第二百八十八話「廃嫡!」
ゲオルクとアルベルトは連れ立って独居房に向かっていた。ゲオルクの常識では東の果て、いや、果てより向こうの他国であったポルスキー王国から、こんなに早く戻ってくるなど理解出来ない。しかし現実に今目の前にいるのだからそれが事実だ。
ゲオルクが案内してきた独居房の中を覗き込むとフリードリヒがベッドに腰掛けていた。その顔はやややつれているようにも見えるが表情は険しく、ギョロリと血走った目だけで扉の方を見ていた。
「ゲオルク!さっさと私を出せ!さもなければカーザース辺境伯の名において貴様を処刑してやるぞ!」
足音でゲオルクがやってきたことを把握していたフリードリヒは扉の方に向かって声を荒げる。他に一緒に捕らえられた者達は犯罪者として拘束されているが、フリードリヒは士官の捕虜と同等の扱いなのでかなり上等な扱いを受けている。
衣食住が保障されているために元気がないとか痩せ細っているということもなく、大声を出して暴れまわるくらいには元気だった。
「お前にカーザース辺境伯としてそのようなことを決める権限はないと思うが?」
「ちっ、父上!?」
そこに響いた声にフリードリヒが驚く。ゲオルクの後ろからアルベルト・フォン・カーザースが現れたのだ。驚くなという方が無理がある。
「父上!早く私を解放してください!ゲオルクとフローラの罪を白日の下に晒し、死刑にしなければなりません!父上が命じればすぐに解決するでしょう!」
「「…………」」
ゲオルクとアルベルトは顔を見合わせる。アルベルトは目を瞑り首を振った。
「罪に問われるのはお前の方だ、フリードリヒ。本当はわかっているのだろう?」
「……」
アルベルトを見て表情を変えていたフリードリヒはそう言われて、今度は無表情になり黙った。そしてポツリと言葉を紡ぐ。
「ふっ……、ふふっ、あはははっ!ようやく望み通りの時が来てよかったではないですか父上!最初からこうするつもりだったんだろう!私を廃嫡し!全てをフローラに継がせるために!私が何も気付いていなかったとでも思っているのか!アルベルト・フォン・カーザース!」
いきなりの豹変にゲオルクは驚く。一体何のことを言っているのか理解出来ない。ただ一つわかることは、フリードリヒがいつにも増して激しく憎悪の瞳をこちらに向けているということだけだった。
「ゲオルク!お前も気をつけろよ!お前もこうされるぞ!くくくっ!お前は愚図だから何も知らなかっただろう。だから教えてやる!この父親面をした無能者の考えをな!」
「兄上……、何を言って……」
今までは父に従順な態度を見せていたフリードリヒが、いきなり父を前にして暴言の数々を吐き出し始めた。ゲオルクはうろたえながら父と兄を見る。
「私達兄弟が剣術を習い、家庭教師達に勉強を教わっていた頃、フローラはどうしていたと思う?」
「は?フローラ?」
何故フローラの話が出てくるのかわからない。確かにフリードリヒとゲオルクは幼い頃から共に勉強や訓練に明け暮れていた。それに比べてゲオルクから見ても五歳も年下で女の子であるフローラは一緒に勉強したことも訓練したこともない。
それは当然だろう。フローラは将来どこかに嫁に出される身だ。ならば自分達と同じ勉強や訓練は必要ない。多少の護身術くらいなら習う者もいるかもしれないが、普通のご令嬢ならそれもまずないだろう。
「本当にお目出度い奴だなゲオルク!お前は本当に何も気付いていなかったんだな!いいか!フローラはな、私達が家庭教師に勉強を習っている間に、すでに遥か高等な教育を終え実務にすら携わっていた。私達が剣術を習っていた頃にはもう実戦を経験していたのだ!」
「何を言って……」
ゲオルクには兄の言っていることが理解出来ない。何が言いたいというのか。何を言っているというのか。
「アルベルト・フォン・カーザースとマリア・フォン・カーザースは化け物を作り出した!そして育てていたのだ!この世のものとは思えない悪魔を!」
あまりのフリードリヒの言葉にゲオルクは父と兄を交互に見詰めることしか出来ない。兄のあまりの狂気に、父のあまりの動揺のなさに、ゲオルクはうろたえることしか出来ない。
「そしてアルベルトとマリアはその化け物に全てを継がせることにした!そのためには私とゲオルク!お前が邪魔なんだよ!だから私達を廃するためにこんな茶番を演じている!そうだろう!アルベルトォォッ!」
フリードリヒはガシャンガシャンと鉄の格子を叩く。その顔は今までの比ではないほどに狂気じみておりゲオルクはゴクリと唾を飲み込んだ。
「確かにフローラは私の……、私達の理解を超えている。フローラが幼い頃は本当に悪魔がとりついているのかと思ったこともある。どのように扱うか悩んだのは事実だ。だが最早私の覚悟は決まっている。フローラと共に歩むことがプロイス王国のためになる。そう覚悟を決めたのだ」
「ほらみろ!聞いただろうゲオルク!この男は私とお前を殺してカーザース家をフローラに継がせるつもりだ!」
兄と父の言葉がわからないながらも、ゲオルクは静かに首を振った。
「兄上……、父上はそのようなことで私達を殺そうとしたりはしない。爵位や領地の継承で誰を選ぶかは父上が決めることだ。その父上がフローラに継がせると決められたのなら私は従うよ」
「馬鹿が!この馬鹿が!何を暢気なことを言っている!お前は最初から自分が継承しないと思っていたからそう言えるだけだろう!だがな!アルベルトやあの化物はただ私達から爵位や領地を奪うだけでは満足しないぞ!私達が生きているだけで奪い返されるのではないかと考える!必ず殺される!それがわからんのか!」
ガシャンガシャンと暴れるフリードリヒにゲオルクは憐れな者を見る目で見つめていた。しかしフリードリヒはその視線に気付かない。
「フローラには辺境伯は継がせん。フローラに継がせるつもりならとっくにそうなるように手を打っている。フローラにはカーザース辺境伯の爵位は邪魔になるだけだ。すでにフローラにはフロト・フォン・カーンとしてカーン騎士爵領を与えている。それ以上はカーザース家からは何も与えない」
「何が『与えない』だ!すでに与えていると自白しているだろう!次はあちらを、その次はこちらを、あれは別で、これは別で、次々フローラに与える口実を待っているのだろう!」
最早兄は錯乱しているのかもしれない。一体いつからだろう……。どうしてこうなったのだろう……。ゲオルクはそう思わずにはいられない。
「私も……、心のどこかでまだ期待していたのだろう……。最初にフリードリヒが生まれた時、その後に見せた才覚……、いつかこの子は私より優れた後継者になってくれると思った……。フローラの才能を知り、恐れ、歪んでいっていると知りながらも、いつかまたフローラに負けないように、昔のような努力と才能を見せてくれると信じていた。いや、信じたかったのだろう……」
「父上……」
初めて苦悶の表情を浮かべる父にゲオルクはその心を知る。何故聡明で果断な父が、兄がこれほど傍若無人の限りを尽くしていても見て見ぬふりをしていたのか。
ゲオルクはまだ二人が言うようなフローラの才能というものを実感していない。昔はゲオルクも憧れた兄がこれほど歪んでしまうほどに、フローラは恐ろしい才能を持っているというのだろうか。
兄はそれに触れ、恐れ、妬み、歪んでいってしまった。
父はそれを知りながら、まだ持ち直してくれると、いつか気付いて真っ当な道に戻ってくれると信じたかった。
もしかしたらゲオルクがフローラとの接触をほとんど絶たれていたのは、父が兄の二の舞にならないように避けさせていたのかもしれない。
自分はどうだろう。もしフローラが二人が言うほどの才能を持っていると知っていたら……、兄と同じようにフローラを恐れ、妬み、歪んでしまったのだろうか。それとも全てを諦めて受け入れていたのだろうか。
兄が言うように……、ゲオルクは最初から継承のめはないと思っていた。だから多少のことがあっても気にすることなく生きてこれたのだろう。王都の学園でも成績はそこそこ。悪くはないが特別良いわけでもない。それでも適当に自分の成績に満足していた。
しかしこれがもし、自分が家を継ぐことになっていたならどうだっただろう。もっと頑張らなければならない。もっと良い成績を収めてカーザース辺境伯に相応しい成績を……。そんなことを考えながら生きてきたならば自分はどうなっていただろう。兄だけが愚かだと言えるだろうか。
「カーン家と共に歩ませるつもりではあったがカーザース家はフローラには継がせるつもりはなかった。だからこそフリードリヒを嫡男のままにしていた……。しかしこうなっては止むを得ない。フリードリヒを廃嫡し、継承権一位をゲオルクとする」
父は、ただ淡々とそう宣言した。例えこのような場で口頭で宣言しただけであろうとも、現在のカーザース辺境伯である父が正式にそう宣言したのだ。後ほど正式に書面にされ王国にも通達されるのだろうが最早これは決定である。
「くっ……、くはっ!はははっ!ようやく本性を現したなアルベルト!ゲオルク!お前も覚えておくがいい!お前もいずれこうなるぞ!フローラを廃しない限り!お前に未来はない!覚えておけ!」
先ほどの苦悩に満ちた表情などなかったかのように、アルベルトはただ淡々と全てをこなし独居房を後にした。ゲオルクもアルベルトについて行くしかない。
アルベルトはゲオルクを伴ってフロトの執務室を訪ねていた。独居房であったことを包み隠さず話す。フリードリヒが廃嫡され継承権一位がゲオルクになったことが伝えられる。
「そう……、ですか……」
フローラはふと視線を逸らし影のある表情をした。しかしそれも一瞬のことだ。すぐに顔を上げてアルベルトとこれからについて話し合う。
一見するとアルベルトもフローラも冷たいようにすら感じられる。自業自得とはいえフリードリヒがこのようなことになったというのに、長男が、兄が、このようなことになっても淡々と事務的にこなしている。それは冷徹にすら感じるだろう。
しかしそうではない。アルベルトもフローラも酷く心を痛めている。それでも、辛くとも、悲しくとも、自分のするべきことをしているのだ。手を止めている暇はない。薄情と思われようとも、冷徹だと思われようとも、悲しみに暮れている暇もなく己のすべきことをしなければならない。
上に立つ者の何と悲しいことか。期待していた愛する息子を廃嫡することにどれほど心を痛めただろう。どれほどの苦悩があっただろう。
自分のせいで狂い歪んでしまった兄が廃されてどれほど辛いだろう。責任を感じているだろう。
それでも、手を止めることなく仕事を行なわなければならない。自分にそれが務まるだろうか。もし自分の子供を切り捨てなければならなくなった時に、ゲオルクはそれだけの覚悟があるだろうか。
少なくとも現時点ではそんな覚悟などない。決断力などない。実行力などない。しかし……、それでも自分は上に立つことが決められてしまった。
今までのようにどうせ次男だから、どうせ継がないからとのうのうと生きていくことは出来ない。父や妹が今立っている場所にいつか自分も立たなければならないことになった。今はまだその覚悟が足りないとしても……、これからそれを身につけていかなければならない。
ただ、今は……、表情を崩すことなく淡々と仕事をこなしながら、心で泣いている二人と少しでもその悲しみを分かち合おう。
「でもフローラがそんなにすごい才能を持っていたなんて全然知らなかったよ。そんなにすごいなら今度お手合わせでも願おうかな?」
「やめておけ……。跡継ぎを失うことになる……」
「えっ?……それほどなんですか?」
冗談交じりにそう言うと父に真顔で止められた。どうやら本当にそれほどらしい。母が化物じみていることは知っていたが、妹もそれと同類のようだ。
この領地の発展や大宮殿のような屋敷。家人や兵の質。家の中に溢れるもの。数々の新発明。そういったものから妹の統治者としての才能は最早疑ってはいない。これらを全て妹が作り上げ取り仕切っているのだからそれが何よりの証拠だろう。
しかし……、まさか剣や槍まで母のような化物じみているとは……。兄が歪むのもわからないでもないな、と少しだけ思いながら、それでも自分は父や母や妹と共に歩んでいくことを忘れないでいようと、ゲオルクは心に誓ったのだった。




