第二十三話「初恋は実らない!」
ルイーザはベッドの上でゴロゴロと身悶えていた。
「ちょっとねぇちゃん!痛い!」
「狭いのに動かないで!」
兄弟姉妹達に大顰蹙を買うがルイーザの耳には届かない。狭い寝床で大勢の兄弟達が一緒に眠っているのにルイーザがゴロゴロと寝返りを打って身悶えてみれば周囲の兄弟からすれば良い迷惑だ。
あの日フロトと名乗った騎士見習いの少年と出会ってからルイーザの毎日は輝いていた。あの日だけではなくあれ以来毎日フロトは巡回で農場に来るとそのまま残って農作業をするようになった。そしてフロトは何故かよくルイーザに話しかけてくる。
偶々最初に話したのがルイーザだったから?それとも子供達のまとめ役だと最初に言ったから?いいや。違うはずだ。他の者達とも普通に話していたし指導を仰ぐなら老農夫達に聞けば良い。親しくするならもっと歳の近い子達もいる。わざわざルイーザである必要はない。
では何故毎日のようにルイーザと親しく話しているのか?それはもしかしてフロトがルイーザのことを好きだからではないか?そんなことを考えながら夜も眠れずこうして身悶えているのだ。
生活が楽になっただけじゃなくて見目麗しい騎士見習いと恋まで芽生えるかもしれない。そんなことを思いながら今日もルイーザは幸せな夢を見ていたのだった。
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フロトが農場に顔を出すようになって数ヶ月が経過していた。最初の頃に急にフロトの元気がない日が続いていたがルイーザが頻繁に話しかけているうちにフロトも徐々に元気を取り戻していた。
ルイーザには何故フロトの元気がなかったのかはわからない。ただフロトが悲しそうに笑っている姿を見て胸の奥が痛くなったルイーザはとにかく必死でフロトを元気付けようと話しかけまくった。何がフロトに受けてフロトが元気を取り戻したのかはわからない。ただフロトが元気を取り戻してくれてよかったという思いだけだ。
そうして徐々にお互いの距離が縮まってきたある日フロトに言われて農場の仕事が終わってから少し残っていた。森と農場がある平原とを隔てる小川の土手に二人で並んで座る。
もしかして愛の告白でもされるんじゃ……。
なんて思うとルイーザはソワソワして落ち着かない。顔から火が出そうなほどに火照って心臓がバクバク音を出している。
横に座って森の方を見ながら真剣な表情をしているフロトの横顔は美しい。まるで何処かの絵画を切り取ってきたかのような神秘的な美しさに目を奪われる。
何か言おうとしてはやめて考え込んでるフロトの言葉を待ち続ける。ドキドキしながらその瞬間を待っていたルイーザに向かって意を決したフロトは向き直り真剣な表情で語り始めた。
「ルイーザ……、君は魔法の才能がある。魔法が身に付けば何かと助けになるだろう。よければ僕がルイーザに魔法を教えようか?」
「……………………はい?」
長い沈黙のあとルイーザはようやく間の抜けた返事を返すので精一杯だった。言われていることの意味がよくわからない。
「そうか……。それじゃ今度から僕が魔法を教えるよ」
「…………ええ?」
「じゃあ明日から農場の仕事が終わったらここでやろう!それじゃまた明日!」
「……うん?」
それだけ言うとフロトは良い笑顔で手を振りながら帰って行った。ルイーザには未だにフロトの言葉の意味がよくわからない。
ま・ほ・う?魔法?魔法が使える?一般庶民どころか貴族でも使えない者もいるというのに貧民の子供でしかない自分が魔法の才能がある?何の冗談だ?
ルイーザの頭の中ではそんな問答が繰り返されていた。魔法は血筋によってしか使えないというのは貧民でも知っている常識だ。どれほど遡ろうと親戚中を探そうとルイーザのような貧民の家に高貴なる血が入っているはずなどない。それくらいはルイーザにもわかる。
そもそも自分はフロトにYesとは答えていないのにいつの間にかフロトに魔法を習うことになっている。『はい?』と問い返したつもりが『はい』に、『ええ?』と漏らしただけが『ええ』に、『うん?』と首を捻っただけが『うん』に受け取られたのだろう。
まったく……、フロトも人の話を聞かないものだと思いながら首を振る。
「ふぅ……、まったくフロトったら……。………………………………って、えええぇぇぇぇぇっ!!!」
今頃になってようやくパニックになったルイーザの叫びが北の森に木霊していた。
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フロトに魔法を教えてもらうようになってから数ヶ月が経過していた。その間二人は毎日農場での仕事が終わると仲良く土手に並んで座って一緒に過ごしていた。ルイーザからすれば魔法の授業などよりもこうしてフロトと二人っきりというのが何よりの楽しみだった。もうこれはちょっとしたデートだよね、なんて思いながら妄想が捗る。
しかし何より驚いたのは本当にルイーザが魔法を使えたことだった。最初はただ二人でこうして会うための口実として魔法の勉強だと言い出したのかと思ったけどそうではなかったのだ。暫くフロトに魔法を習っている間に本当にルイーザは魔法が使えるようになっていた。
「ほら、もっと集中して」
「うっ、うん……」
考え事をしているとフロトに怒られた。でも集中出来るわけがない。思春期の女の子が好きな男の子とこうして並んで座っていて、しかも手を重ねていればドキドキしてそれどころじゃない。それでも何とか魔法に集中しているとルイーザの手から水が流れ出た。
「成功だ!やったね!」
「本当に……、すごい……」
今までは小さな灯火を灯したり弱い風を一瞬起こしたりと小さな魔法しか使えなかった。だけどフロトに言われた通りに魔法の勉強をしているうちに徐々に強い魔法も使えるようになってきている。徐々に魔法が身に付いてきているのがわかった。
フロトは実践的な魔法の練習だけではなく座学的なことも教えている。二人には自覚はなかったがルイーザはすでにそこらの魔法使いよりもよほど強い魔力と魔法に対する知識を有していたのだった。
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最近のルイーザは前にも増して充実した日々を送っていた。農場のお給金のお陰で家族の生活は楽になり、魔法を教えてもらったことで将来の可能性もかなり増えた。そして何より大好きな男の子と毎日楽しく過ごしている。こんな贅沢が許されて良いのだろうかとすら思う。少し前の貧民街での生活からは考えられない。
もっともっと魔法を磨いていけば……、自分でも下級貴族の家にならば入り込めるかもしれない。そう、大好きな彼の、騎士爵家くらいにならば……。
優れた魔法使いは貴族家に囲われることもしばしばだ。男ならば家臣として、女ならば愛人として、貴族の家に入り込むことが出来る。普通ならばそれほど美人でもない貧民の娘など下級貴族の騎士爵家や男爵家であろうとも相手にもされないだろう。しかし高い能力を持つ魔法使いにさえなれれば……。
フロトにそれとなく聞いてみたらどこの貴族でも引く手数多だと答えてくれた。多少は贔屓目やお世辞も入っているだろうがどこでもとは言わずとも下級貴族家ならば可能性は高いかもしれない。
正妻にはなれなくとも……、いつか大好きな彼の愛人としてでも良いから共に暮らしたい。そう思って今日もルイーザは魔法の勉強に励んでいたのだった。
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そんな平穏な日々もある日突然崩れ去る。森の奥から熊のようなモンスターが農場を睨んでいた。
怖い。
ルイーザは怖くて足が竦んで動けなかった。それでも彼の腕を掴んでいると震えが止まって何とか泣き出さずに済んだ。彼の言葉に従って子供達を誘導して町へと脱出する。この場に留まっていても彼の邪魔になるだけだ。自分達がいては彼も逃げ出すことは出来ない。
そう思ってそっと子供達もモンスターも刺激しないようにこの場から離脱しようとしていたのに子供がモンスターに気付いて泣き出してしまった。自分の落ち度だが悔やんでいる暇はない。とにかく子供達を連れて町へと急いだ。
そして町へと急ぎながら後ろを振り返る。そこにはモンスターと戦っている彼の姿があった。自分が子供達を泣かせずモンスターを刺激しなければ彼が矢面に立って戦う必要はなかったかもしれない。悔やむ気持ちはあるが今はとにかく子供達を避難させて彼にも脱出してもらおう。そう思っていたのに……。
「――フロトっ!!!」
うまく剣でモンスターの攻撃を捌いていたフロトもついに攻撃を受けて吹き飛ばされてしまっていた。
「駄目だルイーザ!戻れ!」
農作業を指導してくれている老農夫達の制止を振り切りルイーザは愛しい彼のもとに向かって駆け出していた。彼の前にいつも彼の身辺警護をしている兵士と見たこともない少年が立ち塞がりモンスターと対峙している。だけどモンスターを止められそうには見えない。
モンスターが手を振り上げて前に立ち塞がった者達を薙ぎ払おうとしたまさにその時、突然モンスターは巨大な火柱に包まれて、炎が消えた後には何も残っていなかったのだった。それを見てルイーザも他の面々も全員が呆然とする。何が起こったのか理解出来ない。
「フローラ!今のはフローラがやったのか?……おい?フローラ?大丈夫か?」
「大……丈夫……です。ルートヴィヒ……殿下」
そんな状況でただ一人、フロトの前に立ってモンスターから庇った少年だけはすぐに振り返りフロトの心配をしていた。ルイーザもようやく我に返り脳が働き出す。
「フロ……ト?……フロトは女の子だったの?……それに殿下って?フローラって?……もしかして!カーザース家のフローラ様?フロトが?どうして?どういうことよ!アタシたちを騙していたの?」
「あっ……、ルイーザ?」
どんな日でもフロトは兜を脱ぐことはなかった。鎧も全て脱がないから当たり前のように思っていたが兜くらいなら脱いで横に置いていてもおかしくはない。それなのにルイーザと勉強している時もいつも絶対に兜を脱ぐことはなかった。
その兜が脱げるとフロトの髪が流れ落ちてきた。長い、長い綺麗な金髪。まるで美しい彫刻か女の子かと見紛うほどの美形だとは思っていた。何のことはない。女の子だったのだ。フロトは女の子だった。
いくらルイーザでも『殿下』という言葉の意味くらいわかる。そしてこちらも美しい顔立ちをした『殿下』に抱えられている美少女『フローラ』……。自分の領地の領主やその一家の名前くらいは知っている。カーザース辺境伯家の長女フローラがルートヴィヒ殿下と婚約したという話は貧民街でも噂になっていたのだ。
聡明そうな美少年に抱えられた美少女。その姿があまりにお似合いすぎてルイーザは頭が真っ白になった。悔しくともその二人の間に自分が割って入るような余地など見えなかった。だから何かひどいことを口走ってその場から走り去ってしまったのだった。
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農場にモンスターの襲撃があってから一週間、ルイーザはずっと仕事を休んでいた。農場にモンスターが出たことは知らされているので老農夫達や両親達もルイーザに厳しいことは言わない。幼い子供が怖い目に遭えばそういう風になっても仕方がないということくらいは誰でも思い至る。暫く様子を見るということになってルイーザはただの休みとして扱われていた。
一週間ルイーザはひたすら考えていた。フロトのこと、フローラのことを……。そしてやっぱりそれでもフロトが、いや、フローラが好きだという気持ちに嘘はないと覚悟を決めた。
謝ろう。会ってあの時ひどいことを言ったことを謝って助けてくれたお礼を言おう。そうすればこれからもまた今までのように……、恋人のようにはなれなくともせめて友達としてくらいは……。
そう思って翌日から農場の仕事に出ることにしたのだった。
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ルイーザが農場の仕事に復帰してから一週間が経った。しかしその間にフロト、フローラは一度も現れなかった。その時ようやくルイーザは自分がどれだけフローラにひどいことをしたのか自覚した。あれだけ良くしてくれたフローラに対し、命を賭けてルイーザ達を庇って戦ってくれたフローラに対して……、自分は何を言ったのか?それを聞かされてフローラはどう思うのか?ようやく思い至った。
「ふっ……、あはっ…………、あははははははっ!!!」
ルイーザは笑いながら涙を流し誰もいない農場で泣き崩れた。
せめて友達のように?何を都合の良いことを……。守ってくれたフローラを傷つけさらに追い詰めたのは一体誰なのか。そんな自分に再び会いに来てくれるなどそんな都合の良いことがあるはずもない。
散々涙を流したルイーザは一つの決心をして立ち上がる。
そうだ。自分はとんでもないことをしてしまった。もう取り返しがつかない。でもせめて、それでも、今でも大好きなあの人の手助けになれるように……、いつかあの人にこの恩を返せるように……、あの人がくれた魔法に磨きをかけてその時を待つ。
この日からルイーザは今まで以上に魔法の勉強に打ち込むようになったのだった。
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兵を連れて遅れてやってきたアルベルト辺境伯は担架に乗せられたフローラを見送る。右上腕部分の鎧がひしゃげている。右腕に攻撃を受けて吹き飛ばされたのだろうことが容易に想像出来た。
狂い角熊と言えば凶暴なモンスターで有名だ。強さはともかく危険度という意味ではこの辺りでは一、二を争う危険度のモンスターである。アルベルトも一対一ならば十回戦えば十回勝てる自信はあるがやりたくはない。万が一にも一発でももらえば即座に負けてしまう危険なモンスターだ。配下を連れて確実に勝てる戦いならば良いが命を賭けて戦えば実力では勝っていても一つのミスで殺されてしまう危険がある。
そもそも狂い角熊は硬い体毛に覆われている上に厚い脂肪がついておりちょっとやそっとの攻撃ではダメージを与えることすら出来ない。剛剣を振るうアルベルトだからこそダメージを与えられるのであって普通の兵士の槍で突いたくらいではダメージを与えられないこともままある話だ。
フローラの剣捌きに関していえばアルベルトも認めている。しかしあの細腕で狂い角熊にダメージを与えられるとは思えない。実力で言えばフローラの方が角熊よりも上であろうがダメージを与える術がなく、一撃でも貰えば致命傷という状況で実戦経験の乏しいフローラが戦えばよくぞ生き残ったというべきだろう。
折れて落ちている剣を拾い上げる。刃は潰したように削られて切る用途には一切使えないようになっていた。相当フローラが角熊の攻撃を捌いて受け流していた証拠だろう。その剣も途中でポッキリ折れてしまっている。
そして地面に残る焦げた跡とガラス状に融けた地面を見てゾッとする。もしこの威力の魔法が人間や街に向かって行使されたならば……。それを想像すると歴戦の猛将であるアルベルトですらゾッとしてくるのだ。
「ほうっ!これは素晴らしい!」
「……検分は任せる」
フローラの火の魔法で焦げた地面を見ながらうっとりしているクリストフと他数名の部下に検分を任せたアルベルトはその場を離れて少しだけ北の森の方へ向かう。
「(ルートヴィヒ第三王子の訪問の日に、偶々、丁度、普段滅多に出ないモンスターが出る……、か……)」
今日はルートヴィヒ第三王子がカーザース辺境伯家を訪ねて来る日だった。フローラを驚かせたいからフローラには内密にとルートヴィヒに言われていたのでフローラだけには知らせていなかった。しかし家人達は全員ルートヴィヒを迎えるために当然知っていた。
そんな日に、普段滅多に出ないはずの狂い角熊という珍しいモンスターが、巡回の兵士達が去っていってすぐだというのにこんな森のはずれまでやってくる。偶然と言うにはあまりに出来すぎている。
もちろん第三王子を暗殺しようなどという馬鹿がそうそういるとは思えない。ただ今回の出来事がただの偶然と言うにはあまりに不自然な点が多いのは事実だ。
「少し……、調査する必要がありそうだな……」
アルベルトの呟きは一瞬吹いた突風で誰にも聞かれることなく空へと溶けていったのだった。




