第二百六十七話「コベンハブン!」
さて、今日から船旅になるけどマリアンネは大丈夫だろうか。朝の支度を済ませてから朝食のために皆で集まるとマリアンネもやってきた。昨日よりは顔色も良くなっているようだ。
「おはようございます。体調はいかがですか?マリアンネ様」
「はい、おかげさまで楽になりました」
確かに言葉通り体調は良さそうだ。ただしそれは今だけの話だろうけど……。あれほど揺れが抑えられているうちの馬車でも酔うということは船旅が平気とは思えない。どれほど効果があるかはわからないけど対策はしておこう。
「今日から船旅ですので少し気をつけておいてください」
俺はいくつかマリアンネに注意点を説明しておく。乗り物酔い対策は確か……、寝不足、二日酔いは避ける。こんなのはある意味当たり前だな。あとは空腹や満腹も避ける、だったかな?どうせ吐くからと食べなかったり、食べ過ぎたりしてもよくない。適度に食べている状態が良かったはずだ。
あとは寝起きや食後すぐは避ける、か?それはこちらで出港時間を調整すればどうにでもなる。今から朝食を済ませれば十分食休みする時間はあるだろう。
他に……、確かペパーミントとかしょうがが良いんだったかな?すっきりした物や吐き気を抑えるものが良いはずだ。あとでペパーミントティーを出しておこう。一応飲めるか聞いてから……。ミントとかは好みもありそうだからな。
それ以外には船の針路方向を見ておくとか、本のようなものは読まないとか、気を紛らわせるのに人と話しておくとか、そういう程度の対処法しかわからない。どれもどの程度効果があるのか、そもそも本当に効くのかわからないけどとりあえず食後にそういう話をしておいた。
十分休憩を取ってから港に向かう。朝から積み下ろしの作業が行なわれているはずだから、よほどのトラブルでもない限りもう出港準備は整っているんじゃないだろうか。
「お疲れ様ですシュバルツ。出港準備は整っていますか?」
「お嬢。ええ、ばっちりですぜ」
港に来るとサンタマリア号とシュバルツが出迎えてくれた。まぁ別に俺達を待っていたわけじゃなくて、シュバルツは少し離れた所から作業中の船を見ていただけだ。積み下ろしは終わってるみたいだけど今でも水夫達が慌しく駆け回っている。
「シュバルツ?今日は私の客人も乗っていただくのです。フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースとして恥をかかないようによろしく頼みますよ?」
「はいフローラお嬢様。お任せください」
俺がそれとなく注意を促すとシュバルツは大仰に胸に手を置いて頭を下げた。シュバルツは決して馬鹿でも礼儀知らずでもない。ただ海に出るとどうしてもお上品に振る舞っていられない。だから少々言葉は汚くなるし態度も陸とは違う。
たださっきも言った通り馬鹿でも作法を知らないわけでもないから、気をつければきちんとそれなりに振る舞える。今日は客人がいるからきちんと振る舞えと注意すればちゃんと出来る者だ。
「フッ、フローラ殿……、まっ、まさかこれがカーザース家の船か?」
「え?」
カールを紹介しようかと思っていたらそんな声が聞こえてきた。振り返ってみればカールは驚いた顔を浮かべている。マリアンネも少し驚いているようだ。そういえばうち以外ではこの規模の船はないもんな。港に並んでいる他の船が小船に感じるほどに大きい。
「この船はカーザース家ではなく私個人の所有です。シュバルツ、こちらはカール・フォン・ラインゲン様、ラインゲン侯爵家の前当主とそのご夫人のマリアンネ様です」
「はじめましてラインゲン様。私はあの船の船長のシュバルツと申します」
「あっ……、ああ、よろしく……」
何かまだ呆然としているカールはシュバルツとの挨拶もどこか気持ちが入っていないようだった。別にシュバルツに対して失礼だ、とかいう話じゃないけど……。確かにうちの船を初めて見たら多少は驚くと思うけどそこまでかな?
まぁカールは港町にも行ったことがないと言っていたから、もしかしたら船を見ること自体あまりなかったのかもしれない。船といったら川を通る小船だったのかも?それなら港に並ぶ大型船というのは驚きなんだろうか。
「それでは早速乗り込みましょうか。カール様、マリアンネ様、ご案内いたします」
「頼む……」
う~ん……、完全に上の空でぼーっと船を見ているな。まぁいいけど……。
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ステッティンを出港したサンタマリア号は順調に進んでいた。上甲板に出て景色を見ながらマリアンネと話をする。
「お体は大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとう。今の所は大丈夫なようです」
昨日は早くから休んでいたし、今朝から色々と乗り物酔い対策をしていたお陰か、今日はそれほど酔っているということもないようだ。
まぁまだそれほど時間が経っていないというのもあるだろう。波も穏やかだしこのままならコベンハブンに到着するまで大丈夫かな?
そんなに遠くないみたいだから波や風が順調ならそのうち到着するだろう。一体何故そのコベンハブンという港に行かなければならないのかミコトに聞いておこう。
実はミコトに言われるがままコベンハブンに寄ることを了承したけど、理由や何をするかについては聞いていない。よくそんなので許可したなと思うかもしれないけど、ミコトが俺達を騙したりすることはないから信じて許可した。
「ミコト、少し良いですか?」
「ん?何?」
マリアンネのことは他の者に任せて俺はミコトと二人で少し離れて話をする。もう少し前もって聞いておいた方がよかったかもしれないけど、最悪の場合は今からでも進路変更は出来る。
「コベンハブンに寄って欲しいということでしたが、その町に行ってどうする予定なのですか?」
「ああ、別に大したことじゃないのよ。ただ船で戻るっていうから、それなら挨拶に寄れないかなと思っただけなの。何しろ『ヴァンデンリズセン』の名前を借りてるのもデル王国だからね」
コベンハブンというのはデル王国の実質首都みたいなもののようだ。はっきり王都や首都と規定されているとかじゃないようだけど、王族もコベンハブンに住んでいてデル王国の主要都市らしい。
ミコトがプロイス王国に留学するにあたって、本名のスメラギ・ミコトじゃなくてミコト・ヴァンデンリズセンを名乗っているわけだけど、そのヴァンデンリズセンというのはデル王国の王家の名前だというのは前に言った通りだ。
デル王国は魔族の国の保護国のようなものでカーマール同盟にも参加している。カンザ同盟は自由都市間の互助組織のような性格だけど、カーマール同盟はハルク海沿岸国家の国家間同盟だ。当然現時点ではカンザ同盟とは規模が違う。
「カンザ同盟の船が入港しても大丈夫なのですよね?」
「大丈夫よ。あの旗を掲げている限りは問答無用で襲ってくることはないから」
「そうですか……」
ミコトが指差した旗を見上げながら曖昧に頷く。出港時は掲げていなかったけど、ある程度デル王国に近づいてからとある旗を掲げている。どうやらそれが魔族の国の者が乗る船だという合図のようだ。デル王国は魔族の国の保護国のようなものだから、魔族が乗っている船に問答無用で襲ってくることはないらしい。ただその旗というのが……。
白地に赤い丸、そしてその丸から放射状に光が伸びて輝いているかのような意匠……。これはまるで地球のとある国の旗のようだ。
確かに偶然似たような意匠になる可能性は十分に有り得る。太陽や月や星を象徴するようなシンボルや旗はどこででも考えられるだろう。似たような意匠があちこちにあってもおかしくはない。でもこれはあまりに似すぎている。
いや……、そもそもで言えばこの世界はあまりに地球との親和性が高過ぎる。魔法という要素があるために異なる発展を遂げているけど、俺の知る限りでは地形や歴史の流れ、文化や経済の発展まで非常に両者は似通っている。
もちろん完全に一致するわけじゃない。明らかに地形が違う部分もあるからここが地球ではないことは確かだ。それに歴史的事件や国の勃興について地球の歴史とは前後する部分も多数ある。地球ではもっと後年に起こったことが早くに起こったり、逆に地球ではとっくに起こったはずのことがまだ起こっていなかったり……。
両者は非常に良く似ていながら完全に一致するわけでもなければ、完全に異なるわけでもない。両方を知る俺からすると何とも言いがたい奇妙な感覚に捉われる。
単純に地球の科学文明か、魔法がある文明かの違い、というわけでもないし……。そもそも俺がこんな世界に生まれてきたということは、もし両者の時間の流れが同じなのだとしたら、ここは地球の後の世界?もしくはただ単純に地球より発展が遅れている異世界?
でも両者が同じ時間軸を流れているとも限らない。江戸時代の人が今のこの世界より数百年後のこちらの世界に現れるかもしれないし、俺より未来に生きていた地球人がこの世界の原始時代に現れているかもしれない。両世界の往来には時間や空間は関係なく滅茶苦茶である可能性もある。
そもそもこの世界と地球とは行き来出来るものなのか?少なくとも地球で生きていた俺がこの世界に前世の記憶を持ったまま生まれているのは間違いない。他にも俺と同じような者がいるんだろうか?でなければあまりにこの世界が地球と良く似ていることの説明がつかない。
「急に黙り込んでどうしたのよ?」
「え?あぁ……、ごめんなさい。少し考え事をしていました」
ミコトの声で思考の渦から戻ってくる。そうだな……。俺がそんなことを考えても詮無きことだ。いくら考えても答えがわかるわけじゃない。そして仮に答えがわかろうがわかるまいが何も変わらない。俺はこの世界で死ぬまで生きていくだけだ。
「ほら、もう見えてきたわよ」
「あれが……」
水平線にぼんやりと町が見え始めていた。どうやらコベンハブンに着いたようだ。旗も掲げているしミコトもいることだし、ゆっくり上陸してデル王国の観光でもしてみたい。
「…………ミコト?」
「何?」
コベンハブンの方を見ながらミコトに声をかける。あれは俺の気のせいなんだろうか?滅茶苦茶船がこちらに向かってきている気がするんだけど……。
「あれはただ出港した船ですか?それとも迎えですか?」
「さぁ?」
おい……。まさか敵認定されてるんじゃないだろうな……。確かにミコトの旗も掲げているけどうちの旗も掲げているからな……。
この世界ではまだ国籍旗や軍艦旗というような決まりはない。一応それぞれ掲げてはいるけど国際的に統一された決まりがあるわけじゃなく、運用している国や地域、船の持ち主が所属する組織などによって様々に変わる。
「そこの船!停まれ!貴様ら何者だ!」
うわぁ……。コベンハブンから出て来た小型船が俺達を取り囲みながらそんなことを言ってきた。これ絶対敵だと思われてるよ……。ミコトの旗は役に立たなかったのか?
周囲を多数の小型船に囲まれているのは非常にまずい。いくらうちのガレオン船が優速だといっても大型船にしては、という枕詞がつく。さすがに速度に優れる小型船には劣る場合もあるし小回りという意味では段違いだ。もちろん小型船でも遅いものはあるわけで一概に大きさだけでは言えないけど……。
ともかく速度と小回りに優れる小型船に囲まれていたらいくら大型船でもかなりあぶない。もし敵の小型船それぞれに火魔法を使える者が乗っていたら、周りをぐるぐるされながら火を放たれるなんてことになりかねない。
艦隊を編成して戦艦だけじゃなくて駆逐艦や巡洋艦が随伴していたように、ただ砲撃力の優れる大型艦がいれば海戦に勝てるというほど単純なものじゃない。実際この状況で一斉に攻撃されたらこちらの方が危ないだろう。ここは下手に争いにならないようにするべきだ。
「ちょっと!私がスメラギ・ミコトだと知っての狼藉かしら!どうなるかわかってるんでしょうね!」
「なっ!」
「スメラギ!?」
俺達を囲んでいる小型船に向かってミコトが啖呵を切る。ちょっとミコトさん……。うまく穏便に行こうと思ってたのにいきなり全部台無しにしてくれちゃって……。
「スメラギの方であるという証拠は何かおありか?」
「証拠?この私が証拠でしょ!旗だって掲げてるじゃない!目が見えないの!」
うわぁ……。ほんとミコトはこういう時は怖いもの知らずだな……。そもそも『俺は王族だ!証拠は俺自身だ!』とか言っても疑われるだけじゃないのか?だからそれを証明する証拠を出してくれって言ってるんだろ……。
小型船の方はコショコショと内緒話をしているようだ。正面の船の先頭に立っていた何人かが話し合っている。あいつらが指揮官かな?
「…………わかった。港へは我々が先導する。こちらの誘導に従え」
あ~……、これはあれだろうな。怪しいしまだ信じてないけど、万が一にも本物だったらやべぇからとりあえず上陸させてわかる人に会わせてみるか、みたいな奴だろう。完全に疑われてるな……。ミコトの言うことを信じた俺が馬鹿だったのか……。
「シュバルツ、聞いていましたね?相手を刺激せず逆らわないように」
「はっ!野郎共!聞いての通りだ!丁重におもてなしされようじゃないか」
「おう!」
さすが海の男は肝が据わってる。これだけ囲まれて危険な状況なのに冗談が言えるとはな。ともかく逆らう気も争う気もないから先導していく小型船に従うことにしたのだった。




