第二百九十四話「音楽!」
騎士爵領に帰ってきてから本当に忙しい……。毎日毎日、書類に会議に視察に研究に……、よくもまぁこれだけ仕事が次から次に湧いてくるものだと感心してしまう。
そんな俺は今日は視察という名の息抜きをしにきている。場所はキーンだ。キーンのはずれにあるとある秘密の施設で人知れず日夜あることが行なわれている。今回そちらがある程度形になっているということでやってきたというわけだ。
「ようこそおいでくださいましたカーン様」
「レオポルトさんこんにちは。何でも楽器や曲が随分出来ていると伺ったのですが?」
そう、ここは楽器の開発と作曲が行なわれている施設だ。
最初の頃は街中で楽器を試作していたけど周辺住民からうるさいと苦情がきたので郊外に移転することになった。金属加工の工房は街中に残っているものもあるけど、楽器専門の工房はこちらに一緒に移ってきたものもある。
防音設備なんて存在しない時代だから周りに迷惑をかけないようにしようと思ったら、周りに誰もいない所に行くしかない。当然の帰結でキーンの郊外に作られたこの辺りは作曲したり楽器を開発したりする特区のようになっている。
元々ある程度楽器そのものは出来ていた。それでも微調整したり、別のタイプの楽器など色々と発展して作られたようだ。俺がうろ覚えで教えたいくつかの楽器と、それを元に発展させた楽器が数種類完成しているらしい。
またレオポルト、アマデウス親子によってそれらの楽器を使った曲が作曲されている。曲についても俺が現代地球で知っていたような曲を鼻歌とかで適当に聞かせたものがベースになっているらしい。他にも色々とオリジナルの曲も作ったようだけど、まったく未知の楽器でいきなり曲を作れと言っても無理だろう。
そこで俺が何となく知っているクラシックのような曲とかを聞かせ、それを何となくでアレンジしてもらった。
金管楽器だけじゃなくて他にも色々と打楽器とか、ピアノに似たものはあったけどピアノはなかったから、何となくピアノっぽいものも提案している。
今日は視察というか試聴というかの名目で少し気分をリフレッシュしようとやってきたわけだ。
ここの所働き詰めで休憩もほとんど取れない。毎日毎日仕事仕事で息が詰まりそうだ。そんな俺を心配してくれたお嫁さんたちと一緒に、この音楽研究所の視察でも行こうという話になりやってきた。
音楽研究所というのも何だかなぁ……。もっと本格的に楽器の研究や作曲の後押し、音楽家達を育てることにも着手した方がいいだろうか……。どうせ学校を作るんだから音楽専門の音楽学校や、音楽や芸術に特化した都市というのを作るのも悪くないな。忘れないうちに関係部署に提案しておくか。
それはさておきレオポルトに案内されて施設内を歩く。ここは初めて来た場所だから内部のことはよくわからない。郊外に移転するために建物を建てたいという申請がきていたから許可しただけだ。実際に完成してから来たのは初めてとなる。
「カーン様!こんにちは!」
「アマデウス、こんにちは」
まだ少年のようなアマデウスが俺達に気付いて笑顔で駆け寄ってきた。男には興味はないけど可愛らしいものだ。満面の笑顔で駆け寄ってこられて悪い気がする者はいないだろう。
「今日はアマデウスが作ってくれた曲を聞きに来ましたよ」
「はい!すぐに準備します!」
そう言うとまたすぐに駆けて行った。無邪気というか本当に可愛らしいものだ。子爵で自分達の雇い主に対して取る態度ではないと思うけど、少年相手にそこまで言うつもりはない。
「申し訳ありませんカーン様!アマデウスには厳しく言っておきます!」
「まぁ良いではないですか。アマデウスはまだ子供でしょう。子供にしてはしっかりしている方ではないですか?子供の無作法に怒ることもないでしょう」
レオポルトが恐縮して頭を下げているけど良いと言ってまた皆で歩き始める。設計時にホールを作っておくと良いと言っておいたからどこかに演奏用のホールがあるんだろう。
「どうなってるか楽しみね!」
「私はあまりそういうのがよくわからないけど……」
ミコトの言葉にルイーザがシュンとしながら答える。まぁ……、この世界のこの時代では音楽はあまり馴染みがない。教会のパイプオルガンのようなものや、祭りなどで参加者達が伝統的に奏でる音楽くらいだろうか。
「それではこちらでおかけになってお待ちください」
「中々広いホールですわね」
「そうですね」
アレクサンドラの言葉に同意しながら適当に真ん中辺りの席に座る。音響がどうとか計算されて造られたホールじゃないだろう。だからもしかしたらこんな中でコンサートを開いてもあまり良い音には聞こえないかもしれない。
将来的にはホールの広さとか、音響とか、そういうことを考慮したホールを造るのも良いだろう。そういった計算や研究も進めるように指示しておこう。
俺達が適当に座って待っている間にレオポルトやアマデウス以外にもステージの上で人がバタバタと準備し始めた。今日俺が来ることは伝えていたはずだけど……、こういう所も教えた方が良いかな……。
普通なら設置しておかなければならない楽器は先に並べておいたり、持ち運べる楽器の担当者は自分の楽器を持って入場したり、指揮者が挨拶したり……。現代的なイメージを持つ俺ならそういうのが当たり前のように考えがちだけど、そういう経験のない中での試行錯誤だとこういう所は詰めが甘くなってしまうんだろう。
まぁ今日は別に本格的なコンサートというわけじゃない。視察と試聴だから多少の不手際は止むを得ないだろう。そういった様式も後で伝えておこう。いつか人を招いてのコンサートとなったらこんなバタバタは見せられない。俺の前世が現代日本人だからというのを抜きにしてもあまりに見苦しい。
「準備が出来ました」
「それでは始めてください」
こういうのもどうなんだろうな……。準備が出来たからと俺に聞くんじゃなくて、向こうのペースで挨拶して演奏を始める方が良いだろう。確かに俺が出資者でオーナーだから俺に気を使うのもわかるんだけど……。
ここにいる者達は金属加工業者とか、作曲家とか、初めての新作楽器の演奏を任された者達がほとんどだ。ここで出来た楽器や曲でコンサートを開くとかそういう発想にはない。ただこのホールで、覚えた曲を演奏する。そういう者達ばかりだから仕方がないのかな……。
それらもまた後で指導しておかなければならない。こういうことがわかるから実際に現場視察したり、現場の者の話を聞いたりしなければならないというわけだ。俺にとってはコンサートの手際として当たり前だろうと思うことでも、そういった作法や様式が確立されていない世界ではこんな認識のズレが生じる。
「それでは……」
……。レオポルトの指揮に合わせて、静かに、綺麗な音色が鳴り始める。でも指揮も何だか俺のイメージとは違う。やっぱり黎明期とか、様式が確立されていないから、ということだろうな。そもそも儀式や祭り以外でこうして本格的に楽器開発や作曲を行なっている所を俺は他に知らない。
ある程度音楽もあるにはあるけど未発達というか……。教会用の厳かなパイプオルガンの曲とか、祭りでの太鼓や笛の曲というものが主流だ。
「綺麗な曲ですわね」
「本当に……、素敵……」
最初は静かな曲が、そしてそれが終わると今度は行進曲のような勇ましい曲が、派手な曲が、静かな曲が、色々な曲が次々に流れていく。俺にとってはどれもどこかで聞いたことがあるような、何かの真似や二番煎じのように聞こえる。
まぁそれは俺がレオポルトやアマデウスにそういう曲を教えたからだけど……、地球の曲とはまた違う。似ているようで何か違うような、この世界独自の曲として仕上がっていた。
まだ完成ではないのかもしれない。あるいはこれでこれらの曲は完結しているのか。それは俺にはわからないけど中々良い出来だと思う。
途中で演奏者の入れ替えがあり、カーン騎士団軍楽隊が演奏を披露してくれた。これならパレードなどで行進する時にも良い感じだろう。まだまだ荒削りながらこの世界には今の所、存在しない新しい概念だ。きっと皆度肝を抜かすに違いない。
またパレードだけじゃなくて実際の戦争でも役に立つだろう。軍楽隊はそもそも戦場で軍が規律だって行動するために合図として音楽を鳴らしていたのが発祥だ。うちでもそういう役割を期待して軍楽隊を創設しようとしている。彼らの活躍が今後のカーン騎士団の活躍にも直結する可能性はある。
「いっ、いかがでしたでしょうか?」
一通り全ての演奏を終えて、レオポルトは緊張した様子で俺に尋ねてくる。そりゃ緊張もするだろう。今日の出来次第ではスポンサーである俺がお前らはクビだ、と言うかもしれないんだ。もう援助は打ち切ると言われたらレオポルト、アマデウス親子は困ることになるだろう。まぁその心配はいらないけどな。
「はい。とても素晴らしい出来でした。これからも是非新しい楽器と新しい曲の作曲を、音楽のために頑張ってください」
「あっ、ありがとうございます!」
ホッとした顔でレオポルトが頭を下げる。音楽は金がかかる割に得られる物が見え難い。普通ならパトロンやスポンサーはなかなかつかないだろう。地球のヨーロッパならそういうことに対する援助を行なうパトロンも居た時期はあるだろうけど、こちらではそれはあまりに早過ぎる。まだまだ音楽や芸術への理解は少ない。
理由も簡単だ。そういうことが出来るのは裕福な者だけだ。ヨーロッパでも暗黒の時代である中世ではその日食うのも必死であり、音楽だの芸術だのにうつつを抜かしている暇はなかった。そういうことが発達するのは王侯貴族が裕福になってからの話だ。
「最初の綺麗な曲はなんていう曲なの?」
「ええ、それはですね……」
ミコトの質問にレオポルトが答えようとして……。
「『カーン様に捧げるウ○チ』です!」
「「「「「…………」」」」」
アマデウスの言葉に場が凍りつく。俺は別にそれくらいどうってことはないけど、他の者は凍りつくかもな。
「こっ、こら!アマデウス!違うだろう!あれは協奏曲……」
レオポルトが必死にアマデウスを止めて曲名を言うけど頭に入ってこない。
「え~っと……、僕はその後の方がよかったかな。その次は?」
「『カーン様のためのウ○チウン○』です!」
「馬鹿!アマデウス!ちっ、違うんです!あれは……」
「「「「「…………」」」」」
得意気に胸を張ってそう言い切るアマデウスにレオポルトは顔面蒼白になっていた。いっそ息子の口を無理やり力ずくで押さえそうな雰囲気だ。
「わっ、私はあとで出て来た兵隊さんの曲がよかったかな。何だか勇ましくてこう……、気分が盛り上がるよね!」
ルイーザが必死にフォローしようとするけど……。
「あれは『カーン騎士団○ンチ行進曲』です!」
「アマデウス!お前はもう黙れ!違うんです!カーン様!」
あ~……。うん……。いや、俺はそんなに気にしないよ?日本でも小学生とかはそういうの大好きだもんね?
それに地球にいた物凄く有名で偉大な某作曲家もスカトロジストだったしね……。天才と何やらは紙一重とも言うし、俺は気にしないよ……。理解があるとか、俺がそういうものに耐性があるというわけじゃないけど、本人がそういうのが好きなだけなら自由にすればいいんじゃないかな。人に強要したりしないなら……。
「折角良い音楽だと思いましたが、最後で全て台無しになってしまいましたね」
「カタリーナ……」
カタリーナさんは手厳しい。子供の言うことじゃないか。そこまで言うほどじゃないだろう?
まぁ……、折角良い曲を聞けて素晴らしいと素直に思えたはずなのに、何だか微妙な雰囲気で終わってしまった。
アマデウスは取り押さえられて奥に下げられ、レオポルト達による必死の謝罪とそれぞれの曲名や曲の解説を受けて俺達は音楽研究所を出た。
何だろう……。確かにいつもの大変な仕事から解き放たれてリフレッシュ出来た。素晴らしい曲に出会えた。でも……、こう……、そこはかとない残念感が漂う。
いや……、いいんだけどね?いいんだよ?別にレオポルト、アマデウス親子をクビにするとかそんなつもりはない。これからも楽器の発展と作曲に尽力してもらいたい。もらいたいんだけど……。
「帰りましょうか……」
「はい」
何か俺達は非常に残念な気持ちで帰路についた。そして後日、何故か俺の机の上には音楽関連の書類が山積みになっていたのだった。




