第二百七十三話「カールの冒険 終!」
「「「「「おかえりなさいませ旦那様」」」」」
「…………」
大豪邸に入ってみればズラリと並ぶのは、カーザース家の屋敷で見たのとそう質の変わらない家人やメイド達だった。ヘルムートの屋敷で働いているということはヘルムートが養っているということだろう。これだけの質の家人達を……、これほどの人数……。五十万ポーロほどの収入のヘルムートが?何かがおかしい……。
「まぁ!前に見たシャンデリアと変わっているわ!こちらの方が美しいわね!」
クレメンティーネの言葉を受けてエントランスホールを見上げてみれば、そこにはキラキラと輝く巨大な宝石を思わせるものが浮かんでいた。
「本当に綺麗ねぇ……」
「あっ、ああ……」
マリアンネはうっとりしているようだがカールはそれどころではない。何なのだこれは。こんなものは見たことがない。一歩足を踏み入れてわかった。屋敷がでかいだけではないのだ。その内装も、装飾も、何もかもが超一流。バイエン公爵家など目ではないほどに素晴らしい。これが子爵の息子の家なのか?
「前のシャンデリアはどうしたのかしら?いらないならうちにくれないかしら?」
「以前のものは試作品とのことで交換致しました。試作品ですので大奥様にお渡し出来る品ではありません。入用であれば正規品をご用意いたします」
新しいシャンデリアを見上げながらポツリと零したクレメンティーネの言葉にメイドが的確に答える。それを聞いてクレメンティーネは目を輝かせた。
「ねぇあなた聞いた?うちにもシャンデリアを用意してくれるそうよ。これはぜひうちにも……」
「まっ、待ちなさい……。確かあれは重いから吊り下げるにも相応の設備が必要なのだったよね?」
「はい。左様でございます」
ハインリヒ三世は慌てて妻を止める。一体いくらするのかもわからない。あんなものを売りつけられては堪らない。適当にそれらしい理由をでっち上げて断らなければ……。
「うちに取り付けるのは無理がある。ヘルムートの家で楽しむだけにしておきなさい」
「む~!……あっ!そうですね!それではあなたも早く隠居してこちらで一緒に住みましょう?それならロイス子爵家の家につける必要はないわ」
結局またその話かと思いながらハインリヒ三世は首を振った。どうやら妻はまだ諦めていなかったようだ。
「でも確かにこれは前よりも綺麗です。お母様はどう思われますか?」
「ええ、本当に素敵ね……。これならうちにつけられるのではないかしら?」
「うぐっ!」
マリアンネもうっとりしたままシャンデリアを見上げる。カールも言葉に詰まった。ハインリヒ三世とカールはまたしてもお互いに視線で語り合う。『女性というのは誰もがこういうものが好きなものですね……』『まったくです。困ったものです……』声には出さないがお互いに考えていることがわかる。
こんな物を買わされたら一体いくらかかるかわからない。王にでも差し出せば莫大な褒美がもらえるだろう。そんなものを自分の家に飾っておくなど恐れ多くてとても出来ない。
「クリスタ……、お義父上とお義母上をこんなところにいつまでも立たせておくわけにもいかないだろう?」
「あ、そうですね。それではお父様、お母様、ヘルムート様と私の家をご案内いたします。お義父様とお義母様はもう慣れておられるでしょうから、ヘルムート様とお部屋で寛いでいてください」
「そうねぇ……。クリスタちゃんも親子水入らずの方が良いでしょうし、うちは少し席を外しておきましょう」
ほとんど何でもテキパキ決めていくのは女の方だ。カールとハインリヒ三世に逆らう権限はなく、ただ女達が決めていくことに従うしかない。
こうしてヘルムートとロイス子爵家夫妻は居間で休むことになり、ラインゲン家夫妻はクリスタに案内されることになったのだった。
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案内された屋敷はやはり常識外れの大豪邸だった。田舎で土地が余っているからただ広いだけ、というわけではない。内装の豪華さ、美しさ、飾られている品々、全てが超一流だ。そしてこの屋敷にも当然のように標準装備されている設備の数々。
蛇口から水が出るのは当たり前。水洗トイレに大きなお風呂といった水回りは全て完備されている。
ヘクセン白磁の花瓶や壷が置かれているのは良いとしよう。主から贈られたのだと言われれば納得するしかない。しかし飾られている絵画、壁画、彫刻や鎧や剣といった物も全てが見事な品ばかりだ。これらも全てカーザース家から贈られたのだろうか?何故カーザース家はヘルムートにそこまでするのかわからない。
そして家人達の多さと質の高さだ。年収五十万ポーロしかないはずのヘルムートでは家人など精々一人二人、それも質の悪い、庶民上がりのような者を雇えるかどうかというところだろう。それがどうだ。この屋敷で働いている者達はラインゲン侯爵家どころかバイエン公爵家よりも質が高い。そんな者をこれほど抱えられるものだろうか。
「ふ~…………」
一通り屋敷を案内されて居間についたカールはソファに深く座り息を吐いた。このソファも座り心地は抜群だ。この座り心地の良さは素材というより構造の問題だろう。表面の皮や中の詰め物にそんな差があるとは思えない。ならばこの座り心地の良さは内部などの構造の違いしか考えられない。
「私がヘルムート様と結婚したらお父様とお母様もここで一緒に暮らしましょう?」
「そうね……。ここで暮らせたらとっても素敵でしょうね」
マリアンネは素直にそう答えた。しかしそれは暗にそれは無理だろうという意味を含んでいる。別にここで暮らしたくないわけではない。むしろ言葉通りここで娘や娘婿と一緒に暮らせたら素晴らしいと思っている。
だがそうはいかないだろう。カールはバイエン派閥の巨額詐欺事件で裁判中だ。裁判が終わったからとここに引き篭もることも出来ない。恐らく罪に問われるだろう。そうなればカールはカーザース領に引き篭もって余生を送るなどということは出来ない。
マリアンネまで連座させられるかどうかは不明だ。だからマリアンネだけならここで娘と共に暮らすことは出来るかもしれない。しかしマリアンネもまたそんなつもりはなかった。カールが罪に問われ、投獄されるなり島流しにされるなりするのならば、自分もまた夫の近くにいることを覚悟している。
カールはここに来てよかったと思った。確かに色々と驚かされることばかりで、今でも信じられない思いではあるが……、それでもここまで来て自分の目で確かめてみてよかった。これなら娘を任せられる。
最初は侯爵家育ちの娘が子爵家の貧乏生活で耐えられるのかと心配だったが、むしろこちらの生活の方がラインゲン侯爵家の生活よりもよほど裕福だ。主家にもこれだけ信頼されているというのなら将来も安泰だろう。むしろこの結婚がまとまって助かるのはラインゲン侯爵家の方だ。
ただ一つ疑問がある。その疑問が解けないことには安心は出来ない。
「確か……、ヘルムート君の収入は五十万ポーロなのだよね?それなのにあれほど質の高い家人達を多く抱えて養えるものなのか?」
そう……。そこが疑問なのだ。家やそれに関わる物は全て主家から贈られたものだとすれば納得は出来る。これほどの物を配下にポンッとやる主家がどこにいるのかと思うが、現実にここに貰った本人がいるのだから良いだろう。それより問題は家人達だ。
もし家人達も主家が給金を払って養い、ここで働かせているだけで雇い主が主家だというのならそれは少々困ったことになる。本来家人というのは一種の運命共同体だ。主人の秘密や何から何まで裏の事情まで知る機会が多い。代わりに主人は家人達を大事にし、責任を負い、高い給金を払う。
主人が潰れれば自分達も連座させられることも多々ある。だからこそ家人は主人に忠誠を誓い盛り立てようとする。主人はそんな家人達を頼り、大事にし、守ろうとする。その関係性があるからこそ内情を知られても秘密を共有出来るのだ。それが他人に雇われている者を身近に置いているだけとなると話は変わってくる。
もし主家が雇っている家人を置かせてもらっているだけならば、全ての情報が主家に筒抜けになってしまうことを意味する。別に悪いことをしようだとか、謀反を企てようだとか、そういうことが筒抜けになって困るという話ではない。何も悪いことをするつもりがなくとも、全ての情報が筒抜けなのは色々とまずい。
だからここで雇われている者達がどういう者なのか。本当にヘルムートやクリスタと運命を共にする覚悟がある者なのか。それを確かめておかなければならない。
「そうですね……。いただいている給金の中で一番出費が多いのは家人達への給金です。ロイス子爵家でも家人達はいましたから私もそういう者達に世話になって育てられました。また私自身もフローラ様付きとなって色々と学びました。ですので出来る限り彼らのことも考えているつもりです」
「ふむ……。しかし先立つものが足りるのかね?」
ヘルムートの話もわかる。ヘルムートもそういう状況で育ち、自分も務めたからこそそういう者達の気持ちもわかるのだろう。だが重要なのは家人達を大事にする心ではなく給金だ。家人達も自分や家族を養わなければならない。それを満足させられるだけの給金を払わなければ家人達は道を踏み外すだろう。
給金が安すぎて足りなければ、例えば誰かに情報を売ったり、その家の名前を利用して悪事を働いたり、家の物を横流しするなどという者もいる。住み込みで衣食住を保障する者は良いが、家庭持ちで家族を養わなければならない者ならばそれなりの給金が必要だ。
「私はあまりお金のことはわかりませんが……、年収六百万ポーロでは少ないのでしょうか?」
「…………ん?ヘルムート君は五十万ポーロの収入なのだろう?」
クリスタの言葉にカールが首を傾げる。クリスタも首を傾げる。
「ええ。そうですよ。毎月五十万ポーロいただいておられます。なので年収六百万ポーロでしょう?」
「…………ん?」
カールが固まる。月収五十万ポーロ?年収六百万ポーロ?そう聞こえた。
「この歳とお立場ならば十分高いとお聞きしましたが……、やはりまだ足りないのでしょうか?これだけの家を維持するには相応にかかりますものね……。ここはフローラにお願いしてヘルムート様の仕事を増やしていただいた方が良いのでしょうか?」
クリスタは真剣に悩む。ヘルムートの仕事の負担は増えてしまうが、もっと役職と仕事を増やしてもらえば相応に給金も増やしてもらえるだろう。これは何もクリスタが給金のためにヘルムートを働かせようと言い出したわけではない。前々から二人でそういう相談はしていたのだ。
これだけの家を維持し、家人達を養い、しかも二人は将来両家の両親を呼んで一緒に暮らしたいと話し合っていた。ロイス子爵家の生活水準はヘルムートも理解しているので良いが、ラインゲン侯爵家の両親を呼ぶとなっては生活水準もわからず、たくさんお金がかかる可能性を考えていたのだ。
「年収六百万……」
しかしカールはそれどころではない。ラインゲン侯国を支配していたカールならば扱っていた税収はそんな桁ではない。だがその税収全てをカールが好きに使えるわけではないのだ。自分やラインゲン家が自由に使えるお金という意味で比べればヘルムートの収入は相当に多い。
「当分の間は……、そのままでもいいんじゃないか……」
カールはそう言うのが精一杯だった。もう驚きと疲れが限界だ。ここは心臓に悪い。確かにとても先進的で快適ではあるが、常識はずれの驚きばかりで身がもたない。慣れれば良いのだろうが暫くは慣れそうにない。今回は短期の旅行でよかったと心から思ったのだった。
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その後、フローラは仕事があるということでロイス家、ラインゲン家は案内や馬車がつけられるだけで比較的自由に行動出来るようになった。放ったらかしと言えばそうかもしれないが、そもそもがヘルムートとクリスタの婚約についてのことだ。フローラは主家の娘とは言っても付きっ切りで付き合うような案件ではない。
何日かヘルムートの屋敷で滞在したラインゲン夫妻はついにカーザーンへと到着した。しかしカーザーンは何というか……、思ったよりは普通だった。確かに公衆便所なるものが整備されていて王都などよりも綺麗で衛生的だが、これまで見てきた町に比べれば割と普通だ。
「え~……、ここが我が家です……」
「なるほど……」
そして……、案内されたロイス子爵邸は普通だった。何の変哲もない。あくまでどこにでもいる普通の子爵の家という感じだ。
「こんなところですみません」
「いやいや……。むしろこれくらいの方が落ち着きます……」
恐縮しているハインリヒ三世の言葉にカールは良い笑顔で答えた。
そう、普通だ。普通の子爵の家だ。王都でも、バイエン派閥でも、訪ねたことがある普通の子爵の家だ。ほっとする。昔なら、全盛期のラインゲン侯爵だった頃ならばこんな家に自分を招きおってと怒っていたことだろう。しかし今はこの普通がありがたい。ほっとする……。
もしロイス子爵家がヘルムートの家よりさらに凄かったらどうしようかと心配していたのだ。決して馬鹿にするつもりなどないが、あくまで普通の子爵の家でよかったとカールは心の底から安堵したのだった。




