第二百七十四話「フロトと風呂と?」
は~……、ようやくキーンへと戻ってきた。コベンハブンで一触即発の争いになりそうになったり、カールがゲロゲロになったりでどうしようかと思ったけど、無事に領地まで戻ってこれてほっとした。
予定ではこのまま今日のうちにカーンブルクまで戻る予定だったけど今日はキーンに滞在するしかない。こんな状態のカールをまた馬車に乗せてヘクセンナハトを越えろというのは酷だろう。
良い年をしたおっさんが飲みすぎてべろんべろんになるなんて、と思わなくもないけど、俺だって前世では飲みすぎて大変なことになったこともある。酒というのは魔性の飲み物だ。いつもは飲みすぎない者でも何かの拍子に飲みすぎてべろんべろんになるなんてこともある。
いつもと同じ量しか飲んでいなくても体調によっては二日酔いになる時もあるだろう。飲んだことがない酒を飲んだために二日酔いになる時もあるだろう。違う環境、店とかで飲んでいつも以上に飲みすぎてしまう時もある。
人が二日酔いになっているのを見てみっともないなんて笑えない。いつ自分だってそうなるかわからないからだ。だからカールが二日酔いでこんな状況でも責める気にはなれない。
そもそももしかしたらそういうこともあるかもしれないと思って日程は余裕を持っている。絶対に今日のうちにカーンブルクまで戻らなければならないということはない。船旅だしコベンハブンなんて異国に寄ることになっていたしで、もしかしたら予定通りにいかないかもしれないと思っていた。
それに船旅のお陰で今回は移動時間がぐっと短くなっている。それだけでも前回より十日以上、移動時間を減らせているんだから十分だろう。
まぁ日が空いたら空いたでそれだけしなければならないことが山積みなわけだが……。
ともかくまたいつの間にか改装されているキーンの別邸でラインゲン家一行を休ませて、俺達もキーンに泊まることにする。本当ならロイス子爵家とラインゲン侯爵家の婚約についてなんだから、両家で勝手にやってくれという話でもあるけど……、さすがに元とはいえ侯爵を放ったらかしというわけにもいかない。
せめて基本的な観光や移動、ヘルムートの家までくらいは面倒を見なければならないだろう。その後はラインゲン家やロイス家で勝手にしてくれればいい。俺もそれ以上は付き合っていられない。
カールを休ませるために部屋に案内させてから俺は早速執務室へ向かう。折角だからお嫁さん達とイチャイチャしたい所だけどまだ早い。仕事もきちんとしていないのに遊び呆けていたら統治者の資格はないだろう。やることはちゃんとやった上で遊んでいるのなら文句を言われる筋合いはない。
折角の領地だし……、段々うちのお嫁さん達もスキンシップが過激になってきているし……、今回辺りは期待しちゃってもいいんですかね?ムフフなこと期待しちゃいますよ?
そのためにもまずは仕事を頑張ろう。書類は回ってきているはずだから執務室で書類の処理からだ。
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仕事が……、仕事が減らない……。おかしい……。俺はもう何時間机にへばりついている?
「フロト様、書類をお持ちしました」
「…………そこに置いておいてください」
おかしい!今処理した分と同じくらいの書類がまたきた!本当に、冗談抜きで、仕事が減らない!何故だ!
「失礼いたします。フローラ様、そろそろ一度息抜きされてはいかがでしょうか?」
「カタリーナ?」
俺がずっと書類とにらめっこしていたらカタリーナがやってきた。外を見てみればもうどっぷり日も暮れて真っ暗だ。キーンに着いた時はまだ日中早い時間だったのに、いつの間にこれほど時間が経ったのだろうか。
「そうですね……。どうせ長時間やっていても効率が上がりません……。少し休憩にしましょうか……」
人間の集中力は三十分ほどしか続かないらしい。それ以上は惰性でやってるだけで効率が落ちると聞いたことがある。それがどれほど正しいかは知らないけどある程度はその通りだろう。実際誰もが三十分なのかどうかは知らないけど、長時間やってもダラダラするだけで効率が悪い。
やめるならやめる。休むなら休む。そして再開するなら再開する。とメリハリを持って仕事をした方が良い。
立ち上がって首を回してみる。うん……、あまり凝ってない。さすが若い体だ。前世の男の体だったらボキボキいってただろうけど、女の子だからなのか、若いからなのか、ほとんど凝っている感じはしない。
「一度お風呂でゆっくり寛がれてはいかがでしょうか?」
「お風呂ですか……。良いですね」
ここの所お風呂にゆっくり入れていないし、疲れた体にはあったかいお風呂はうってつけだろう。ここなら広い湯船にどっぷり浸かれる。元日本人としては湯船に浸からないとお風呂に入った気がしない。
カタリーナに案内されるままに風呂場へと向かう。まだ脱衣所だというのに風呂場から熱気が伝わってくる。ガラスも曇っているしホカホカのお湯がいっぱいに張られていることが容易に想像出来た。
「今日はこちらをお召しになってお風呂に入ってください」
「…………え?」
カタリーナに渡された物を広げてみる……。三角形の……、これは……。
真ん中が三角形になっていて両側に紐がある。三角形の下側は繋がっていて逆側にまた三角形、そして横の角から両側に紐が出ている。
もう一つは三角形が二つ並んでいるかのような形だ。それぞれの角から紐が出ていて、両側の三角形は繋がっているけど逆の横と上の紐はどこにも繋がっていない。
そう……、これは俺のよく知る形をしている。これは地球の水着だ。それもビキニタイプ……。この世界には存在しないはずのものだ。
地球でも水着が発達したのはせいぜい百年、二百年の間の話でしかない。それまでは普通に服を着たまま、下着になって、裸で、などの格好で海水浴等を楽しんでいた。文明が発達して列車が出来て、内陸部の人も海まで容易に移動出来るようになって初めて海水浴などが浸透したわけだ。
当然この世界でも海水浴などはメジャーじゃない。沿岸部の者以外は海水浴なんてしたことがないだろう。もちろん川沿いの者は川に入って遊んだことくらいはあるだろう。でもそれは服のままや、下着になって、あるいはもう裸になって泳いだり川に入ったりしているだけだ。
俺の感性は現代地球だからそんな格好で川や海になんて入れない。そこで俺は現代的な下着を作った時に一応水着の開発もさせた。水着なんて簡単だと思うかもしれないけどそんなことはない。濡れても良い素材や透けない素材など色々と考えるべきことはたくさんある。
でもさっき言った通りこんな時代じゃ水着の需要なんてほぼない。俺が水着を作らせたのはただの趣味と暇つぶしであって、商売が目的で作ろうと思ったわけじゃない。そういう知識を与えたり、開発させたりすることで技術の発展や、新しい発想に繋がらないかという試みの一つだった。
いくつか試作の水着は完成していたけど売りに出すわけでもなく……、ただ実験と試作を繰り返していただけなんだけど……、その水着が何故かここにある。そしてカタリーナはいつもの無表情で俺にビキニを渡してくる。
「あの……、これは……?」
「水着です」
いや……、それは知ってますよ……。俺が作らせたんだし……。アイデアだって俺だし……。デザインも俺だし……。
「何故お風呂で水着を?」
「それは今はまだお答え出来ません。ですが必ず着用してください。でないとフローラ様が……」
え?え?何それ?何か滅茶苦茶意味深なんだけど?もしかして入浴中にドッキリで屋敷の外に放り出されるとかそういう?これ着てないと俺は裸で外に放り出されるから着ておいてね?みたいな?
「とにかく必ず水着を着用してお風呂に入ってください。それでは失礼いたします」
「あっ!ちょっ!」
カタリーナは有無を言わせずそれだけ言うと去って行った。おい……、メイドさん……。そんな態度でいいのか?主人がまだ質問しているというのに質問にも答えずに去るとか……。
だいたいな……、風呂に入るのに水着を着ておけと言われてるんだから何かあるんだろうということはわかるよ。それはいい。何かサプライズでもあるんだろう。どんなサプライズかは不安だけどそれはいい。それよりも問題は……。
「俺こんなの着れないんだけど……」
水着の着方がわからないわけじゃない。紐を括ればいいだけだ。ある程度サイズフリー的なものを考えて紐の水着にしてある。だからこれが俺の体に入らないということはあり得ない。
工場で大量生産出来る既製品ならサイズもたくさん用意出来るだろう。でもこの時代にそんなことが出来るはずもない。だからこそ服だって既製服はほとんどなくてほぼオーダーメイドのような服ばかりなんだからな。水着だって同じだろう。
そのため俺は体のサイズに関わらず出来るだけ多くの者が着用出来るように紐で括るタイプを考えた。これなら紐の長さが足りないほど太くない限りはまず大丈夫だろう。逆に三角の部分が小さすぎたり、大きすぎたり、寄り過ぎたり、離れすぎたりしなければ良い。
胸のサイズで三角形の幅というか、位置というか、が変わってくるから貧乳も巨乳も全員これで、とはいかないだろう。ブカブカだったりはみ出たりしてしまう。それはいくらかサイズを用意すれば良いということで完成したのがこれだ。
でも問題はそんなことじゃなくて……、俺がビキニの、こんな露出の多い水着を着るなんて恥ずかしすぎて無理!誰だこんなギリギリの水着なんか考えた奴は!面積小さすぎだろ!色々出ちゃうよ!見えちゃうよ!こんなハレンチな水着が着れるか!しかも俺の胸だったら動いただけでずれてポロリしてしまうかもしれない。
こんなもん下着と同じだと思うか?全然違う!下着は完全にフィットして緩んだり零れたりしないように出来ている。でも水着はちょっとしたことで緩むし零れてしまう。ずれただけでポロリだ。こんな露出狂みたいな格好出来るか!
あ~……、でも着ないとどういうことになるか……。本当にお風呂に入ってたら屋敷の外に放り出されるとかいうお笑い芸人も真っ青の芸をさせられたらと思うと……、着ないわけにはいかない……。
「うっ……、うぅ……」
恐る恐るつけてみる。
「うわぁ!やっぱりいっぱいはみ出てる!」
鏡で見ながら合わせるけど俺のおっぱいが上も下も横もあちこち出ている。先っぽは隠れてるけどこんなの隠れているうちに入るか!恥ずかしすぎる!
「う……、下も……」
もちろん大事な部分は隠れている。隠れてるはずだ。でもとても頼りない。ちょっと動いただけではみ出てしまうのではないかと心配になる。
何で女はこんな格好で平気でウロウロ出来るんだ。信じられない。こんな格好で人がごった返す海水浴場やプールに行くなんて女は変態ばっかりか!
いや……、見てる側だった時はよかったんだよ?目の保養だとか言ってたよ?でもいざ自分が着ることになったら耐えられない。恥ずかしすぎる。
でも着ていくしかない。一体この先何があるのかわからないけど……、カタリーナがこれを着ていなければ大変なことになると言っていたんだ。ならばそうなんだろう。大変なことになるに違いない。
今更お風呂に入らないという選択肢はない。それにいくらカタリーナでも俺が酷い目に遭うようなことはしないはずだ。何かは起こるんだろうけどそんな酷い目には……、ないよね?
まさか何かでカタリーナを怒らせていて酷い目に遭わされるとか……。いやいや、カタリーナに限ってそんなことはないはずだ。
よし……!覚悟を決めよう。鏡で何度も入念に水着がきちんと着用出来ているか確認して、いざお風呂場へ!
「おじゃましまーす……」
ガラガラと引き戸を開けて中に入ってみたけど誰もいない。特に何かおかしな様子も見られない。何か仕掛けてくるのは後でということか?
油断せずにお湯を被ってからいざ湯船に……。いきなり底が抜けてウォータースライダー状態で屋敷の外に放り出される……、とかはないよな?
「ふぁ~……」
湯船に入るとどうしても声が出てしまう。気の抜けたような……、間抜けな声だ。人には聞かせられない。
…………何も起こらないな?俺の杞憂でただ試作水着の着心地を確認して欲しいとかそういうことだったんだろうか?
「……では」
「準備は……」
「……くよ」
え?何か脱衣所の方が騒がしい。そう思って丁度俺が扉の方を向いた時……。
「フロト!一緒に入りましょ!」
「フローラ様、お背中お流しいたします」
「おじゃまします……」
「これが裸の付き合いというやつなのですわね」
「あはは、僕にとっては天国だね」
「……え?……え?」
何が起こっているのかわからない。理解が追いつかない。何故か俺の入浴中に、水着を着たお嫁さん達が雪崩れ込んできたのだった。




