第二百三十一話「台地視察!」
ここ連日毎日忙しい。学園が終わったらすぐに帰って来て書類の山と格闘だ。それ以外にも様々な会議があるので書類仕事だけしていれば良いというものでもない。会議だって部下達がプレゼンするのを聞いていれば良いだけというものじゃない。俺もあれこれ考えなければならないから毎日いつも何かを考えている気がする。
そういえば学園の授業中だってずっと仕事のことばかり考えているような気がするな……。俺の心が休まる時はない。最近では夢の中まで働いている夢をみてうなされているようだ。
「楽しそうですねフローラ様」
「楽しいわけないでしょう?毎日毎日寝る暇もありませんよ」
カタリーナの言葉に肩を竦めて答える。楽しいわけがない。毎日毎日忙しくて忙しくてお嫁さん達と遊ぶ暇もない。今日も今から執務室で仕事の山が……。
「あらぁ~、おかえりなさいませフローラ様」
「クレメンティーネ様、御機嫌よう」
俺が帰るとクレメンティーネが真っ赤なドレスを着てエントランスホールに居た。あれは少し前に俺がクレメンティーネに贈った衣装だ。
少し前にヘルムートとロイス子爵家の面々はラインゲン侯爵家を訪ねて正式にヘルムートとクリスタの婚約を決めてきた。その時にヘルムートとハインリヒ三世には衣装を贈ったのにクレメンティーネだけ何もなしというのもおかしいからドレスを一着プレゼントしたというわけだ。
もちろん寸法は直したけど突然作った急造の品というわけじゃない。あれはカンザ商会王都支店一号店でディスプレイされていたもの、つまり展示品をクレメンティーネ用に直したものだ。
この世界でも昔の地球でも基本的に服といえばほとんどオーダーメイドばかりだった。だから服を買うというのは非常に高価な買い物で時間もかかるものだった。
地球でも既製服が大量に出回り出したのは産業革命以降の工場で機械による大量生産がされるようになってからのことだ。それまでは地球でもほとんどオーダーメイドだった。当然地球の産業革命よりも遥かに文明の劣るこの世界でも服はオーダーメイドが中心になっている。
ただオーダーメイドといっても流行はあってもどんな服のデザインがあるかは示してやらないことにはわかりようがない。注文する方が明確なビジョンを持っていて『こういうデザインの服が欲しい』というのなら良いけど、ほとんどの客は自分で服のデザインなんて出来ない。
ほとんどの客は現在主流のデザインや誰かが着ていた物を参考にしたデザインばかりを注文する。それだと無難で似通った意匠ばかりで面白くない。
そこでカンザ商会では展示品としてこちらがデザインした新しい意匠を取り入れた衣類をいくつか作り、実際に店頭で展示することで客に『こういう意匠もありますよ』と提案しているというわけだ。
ラインゲン家を訪れるために王都まで来たロイス子爵家のために男性用の正装二着はカーンブルク滞在中にすでに作っていた。男性二人はそれを着ていくのにクレメンティーネだけ何もなしというわけにもいかないので、王都に来てからすぐにカンザ商会に向かいその時ディスプレイしていた展示品を買い取り寸法を直して贈ることにした。
新しくクレメンティーネのために作らせた一品ではなくディスプレイ用の物だったから悪い気はしたけど、クレメンティーネは気に入ってくれたようでカタリーナやヘルムートからも『母が喜んで御礼を言っています』と何度も報告されている。
「本当にこんな素晴らしい物をいただいてもよろしいのですか?」
「ええ。それはもともと商会で展示していた物でクレメンティーネ様のためにご用意した一品ではありませんので申し訳ないくらいです。もう一着、今度はクレメンティーネ様のためにご用意いたしましょう」
ハインリヒ三世とヘルムートには専用に一着作って用意したのにクレメンティーネだけ展示品の流用では申し訳ない。王都に来てからすぐに用意しなければならなかったから間に合わせでこれを贈ったけど、今度はきちんと専用に一着用意するとしよう。
「フローラ様、母を甘やかすのはよくありません。あれも回収するべきです」
「カタリーナ……」
俺とクレメンティーネのやり取りを聞いて後ろに控えるカタリーナがそんなことを言い出した。何でカタリーナはそんなことを言うんだ。
「おかえりなさいフローラちゃん。クレメンティーネはまたそれを着ているのかしら?随分気に入ったのねぇ……。フローラちゃん、お母様も……」
「駄目です」
最後まで言わせない。俺達がエントランスホールで話しているのを聞きつけて出て来た母が言おうとしたことを途中で遮る。
「フローラちゃん、お母……」
「駄目です」
「…………」
「……」
母が言おうとしていることは聞くまでもなくわかっている。もう何度も言われた。だけど駄目だ。
「フロー……」
「駄目です」
「まだ何も言ってないわぁ!」
「言われることはわかっていますので……」
母は自分も新しいドレスが欲しいと言おうとしているだけだ。もう何度も聞かされた。だけど駄目だ。
「どうしてぇ?お母様も新しい衣装が欲しいわ!こういう可愛いのが欲しいの!」
「駄目です」
ピシャリと言い切ると母はショックを受けた顔をしてヨロヨロと後ずさっていた。
「クレメンティーネには贈る約束をしているのにどうしてお母様にはくれないの!?」
「お母様はもう何十着も持っておられるでしょう?」
「「…………」」
クレメンティーネに贈ったのはロイス子爵家の面々が正装してラインゲン家を訪ねるために贈ったものだ。そしてもう一着きちんと用意しようと言っているのはヘルムートの婚約祝いという意味も含まれている。
それに比べて母は別に衣装を贈る理由がない。そもそも母は前回王都にいた頃から何度も俺に新しいドレスをねだっては受け取っている。もうその出費だけでも結構馬鹿にならない額に達しているのにそんなに毎回毎回贈るわけにはいかない。
「そもそもどこへも着て行かれていないではないですか。死蔵するくらいならお母様に贈るよりもきちんと着てくださる方に贈ります」
そう……。これも問題だ。母にねだられるままにドレスをプレゼントしてもほとんど着ていかない。タンスの肥やしになるくらいならちゃんと着てくれる人に贈らないとドレスも可哀想だ。
「だってだってぇ!引っ掛けて破れたり汚したりしては大変でしょう?」
「ですから……、衣装は着られるためにあるのです。使われない道具ほど可哀想なものはありません。お母様はまずきちんと今まで贈られた衣装を着て使ってあげてください。これ以上増やしても着られないのでしたら意味はありません」
クレメンティーネはよほど気に入ってくれたのかこのドレスを出してきてはよく着ている。外にはあまり出ていかないようだけど着替えて鏡の前でニヤニヤしてからまた丁寧に仕舞っているそうだ。俺は見たことがないけどカタリーナが言っていた。それに比べて母はずっとタンスに仕舞いこんでいるだけで着ている所も見たことがない。
「汚れたり破れたりすればこちらで汚れを落としたり直したりします。ですからまずは今ある分をきちんと使ってあげてください。でなければこれ以上お母様に衣装を贈るわけにはまいりません」
あまり甘やかしていては駄目だ。母のためにもならない……。あっ!そうか……。
カタリーナが俺にさっき言ったのもそういうことか。俺が今母を甘やかすのはよくないと厳しく接しているのと同じように、カタリーナも自分の母親があまり甘やかされたら良くないと思って俺に注意したんだな。それならわか……。
「お母様、今すぐそれを脱いで私にください」
「駄目よ。これは私がいただいたんだもの」
「フローラ様からの贈り物……。フローラ様からの贈り物……。私も……」
カタリーナがブツブツと何かを言っている。怖い……。自分の母親にまでドレスを脱げと言っている。あれは決して俺が考えていたような甘やかしたら駄目だからとかそういうのじゃない気がするぞ……。
「わかったわフローラちゃん!それならお母様もちゃんと着ます!それなら良いのよね?さぁ!クレメンティーネ!私も着替えてくるから二人でお出かけしましょう!そして新しい衣装をフローラちゃんに貰うのよ!」
「あの……、私は……」
クレメンティーネが何か言おうとしているけど多分無駄だな。ああなった母は止められない。もうすぐ夕食の時間だけどきっと今日の夕食には母とクレメンティーネはいないだろう。それだけは確信出来た。
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王様とディートリヒの策略によってここ何日かは随分とバタバタしたけどそれもかなり落ち着いてきた。後は与えられた領地の開発に取り掛かるだけだ。
カーン男爵領シャルロッテンブルクは一先ずカーン家の研究所と実験場を作る。領地と言うには少々狭いけど町を作れるくらいには広さがあるから他にも色々と建てていこうとは思う。
シャルロッテンブルクも独自予算でやり繰り出来るように何らかの開発は必要だ。最初のうちはある程度他の領地や商会からの利益で投資する必要はあるけど永遠にそのままというわけにもいかない。現地を視察しながら色々と割り当てを考える。
「やはり直接出向いてよかったですね。地図を見て説明を聞いていただけの時とは随分印象が違います」
カーン男爵領については執務室で色々話を聞いたり会議を重ねてきたけど実際に出向いたのは今日が初めてだ。そしてやっぱり来てよかったと思える。
台地と言えばギアナ高地のような上が平坦で側面が切り立っている卓状のものを想像するだろう。それに比べてテルトゥー台地は側面もそれほど切り立っていないし上も森が広がっていて平坦なのかどうかも一目ではわかりにくい。ただの小さな山、小高い丘、という程度にしか感じない。
もちろんイメージする通りの切り立った崖になっている部分もあるけど全体的にはただの小さな山という感じだ。これなら色々と利用方法もあるかもしれない。
まずこれらの崖などを利用して外敵に侵入されにくく守りやすい立地に研究所と実験場を作ろう。ついでにそれを守る兵が駐留する砦も一体化しておけば良いだろう。
あまり砦化してたら他の貴族や王家から反乱を疑われるかもしれない、なんて心配はない。何しろ王様がここに領地を与えたんだ。他の貴族からすればむしろカーン男爵家はここで王都を守れと言われたと受け取るだろう。だからここに城塞を構えても誰憚ることもない。
くっくっくっ!だから誰にも遠慮することなくここに秘密基地を作ってやる!やっぱり崖下への抜け道とかもある方が良いかな?そこを攻められた困るけど崖の上にある城塞から崖下への秘密の抜け道は基本だよな!
王都から少し離れた山奥にひっそりと立てられた怪しげな施設。そこでは夜な夜な世に出せない秘密の実験が繰り返されていた。その秘密を探るべく侵入しようとした密偵達は悉く帰らず誰一人中の情報を持って帰った者はいない……。
いい!すごくいい!何か悪の秘密結社みたいだ!
あとその施設を守るためにカモフラージュとして麓の離れた場所に村があり、謎の施設を探るために訪れた者達は滞在したその村ですでに徹底的にマークされているのだ……。
おお!今日の俺は冴えているな!ということはやっぱり村も作ろう!そして村人達には研究内容は知らせないけど秘密施設を守るのに協力させるんだ!施設を探りに来た者とかがいるとこっそり報告させて……。うひっ!何か楽しくなってきたぞ!
「守りやすい堅牢な地に研究所と実験場を作りましょう。そこを要塞化して守備隊も置きます」
「はっ……、ですがそれでは予算と時間がかかりますが……」
「構いません。中途半端なものを作るよりも妥協せずにきちんとしましょう。後で改修となるほうが手間です。最初にきちんとしている方が後々の手間も減るでしょう」
現地を歩いて地形を調査しつつ専門家達も交えて大まかな計画を練っていく。要塞の建設予定地にある程度目処がついたら今度は村だ。
「この辺りを開墾して村を作れませんか?」
「はぁ……、この辺りは雨が少なく水捌けが悪いので度々水浸しになっておりますが……」
なるほどな……。台地というのは水の確保にデメリットがあったりするとも言うしな。それに変な地形だと水が溜まって抜け難いとかもあるだろう。歴史的に人が住んでいない地域というのはそれだけ何かがあるということだ。この近辺に昔から人が住んでいないというのは住めないだけの理由がある証拠だろう。
「それでは向こうはどうですか?あちらを拓いて村を作り畑は向こうに……」
「開拓・開墾は可能だと思いますが作物の収穫は期待出来ないかもしれません……」
まぁ素人の思いつきでそう簡単にはいかないわな。ただ小麦や芋を作って自給自足は難しくてもここでも栽培出来る物を作ったりして王都と取引すれば良い。
普通の開拓民や領主はそこだけで経済を考えるかもしれないけどうちは違う。そこで全てを賄う必要もない。何なら生活に必要な食料品はルイーザが勤めている牧場や農場から仕入れれば良い。重要なのはそこで何らかの糧を得られるかどうかだ。
完全に特産品の生産に特化して生活品や食料品は全て輸入に頼るというのも不可能じゃない。何しろいざとなったら王都に行くのもすぐそこだ。食料品の輸送が滞って飢えて死ぬなんてことはまずないだろう。
担当官や専門家も交えてあれこれと話している間に徐々に意見が固まりだした。テルトゥー台地の開発も進められそうだ。




