第二百六十一話「ポルスキー分割!」
講和会議と言いながらその実、これはポルスキー王国分割の席だという。その言葉にプロイス王国代表の二人は顔を見合わせている。
「まずはプロイス王国が現在占領している地域を教えていただきたい。これから交渉するにあたってそれが基本となるでしょう」
「「…………」」
宰相のディートリヒとカーザース辺境伯はお互いに視線を向けているが語らない。理由もわかる。それは重要な軍事情報だ。当事者であるプロイス王国とポルスキー王国の間でやり取りするのは良いが、無関係のモスコーフ公国やオース公国に知られるのは都合が悪いと考えているのだろう。
「ご安心いただきたい。今回の講和会議において我々は公正公平中立です。確かに重要な軍事機密も含まれているとお思いでしょうが、講和会議を行なうのに重要な基点となりますので正直にお話いただきたい」
ニコライの言葉にカーザース辺境伯が会議室の真ん中に広げられている地図を指し示す。フローラから見れば精度の低い役に立たない地図だと言われるだろうが、この世界においてはむしろ国家機密並の精巧な地図である。
「グラウデンズ、オステロデ、アレンステイン……、このまま街道を通ってインステールブルク、ティルシトからリーガーの手前、半島の先まで全てだ」
「「「…………は?」」」
カーザース辺境伯が示した範囲は広大な、いや、広大すぎる範囲だった。ニコライは独自の情報網によってある程度占領されていることは把握していた。ポルスキー代表のカジミェシュも、オース公国代表のヴェンツェルも、プロイス王国がそれなりに侵攻していることは理解していた。しかし今示された範囲はあまりに広すぎる。
誰も理解がおいつかない。たった一ヶ月足らずで占領した範囲ではあり得ない広さだ。多少戦果を盛って誇張することはあるだろうが、いくら何でもこれは盛りすぎだろうと言わざるを得ない。
「はっ……、ははっ!カーザース辺境伯はご冗談が上手い。これだけの主要都市を落とそうと思ったら何年もかかってしまう。一体プロイス王国とポルスキー王国は何年戦い続けておられたのかな?」
あまりの荒唐無稽な話にヴェンツェルは嫌味も含めてプロイス王国側にそう言った。いくら何でも戦果を盛りすぎだ。そんな馬鹿げた話は子供でも信じない。講和会議において少しでも自分達が有利になるように嘘をつくのは当然だとしても、これはあまりに欲張りすぎではないかと釘を差したつもりだった。
「嘘だと思うのならば今から現地へ行ってみればいい。全ての町に我が国の国旗が翻っている。当然講和会議を申し出てきた使者であるヤクプ殿が参られた時点で戦闘は停止している。きちんとした情報を話しているにも関わらず信じられないというのならそもそも話し合いにならない。自分で出向くなり使いを出すなりして確認するがいい」
「「「…………」」」
余裕の態度でそう言うカーザース辺境伯を見て今度はプロイス王国以外の者達が顔を見合わせる。多少戦果を盛ることはあってもあまりに荒唐無稽なことを言っても後で嘘だったとすぐにバレる。そんなことは切れ者宰相や救国の英雄がわからないはずはない。ならば本当のことを言っていると考えるしかない。
それに北方まで侵攻していたのは知らなかったが、南方の侵攻範囲はニコライやカジミェシュの把握している情報と一致している。北方は遠いためにまだ正確な情報が届いていないだけで、ここまで言い切るということは今の話が本当である可能性は高いだろう。
「なるほど……。その話が本当かどうかは数日以内にはわかるでしょう。では一先ずそれを本当のこととして話し合いましょう」
ヴェンツェルはまだ納得いかないという顔をしていたがニコライは気持ちを落ち着けてそう応じた。確かにその侵攻速度の速さは驚くべきものだったが何も困ることはない。むしろ良い兆候だとすら言える。何しろプロイス王国の取り分が多くなるのならばそれに乗っかって自国の取り分も相応に広げれば良いのだ。モスコーフ公国にとっては何も損はない。
「まずは……、そうですね……。プロイス王国が今戦争で占領した地域はポルスキー王国からプロイス王国に割譲するということでどうでしょう」
ニコライはまずはプロイス王国を納得させようとそう持ちかける。これだけの広大な領地を得ればプロイス王国としては御の字だろう。しかしニコライが思うほど簡単には進まなかった。
「はぁ……。ニコライ殿は何を勘違いされているのかわかりませんが……」
それまではカーザース辺境伯が話していたのに突然ディートリヒ宰相が口を挟んできた。何が勘違いなのかとニコライは若干ムッとしながらも表情に出すことなく問い返す。
「どういうことでしょうか?」
あくまで表面上はにこやかに、腹の底ではディートリヒ如きにわかってないだの勘違いだのと言われる筋合いはないと思っている。しかしそれを交渉の席で表に出す者は三流以下だ。やり手の政治家であり外交官である自分はあくまでそんな態度はおくびにも出さない。
「今回プロイス王国が『取り返した地域』は本来全てプロイス王国の領土です。それを長年ポルスキー王国が不当に占領していたに過ぎない。割譲されるのではありません。自力で取り返しただけのことです。それを割譲や返還と言われては困ります。そんなものは賠償には含まれませんよ」
「くっ……」
ディートリヒの言葉にカジミェシュは顔を歪める。ポルスキー王国からすれば反論の余地はない。
「なるほど……。それではこうしましょう。プロイス王国の取り分はブロムベルク、トールンまでとします。どうですか?」
ニコライはディートリヒに譲歩案を示す。ブロムベルク、トールンの町は両方ともウェイクセル川沿いにある。グラウデンズから陸路で南に進めばトールンがあるが、ウェイクセル川は途中で西に大きく膨らんでおり真っ直ぐ南に向かっているわけではない。その膨らんだ西側にあるのがブロムベルクの町だ。
どちらもウェイクセル川流域にある重要な都市でありここを得られるのは大きな意味がある。何よりトールンからさらに南東にウェイクセル川は続いており、川沿いにポルスキー王国王都ワールスザワが存在している。
ウェイクセル川を押さえるということはポルスキー王国の水運を握ることに等しく、さらに水路で王都ワールスザワまで侵攻出来るようになる。これはポルスキー王国の命を握ることだった。
「ふ~……。まるでわかっておられませんねぇ……。トールンも元々はプロイス王国の開拓した都市だったのですよ?奪われたものを返すことなど当然です。それを返すと言われても何の補償にも賠償にもなりません。そもそもその程度のことならば仲介していただかなくとも、そう遠くないうちに奪われた領土は全て自らの手で取り戻します」
「「「…………」」」
ディートリヒにそう言われてさすがのニコライも黙った。元々奪われていた領土を取り返しているだけだからそれを返すと言われても何の賠償にもならない。それはその通りだ。そして返還する範囲の交渉においてもプロイス王国は遠慮する必要など何もない。
ディートリヒが言った通りプロイス王国は旧領全てを取り返すつもりなのだろう。そして実際にそれが出来ることをすでに示して見せている。何もこんな場でニコライに恩着せがましく交渉の仲介に立ってもらわなくともこのまま進軍して自力で取り返せば良い。
普通の戦争だったならばこのあとまた何年も戦うことを考えればここで交渉して返してくれるのなら納得する所だろう。しかし今のプロイス王国にそれは通じない。たった一ヶ月足らずでこれほどの領域に侵攻し奪い返したプロイス王国ならば、本当にここで終戦に合意しなくともポルスキー王国を滅ぼせば良いと考えていそうだ。
そして何より問題なのがプロイス王国は旧領を回復すると言ったことだ。ウィンダウの先にある逆側の半島の港湾都市レーヴァルは今でこそモスコーフ公国がポルスキー王国から奪っているが、元々はレーヴァルもプロイス王国の開拓した東方植民地だった。
さらにモスコーフ公国は湾内のリーガーも狙っていたが現時点でもすでにプロイス王国はリーガー目前まで迫っている。今回の分割交渉でリーガーまで手に入れようと思っていたが、これはもしかしたらプロイス王国がリーガーまで寄越せと言ってくるかもしれない。
「あ~……、ではいいですよ。プロイス王国はこれだけ手に入れればいいでしょう」
ニコライがどうしたものかと思っているとヴェンツェルがざっと地図の範囲を示した。示された範囲はかなりのものだ。しかし北方のモスコーフ公国に近い範囲は広げていない。南方部分で譲歩する代わりに北方は現在の停戦範囲で満足しろという妥協案を示したのだ。
「代わりにうちはここからこう……、これだけ……、これでどうですか?」
そしてヴェンツェルはオース公国の取り分を勝手に主張する。ポルスキー王国と接する南の部分をがっぽりと示した。
「それで……、モスコーフ公国はざっとこんな感じです。これでいいでしょう?」
最後に東の国境を大きくモスコーフ公国にする。ヴェンツェルの示した範囲は北の沿岸沿いから内陸のかなりの部分までをプロイス王国が、南方をオース公国が、東方をモスコーフ公国が分割するという案だった。その案の通りになればポルスキー王国は一気に国土の三分の一以上を失うことになる。
「あっ、あの……、これはさすがにいくら何でも……」
ポルスキー王国代表のカジミェシュはチラチラとニコライを見ながらどうにかしてくれと視線を送るが、ニコライは少しだけ顎に手を置いて考えると『ふむ……』と頷いた。
「わかりました。それで手を打ちましょう。それからポルスキー王国は賠償金の代わりとしてハルク海からの関税権をプロイス王国に渡すということにしましょう。どうですか?プロイス王国としてもそれで満足していただけませんか?」
「な゛っ!?」
カジミェシュは驚いた顔でニコライを見るがニコライはまるで気にした様子もなく平然としている。
ニコライの言葉にはこれ以上欲張るなという意味が込められている。確かに戦勝国ではあるだろうがこの講和会議にはモスコーフ公国とオース公国がついているのだ。占領地に加えて追加で元プロイス王国の奪われていた内陸部の領地を返す。
それから現金の賠償の代わりに関税権だ。ハルク海の沿岸部のほとんどを失うポルスキー王国に対してプロイス王国が関税を決めて徴収する権利を得る。すぐに現金が支払われるわけではないが今後税収として入ってくる上に、ポルスキー王国のハルク海貿易に関する関税を自由に出来るのだから十分だろう。
もしこれ以上欲をかくというのなら今度はモスコーフ、オース、ポルスキーの三国を同時に戦争をすることになるぞと脅しも含まれている。
「ふむ……、まっ、いいでしょう。ただ乗りしている人のことは気にしませんよ」
そういってディートリヒはニコライににっこり微笑みかけた。それはプロイス王国がポルスキー王国を破ったどさくさに紛れて、仲介者だと名乗りながら割り込み、自分達にも領土を寄越せとハイエナをしている者を嘲った笑みだった。
「ディートリヒ宰相殿のご英断に感謝しますよ。それでは調印と批准を……」
こうしてプロイス王国は最も得た領地は少ないが沿岸の最も重要地点を、オース公国は最も多くの人口を、モスコーフ公国は最も広大な領地を、ポルスキー王国からそれぞれ得たのだった。
四カ国がこのポルスキー分割条約に批准するに際して、ポルスキー王国議会の一部の貴族が強硬に反対したが、本来全会一致が基本であったはずの議会はその場において多数決となり批准することが承認されることになった。
また条約批准に反対していたポルスキー貴族達はその後ポルスキー王国では二度と見られることはなかった。ただモスコーフ公国の東の果て、極寒の氷の大地シビルアンの流刑地に、ポルスキー王国の民族衣装を着た囚人達が多数送り込まれているのを目撃したという情報がまことしやかに囁かれていた。
「は~……。疲れましたねぇ……」
ワールスザワからの帰り道、ディートリヒは気の抜けた顔でそう言って姿勢を崩した。向かいに座るアルベルトは一切表情を崩すことなく言葉を発する。
「モスコーフ公国とオース公国のようなやり方を認められたのは納得がいきませんが……」
モスコーフ公国、オース公国はプロイス王国とポルスキー王国の戦争に仲介と称して横槍をいれ、しかも自分達は戦ってもいないのに横から領地を掠め取っていった。卑怯な手段で領土を奪った卑劣な者達だ。武人であるアルベルトには許せるものではない。
「そうはいうけどね……。じゃあポルスキー王国、モスコーフ公国、オース公国、三国同時に相手にする?」
「そんなことをすればプロイス王国は滅びるでしょう」
「そういうこと。仲介に出て来た時点で答えは決まってたんだよ」
このままポルスキー王国と戦争を続けるだけでも大変だ。今の占領地が侵攻限界であり、少なくとも現状の戦力ではこれ以上進むことは出来ない。それなのに今からモスコーフ、オース両公国まで同時に相手にするなど自殺行為だ。
そして東方でそれだけの大戦争を繰り広げれば必ず西のフラシア王国が介入してくる。ここぞとばかりに宣戦布告され西の国境も侵されるだろう。四方八方から同時に攻められたプロイス王国は地図から姿を消すことになる。それだけは避けなければならない。
「まぁ貰えるものは貰ったんだし、ここらで手打ちにしてゆっくりしたいだろう?」
「そうですね……」
恐らくアルベルトはこれから忙しくなる。領地に帰ることも出来ないだろう。手打ちだのゆっくりだのというのはディートリヒの話であってアルベルトは到底ゆっくりなど出来ない。しかしそれは言わずに黙って二人は馬車に揺られていたのだった。




