからどうしようもないかもしれない。でもこの異世界でなら……、また何か違ったことが起こるかもしれない……。
失敗ならいくらでもしていい。ただ……、大きな事故で大切な研究者達が失われませんように……。
それだけを願って俺は技術研究所を後にしたのだった。
~~~~~~~
毎日毎日疲れるな~……。そろそろ王都に戻る時のことも考えて行動しないといけないし……。
潮や風を考えても三日もあればキーンからステッティン経由で王都まで戻れるだろう。まぁ本当は一日もあれば着くだろうけど……、多く見積もっても三日あれば余裕でお釣りが来る。
色々考えればあと三週間もすれば王都へ戻らなければならない。その間に出来ることはしつつ、これからのことも考えていかなければ……。
「失礼いたします。フローラ様、シュバルツ様がお見えです」
ノックされてからカタリーナが扉を開けて入って来た。どうやら呼び出していた人物が到着したようだ。
「こちらに通してください」
「あ~、すんませんね。そうなると思ってもう勝手に入らせてもらってますよ」
日焼けした男がカタリーナに続いて部屋に入ってくる。普通なら怒る所かもしれないけどそれほど気にすることじゃない。むしろ余計な時間と手間が省けたと思うべきだろう。
「カタリーナも私がそう言うと思って通したのでしょう。構いませんよ。それではそちらにかけてください」
シュバルツも暇じゃない。うちの提督様だから今も大忙しだろう。特にカーン騎士団国への輸送はほとんど任せっきりだからやり繰りはシュバルツがしてくれているはずだ。
俺は現地からの要請を受けて、例えば牛馬何頭、小麦何トンをどこへ輸送しろと指示を出すだけだ。それを受けてカーン家商船団が空いている船を見繕い、運航計画を練り、船員を選び、港湾の労働力を確保して積み下ろしを行なう。
俺は上から一言何をどこにどれだけ運べと言うだけだ。それらの管理は全てシュバルツをはじめとしたカーン家商船団の者達が考えて管理している。
そんな状況だからシュバルツ自身も毎日のように船に乗って、キーンとケーニグスベルク辺りを往復しているだろう。大提督様のする仕事とは思えないけど、船長候補も足りないんだから止むを得ない。上に立って指示出来る者というのは貴重だ。ただの水夫ならいくらでも雇えても、有能な指揮官や船長は簡単には手に入らない。
「それで一体何の御用で?……って、このお茶うまいですね!貰って帰っていいですか?」
「まぁ……、多少ならお裾分けしてもいいですが……、まだそれほどないので少量ですよ。それに普通に持ち歩いては海で湿気ってしまうかもしれません。あと淹れ方にもコツがあるので、素人が淹れても同じ味になるとは限りませんよ」
遠慮なく出来立ての紅茶をくれと言う辺り大した神経の持ち主だ。やっぱり海の男ともなればこれくらい図太くないとやっていけないんだろう。まぁほとんど海賊と変わらないしな……。
「何かの容器に入れて早めに飲むことにしますよ。で?何の御用で?」
紅茶が貰えるとなって上機嫌になったシュバルツがさっさと用件を言えと言ってくる。まるで上司に対する態度には思えない。
「それはですね……、フローレンからヘルマン海に出て、ヘルマン海での今後のカーン家商船団の拠点を確保したり、大洋に出て冒険してくれる者を探しています。そういう者達に心当たりはありませんか?」
俺の言葉を受けて、さっきまでヘラヘラしていたシュバルツは難しい顔をして黙り込んだ。暫くしてからようやく口を開く。
「…………ヘルマン海に出るのは難しくないでしょうな。ヴェルゼル川を下ればいい。フラシア王国だって四六時中見張ってるわけでもないでしょう。隙を突いてヘルマン海に出るのは可能です」
シュバルツの言葉に頷く。それは俺も同意だ。
「ですがヘルマン海に出た後が厄介ですぜ。東は魔族の国やデル王国、南はホーラント王国、そしてホーラント王国を超えてもフラシア王国と続いてます。そして何より厄介なのが西に陣取る島、ブリッシュ島です。ここは昔から小国が分裂状態ですが……、その分上陸するのは危険です」
「長く争いが続いているのでしたね……」
どれほど正確かはわからないけどとりあえずの地図を見ながら意見を交わす。シュバルツが言う通りへルマン海を出ようと思ったら、西にあるブリッシュ島とこちらの大陸の間の海峡を抜けていくか、ブリッシュ島を北に回っていくかしかない。
北に回れば非常に遠回りな上に補給も拠点も確保出来ない。北東に行けばカーマール同盟の国、北側の半島がある。でもそんな所を俺達の拠点に出来るはずもない。
現実的に考えていけばホーラント王国、フラシア王国の沿岸部を押さえてブリッシュ島との間の海峡を抜けるのが普通だろう。海峡とはいってもそんなにとことん狭いわけでもない。ただ広いわけでもないから制海権の確保は必須だろう。
それに拠点を持つというのも難しい……。俺の予定だったらホーラント王国を征服してうちの港にするつもりだったんだけどな……、なんて言うと不謹慎だけど、今は向こうが大人しくなってしまったからこちらから戦争を吹っ掛ける根拠がない。
「どうしてもやるつもりならブリッシュ島に兵を送り込んで、うちが統一しちまうしかないんじゃないですかね。少なくともどこかの小国を征服するか支配下に置くしかありませんぜ」
「そうですね……」
俺もいくら考えてもシュバルツと同じ答えしか出てこない。ブリッシュ島がまだ一つの国にまとまっていない今なら……、こちらから上陸して国を興し島を統一でもした方が手っ取り早い。
「ただ疑問なんですがね。はっきり言えばブリッシュ島なんて田舎の小国でしょう。何で西を目指すんで?大洋へ出るってのはどういう意味ですかい?」
「…………」
少しだけ目を瞑って考える。いいか……。シュバルツにはそろそろ教えておこう。
「私の目的はブリッシュ島ではありません。ここからさらに西へ、そして南へ」
俺は地図を指で示す。シュバルツの表情がまた変わった。
「まさか……、メディテレニアンを目指すおつもりですかい?」
確かに示した先にはメディテレニアン、内海、地中海が存在する。ブリッシュ島を越えてから南下していくと半島に出る。その半島沿いに進めば……、南にある大陸とその半島の間の海峡を抜けてメディテレニアン、地中海に入ることが出来る。
ただメディテレニアンはすでに沿岸国の勢力圏となっている。今からうちが乗り込んでいっても戦争になるだけだろう。それに陸でメディテレニアンに接していないうちが制海権を確保するのは難しい。
「確かにこちらにはメディテレニアンがありますが……、私が目指す先はそのさらに先……、南の大陸です」
「お嬢……、そこは……、暗黒大陸ですぜ?」
この世界でも……、メディテレニアンの南に位置する大陸の存在は当然ながら知られている。メディテレニアン沿岸部は遥か昔から知られているからそこに陸があることは明白だ。実際に沿岸国同士の争いで攻めたり、攻められたり、を繰り返しているらしい。
「私の目的はその暗黒大陸を南下していくことです。そして……、この大きな西の大洋を越えてさらに西へ向かいます」
この世界ではこの大陸から西に向かった者はいない。いるのかもしれないけど戻ってきて何があったかを知らせた者はいない。でもきっとこの先にはまだ見ぬ大陸があるはずだ。少なくとも星が丸い以上は必ずどこかに出る。まだ見ぬ大陸がなかったとしても東の国へ西周りで行けるはずだ。
「正気ですかい?そんなところに行っても世界の果てで机の端から落ちるように世界から落ちちまうんじゃないですかい?」
そう言いながらも、シュバルツは興奮を隠せないという顔をしていた。所詮こいつも冒険野郎ってわけだ。
「その心配はいりません。ただどれほど無補給で進まなければならないかはわかりません。それでも……、この冒険に出てくれる者を募りたいのです」
この世界は地球とは違う。必ず新大陸があるとは限らない。それでも……、命を懸けてでも……、冒険に出る者達を送り出したい。




