第二百八十二話「運河視察!」
さぁ、久しぶりの我が家だ。今では俺の家はカーンブルクの本邸なんだろうけど、やっぱり生まれ育った生家といえばここだろう。
「お帰り、フローラ」
「ゲオルクお兄様!ただいま戻りました」
事前に予定は知らせていたから兄も出迎えに出てきてくれたようだ。家人達の準備もあるから基本的に予定や訪問先には事前に連絡がいっている。カーザース邸だって俺達が帰って来る日は事前に連絡していた。
本当なら母も一緒になるはずだったけど……、母はポルスキー王国、いや、カーン騎士団国に行ったということは知らせてある。下の兄であるゲオルクもそれは知っているだろう。
「あの……、フリードリヒお兄様もおられるのでしょうか?」
「え?兄上かい?いや、何日か前から出かけたっきり帰ってきてないよ。いつ戻ってくるかはわからないな。何か用でもあるのかい?」
「いえ、ご不在なら良いのです」
フリードリヒに用なんてあるはずがない。むしろ会いたくないから聞いただけだ。そしてここにいないというのなら好都合だろう。ゲオルクにぃは良い人だけどフリードリヒとは反りが合わない。ぶっちゃけて言えば嫌いだ。
俺だって兄弟なんだし仲良く出来るなら仲良くしようとは思うけど、あの高圧的で人を見下したような態度は好きになれない。フリードリヒがどれほど優秀なのかは知らないけどあれはよくないだろう。いつか手痛いしっぺ返しでも食らうんじゃないだろうか。
ゲオルクにぃは気が良すぎるというか、大人しすぎるとは思う。大貴族の跡取りとしては物足りないだろう。それに比べたらフリードリヒの方がいかにも高位貴族という感じで、貴族の中ではうまくやっていけるのかもしれないけど……。俺は個人的にあまりフリードリヒは好きじゃない。
父はどうするつもりなんだろう……。別にプロイス王国は長子相続や長男相続ということはない。ゲオルクにぃや俺がカーザース家を継いでも何らおかしくはない国だ。
ただ俺が継ぐと俺までは良いけど俺の子孫が跡を継げば女系になってしまう。俺の次をゲオルクにぃやフリードリヒの子孫が継ぐというのなら男系として続くからいいけど、それなら最初からフリードリヒやゲオルクにぃが継げば良い話で、途中に俺を挟む理由もない。
プロイス王国は地球のヨーロッパと同じで女系が継いで王朝や家系が断絶しても気にしない。でも地球の日本の常識や感覚を持つ俺からすると女系に代わるということはお家断絶と同じことだと思う。
まぁそれは俺が考えることじゃないからいいか。確かに俺やゲオルクにぃにも継承権はあるけど多分フリードリヒが継いで終わりだろう。俺はもう自分の領地や国があるし、ゲオルクにぃはフリードリヒの補佐と、言い方は悪いけど予備扱いになるんじゃないかな。
「疲れたろう?さぁ、こんな所にいないで家に入ろう」
「はい」
ゲオルクにぃに促されて家に入る。たまにはこういう穏やかな日も悪くない。
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カーザース邸で一晩明かした俺は今日も視察に出掛ける。結局カタリーナは休むこともなく昨日のうちに戻ってきた。折角の実家だし兄の結婚の話になってるんだからもっとゆっくりしてくればいいのに……。
そういえばうちの兄の結婚はどうなってるんだろう?普通にもう結婚しててもおかしくない歳だよな。ゲオルクにぃの方は実家暮らしだし嫁さんも同居してないからまだいないのかな。フリードリヒは俺の結婚も当主になったらフリードリヒが決めると言ってたし、ゲオルクにぃの結婚も自分の政略に利用しようと思ってるのかもしれない。
俺はもう別の貴族家だからフリードリヒにとやかく言われる筋合いはないんだけど、ゲオルクにぃは辛いだろうな。昨日は久しぶりに話したけど特に何も言ってなかったけど……、色々苦労とかが多いんじゃないだろうか。カーザース家のことについては俺は口出し出来る立場にないから本人か両親に頑張ってもらうしかない。
早朝から書類仕事を片付け、午前中に家を出てカーザーンを少しだけ視察してから運河の建設現場に向かう。俺はカーザーンの管理に関する権限は持ってないからカーザーンを視察してもあまり意味はないからな。精々がうちの参考にしたりする程度だ。
ただ少し気になったのはカーザーンがあまり……、いや、いいか。それは俺の領分を超えた問題だ。両親の不在を代理で預かっている者のやり方に俺が口を出すべきじゃない。一つ言えることはカーザーンを視察しても参考になるものは見つからなかったということだろう。
そんなわけでやってきましたアースタル川。まだ元々の川の方の拡張はしないようだ。掘削部分が済む頃にこちらもかかるのかな?まぁ行程表は一応もらってるけどそれだって変更になる可能性もあるしな。進捗状況次第でいくらでも変わり得る。
元々のアースタル川より西側は木が伐採されてすでに掘削が始まっている。出た土砂は運河の堤防と曳舟道のために盛られている。もちろんただ土を盛っただけじゃ崩れるし決壊してしまうから、金網を張って石を積んできちんと基礎から作られている。
「ようこそお越しくださいましたフローラ様。ああ、いや、フロト様の方がよろしいかな?」
「クスッ。どちらでも良いですよジークムント。久しぶりですね」
工事現場で出迎えてくれたジークムントと挨拶を交わす。俺の家庭教師の一人だったジークムントはそのままカーン家で顧問として雇ったのは前に言った通りだ。そしてこの運河建設で責任者の一人にジークムントを据えている。
ジークムントは歴史と内政の家庭教師だったけど、元は官僚で法服貴族だし色々と都合がよかったからだ。この運河建設では王家や王国からの支援がある。でもそれは逆に言えば王家や王国との折衝も必要になるということを意味する。
ジークムントは運河建設の専門家ではないけど、過去の経歴や知識を活かしてもらおうと責任者の一人に任命している。ジークムントなら王国の官僚や法服貴族にも顔が利くだろうし、内政担当だったんだから建設の指揮は出来なくても建設を潤滑に進める手助けは出来るだろう。
その後現場の上役達と会ったり、王国から派遣されている者達と挨拶を交わしてから現場を見ていく。今日は一先ず端から端まで、ディエルベ川からヴェルゼル川まで一通り見ていく予定だ。
うちだけだと資金はともかく労働力は少々心配だったけど、王家と王国が支援してくれているから作業は順調に進んでいるらしい。
前述通り護岸や川底はコンクリートじゃなくて石を積むようだ。理由はコストと資源の問題だな。確かに資金は十分あるけど、だからって無制限に無駄遣いして良いということにはならない。コストカット出来るならカットするに越したことはないだろう。
それにローマンコンクリートを使うということはそれだけ資源を使うということだ。現代地球ほど機械化、工業化されていないこちらでは用意出来る量にも限りがある。埋蔵資源などはまだまだ手付かずで残ってるだろうけど、それを掘り出して加工して使えるようにするだけでも一苦労だ。
コンクリートとかは他にも需要がたくさんあるし節約出来るなら節約したい所だろう。その結果運河がすぐに壊れたりしたら意味がないけどその心配はないらしい。耐久性というか耐用年数というかが十分持つのなら石積みでも良いだろう。
大型船が通る前提だからこの運河はかなり大規模なものになる。幅も深さもかなりだから湧き水との戦いになっているようだ。すでに掘削が始まってるけど深く掘ると水が湧いてきて大変らしい。
一日目はディエルベ川側からヴェルゼル川側まで視察しながら進み、ヴェルゼル川側にある宿泊施設で泊まることになった。
この宿泊施設は労働者や現場監督達が寝泊りするための施設だ。いちいち町に帰って寝て、朝来ていたら移動だけで時間がかかる。だから現場近くにこういう施設が確保されているというわけだ。
当然俺が寝泊りするには相応しくないなんていうメイドさんがいたけどそんなことは言ってられない。今から町に戻るのも大変だし時間の無駄だ。明日からまた視察もあるしここで泊まる方が良い。
もちろん俺達は女性が多いし現場労働者達が寝泊りしている施設と同じ所で雑魚寝というわけじゃない。俺達に襲いかかってくる馬鹿はいないと思うけど、念のためというよりは当然の配慮として別だ。
翌朝起きると朝食を済ませてから朝の会議に顔を出す。現場では朝晩にこうして会議が開かれている。打ち合わせとも言うな。今日の作業の確認はもちろん、他の所との兼ね合いとか今後の工程について話し合われる。
打ち合わせに参加してから再び東進し、途中で北上する。何故北上するかと言うとアースタル川から分岐して溜池を作っている所の視察に向かうためだ。
運河も片方から片方へずっと水が流れ続けるなら良いけど、いや、それも良くはないんだけど、ともかくこの運河は途中が高く、両方の川へ近づいていくほど低くなる構造になっている。だから高い所から低い所へ水が流れてしまう。
ずっと水が流れっぱなしじゃなくて門を閉めて管理はするけど一滴も流出しないなんてことはない。そこで水車で汲み上げた水を流す水路と、アースタル川の川上で分岐して作った溜池から流す水で運河の水を確保することになっている。今日はそちらの溜池の方も視察していこうというわけだ。
アースタル川の分岐や溜池まで視察して戻り、溜池付近にある宿泊施設で二泊目をする。アースタル川を上流まで行ったんだからカーンブルクの近くまで戻っている。寝泊りするならカーンブルクでというメイドさんを何とか説得して戻った。明日の日程も考えたら今日のうちにここまで戻る方が良いからな。
そして三日目の朝は運河の方に戻りディエルベ川側まで戻る。全体を通して見たけど工事は順調に進んでいることが確認出来た。やっぱり労働力の確保が大きい。当初は五年、十年の大工事かと思ったけど、今の工事計画では二年で終わらせることになっている。
重機もないのにこれほどの工事が二年で終わるのかと思ったけど、やっぱり数の力というのはすごいものだ。人間が手作業でやっても人数と時間をかければ大抵のことは出来てしまう。地球でも過去の運河や護岸、治水工事、万里の長城とかピラミッドとか、現代でも大変だろうと思う工事を無事に成し遂げているもんな。
「アースタル川の拡張工事が後回しなのは?」
「ああ、それはですね」
カーザーン付近まで戻ってきた俺はふと気になったことを同行していたジークムントに聞いてみた。そしてその理由に納得した。アースタル川を拡張するとなったら人が通行出来なくなる。現在架かっている橋も取り壊しになるし、そこも拡げなければならないからな。
だからまずは新しい運河側をある程度整備してそちらに迂回路を設けるらしい。ディエルベ川の方にも迂回路を作って、どちらからでも迂回出来るようになってからアースタル川の拡張工事をするとのことだった。
それはそうだよな。ここを渡って行き来している人達もいるんだ。俺はそういうことを考慮していなかった。先に迂回路なりを用意してあげなければ生活に困る者も出てきてしまう。
迂回路を用意しても遠回りになって不便にはなるだろうけど、迂回路すら用意しないのは問題外だ。俺は机の上で物を考えるだけだからそういう視点が欠けていた。やっぱり机の上で物を考えるだけじゃ駄目だな。うまくいかない。現場の者達に考えてもらってそれを了承するやり方でないと思わぬ失敗をしてしまう。
カーザーン近くまで戻ってきたのでこれから数日はカーザース邸から現場に通うことになる。俺が無理に他の地域に行く必要はない。総指揮を執っているのがこちらの事務所だからそこに顔を出しておけばいい。何か問題があれば全ての情報はこちらに集まってくる。
そんなわけでその後三日ほど運河建設の現場へ出向き視察と勉強と指揮を行なった。
長期休暇ももう三週目に突入している。いつまでも運河ばかりも見ていられない。というわけで俺はカーンブルクに戻る。
「まだこちらにいるんだろう?また戻っておいで」
「はい。王都に戻るまでにまた顔を見せにまいります」
ゲオルクにぃに見送られてカーザース邸を後にする。ロイス家とラインゲン家はまだカーザーンのロイス邸に残るようだ。もう少ししたらカーンブルクのヘルムート邸にまた移ると聞いている。
でも両家はまだこちらに残るけどヘルムートは俺について来るらしい。クリスタは両家の両親と一緒にいるようでまだこちらに残ると言っていた。
アレクサンドラは何度か母のガブリエラと会っていたようだけど毎回短時間だったようだ。すぐにカーザース邸に戻ってきていた。俺も挨拶に行こうと思ったけどガブリエラの方からやってきて挨拶されたので、それからリンガーブルク邸を訪ねることはなかった。
カーザーンに来た時よりもヘルムートが一人増えた俺達は陸路で北上してカーンブルクに入った。でも……、何か町の様子がおかしい気がする。いつもより活気がない?
特に問題があったとは聞いていない。たまたまか?何か町が妙な雰囲気だったような気がしたけど……。でもその原因はすぐにわかった。
「何だ?フローラか?何故お前がここにいる?」
「フリードリヒお兄様……」
カーン邸に戻った俺が見たものは、いかにもならず者のようなガラの悪そうな者達を引き連れて、うちの庭先で屯しているフリードリヒ達の姿だった。




