第二百三十七話「川くだり」
カタリーナの提案で休みは川くだりすることになった。今日はその休みの日だ。色々と事前に準備も必要だから今日まで何かと準備してきた。昨日の、地球で言えば土曜日にあたる昨日も最後の準備に奔走していた。
まず当たり前だけど川くだりをするんだったら船を用意しなければならない。カタリーナの言う川くだりは件のハーヴェル川だ。恐らくカタリーナがこんな提案をしてきたのは俺の仕事の助けになると思ってのことだろう。皆で川くだりをしつつハーヴェル川を視察して今後の仕事に役立てるようにというカタリーナの配慮だと思う。
だからハーヴェル川を下るのに適した船を用意しなければならない。カーン家が保有している船をこちらに廻してくることは出来ない。カーン家が保有する船はどれも大きく、何の手入れもしていない現状のハーヴェル川を上ってくるのは難しいし、何より仮に川を上れたとしても日数が足りない。
休みが判明してからすぐに手紙を出してこちらに船を廻してもらっても今日までに到底間に合うようなものじゃなかった。
じゃあどうするのか。考えるまでもない。現地で調達するだけのことだ。
カンザ商会に頼んでハーヴェル川を航行出来て俺達が皆で揃って川くだりに繰り出せる船を用意してもらった。レンタルでも買い取りでも良いから急いで用意してくれと頼んだら用意してくれたようだ。もちろん新規建造でもよかったけどそれこそ間に合うはずもないからな。
中古の小型船を手に入れた俺達は昨日学園が終わってから色々と必要な物を買い込んでおいた。今日は荷物を持ってハーヴェル川に行くだけで良い。
「それでは皆さん準備出来ましたか?」
「ええ!」
「はい」
「いつでも行けるよ」
「忘れ物は……、ない……、よね?」
「万事抜かりありません」
全員の返事を聞いてから荷物を背負ってカーザース邸を出る。今日はヘルムートにも休みを与えているから御者は別の者だ。きっとヘルムートは今日はラインゲン家にでも行くんじゃないだろうか。今日は日曜日で学園も休みだからクリスタも家にいるだろう。前もって今日休みだと二人に教えておいたから今日会う約束でもしてそうだ。
二人のことはこちらから下手に余計な首を突っ込むとかえって悪くしてしまいそうなので、あえてこちらからは何もしない。二人が自然に恋仲になっていってくれれば良いと思う。
六人で馬車に乗り込んでハーヴェル川へと向かう。場所はシャルロッテンブルクの建設現場ではなく元々ある一番近い船着場だ。そこにカンザ商会が購入してきてくれた船が泊めてある……、はず。
いや……、俺もまだ現物を見ていないから何とも……。ただご令嬢達が遊びながら川くだり出来る船を用意してくれと頼んだからフーゴならわかってくれているはずだ。ただの小船でもなく、かといって大きすぎてハーヴェル川を自由に下れない船でも意味がない。ご令嬢達が乗り込むんだから屋根や船室的な物も必要だろう。
大きすぎず小さすぎずほどほどで必要十分な船。そんな難しい注文を聞いてこの短期間で最適な物を用意する。きっとフーゴならやってくれているはずだ!他人任せだけどそれがフーゴの仕事なんだからいいんだよ。
というわけで王都から一番近いハーヴェル川の船着場に来てみれば……。
「わぁ……」
「これがカンザ商会が用意してくれた船?」
「恐らく……、船頭も用意してくれているはずなので……」
船着場に泊まっている船は何というか……、屋形船の出来損ないというか……。まぁ一言で言えば屋根のついた船だな……。
たぶん船の建造時には屋根はなかったんだと思われる。むしろつい最近つけたんだろう。そう……、どっかの誰かさんがご令嬢達が乗るから屋根が必要だなんて言うから数日でつけたに違いない……。
そりゃ地球で言えば十月に入っているから日差しも随分和らいでいるとはいえ、ご令嬢達を照り返しもある川で直射日光の下に晒しておくわけにもいかないだろう。でも俺が言った条件に合う船がなかったのか、もしくはそもそもこの辺りでは屋根がついた船なんてものがなかったのか。船を買い取ってから急いでつけたんだろうな……。
「お待ちしておりましたカーン男爵様。私は今日皆様のご案内をいたしますスタニスワフと申します」
「本日はよろしくお願いしますね」
船頭役の男の自己紹介に挨拶を返す。フーゴの報告によるとこの船の元々の持ち主がこのスタニスワフらしい。スタニスワフは元々ハーヴェル川の水運業を営んでいた船乗りらしいけど借金で首がまわらなくなっていたようだ。そこへ偶々今回カンザ商会が船を探していてスタニスワフの船を買い取ることになったという。
船を手放したスタニスワフは借金の大部分は返せたけど生活の糧も失ってしまった。元々ずっと船乗りをしていたのにその船を失ってしまってはスタニスワフはもう稼ぐ方法もなくなってしまったというわけだ。
そこで船を買い取ったカンザ商会はその船を運航する責任者としてスタニスワフを雇うことにした。俺達だけでここらの川を下るのは難しい。仮に操船は出来たとしてもこの川のことについて何も知らない俺達じゃ座礁したりする危険も高いからな。
そんなわけで操船も川を下るルートもスタニスワフに任せて俺達は船に乗り込む。これといって明確な目的はないんだけど折角ハーヴェル川を下るんだから目的の一つに川の視察を加えておく。
もちろん第一は皆と楽しく川遊びすることが目的だ。最近随分涼しくなってきたとはいえまだ多少暑い時もある。とはいえ水遊び出来るほど気温も水温も高くない。朝晩は少し肌寒く感じる時もあるから朝から川を下って日暮れ前までには戻ってくる予定だ。
「へぇ……。こういうのも悪くないわね」
たぶんミコトはアウトドア系ならほとんど何でも良さそうな気もするけど……。
「これくらいなら私もついていけますわね」
チラリと見てみればアレクサンドラもそんなことを言っていた。どうやら気に入ってくれたようだ。船に揺られているだけだから激しい運動や自力での移動もほとんどないし、船には屋根もあるから半分は屋内のような感じもする。これならインドア派のアレクサンドラでも平気そうだった。
「あっ!見て!魚だよ!」
「う~ん……。野営訓練で食べたけどあれはおいしくなかったよ」
「そうかな?ちゃんと泥を抜いたら食べられるよ?」
ルイーザとクラウディアは逞しいな……。川くだりをしているのに魚がおいしいかおいしくないかばかり考えているらしい。確かに地球でも川魚は大概泥臭くて食えたものじゃない。上流や清流にいる川魚はおいしいだろうけど泥に潜るような類の物は癖が強くて好き嫌いが激しいだろう。
皆が思い思いに船に揺られながら景色を楽しみ話を弾ませる。ゆったりした時間が流れていて心休まるというか気が落ち着くというか。日頃の机に噛り付いて書類の山と格闘したり、土と泥に塗れながら木を切ったり穴を掘ったりするのとはまったく違う。
「あそこを越えると湖に入ります。この川は湖が多いんですよ」
「へぇ」
船頭のスタニスワフの解説を聞きながらもう一つの目的も忘れない。どれくらいの規模の船なら通航可能か。運河にするのならばどこに気をつけてどこをどう工事するか。
「あそこだけ急に浅くなっているんです。あそこではたくさんの船が何度も座礁しています」
「なるほど……」
ここから見ても一見してそこが浅瀬になっているとはわからない。慣れた地元の漁師とかなら知っているんだろうけどたまに通るだけの船じゃ気付かなくても止むを得ない。
「スタニスワフさんは随分詳しいのですね」
「ええ、まぁ……。ずっと……、この川で船乗りをしてますから……」
少し悲しげにじっと川を見詰めるスタニスワフの様子を見ながらフーゴの報告を思いだす。
スタニスワフはハーヴェル川の船乗りとしてはかなりの腕前らしい。他の船乗り達にも信頼されていてこの辺りの船乗り達の顔役だったようだ。ただスタニスワフは商才はなかったようで水運業の方はあまりうまくいかなかった。
いくら腕の良い船乗りだったとしても商売まで上手とは限らない。一種の職人気質のスタニスワフは損をしても人のために働いたり、おいしい仕事があっても荷主などが気に入らなければ断ったりという経営を続けたようだ。
そんな商売をしていたものだから自業自得とはいえ仕事も儲けも減り借金をするハメになった。もしかしたらその借金だって本当に全額自分の借金かどうかもわからない。本人が語らないために詳細はわからないらしいけど何だか不審な借金もあったようだ。
そうして借金で水運業を行なっていた会社は潰れ借金を返すために船まで手放すことになった。お人好しで頑固者で商売の才能はないかもしれないけど……、ハーヴェル川の船乗りとしては一流だ。
フーゴが今日の船頭にスタニスワフを紹介したのはそういうことだろうな。俺が気に入ったら雇い入れろということだろう。そしてここまでの案内だけでもスタニスワフの人となりはわかった。
これからハーヴェル川の運河化とハーヴェル川を利用しての水運を行なっていく。そうなると当然ハーヴェル川に詳しい者が必要だ。
「この先にある湖で休憩にしましょう」
「ええ。お任せします」
いくつ目かの湖に入ってから俺達は昼休憩に入った。この世界でも朝晩の二食の生活の者の方が多い。昼に休憩したり少し軽食を口にする者もいるけど貧乏人はほとんど朝晩二食だけだ。ただ余裕があったり生活スタイルが異なる者はそうとも限らない。
例えば学園は昼休みがあり食堂で昼食が食べられる。貴族や商人などの裕福な家は昼に何か食べる家も多い。それから農家なんかは自分の畑で採れた物なんかを食べたりもする。重労働で肉体労働の農作業は体が大変だしお腹も空くから簡単な物を食べるケースもあるようだ。
あれ?そうなると結構な数が昼食を食べてるんじゃ……?と思うかもしれないけどそんなことはない。貧しい農家では昼食を食べる余裕はないから結局朝晩だけだ。貴族は学園で昼食があるからその習慣が身に付いていて卒業後も昼食を食べるようになるらしい。やっぱり子供の時からの習慣というのは影響が大きいと改めて思った。
「お昼はどうするの?魚を獲る?」
「ミコト……」
どうしてそうミコトはサバイバルをしたがるのか……。そりゃこれだけ泳いでいるんだから獲りたきゃ獲れば良いかもしれないけど、わざわざ魚を獲る必要はないだろう?
「臭みを取るためには時間がかかるし香草とかもいるよ?」
「そっか……」
ルイーザの言葉にミコトは残念そうにしていた。でも何でそこまでサバイバルしたいんだ?ミコトの気持ちはまったくわからない。俺も前世からインドア派だからか?
「今日はお弁当がありますから……」
「本当!フロトのお弁当があるならそう言ってよね!さぁ食べましょ!」
現金なやっちゃ……。まぁいいけど。
「スタニスワフさんもこれをどうぞ」
「えっ!?あっ、いや……、私は……」
俺が一つ弁当を勧めるとスタニスワフは困惑した顔をしていた。そりゃいきなり見ず知らずの人に弁当を差し出されたら困惑するわな。
「遠慮なさらないでください。これは今日船頭の方が居られると聞いて用意してきたものです。スタニスワフさんが食べてくださらないと余ってしまいます」
「それは……、ありがとうございます」
そこまで言うとようやく受け取ってくれた。皆がご飯を食べているのに一人だけご飯もなく見ているだけとかこっちのご飯までまずくなってしまうからな。いることがわかっているのなら席を一緒にしなくとも食事くらいはきちんと食べてもらいたい。
そんなわけで皆で昼食を食べ、午後からどうしようかと話し合っていた。
「午後から引き返しますか?」
「私は行ける所まで行きたいわ!」
馬車もついてきているから最悪の場合はいつでも陸路に切り替えられる。ここまでは下りだったけど下りすぎて上りになったら帰りに間に合わない可能性もあるからだ。でも逆にいつでも馬車で帰れるということでミコトはもっと先へと主張し出した。
「僕達はどっちでもいいからフロトとミコトで決めてよ」
他のメンバーは我関せずだな……。ミコトはもっとギリギリまで下っていきたいという。俺は当初の予定通り午後から引き返したらどうかと話は平行線になりそうだったその時……。
「カーン男爵様!」
早馬が駆けてきて俺の前に兵士が転がるように駆け込んで来た。カーン家オリヴァー隊の兵士の一人だ。これだけ慌ててきたということは相当大変なことがあったんだろう。
「ケーニグスベルクが……、ケーニグスベルクがポルスキー王国の兵に包囲されております!」
「――ッ!」
その報告を聞いてこの場に緊張が走ったのだった。




