第二百八十五話「ご招待!」
カーンブルクの本邸に戻ってきた時に見た光景は酷いものだった。庭は荒らされ、直に火が焚かれ、ならず者が屯し、火で焼いた食べ物をそこらに撒き散らしている。あまりの光景にさすがのミコトですら言葉が出てこない。
これがどこか荒野や森の中であったならばまだ理解出来る。旅人や狩人がどこかで野営しているのなら当然のことだ。しかしどこの馬鹿が邸宅の前にある庭でこんなことをするというのか。少なくとも普通の者ならば自分の家の庭先でこのようなことはするはずがない。
こんなことが出来るのは所詮他人のもので汚そうが壊そうがどうでも良いと思っているからだ。自分の家や持ち物を粗末に扱う者はいない。他人のものだと思っているからどうしようとも何とも思わずにいられる。
しかしそんなことはどうでも良い。庭は片付ければ済む話だ。問題なのはそんなことではなく……。
パシンと乾いた音が響く。何が起こったのか理解出来ない。今目の前で起こったことのはずなのに脳がそれを理解することを拒否しているかのようだ。
「くっ!この!何を耐えているのだ!お前は無様にひっくり返っていればいいのだ!」
そしてもう一度パシンと音が響いた。その時になってようやくカタリーナ達の頭も働き始めた。フローラ、フロトが平手打ちを受けたのだ。
確かにこれまでフローラが両親などから特訓の最中にボコボコのされているのは何度も見ている。それを見て頭に血を昇らせる嫁達はいない。しかし……、例え兄だとしてもこの目の前の男、フリードリヒにフローラが殴られなければならない理由はない。
両親が特訓でフローラに厳しく接するのは当然だろう。フローラも承知の上で安全にも配慮(?)して行なわれている特訓で殴られたり怪我をしても何とも思わない。
それに比べて無抵抗な状態であるフローラに、理由もなく、それどころか向こうが悪いとすら言える状況で平手打ちを浴びせる。……許せるものではない。頭が働き始めると同時に次第に血が昇り始める。
ミコトとルイーザは魔法を発動させようと集中に入り、クラウディアは腰の剣に手をかける。カタリーナは仕込みナイフを取り出そうとし、アレクサンドラは戦う術は持たないがどうにかしようと必死で考え始めていた。
「おっ、お待ちください!」
「落ち着いて!」
今にも飛び掛ったり、目の前の者達を殺しに行きかねない五人の前にエーリヒやイグナーツが立ち塞がる。すでに魔法の準備に入っている魔法使いを相手に、その目の前に無防備に立つことは恐ろしい。それでもエーリヒやイグナーツは身を挺してでも止めるしかない。
フローラの方はイザベラが抑えている。他の者達はこちらの五人を抑える。若い者達の感情の赴くままに行動させては取り返しのつかないことになる。ならず者達を捕まえるにしてもこの場で殺してしまってはよくない。
どうにか冷静さを取り戻したフローラがイザベラと共にフリードリヒから距離を取り下がったので、イグナーツとエーリヒが状況を説明する。五人はまだ納得などしていないがフローラ自身が近くに下がってきたことで一度落ち着きを取り戻した。
あっさり身柄を確保したならず者達を見送りフローラは次の行動を指示し始める。また興奮状態であるカタリーナやミコト達を落ち着かせるために別室に行くようにイザベラに案内させたのだった。
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屋敷の一室に集まっているカタリーナ達は大勢の者達に囲まれていた。非常に物々しい。カタリーナやクラウディアは剣やナイフのような物理的な武器を使う。それは逆に言えば手加減や寸止めが出来る武器であるということだ。
それにカーザース家の両親やフローラでもない限りは通常の武器で大規模破壊など起こせない。マリアやフローラなら剣や槍でこの屋敷も解体してしまうだろうが、多少強いといってもクラウディアやカタリーナが剣やナイフで建物を解体するようなことは出来ない。
それに比べてミコトとルイーザは危険だ。一度魔法を発動させてしまえば取り消したり寸止めしたりなどということは出来ない。また魔法は大規模破壊や火災などを引き起こせるために非常に危険なのだ。だからこの部屋に詰め掛けている者達はミコトやルイーザの魔法が発動されそうになったら、身を挺してそれを止めるための者達だった。
「少しは落ち着きましたか?」
「…………」
イザベラに出されたお茶も飲まずにカタリーナは黙っている。その表情は非常に険しく、まだ何も収まっていないことが見て取れた。
イザベラにとってはカタリーナは後輩メイドだ。他の四人は主人の客人であったり友人であったりするが、カタリーナはあくまで後輩メイドにすぎない。
「あいつ……、フリードリヒだっけ?次に見かけたら殺してやるわ……。私のフロトを殴るなんて許せない!絶対に後悔させてやるんだから!」
「落ち着いてください……。今はフロト様が今後のことについて検討中です」
まったく落ち着いていないミコトをイグナーツが宥める。しかしそんなことで収まるはずもない。
「兄だからって何をしても許されると思ったら大間違いだよね。僕が決闘を申し込むよ」
「平民が貴族を害すれば大罪だけど……、私がやる!」
クラウディアもルイーザもまったく収まっていなかった。それどころか話しているうちにまた徐々に加熱しつつある。
「私には戦う力はありませんけれど……、あれは許せませんわ……。学園であの者について色々とお話させていただきます」
ある意味においてアレクサンドラの手が一番厳しいのかもしれない。貴族社会において下手な噂が流されて評判が落ちるのは致命傷になりかねない。その程度のことなどでビクともしない大貴族ならともかく、まだ若いフリードリヒにとって社交界での評判が落ちることは将来が閉ざされることを意味する。
「ですから現在フロト様が今後の対応について検討中ですので……」
「フローラ様はお優しい方です……。親族の……、実の兄のこととなれば甘い対応をされるかもしれません。やはり我々が闇から闇へ葬り去る方が良いでしょう」
ボソリと呟いたカタリーナに他の四人ですらゾッとした。その目は暗く淀んでおり何を仕出かすかわからない雰囲気が漂っていたからだ。もしこのままカタリーナを放っておけばフリードリヒはよくて行方不明か突然の病死。場合によっては長く苦しむ奇病に冒され何年も病床でのた打ち回ることになるかもしれない。
「とっ、とにかく!暫くここで休んでください!」
屋敷にいる兵だけでは足りない。そう思ったイグナーツが警備隊からも応援を呼んで厳重な監視の下、五人は休むという名目のもと隔離されていたのだった。
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フローラを見送ったゲオルクは家で一息ついていた。可愛い妹であるフローラがいる間は兄が帰ってこなかったのはよかった。兄と鉢合わせしていたら、きっとフローラも久しぶりの実家だというのに嫌な思いをすることになっただろう。
自分も兄がいない間、少しくらいは羽を伸ばしたいものだと思いながら寛いでいると突然家人達がやってきた。
「ゲオルク様……、カーン子爵家の使いであるという者が訪ねてこられましたがいかがいたしましょう?」
「カーン子爵家?カーザース家の家臣ではないよね?」
聞いたことがない家の名前にゲオルクは首を傾げる。近隣の貴族家にもそのような名前はない。
「用件は聞いたのかい?」
まさか貴族を語る詐欺師でもあるまい。カーザース辺境伯家を相手にそのような詐欺を働く馬鹿がいるとは思えない。庶民相手ならば貴族を語っても騙せるかもしれないが、貴族自身はおろか貴族を相手にするような商人達ですらそのような詐欺には騙されない。
貴族とはただ衣装を整えれば貴族になれるわけではないからだ。貴族を貴族たらしめるのは長く受け継がれたその教育であり、新興貴族が馬鹿にされるのもそういったものが身に付いていないからだ。
ちょっと練習した、などという程度ではすぐにボロが出る。本当に貴族としての教育を受けた者ですら爵位を誤魔化すことは難しい。ましてやただの詐欺師が本物の貴族ですら騙せるほどの教養を身につけるのは不可能だ。そんなことが出来るのならその技能を生かして詐欺以外のことをした方がよほど儲かる。
「は……、それが……、どうやらそのカーン子爵家とフリードリヒ様の間に何かあったようでして……。フリードリヒ様の身柄を預かっているからすぐに来て欲しいと……」
少し言い淀んでから家人がそう言ったのを聞いてゲオルクは顔に手をあて天を仰いだ。ついにやってしまった……。そういう思いだ。
兄の素行が悪いことは知っていた。領内での評判が悪いことも承知している。しかし領内でならば多少の悪さをしてもどうとでもなる。しかし他の貴族家と揉めたらそうはいかない。
兄もそこまで馬鹿ではないと思っていた。いや、思いたかった。自領内でならば多少悪さをしても、外に向かってはそれなりに猫を被るだろうと思っていた。実際今まではそうしていた。しかし何かの拍子に他の家と揉めるのではないか。ずっとそれを心配していたがついにそれが現実のものとなってしまったのだ。
「はぁ~……。わかった。私が迎えに行けば良いんだね?」
ゲオルクはカーン子爵家の使いという者と会い、案内されるままに馬車に乗り込む。家でも見たことがある変わった形の馬車だ。自分は利用したことがないが両親やフローラが乗っているらしい。家に置いてあるのは見たことがある。奇抜な形で最近の流行なのかな?と思っていたがその乗り心地は信じられないものだった。
「まったく揺れない……。こんな馬車があったのか……」
自分に支給されている馬車は普通の馬車だ。質は辺境伯家の名に恥じないものだと自負している。次男で家を継がない自分にまであれほどの物を用意してくれていることに感謝すらしていた。
しかしこの馬車に乗ってみれば自分の馬車は旧式なのだと思い知った。この新型の馬車は素晴らしい。ただ両親や妹が利用しているのもこの型の馬車だが、自分はおろか兄ですら旧型を使っている。兄くらいならこちらが支給されていてもおかしくないのに、と思いながらゲオルクは案内されるままに目的地へと向かっていたのだった。
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ゲオルクは馬車の外の景色に驚いた。ほんの少し……、カーザーンを出て少し北の森に入ればそこには信じられない光景が広がっていた。
北の森に開拓村が作られていることは情報としては知っていた。そして父が用のない者の北の開拓村への訪問は控えるようにという命令を出していることも知っている。
当然ゲオルクは北の開拓村に用などないのでこれまで訪れたことはない。森の中に近年拓かれた開拓村など小さなものだろうと思っていた。開拓がうまくいくまでには長い時間がかかる。数年前に拓かれ始めたような村などまだ定着も出来ていないだろう。そう思っていたのに……。
「こっ、これがカーン子爵家の村、いや、町なのですか?」
この辺り一帯はカーザース辺境伯領のはずだ。しかしカーン子爵家に呼ばれて連れてこられたのがここなのだから、ここはカーン子爵領なのかと考えるのは普通のことだろう。
「いえ、ここはカーン騎士爵領となります」
騎士爵領?呼び出したのはカーン子爵なのにここはカーン騎士爵領だという。カーンという名前は同じなので何らかの関係はあるのだろうが、因果関係、相関関係がわからない。そもそもカーン家などという家自体聞いたことがないのだ。
ただ一つわかることは馬車に同乗している案内役の執事の質がカーザース家よりも良いということだけだ。家人の質は家の力を示す基準となる。これだけの執事を抱えているということはそのカーン家というのが相当力のある家であることが窺えた。
「到着いたしました。どうぞ」
「…………え?」
馬車を降りたゲオルクが見たものは……、宮殿、いや、大宮殿と言っても差し支えない立派で巨大すぎる屋敷だった。学園に通うために王都に出ていた時でもこれほど立派な屋敷は見たことがない。王族が住まう屋敷でもこれほどのものはお目にかかれない。
周囲は貴族街なのだろう。正面の大宮殿の周りに建っている屋敷ですらカーザース邸を上回るようなものがゴロゴロと建っている。ここは一体何なのか。そしてその大宮殿の美しい庭の一画だけ不自然に燃えたような跡がある。それだけでこの美しい庭が台無しになっていた。
「あの……、あの焼け跡のようなものは……?」
ゲオルクは嫌な予感を覚えながら執事に問いかける。
「ああ、お恥ずかしい所をお見せしてしまい申し訳ありません。あちらはフリードリヒ様とそのお連れの方が火を起こされまして……、まだ片付けが間に合っていないのです」
ゲオルクはサーッと一気に血の気が引いた。この美しい庭で、これだけの大宮殿の目の前で、何故火を起こしたというのか。これだけの大宮殿に住んでいるのだ。相手は王族並だろう。そんな相手の庭先で火を起こした兄の行動が理解出来ない。
一気に頭がまともに働かなくなり言われるがままに大宮殿の奥へと通されていく。そして扉の前にメイドが待っている部屋に通された。
「えっと……、ここですか?私は何故このような場所に呼ばれたのでしょうか?お相手はどのような方ですか?」
「お入りになられれば全ておわかりいただけるはずです」
扉の前に待つメイドにそう言われる。もっと……、謁見の間のような場所に通されて、玉座から見下ろされながら兄の仕出かしたことについて申し開きを迫られるのだと思っていた。それなのに通されたのは普通の部屋だ。こんな普通の部屋に通されるとは思っていなかったので困惑してしまう。
「失礼いたします。ゲオルク・フォン・カーザース様をお連れしました」
「しっ、失礼します!」
謁見の間で跪くつもりだったゲオルクは普通の執務室のような部屋に通されて、ガチガチに緊張したまま頭を下げた。
「お呼び立てして申し訳有りません。ゲオルク・フォン・カーザース様」
「いっ、いえ!って、あれ?フローラ?」
そして相手から声をかけられて、若い女性の声だと気付いて顔を上げてみれば、そこに居たのは少し前に別れたばかりの妹だった。
「こちらでは私のことはフロト・フォン・カーン子爵でお願いします。実は先ほど重大な事件が発生しました。カーザース辺境伯家に関わることですので、現在居られるカーザース辺境伯家の方に来ていただきました」
フローラが何か説明しているようだが……、まだ頭が働いていないゲオルクにはその言葉は理解出来なかった。




