第二百八十話「諸問題!」
朝の出来事のせいでまだ気持ちの整理がつかない。あの後間もなくヴィクトーリアは帰った。俺にクルーク商会を継がせるという話は完全に決まったわけじゃないけど、ヴィクトーリアはもうそのつもりでこれから動くと宣言していった。俺の返答や気持ちは置き去りに……。
もちろんいきなり全てを俺に継がせるわけじゃない。少しだけ話したけどヴィクトーリアは徐々に俺をクルーク商会の運営に関わらせて、実績を積んで、部下達を掌握させて、派閥を作り、そして引き継がせる段取りのようだ。
それはわかる。至極真っ当だろう。何の経験も実績もない外部の奴がいきなり跡を継ぎますとか言っても、すでにいる社員達は当然反発する。社長の息子だからとその会社で働いたこともない奴がいきなりやってきて、今から親に代わって社長をします、とか言い出しても誰も言うことを聞くはずがない。
子供に社長を引き継がせようと思ったら、最初はそれなりの役職や地位を与えて実績を積ませ、幹部や幹部候補の者達と親しくさせて、徐々に足場を固めてから交代するのが普通だ。途中で何か不慮のことでもない限りはだいたいそうするだろう。
それはわかるけど……、そもそも何故俺なのか……。
クルーク商会はプロイス王国で最大の商会であり周辺国との取引もある大商会だ。しかも後ろ盾は宰相であるディートリヒの実家クレーフ公爵家なんだから、いきなり俺がクルーク商会を継ぐなんて話になったら必ずクレーフ公爵家と衝突することになるだろう。
それに王家だって黙っているとは思えない。カーン騎士団国を抱えるだけでもすでに俺は公爵並の領地と人口を持っている。その俺がカンザ商会、カンザ同盟、そしてクルーク商会と全てを握れば、プロイス王国の流通や小売のほぼ全てを掌握すると言っても過言じゃない。俺一人にそこまで財と権力が集中することを王家が許せるか?許せるはずがない。
カーン騎士団国はプロイス王国の領土を取り返しただけだと言っても、俺に領地を与えてもプロイス王国は自分達の懐は痛まなかった。元々奪われていた土地が返ってきただけだ。その全てを俺に与えても税収が増えこそすれ、損をすることはない。
でもクルーク商会はそうじゃないだろう。元々クレーフ公爵家と深い繋がりがあり、恐らく王家やクレーフ公爵家と癒着していたはずだ。そのクルーク商会が俺の物になるとなっては、カーン騎士団国を与えたのとは比べ物にならない衝撃だろう。
「はぁ……」
「フロト……、何か悩み?」
「え?ええ……」
俺の溜息が聞こえたのかルイーザが心配そうに俺の顔を覗きこんできた。俺は曖昧に答える。
「私じゃフロトの悩みの手助けは出来ないと思うけど……、無理だけはしないでね」
「ルイーザ……、ありがとう」
ルイーザの気持ちが流れ込んでくるようで何だか温かい気持ちになった。それだけでも少し楽になったような気がする。馬車の隣に座るルイーザの頭を撫でると『えへへ』とはにかんだ笑顔を見せてくれた。とても可愛い。抱き寄せたい衝動に駆られるけど馬車の中だし、同乗者の他のお嫁さん達が見ているから我慢しておく。
まだクルーク商会のことも決定じゃない。俺が継ぐか継がないか。それに周囲をどうやって納得させるのか。それはこれからの話だ。もしかしたら周囲の反対で継がないかもしれないし、周囲は黙ったとしても俺が断る可能性もまだある。先のことを考えすぎても疲れるだけだ。
無策は良くないし楽観も良くないけど、まだはっきりわかりもしないことを悩んで気を揉むのは疲れるだけだろう。今はわからないことを考えるより視察を頑張ろう。自分の足元の領地もままならないんじゃ他のことなんて出来るはずもない。
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到着したフローレンはこの半年ほどの間に随分と様変わりしていた。最初はまだ小さな村だと思ったものだけど今では建物も人の数も随分増えている。そして掩蔽用の施設に隠されている艦隊……。こちらは海が繋がっていない……、わけじゃないけど現状では魔族の国やデル王国の海峡を通らないと往来出来ない。
ヴェルゼル川の下流はフラシア王国領になっているし、仮にヴェルゼル川を下ってヘルマン海に出られたとしても、ハルク海に行くには魔族の国やデル王国を通らなければならない。
俺の希望としてはヘルマン海からハルク海へ行くことが目的じゃなくて、ヘルマン海からさらに西の大洋に出たいと考えている。でもハルク海に行かないとしてもフローレンが母港では何かと都合が悪い。
まずフローレンは港と言っても河港だ。ヴェルゼル川の流域にある。ヘルマン海から貿易してきてもここまで上ってこなければならない分だけ手間がかかる。やはり海に面した港がある方が良い。
そしてヴェルゼル川の下流がフラシア王国の領土になっているということも問題だ。この世界では通航権とかは曖昧だ。勝手にあちこち通る者もいるだろうけど、見つかれば争いや、場合によっては戦争にもなりかねない。それに許可を貰って通っていたとしてもいつ向こうの都合で通航禁止にされるかわからない。
さらに仮にフローレンからヘルマン海に出て貿易出来るようになったとしても、うちはヘルマン海での制海権も、寄港先も、拠点も何もないということだ。もちろんそんなのはこれから用意していけば良い話かもしれないけど、西にはフラシア王国やホーラント王国がある。向こうだって俺達が参入してくるのをただ黙って見ているはずもないだろう。
それに海軍……、じゃなくてカーン家商船団の船員確保も問題だな……。船を増やすのは難しくない。造船所を作って時間をかけて建造すれば勝手に増える。でも船乗りはそうじゃない。五十隻作る目標は掲げたけどその乗組員を確保しようと思うと万単位になってしまう。
労働者としてのただの水夫は民間人を頼るとしても水兵だけでも万は必要になるだろう。現在も急ピッチで海軍の建設を進めているけど色々と問題がある。
まず職業軍人をそれほど抱えるというのは大きな負担だ。幸い軍人を支える人口の問題はカーン騎士団国を得たことでかなり解消された。それに普段は商船であるカーン家商船団は純粋な軍人よりは維持と負担が軽い。ただそれでもやっぱり万単位の兵を持つというのは大変なことだ。
それから兵の身元確認と訓練が間に合わないこと。今も船が余りつつある。船の建造は非常に順調と言える。でもそれに乗る水兵達の確保と訓練が間に合っていない。このままじゃ船をただ死蔵するだけになってしまう。さすがに急ぎすぎたか……。
少し建造ペースを落として、民間用にコグ船やハルク船のような旧式船を作らせたり、いっそキャラベル船やキャラック船も徐々に民間に流していくか?まだ早い気はするけど……。さすがにキャラック船を解析されたらガレオン船の構造もバレるだろう。やっぱりまだ民間に流すとしてもカンザ商会関連だけに留めるべきか。
そういえば川船の開発もしなければならないんだったな。カーン男爵領まで川でのぼれる小型船が必要だ。現在余剰になっている造船能力の一部を旧式の小型船や、新開発の川船建造に回すか。
「カーン様、いかがですか?フローレンの様子は」
「ライナー……、あっという間に発展していますね。半年前とはまるで変わっていたので驚きました」
フローレンの村長であるライナーがやってきた。俺が視察であちこち回っていると聞いて駆けつけてきたんだろう。というかまだフローレンは村でいいのだろうか?すでに町と呼んでも差し支えなさそうだけど。
「何か問題や要望はありますか?」
「え?そうですね……」
元々報告書や要望書は届いているけど直接会った時に生の声を聞いておくのも重要だ。文面では伝わらないニュアンスや、文書にしては言いにくいこともあるだろう。
「やはり木材と人手不足が一番問題でしょうか」
「なるほど……」
それは前々から上がっていた要望だ。人手不足はすぐにはどうしようもない。これでもフローレンの人口や出稼ぎ労働者はこの半年で爆発的に増えている。それでも足りないと言われてもどうしようもない。こればっかりは時間をかけるしかないだろう。
それより深刻なのは木材不足だろうな……。カーン騎士爵領開発当初は木材が豊富にあった。最初の必要分はカーザース領やルーベークから仕入れ、途中からは切り拓いた森から出た木材が大量にあったからだ。
でも現在は街道も切り拓いていないし、広大な土地を整備するために大規模な開拓も行なっていない。なので切り拓いた分だけ出ていた木材の供給は滞り始めている。一部は山や森から伐採して持ってきているけどそれもうちの消費量に比べたら間に合わない。
さらに伐採しすぎたら森がなくなってしまう。植林なども行なって伐採の数量制限も行なっているけど需要に対して供給が足りない状態だ。最初に拓いた時に出た木材の在庫を使って凌いでいるけど、このままいくとそのうち在庫がなくなる。
「人手に関してはカーン騎士団国からどうにかしましょう……。木材資源は少し待ってください。どうにかします」
「お手数をおかけします」
その後少し話を聞いてからライナーは仕事に戻って行った。労働力は徐々に増やすしかない。今はカーン騎士団国が得られたから、そちらから信用出来る人間を選んでこちらに移住してもらうしかないだろう。
問題は木材だな……。まだ森は豊富にある。だから住民達は森を切り拓けば良いと言うだろう。でもうちの消費量をそのまま全てここでの伐採に頼っていたらきっとすぐに枯渇する。森はある程度人間が管理しないと豊かな山や森にはならないけど、管理の名目の下で伐採しすぎたらすぐに枯渇してしまう。
こういうバランスは長い年月をかけて徐々に形成されていくものだろう。今大規模開発真っ最中のカーン騎士爵領では需要の方が大きすぎる。せめて開発が一段落するまではどこかから供給されないと禿山だらけになりかねない。
ライナーは気付かなかったのか、今は言わなかったけど食糧問題もあるな……。フローレンだけじゃなくてカーン騎士爵領では人口が爆発的に増えている。それに対して木材だけじゃなくて食料供給も足りない。今はカーザース領やカンザ同盟経由で輸入に頼っているけど、いつまでもそのままというわけにもいかないだろう。
そもそも人口増加はここだけの問題じゃない。全体的に人口を増やす必要があるし食料供給はこれからも重要になる。
となると……、やっぱりカーン騎士団国で大規模な開発を行なうしかないな。向こうなら労働力は豊富だ。カーン家の直営による大規模農場と大規模牧場を拓こう。農場や牧場程度ならそれほど機密もない。現地労働力を利用しても問題ないだろう。
こちらから牛、豚、鶏を連れて行って牧場を……。それから稲を騎士団国で栽培させよう。米食させるのが目的というわけじゃない。麦やら何やらは向こうでもある。こちらから持って行く必要はない。米は魔族の国から仕入れたうちしか栽培していないから、こちらから持っていかなければ向こうにはない。
茶畑はこちらの段々畑を徐々に拡張していこう。騎士団国では米を栽培させて酒作りだ。米食も定着するようなら勧めてもいい。
あとは綿花だな……。綿花はこの辺りでは栽培するのに向いていない。もっと適した気候の場所が欲しい……。
南……。南に出るしかないか?
恐らくだけど大雑把な地図を見せられた限りでは、南のオース公国を超えてもっと南東に行けば俺の望むような気候になってくるんじゃないだろうか。ただオース公国やその先にある国を超えていかなければならない。
それか海を回るかだ。陸が面倒ならば海を回るしかない。西の大洋に出てから南下していけば温帯や熱帯の気候に出るだろう。ただこちらも西の制海権を握っている国々との争いは避けられない。
オース公国を超えて南に行くと内海があるらしい。南東に向かって陸を進むと途中の国々をどうにかしなければならないけど、南にオース公国を突っ切ってその先にあるという内海に出ればあとは海上輸送でどうにかなるか?南東の国々との争いは最小限に出来るかもしれない。
どちらにしろ周辺国との争いは避けられない……。温帯や熱帯に出て貿易を行なうには必ずどこかは通らなければならないからだ。
こちらから無理に争うつもりがなくても周辺国は見逃してはくれないだろう。そういう世界で時代で国家体制だ……。ならば……、こちらもただ指を咥えて見ているわけにもいかない。
出来るだけ平和裏には進めたいけど……、西と南へ出る準備を進めておくべきだろう。これから俺が……、プロイス王国が生き残っていくためには周囲に先んじて手を打っていくしかない。




