第二百七十七話「開発!」
キーンの港にて母を見送る。
「いってらっしゃいませお母様」
「任せておいて」
簡単な別れの挨拶だけですぐに離れる。もう母とのやり取りは昨日散々した。船が出る前にそんな長々とする必要はない。
そもそも別に戦争をしに行くわけじゃない。もしかしたら武力衝突が発生する可能性はあるけど、一応お互いに条約を結んで間もなしであり、お互いの権利や主張に納得した形になっている。ここでいきなり先の講和条約を反故にするようなことをすれば他の締結国全てを敵に回すことになる。
これは一対一で結んだ条約じゃない。モスコーフ公国自身が首を突っ込んできて干渉してきた四カ国の合意であり、自らそれに反するようなことをすれば他の締結国から総スカンを食らう。皆が納得して認め合った条約なんだから、締結からたったこれだけですぐに違反するとなってはどこの理解も得られないだろう。
ただだからといって前線で武力衝突が発生しないという根拠にはならない。挑発を繰り返したり、現場での思わぬ展開から局地戦に発展する可能性は大いにある。そしてそうなってもモスコーフ公国は条約違反ではなく、現場での不慮の事故だったと言い訳するだろう。
表だって国を挙げて侵攻はしてこないだろうけど、前線での挑発や不意の衝突は十分有り得る。いくら母が強くとも思わぬ形で怪我をしたり、場合によっては命を落とすこともあるだろう。それほど危険はないと思うが、それでもいつ命を落とすかもわからない。そんな場所に俺のために母を送り出さなければならない。
「ほらほら、フローラちゃん、そんな顔しないの。それじゃ行ってくるわね」
「はい……。どうかご無事で」
タラップを上っていく母を見送ることしか出来ない。俺も現場に向かうのならここまで心苦しくはないだろう。でも俺は領地でのうのうとしていながら父と母には最前線に立たせるというのはとても心苦しい。
すぐに出港した船が見えなくなるまでキーンの港で見送った……。
「フローラ様……」
「……さぁ、いつまでもこうしてはいられません。早速仕事に取り掛かりましょう」
父と母を戦場に立たせておきながら俺だけ遊んでいるというわけにもいかない。俺が領地に残るのは仕事があるからだ。それをせずにただぼーっとしているだけでは送り出した母にも申し訳が立たない。
「今日の視察の予定は変更していますが連絡はついているのですね?」
「はい。それは問題ありません」
本来なら今日はカーンブルクで視察を行なうはずだった。でも急遽母を送り出すことになったからキーンへ来たわけで、今からカーンブルクに戻って本来の予定をするよりも、予定ではまだ先だったけど折角来たキーンで出来る視察を行なうように予定変更をしている。
キーンの視察もそのうち行なう予定だったし、各所にもある程度は連絡していたから多少の変更はどうにかなるだろう。そもそも視察に行くからと伝えて万全に待ち受けられているより、突然現場に行って実際の作業や現場を見た方が意味がある。
まぁそんなことをされたら現場は良い迷惑だろうけど、実際に、本当のことを視察しようと思えば抜き打ちの方が良いだろう。
「それでは向かいましょうか。皆さんはキーンの別邸で待っていてください」
ここまで付いてきたお嫁さん達はキーンの別邸で待っていてもらう。これから行くのは軍事機密が含まれる。お嫁さん達を信用していないわけじゃないけど、逆に言えばうら若い乙女達を行かせるような場所でもない。渋々了承してくれた皆と別れて俺達だけ視察へと向かったのだった。
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まずやってきたのはキーンの軍港だ。港は港でも民間でも使っている港と軍港は別になっている。民間の港に軍艦が入ることはあるけど、民間船が軍港に入ることは許されない。
とはいえここはまだそんな致命的な機密があるわけでもなく、軍艦の泊地になっているだけだ。軍艦を並べ、資材や物資が集積され、軍人が駐屯している場所、というところだろうか。それに新兵の訓練も行なっている。今日の視察は新兵訓練の視察だ。
「精が出ますねシュテファン」
「こっ、これはフロト様!おはようございます!」
俺が声をかけるとまだ若い青年が姿勢を正して礼儀正しく返事を返してきた。ノックもせずに女性の部屋に入ってきていた者とは思えないほどしっかりしている。
「訓練は順調ですか?」
「はい!」
シュテファンが指揮している新兵達を見てみる。彼らはシュテファンが連れて来たものだ。ケーニグスベルクでもともとシュテファンの下に集まっていた者だから、少なくともシュテファンへの忠誠心や信頼はあついだろう。
シュテファン傘下の者達の中でもあまりやる気がなかったり、忠誠心がなかった者はケーニグスベルクの港湾の仕事に就かせている。ここにいるのは身元調査や本人のやる気、能力や忠誠心といったものを調べ一定以上であると評価されたものだけになっている。
ただ元々シュテファンに従っていた者だけじゃなく、ケーニグスベルクでの戦争以降に参加を希望した者の中から選ばれた者も合流している。別にこの新兵達はシュテファンの子飼いや部下ということじゃない。今一緒に新兵として鍛えられているだけだ。
というよりはシュテファンもそもそもただの新兵として鍛えられているところだからな。シュテファンが目に付いたから話しかけただけで、彼が指示したりしているわけじゃない。一応シュテファンの部下になる者もいるけど……。
少し教官達と話をしたり、問題点や要望なんかも聞いたりしながら視察していく。キーン軍港は特に問題ないようだ。船が余りつつあるだけでこれといって大きな問題はない。ただ多くの船が出払っているから新兵の割合がかなり高くなってしまっている。それだけが懸念といえば懸念だろうか。
「それでは皆さん頑張ってください」
「「「「「はっ!」」」」」
視察を終えた俺が兵達を激励すると全員が敬礼で応えた。キーンに来たついでだから視察しに来ただけだけど、色々とわかったので来てよかった。次の視察へ向かうために俺はすぐに馬車で移動を開始したのだった。
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人目を避けるように、岩山に囲まれた天然の要害になっているキーン軍港を出た俺はさらに西へと進む。沿岸沿いに西に進むとこちらもまるで人目を避けるかのように広い敷地と立派な建物が見えてきた。
建物に入った俺は勝手知ったるなんとやら、じゃないけど勝手に施設内を歩く。この施設も何度も来ているから特に案内がなくてもだいたいわかる。
いくつか封鎖されている場所や、配置の変わっている所もあるけど大雑把には変わらないからすぐに目的の人物を発見出来た。
「御機嫌ようアインス。研究は順調ですか?」
「お~。これはこれはカーン様、ようこそおいでくださいました」
この研究所を任せているアインス博士は俺を見つけると満面の笑みを浮かべていた。どうやら研究はうまくいっているようだ。
「まだまだ試作段階ですが早速例の物を見ていかれますか?」
どうやらすぐ俺に見せたいらしい。アインス博士はわかりやすい。自分が興味がなかったりうまくいってなければこんな上機嫌に自分から言ってきたりはしない。これは早く自分の成果を見せたくて仕方がない子供と同じだ。
「それでは見せていただきましょうか」
「それでは早速参りましょう!」
アインス博士はすぐに歩き出したのでついていく。建物を出て射撃場までやってきた。一人の兵士が筒状の棒を持っている。今日視察に来ることは伝えていたから準備して待っていたんだろう。
「こちらが試作品です」
「……よく出来ていますね」
兵士が持っていた筒状の棒をアインスが受け取り俺の前に持ってくる。それは小銃だ。ライフリングの施されていない火縄式のマスケット銃を受け取る。
カーン砲は対物攻撃力の底上げに役立ってくれている。敵の船や城壁や要塞を攻略するのには大きな力になってくれるだろう。だけど現時点では最終的には兵士が直接敵兵とぶつかって白兵戦をしなければならない。質はともかく兵数の少ないカーン家では白兵戦での兵の損耗は避けたい。
そこで俺は兵士がそれぞれ持てる銃火器、小銃の開発をアインス博士に依頼した。大砲であるカーン砲が出来ているのだから理論上は小銃も作れるはずだ。ただしそれはそんな簡単なことじゃなく、色々とクリアしなければならない問題もある。
どんなものでも小型化するというのは高度な技術が必要だ。大砲が作れるなら銃も作れるだろうなんて簡単な話じゃない。大きくて大味のものなら作れても、小型軽量で実用可能なものを作ろうと思ったら難しい。
例えばマスケット銃の着火方式、弾込め、耐久性、メンテナンス性、生産性、あらゆることを考えなければ実用化は出来ない。全てを度外視した一品物ならともかく、兵士達に行き渡らせるつもりのものなら量産出来なければ意味がない。
これはまだ試作だから耐久力テストや不発や弾詰まりの確認などが主な目的だ。量産性とか整備性はそこまで考慮されていない。
「まずは試射してみましょう!」
「そうですね」
ノリノリのアインス博士にマスケット銃を返して試射を見守る。銃口から火薬と弾を込めて……、火皿の準備もして、ようやく、いざ射撃姿勢に入って……。
パーーーンッ!
と高い音が鳴り響いた。でも先にあった的には命中せず後ろに積んである流れ弾防止の壁にビスッ!と当たっていた。
再び弾を込めて発砲する。今度は一応的の端の方には当たったけど印をつけている場所からは遥か遠く、たまたま端の方に掠っただけという感じだった。
その後も数発撃ったけど、弾込めに時間がかかりすぎる。それに命中精度もかなり悪い。こんな数発程度じゃ耐久性はわからないけど、量産性が良くてもこれじゃ実戦には使えないだろう。
「まだまだ改良の余地はありそうですね」
「左様ですな。これはあくまで銃身の耐久性の確認が主な目的ですのでな」
目詰まりや銃身の破裂などの耐久テストが目的だという。まぁいきなり完成品に向けて完全なるものを作るというのは無理な話だ。実際過去のテストで銃身が裂けたり破裂した物もあるらしい。いくつかその壊れた物も見せてもらった。
今はあくまで銃身の耐久テストが主目的だから火縄式にしているけど、最終的にはもちろん雷管……。いきなりそこまでは無理でもフリントロック式くらいまでは開発したい。火縄では不便すぎる。
アインスにはいくらかアイデアは伝えてあるけど、素材の耐久性向上や設計は俺には出来ない。それはこうしてアインス達が地道に研究と実験を繰り返して徐々に基礎力をつけてもらうしか方法はないだろう。
小銃の他にも並行して開発を進めている物をいくつか見せてもらった。別に兵器だけじゃない。むしろアインスは別に兵器開発者というわけじゃないからな。ただ俺が兵器開発を色々と頼んでいるだけで本人は別に兵器開発者のつもりはないだろう。
ざっと研究所を一巡して開発状況を見せてもらってから話は小銃の話に戻っていた。
「やはりライフリングはまだ難しいですか」
「左様ですな……。カーン様のお考えは大変素晴らしいですが現実的に実現するのはまだ無理でしょう」
今日の試射でもマスケット銃の命中精度はかなり悪かった。カーン砲もそうだ。滑腔砲は作るのは簡単だけど命中精度に難がある。出来ればライフリングを施して命中精度を上げたい。
とはいえアインスが言う通り今の工業水準ではライフリングは簡単ではないだろう。一つ一つ職人の手作りになるのはもちろんだけど、旋盤も動力もないから非常に時間がかかる上に均一にするのは難しい。
俺の知る程度の知識ではライフリングは大雑把に言って、削って溝を掘るか、中に型を入れて押し付けることで溝を写す方法があったと思う。削るのは難しい。旋盤もないのに大量生産は出来ないだろう。ならば型に押し付ける方法で溝を写せばまだ……、と思わなくもないけどそれも簡単ではないようだ。
そういったアイデアは俺の方から研究所に出しているから日々研究してくれているとは思うけど、そう簡単にいけば誰も苦労はしない。
「今日は有意義な視察でした。急に予定を変更して苦労をかけましたね」
「いやいや、カーン様が来られたら色々と教えていただけるので職員一同待っておるくらいです」
アインスは笑いながらそう言ってくれた。最初は偏屈なじいさんだと思ったけどこうして打ち解けてみれば頼りになる博士だ。嫁さんが若くて綺麗すぎるのは腑に落ちないけどそれはまぁいい。
「領地に滞在中にまた来れたら来ます」
「はい。お待ちしております」
父の要請で急に予定変更になってキーンに来たけど今日の視察は色々と収穫もあった。帰ったら書類仕事が待っていることも忘れて俺は良い気分でキーン別邸へと戻ったのだった。




