第二百八十六話「ご正体!」
何が起こっているのか理解出来ない。兄が他の家と揉め事を起こしたと知らされ、相手の貴族家から迎えがきて、やってきたのはあり得ないほどに短期間で発展した町の先にあった大豪邸、いや、大宮殿だった。
ここまででももう理解の許容範囲を超えているというのに、その大宮殿の主であるカーン子爵に会ってみれば、それは少し前に別れたばかりの妹だった。
まったく意味がわからない。自分は夢でも見ているのだろうか。ゲオルクがそう考えるのも無理からぬことだった。
「少し落ち着いてからお話をしましょうか。どうぞおかけください」
「あっ、ああ……」
妹に促されるままに席に着く。座ってみてその座り心地の良さに驚いた。家にある家具とは質が違う。家にある物もどれも辺境伯家の名に恥じないものばかりだが、ここにあるのはソファもテーブルも何もかもその質が違った。
普通に考えたらおかしい。ここが騎士爵家なのか子爵家なのかはともかく、例えどちらにしろ辺境伯家よりかなり下の家格ということになる。それなのに明らかに辺境伯家よりも質が圧倒しているのだ。
「我が領で出来たお茶です。どうぞ召し上がってください」
そう言われて出されたお茶を見てみれば……。
「赤い?」
いつも家で飲んでいる緑のお茶とは明らかに色が違う。どうしていいかわからずフローラの方を見てみれば、フローラはティーカップを持ち上げて香りを楽しんだ後で一口含んでいた。ゲオルクもそれを真似してみる。
「飲んだことのない味だね」
いつものお茶に慣れているゲオルクからすると少し変わったお茶だと感じられた。しかし別にそれがまずいとか合わないという意味ではない。ただ慣れない味と香りに驚いただけだ。
「お好みで砂糖やミルクを入れてください。レモンティーやアップルティーというのもありますが、今お出ししたのはストレートかミルクのみですので飲みやすい方でどうぞ」
フローラがあえて見本を見せながら説明してくれる。ゲオルクに恥をかかせず、それとなく見本を示してくれる妹の気遣いに感謝しつつ真似をしてみる。砂糖を入れて飲んでみて、ミルクも入れてみた。変わった色合いだがそれを飲んでまろやかな口当たりに驚く。
「おいしいね。これはフローラが作らせたのかい?」
「はい。ですがゲオルク様、先ほども申し上げました通りここではフロト・フォン・カーン子爵でお願いしますね」
妹にそう言われて……、再び目の前の人物を見てみる。確かに子爵の正装に身を包んでいる。これはつまり目の前の人物が子爵本人であるということだ。
ゲオルクは辺境伯家の次男ではあるが本人は爵位を持たない。それに相手であるフローラも辺境伯家の長女であり自分と立場は変わらない。そしてフロトは子爵の爵位を持っている。となれば本来は自分の方が相手に敬意を持って接しなければならない。
ただ相手は慣れ親しんだ妹であり何だか妙な感じがする。作法はきちんとしているがどうしても話言葉になってしまう。
「え~っと……、因果関係や相関関係がいまいちわかってないんだけど……、その辺りは説明してもらえるのかな?」
最初は領地や屋敷に圧倒されたゲオルクだったが、向かいに座っているのが、子爵の正装をしているとはいえ、慣れた妹なので少しだけ落ち着いてきた。あるいはお茶で一息入れたのもよかったのかもしれない。まずは現状を把握しようと冷静に話を聞く。
「そうですね……。どこからお話したものかと思いますが……、最初から順を追ってお話しましょう」
そう言って聞かされた話にゲオルクは驚くことになった。
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フロト・フォン・カーン子爵の話は驚くべきものだった。フローラがルートヴィヒ第三王子と婚約。その窮地を救い騎士爵に叙爵され、王家、カーザース辺境伯家、カーン騎士爵家の話し合いによりカーザーンの北の小川以北はカーン騎士爵領となった。
これだけでも驚くべき新事実だらけだ。普通だったらそんな話など到底信じられるものではない。第三王子と婚約していているというのにそれが非公表というのもおかしい。それに王子を救い叙爵されたなどという話も聞いていない。そして領地が割譲されたというのも初耳だ。
しかしそれは嘘ではないのだろう。王家や王子や辺境伯家の名前まで出してそう言うということはこれが嘘ではないことを示している。そんな嘘をついてもすぐにバレる話だ。しかも王家や辺境伯家と合意しているなどと嘘をつけば重大な罪になる。
そんな嘘をつく理由はなく、重大な罪で罰せられる覚悟をしてまでこんな大掛かりなことをするはずがない。ならばそれらは全て本当のことだということだ。
さらにホーラント王国と海戦を行い、自由都市を束ねゴスラント島を領有し、男爵に陞爵され、王都近くに男爵領を与えられた。
まるで意味がわからない。でもいいだろう。そういうのならそうなのだと理解するしかない。今いちいち突っ込みを入れても時間の無駄だ。まずは一通り話を聞こうと黙って続きを聞く。
話は続き、今度は東でポルスキー王国と紛争が起こる。フローラの支配する自由都市が包囲されたことでポルスキー王国との戦争にも参加させられることになり、カーザース・カーン両家の連合軍による遠征でポルスキー王国は降伏。フローラは子爵に陞爵され、ポルスキー王国から返還された領土を賜りカーン騎士団国の君主になったという。
確かに今両親はどこかへ遠征に出ている。カーザース家臣団も大勢が遠征に参加していることからそれは嘘ではない。どこへ何をしに遠征に出ているのかは知らされていなかったが、話の辻褄自体は合っているような気がする。
何故北西の要であるカーザース辺境伯家が、東のポルスキー王国との戦争に駆り出されるのかという疑問はある。他にも色々と突っ込みたいことはたくさんあるがそれは置いておこう。
何しろこのカーンブルクという町がたった数年であり得ないほどに発達しており、大宮殿と思えるほどの豪邸が建っていて、そこの主が妹のフローラ、フロト・フォン・カーン子爵であるらしいということはわかった。
町の発展や建物や内装や調度品、この新しいお茶や迎えにきた馬車の質、家人達や兵を見ればこれが冗談などではないことは一目瞭然だ。
「フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースとしてはゲオルクお兄様にこのような重大なことを黙っていたことはお詫び申し上げます。ですが今はフロト・フォン・カーン子爵としてお話しなければなりません」
「そう……だね……」
フローラの迫力に少し気圧される。その滲み出る凄みがフローラがこれまで歩んできた道を表していた。
ただぬくぬくと育ってきた者にはそんな覇気は備わらない。フローラが大変な思いをして、修羅場や周囲の圧力の中で己を磨いてきたからこそそれだけのものを身に付けたのだろう。
「それではそろそろ本題に入りましょうか」
「わかった……、あ、わかりました」
それまでの和やかな雰囲気から一転、少し厳しい表情になった妹に少し気圧されながらもゲオルクはさらに話を聞いたのだった。
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案内された客室でゲオルクは溜息を吐く。今日はカーン邸に泊まるように言われて案内された部屋だ。
「兄上がここまで愚かだったとは思わなかったよ……」
誰に言うでもなく呟いた言葉を自分で聞いて、ますますその思いが強くなる。あの後フローラ、いや、フロト子爵から聞いた話でゲオルクは乾いた笑いしか出なかった。
本当は笑っていられる事態ではない。フリードリヒは他家の領地で狼藉を働き、傍若無人な振る舞いの数々を行なった。
一つ一つはそれほど重大な罪ではない。無銭飲食や住民への暴行といった罪くらいしかない。それも罪は罪だが無銭飲食や器物損壊は弁償すれば良いし、貴族が平民に多少の暴行を加えてもそれほど重い罪には問われない。
権力の乱用ではあるが『平民の方が貴族の名誉を傷つけるようなことをしたために行なった』とでも言えば多少の傷害事件などは無罪放免になることがほとんどだ。
しかし問題はそれが他領で行なわれたことであるという点にある。自領内であればそれくらいは揉み消しも出来ただろう。領民達も騒ぎになることを嫌って示談で済ませてくれるだろう。しかし今回は他領でそれが行なわれてしまった。それは最早貴族家同士の問題になってしまう。
今回は幸いにも、といえば何だが、それでも幸いにも相手は妹でありそれほど大事にしたくないというのは両者の一致する思惑だ。しかし黙ってなぁなぁで済まされる問題でもない。これはカーザース辺境伯家とカーン子爵家の問題になってしまっている。このまま黙っておけば良いという問題ではない。
「なんてことしてくれたんだよ兄上は……」
ベッドに寝転がりまた呟く。今回のことで唯一よかったことは、この騒動が起こったお陰でゲオルクは両親や妹が秘密にしていたことを知れたということくらいだろうか。しかしそんなことを知るために払った代償はあまりに大きい。
仕出かしたのはフリードリヒでゲオルクは関係ないと言うのは簡単だが、貴族家としてそれは通らない。身内が仕出かしたことは家が起こした問題も同然だ。どうしたものかと頭を悩ませる。
兄が嫡男で領主代理だった。ならばここは両親に判断を仰ぐべきだろう。しかしその両親も遠く離れたポルスキー王国、いや、カーン騎士団国に居り簡単には連絡が取れない。フローラが手紙を送ると言っていたが往復を考えれば一体何ヶ月先のことになるかもわからない話だ。
それまで兄をどうするのか。カーン家に預けたまま拘束しておくのか。カーザース家で一度引き取り謹慎させるのか。ゲオルクでは勝手に決めることは出来ない。それでも他家との問題である以上は権限がないから決められないでは済まされない。
出された夕食に舌鼓を打ち、食後のデザートというものをおいしくいただき、また紅茶というものをいただき、ふかふかのベッドでぐっすり眠る。
(あれ?本当なら大変な事態のはずだけど……、何だかこちらの生活を満喫しているな……)
そんなことを思いながらゲオルクは眠りに落ちていったのだった。
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昨日はカーン家のおもてなしを受けて堪能したゲオルクだったが、今日からは地獄が待っている。まずはフロト子爵と共にゲオルクはフリードリヒと面会することになった。おいしい朝食をいただいた後にそんな話をされてゲンナリする。
あの兄が簡単に言うことを聞くとは思えない。そもそもフローラのことやこの領地のことを話しても信じないだろう。兄が信じようが信じまいが関係ないのだが、それでもある程度は説明しなければならない。
「それではゲオルク様……、まいりましょうか」
「そうだね……、そうですね……」
妹相手なのでまだどう話していいのかわからない。フロト子爵として考えれば自分は敬意を持って話さなければならない。しかし十何年も妹として接してきた相手に、急に相手が自分より立場が上の貴族として接しろと言われてもうまく出来ない。それはきっとフリードリヒも同じだろう。そう思うとこれからのことにますます気が滅入る。
「ゲオルク!お前もグルか!この愚か者め!私にこのようなことをして後でどうなるかわかっているのだろうな!」
独居房に入れられている兄の第一声を聞いてゲオルクは軽くめまいを覚えた。この兄にこれから説明しなければならないのだ。とてもではないが理解してもらえるとは思えない。
しかしそうも言っていられない。フロト子爵の厚意によってこの程度で済んでいるが本来なら他家との間にこれほどのことを仕出かしたとあってはこんなものでは済まされない。どうにかそれくらいのことは理解してもらわなければ……。
「兄上……、私だって何も知らなかったよ……。でもこれは知らなかったで済まされることではないんだ。まずはこの……、フロト・フォン・カーン子爵も交えて話をしよう」
今日も子爵の正装に身を包んでいるフローラと一緒に三人で話をしようと提案する。しかしフリードリヒはさらに激しくわめき出した。
「ふざけるな!何が子爵だ!貴様ら覚えておけよ!この私をこのような目に遭わせて!二人とも放逐してやるからな!」
とてもまともに話が出来そうにない。その後散々喚く兄に嫌気が差したのか、それとも自分がいては話にならないと思ったのか、フローラはその場から離れた。
フリードリヒと二人っきりになったゲオルクは幾度となく話しかけ、説得し、ようやく何度か話が出来た。それでもまともに話も聞いてもらえず、言ったとしても信じてもらえず、ひたすら苦労し続けること数日、ゲオルクは何日も何日もフリードリヒの独居房に通っては説明したり説得したりし続けていた。
「はぁ……、今日もまた兄上の説得か……」
カーザース家の責任なのでカーザース家の一員である自分がしなければならない。相手がカーン家、つまりフローラだからこの程度で許されているが、本当ならもっと大事になっている事案だ。それでも鬱な気分のまま今日もフリードリヒの独居房に行こうとしたゲオルクは、後ろから声をかけられて驚いた。
「それほど話が通じないのか?ならば私が代わろう」
「え?ちっ、父上!?」
そこにはまだ連絡がいくまででも何ヶ月もかかるだろうと思っていた父の姿があったのだった。




