第二百六十話「講和会議!」
ポルスキー王国の使者として選ばれたヤクプ・マッサルスはアレンステインへと向かっていた。貴族で議員であるヤクプもアダム・ポニンスクの派閥でありモスコーフ公国に買収されている売国議員の一人だ。自分達の利権とモスコーフ公国からの指示を守るために降伏の使者に選ばれたヤクプは馬車をとばしてアレンステインへと急ぐ。
到着したアレンステインでプロイス王国軍に使者であることを伝えて丁重に扱わせる。もちろん使者とはいっても絶対に安全であるとは言い切れない。しかしプロイス王国ほどの国ならば他の蛮国と違ってある程度は使者の扱いも良いだろう。
何より自分達の利権と買収されているモスコーフ公国からの指示を守るためには自ら赴くしかない。派閥の者から誰か出さなければ、他の派閥に任せてはうまくいかない可能性もある。そしてこういった役目を果たせばそれなりに自らに利益が返ってくる。ヤクプも見返りが約束されているからこそこのような危険な役目を請け負ったのだ。
アレンステインに入ってからプロイス軍に先導されてケーニグスベルクへと向かう。その間ヤクプは少し疑問だった。もっとプロイス軍が大挙してあちこちにいるかと思ったが思ったよりもその姿を見ていないのだ。もしかしてそれほどプロイス軍はいないのではないか。ケーニグスベルクに向かう道すがらヤクプはそう考えていた。しかし……。
「こちらでお待ちください」
「ああ」
ケーニグスベルクに入ったヤクプはやはりプロイス軍の数が少ないと感じていた。いくら周囲を全て落として安全な地域になっているとしても警備や駐留している兵の数が少ないのではないか。そう思っていたがヤクプの考えは否定されることになった。
「待たせたな。私はプロイス王国軍ケーニグスベルク救援部隊の指揮を預かっている、アルベルト・フォン・カーザースだ」
「――ッ!あなたがかの有名な……。私はポルスキー王国のヤクプ・マッサルスと申します」
この周辺国家でアルベルト・フォン・カーザースの名を知らない者はいない。プロイス王国の救国の英雄。妻マリア・フォン・カーザースは『血塗れマリア』と呼ばれるほどの剣姫だ。
「ちょうどウィンダウからこちらに戻っている時でよかったですな」
「…………は?ウィンダウ?」
カーザース辺境伯が席を勧めながらそう言ったのをヤクプは繰り返した。ウィンダウから戻って?意味がわからない。しかし何故かヤクプの心臓はドッドッドッと嫌な鼓動を刻んでいた。
「ええ。今陸軍はリーガー目前まで進んでいるのは御存知かと思いますが、そちらで少々指揮を執っていたもので、今こちらに戻っていたのは偶然です」
「――ッ!」
カーザース辺境伯の言葉を聞いてヤクプは絶句した。ポルスキー王国の予想ではプロイス王国軍はダンジヒ、ケーニグスベルクから上陸して南下してきていると思っていたのだ。それがポルスキー王国の北東の端に近いリーガーまですでに攻め込んでいるという。
それがもし本当なら大変なことになる。一刻も早く降伏しなければ本当に国土全てを征服されてしまう。
何故この辺りに兵が少なかったのかようやく理解出来た。プロイス軍はこのまま南下して王都ワールスザワを落として終わりにしようと思っているのではないのだ。本当にポルスキー王国全土を蹂躙しようとしている。
もちろんカーザース辺境伯の言葉が嘘やはったりである可能性がないとは言い切れない。しかしそんなことは少し調べればすぐにわかることだ。そんな嘘を使者である自分について何の意味があるというのか。つまりそれは本当のことを言っていると考えるしかない。
一気に王都を落として降伏させるのではなく北方まで全て攻略に向かっている。だからここまでの道のりで見た兵の数が少なかったのだ。そのことに気付いたヤクプはすぐに降伏の交渉のために来たことを伝え話し合いに入ったのだった。
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「こっ!これはっ!」
カーザース辺境伯との話し合いを終えたヤクプはプロイス王国の王都ベルンへと向かうことになった。交渉の間は戦闘を停止することで合意している。一先ずこれ以上攻め込まれる心配はなくなったが、ここで適当に交渉を引き延ばしたりするだけだと余計に相手を怒らせるだけになってしまう。
もちろんポルスキー王国は正式に降伏するつもりだから、交渉を引き延ばしてその間に反撃の準備をしようなどとは考えていない。しかし交渉が長引くだけでも相手にそう思われかねない。だから早急に交渉を纏める必要がある。そのためにベルンまで直接出向くのだ。
しかし……、そのためにやってきたケーニグスベルクの港で見た光景にヤクプは再び絶句した。
居並ぶのは見たこともないほどに巨大な軍艦たち。それも一隻二隻の話ではない。何隻と巨大船が停泊したり航行したりしている。また中型、小型船も多数が忙しなく行き交っている。それを見てヤクプは震え上がった。
プロイス王国とでは国力も、技術力も、軍事力も、何もかもが違いすぎる。湖の沖に係留されている船には見覚えがあるのだ。半分燃えた跡があり周りを監視されるかのように沖の方に係留されている船は紛れもなくポルスキー海軍の最新鋭艦だ。その最新鋭艦がまるで子供の玩具のように見える。
ヤクプはミカロユスが出陣する際に陸海軍の出陣を見送った。巨大な最新鋭艦を擁する海軍ならばケーニグスベルクの海上戦力も圧倒するだろうと思ったものだ。
それがどうだ。今沖に係留されているポルスキー海軍の最新鋭艦は、プロイス王国からみれば何世代も昔の骨董品でしかないではないか。そしてこの数だ。ケーニグスベルクで行き来している船だけでも圧倒的な数が往来している。その海上戦力は一体どれほどだというのか。
そしてこれほどの船に乗せられてきた兵は一体どれほどなのか想像もつかない。今でも大量の物資を運んでいるということは相当な大軍だろう。圧倒的な兵力が今もどこかにいるのだ。この場で見えないからこそ余計に恐ろしい。自国内にいるのにどこにいるのかもわからない敵国の大部隊、それを想像するだけで震えが止まらない。
圧倒的すぎる。国力も、兵力も、技術力も……。まさに大人と子供以上の差だ。プロイス王国の圧倒的力を見せ付けられたヤクプは使者の役に自信を失いつつも、この巨大船に乗せられてプロイス王国王都ベルンへと向かったのだった。
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王都ベルンで正式に降伏の交渉開始を告げたヤクプはその役目を終えて帰国の途に着いていた。同行するのは今回の戦後処理のために派遣されるプロイス王国側の全権大使達だ。
確かにプロイス王国は思った以上に強国だった。もし戦争を続けていれば間違いなくポルスキー王国は消滅していたことだろう。しかしヤクプは役目を果たした。プロイス王国を交渉の席に呼ぶことに成功したヤクプは、戦後に得られる見返りに舌なめずりしながらワールスザワへと戻ったのだった。
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モスコーフ公国の外交官であるニコライ・ペンフンは上機嫌だった。全ては計画通りに進んでいる。元々ポルスキー王国とモスコーフ公国は深い繋がりがあった。一時はポルスキー王国の方が強い国であったこともあった。しかしいつしか両国の関係は逆転し今ではモスコーフ公国がポルスキー王国を支配している。
ニコライ・ペンフンはポルスキー王国の議会であるセイムの議員達の多数を買収しており、今やセイムはニコライの思い通りであるとすら言えるほどだった。
しかし近年ではポルスキー王国がモスコーフ公国の意に反して独自行動を取るようになってきており、そのことについて少々不満があったのだ。むしろ最早保護国としての価値が薄れているとすら言える。だからこそニコライは今回の企てを行なった。
ミカロユスがプロイス王国に侵攻したのは別にニコライの差し金ではない。むしろ当初はあまり歓迎していなかったほどだった。しかし最終的にはニコライはミカロユスの企みを許可した。セイムを買収し支配しているニコライが許可しない限りはミカロユスの侵攻は実現しなかったのだ。
ニコライは奇襲によりハルク海沿岸のプロイス王国自由都市を陥落させられるだろうと思っていた。あとはその後の交渉に関わって利益を掠め取ろうと思っていたのだ。だが実際にケーニグスベルク侵攻が始まってからの事態は思わぬ展開を見せた。
奇襲によってすぐに落とせるだろうと思っていたケーニグスベルクが落ちないどころか、すぐさま反撃に出て来たプロイス王国によってポルスキー王国の都市が次々に陥落していることを、ニコライは独自の情報網によりすぐさま察知していた。そこでニコライは計画を変更することにしたのだ。
当初は自由都市を奪わせて、あとは両者の仲介でもしながらモスコーフ公国が利益を得るようにしようと思っていた。しかしプロイス王国の烈火の如き反撃でポルスキー王国は最早ボロボロだ。ならばこれを利用してモスコーフ公国が大きな利益を上げる機会に利用しない手はない。
すぐに本国へと今後の計画を連絡したニコライは正式にモスコーフ大公の許可を得て計画を実行に移した。ポルスキー王国の買収していた貴族達を通じてオース公国にも根回しを行いすでに準備は万端だ。あとは講和会議が開かれれば全てはニコライの思い通りになる。
「ニコライ様、プロイス王国の大使がきました」
「そうか。すぐ行く」
扉がノックされて告げられた言葉にニコライはにやける顔が止まらない。ニコライはこれから先の展開を想像して絶頂にも似た快感に酔いしれながら会議室へと向かったのだった。
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ポルスキー王国王都ワールスザワの議会内にある会議室にて、これからのポルスキー王国の未来を決める重要な交渉が始まろうとしていた。
「お集まりいただきありがとうございます。私はポルスキー王国代表カジミェシュ・オストロフスクです」
まずポルスキー王国の代表が頭を下げる。当然このカジミェシュもニコライが買収しているモスコーフ公国の傀儡と化している議員の一人である。
「え~……、私はプロイス王国全権大使、ディートリヒ・フォン・クレーフです。どうぞよろしく。それからこちらが……」
「アルベルト・フォン・カーザースです」
「「「――ッ!?」」」
飄々としたプロイス王国代表の名乗りを聞いて他の者達が驚く。周辺国においても飛び抜けた才覚を持つ切れ者宰相と名高いディートリヒ・フォン・クレーフ本人がわざわざやってくるなど想像もしていなかった。そしてその隣の武骨な男がプロイス王国の救国の英雄と聞けば驚くなという方が無理な話だ。
いくら講和会議とは言っても暗殺や事故がないとも限らない。そんな場所に切れ者宰相が直々に現れるなど驚きでしかない。そして逆侵攻してきていた指揮官が大英雄カーザース辺境伯とあっては今回の敗戦も頷けるというものだ。
本来西方の要石となっているはずのカーザース辺境伯が何故東のポルスキー王国に対応しているのかはわからない。しかし伝え聞く武勇伝通りの人物ならば一ヶ月でポルスキー王国北方を全て落としたというのも納得出来る。
「私はモスコーフ公国使節ニコライ・ペンフンです」
プロイス王国の者達はモスコーフ公国の名前を聞いて驚くだろう。そう思っていたニコライの期待は裏切られた。ニコライが名乗ってもプロイス王国の二人はまるで動揺していなかったのだ。
「最後は私ですね。私はオース公国外交特使ヴェンツェル・フォン・カウニズです」
今度こそ驚いただろうとニコライはプロイス王国の二人を見てみたが、それでも二人は平然としていた。もっと驚く姿を見て笑ってやろうと思っていたニコライの期待はまたしても外れた。
しかし別にそれはどうでもいい。ただ単純にこの場にモスコーフ公国とオース公国の代表がいれば、プロイス王国の代表達は驚くだろうと期待していただけのことだ。それ自体は別にこれからの交渉には何の意味も影響もない。
「さぁ……、それでは決めましょうか。これから引くべき線を」
いやらしい笑みを浮かべたニコライの言葉にヴェンツェルもにんまりと笑って頷く。プロイス王国の二人は相変わらず表情が読めないまま特に何も言わなかった。そしてポルスキー王国の代表であるはずのカジミェシュも当たり前のようにそれを受け入れる。本来国家として受け入れてはいけない悪魔の言葉を……。
「ポルスキー分割の線を決めましょう」
その言葉を聞いてようやくプロイス王国の二人は顔を見合わせていた。ようやく驚いたようだとニコライは心の中で優越感に浸りながら会議を進めたのだった。




