第二百七十九話「来訪者!」
昨日の視察は素晴らしかった。紅茶が出来たというのは大成果だ。今朝もカタリーナに淹れてもらった紅茶を飲む。
「あ……、私はこのミルクティーっていうのが好きかな」
「僕はこっちのレモンティーかなぁ」
ルイーザとクラウディアが紅茶を飲み比べている。昨日の試飲は向こうの職員が淹れたストレートだったけど、今日は朝食の後に俺が教えた方法で色々な紅茶を淹れている。ストレートや砂糖は基本として、他にもミルクティーとレモンティーを用意させてみた。
確か効能的にはレモンティーの方が良いんだっけ?ミルクティーだとせっかくの何かの栄養素や成分が吸収されにくいとか、働きが打ち消しあって弱くなるとか、何かそういうのを聞いたことがあるような気がする。レモンティーだとお互いが助け合って効果が高まる、というような話だったかな……。
まぁいちいちそんなことを気にして飲んだりはしないけどな。自分が好きかどうか。おいしいかどうかが一番であって、効能が、とか、栄養的に、とかそんなのは二の次だ。より効果が高い方が良いのは間違いないけど、そのためにまずい物や嫌いな物を我慢して飲食する必要はない。
自分が好きなものを、おいしいようにいただくのが一番だろう。その結果より効果があるのならラッキーという程度の話だ。
うちの女性陣はミルクティーでもレモンティーでも大丈夫みたいだけど、ちょっと家人達や部下達にも試飲してもらっていくらか意見を集めた方がいいかもしれない。もしミルクティーが人気になったら今の牛乳生産量じゃ足りなくなる可能性もある。
別に全量をうちが生産しなければならないということはないけど、今の所牧場に参入してきている業者は少ない。結局うちで必要な量どころか市場に出回っている分も大半はうちから出荷されているものだ。今後さらに需要が高まる可能性があるのなら増産に向けて準備しておいた方がいいだろう。
どんなことでもそうだけど今日思い立って明日からすぐ出来るというほど甘くはない。農作物なら一年で収穫出来ると思うかもしれないけど、農地を切り開き、土壌を改良し、そこでその作物が栽培出来るようになるまでには長い時間と莫大な労力が必要になる。
ましてや牧場のような動物を扱うところだったら、牛を増やして、乳が搾れるようになるまでには何年も時間がかかるだろう。
うちも各地の農場や牧場で順次拡大や増産を行なっているけど、それでも急激な需要の増加には対応出来ない。これからさらに伸びることが予想されるから増産の目標をもっと多めにして急ぐ方がいいだろう。
皆との朝食やその後の試飲会を終えて執務室で仕事を片付けていると扉がノックされた。
「はい。どうぞ」
「失礼いたします。フロト様にお客様です」
客?今日は人と会う約束はなかったはずだけど……。
今日は早朝から書類仕事を片付けてからまた視察に出る予定になっている。書類は毎日来るから最低でも溜まらない程度には処理していかないとあっという間に山積みになる。今日の分を処理し終えたら今日はフローレンに向かうはずだったけど……。
アポもなくいきなり訪ねて来た者を俺の所にまで通すということは相当重要な人物だということか?
「どなたでしょうか?」
「申し訳ありませんフローラ様。勝手にあがらせていただきました」
そういってイザベラの後ろから現れたのは……。
「ヴィクトーリアさん!お久しぶりです!」
イザベラのお姉さん、クルーク商会の会頭であるヴィクトーリアが来たようだ。
「お久しぶりですフローラ様。お仕事の邪魔をして申し訳ありません」
「いいえ。どうぞ、こちらにかけてください」
ちょっと仕事の手を止めてヴィクトーリアにソファを勧める。
「イザベラ、ヴィクトーリアさんに紅茶を用意して差し上げて」
「かしこまりました」
俺の言葉を受けてイザベラはニヤリとしながら部屋から出て行った。あれはたぶん紅茶を飲んで驚くヴィクトーリアさんを想像したんだろうな。
「紅茶というのは?」
「それはきてからのお楽しみです。それで今日はどうされたのですか?」
俺も多分今ニヤニヤしてるだろうな。紅茶は自慢の一品だ。きっとヴィクトーリアも驚くに違いない。それはともかくアポもなく急に訪れるなんて何か緊急事態だろうかと思って用件を聞いてみる。
「いえ、特別な用があったわけではないのですが、フローラ様がこちらにお戻りと聞いて訪ねてきたのです。もうすぐ私の方がこちらから離れるので、失礼とは思いましたがお約束もせずに訪ねてしまいました」
「そうでしたか……。それはわざわざありがとうございます」
まぁこの国で一番大きな商会の会頭なんだから忙しいだろうな。何の仕事で飛び回っているのかはわからないけど、俺だって商会の仕事に専念していたらきっと毎日あちこち駆けずり回っていることだろう。
そういえば……、今俺がこんなに領地のことで頭を悩ませているのも、元はと言えばヴィクトーリアが原因な気がしてきた。
ヴィクトーリアがルーベークが包囲されているからどうにかして欲しいと頼みにきて、それをどうにかしたらルーベークを俺の領地にすると言い出した。その結果ルーベークだけじゃなくて各地の自由都市が俺を頼りカンザ同盟が出来上がり、カンザ同盟のために今度はポルスキー王国と戦争することになった。
それを考えればカーン騎士爵領はともかく、カンザ同盟やカーン男爵領やカーン騎士団国を持つことになった原因は全てヴィクトーリアじゃないだろうか?少なくとも因果関係はあるよな……?
「フローラ様は最近ますますご活躍されておられるようで、私の耳にもフローラ様の武勇伝が届いておりますよ」
「あははっ……」
何と答えたものか返答に困る。色々言い様はあるだろうけど俺は曖昧に笑って誤魔化した。
「カンザ商会の方も順調なようですね」
「はい。おかげさまでそちらは順調です」
確かにここの所、というか開業以来ずっと右肩上がりで売り上げも収益も伸びている。カンザ商会関連の書類仕事も大量にやってくるけど……。カンザ商会の売上高はそこらの小国の税収を遥かに上回っているだろう。
もちろんそれはうちだけのお陰じゃない。足場のないカンザ商会の弱点を、クルーク商会が販売代理店として販売網や流通網を貸してくれているから成り立っているだけのことだ。この急拡大もクルーク商会への流通や販売が増えているからだ。
既存店での販売がうなぎのぼりというわけじゃなく、うちの商品を扱い販売している店が増えている分だけ売り上げが伸びているという感じだろう。もちろんうちの商品が徐々に浸透していって売り上げが伸びているのもあるけど、急拡大の理由はやっぱりプロイス王国各地にうちの商品が行き届くようになったからだと言える。
「失礼します」
そんな話をしているとイザベラがティーセットを持って戻ってきた。
「まぁ!素晴らしい器ですね」
「ありがとうございます」
ヘクセン白磁のティーポットとティーカップを見てヴィクトーリアが少女のように喜んでいた。確かにこれはそこそこ出来が良いものだ。綺麗な花柄があしらわれていて可愛らしい。
イザベラがテキパキと紅茶を淹れていく。ふわりと良い香りがし始めた。
「これは……」
出された紅茶を見てヴィクトーリアが目を丸くしている。まずはストレートで味わってもらおう。
「これは当家で新しく開発した『紅茶』というものです。まずは香りを楽しんでからそのまま味わってみてください」
俺はヴィクトーリアに見本を見せるように香りを確かめてから一口含んでみせた。別に作法がどうこうという話じゃない。これは商人として商品を見せている。だから作法がなっていなかろうが何だろうが関係ない。商人が取り扱う商品をきちんと確認するためのものだ。
例えばソムリエだって飲んだワインでくちゅくちゅとしたり、ペッと吐き出したりする。食事での飲食のマナーから考えたらマナー違反、マナーが悪いと言われるだろう。でも彼らはあれが仕事であり、彼らにとってはあれが必要な作業と動作なわけだ。
ここでもカンザ商会の会頭とクルーク商会の会頭が、今後扱う可能性が高い商品について確認しているという場だ。だから飲食でのマナーがどうこうという場ではない。
「今まで嗅いだことのない香りですね……。味は……、んっ……」
一口含んでから驚いた顔をしていた。これだけだとどういう反応かわからない。
「いかがでしょう?」
「とてもおいしいですね。このようなお茶は飲んだことがありません」
どうやら気に入ったようだ。慣れないとストレートの紅茶も好き嫌いがあるかもしれないとは思ったけど、少なくともヴィクトーリアは平気ということだろう。
「他にも砂糖を入れたり、ミルクティーとレモンティーも味わってみてください」
俺の合図でイザベラがテキパキと用意していく。少量ずつ作って飲み比べたりしつつ話し合う。
「これは素晴らしいです。必ず売れます」
いつの間にかヴィクトーリアが商人の顔になっていた。紅茶で新しい商機を見出したんだろう。うまく王侯貴族に売り込めば紅茶で莫大な富も得られるだろう。
「この紅茶というのはまたフローラ様がお考えになられたのですか?」
「え?ええ、まぁ……」
本当は俺が考えたわけじゃないけどな……。前世で知ってたなんちゃって知識でこちらに再現しているだけで、本当に俺が発見したり考えたりした発明は何一つない。それなのに俺が開発したと言われるのは少々心苦しいというか何というか……。
「この製法は絶対に流出させてはいけませんよ。それから販売価格も下げてはいけません。現在のお茶でも高級品なのです。これは最低でもそれ以上の値段をつけて王侯貴族に超高級品として卸しましょう」
「わかりました」
まぁ……、そもそもぼったくってやろうというつもりがなくてもそんな安価では売れない。ヴィクトーリアが言う通り、まずお茶の流通量自体が少ない。カーン家で栽培しているお茶もまだまだ少量だ。さらにそれを加工する手間やコストを考えればこれらは超高級品というのは間違いない。
現代のように一杯原価何円、何十円で作れるようなものじゃない。初期投資の回収や機械化されていない工場での労力を考えれば、ぼったくるつもりがなくても高くなってしまう。
「これほどの商才があるのなら……、そろそろ良い頃でしょうか」
「ヴィクトーリアさん?」
ティーカップを置きながらヴィクトーリアがボソリと呟く。何か変な雰囲気だ。一体どうしたというのだろう。
「私ももう老い先短い身です」
「え?何を……?」
確かにヴィクトーリアやイザベラはそれなりにいい年だけど、まだそんな年でもないだろう。体もしっかりしているし……。
「もちろん今年、来年どうにかなるというような話ではありません。ですが私はもう後継者を用意しておかなければならない歳はとうに超えているのです」
「…………」
それはそうかもしれないけど……。後継者の育成なんて今日やりだして来月に完了なんてことはないだろう。でも何かそういう話を聞くと少し胸が苦しくなる。先を見据えなければならないのはわかるけど……、寂しい気持ちが湧いてくるというか……。
「私と夫の間には子供は出来ませんでした。なので商会で経験を積んだ者達の中から後継者を育てようともしましたがうまくいかず……、未だにクルーク商会を任せられる者はおりません。そこで私の次にクルーク商会をフローラ様にお任せしたいのです」
「なっ!?」
驚いた俺は立ち上がってしまった。はしたないとかそんなことに気が回らない。
「子供のいなかった私達にとってはクルーク商会はまるで我が子のようなものです。それを任せるに足るのはフローラ様をおいて他におりません。どうか……、どうかクルーク商会のことをお願いします」
「ちょっ、ちょっ!頭を上げてください」
いきなり頭を下げたヴィクトーリアに慌てて頭を上げさせる。急なことすぎて理解が追いつかない。
「そもそもいきなり部外者の私がクルーク商会を継ぐなどと言っても誰も納得しないでしょう。クレーフ公爵家からも物言いが入るでしょう?」
これまでクルーク商会で働いてきた者達が、いきなりポッと出の俺がクルーク商会の会頭になりますって言われて納得出来るはずがない。何十年と会社に勤めてきたのに、その上司にポッとわけのわからない、その会社で仕事をしたこともない者が入ってきたら誰でも反発するだろう。
それにクルーク商会の後ろ盾はクレーフ公爵家だ。ヴィクトーリアやその夫だった人はクレーフ公爵家と繋がりがあるけど、クレーフ公爵家と何の繋がりもない俺がクルーク商会を継ぐと言ったらクレーフ公爵家が黙っているはずがない。
「ですからこれから後継者として相応しくなるように、フローラ様にクルーク商会で働いていただきたいのです
」
「…………」
これ以上俺に仕事を増やせと?普通に死ねますけど?
他に考えなければならないこともあるはずだけど、ヴィクトーリアの突然の提案に俺の頭は理解が追いつかなかった。




