第二百二十九話「勘違いの連鎖!」
あり得ない。あまりの現実味のなさに頭が理解することを拒否しているかのようだった。もしここで跪けと言われたら黙って従い跪いていたことだろう。この子爵家を名乗る一家が、実は公爵家だと言われた方がまだしっくりくる。
巨額詐欺事件を働き贅の限りを尽くしていたバイエン公爵アルトが着ていた服よりもずっと素晴らしいものにしか見えない。いや、実際にそうだろう。
確かに装飾は子爵家のそれになっている。しかしハインリヒ三世が着ている物もヘルムートが着ている物も細かく作りこまれた美しい装飾にあちこちに刺繍が施されている。馬車と同じく派手すぎないために一見地味でそれほど目を引くものではないような気がするがとんでもない。
見えない所、目立たない所にこそ力を入れるものだと言わんばかりによく作りこまれたその衣装は全盛期のラインゲン家でも入手困難な代物だろう。それが少なくとも二着だ。ハインリヒ三世だけが着ているのならば家の全てを注いで当主だけが素晴らしい出来栄えのものを着ているということになる。
しかし同程度の物をヘルムートも着ているのだ。つまりこの時点で最低でも二着はこのレベルの物を用意出来るだけの力を持つ家だということになる。
到底信じられない。子爵家でそんなことが出来る家などプロイス王国中、いや、近隣諸国に至るまで全てを探しても見つからないだろう。だからこそ子爵家ではなく実は公爵家だと言われた方がまだしっくりくると思ったのだ。
そしてハインリヒ三世の隣に立つ美しい女性。ヘルムートの母だと紹介されたクレメンティーネだ。もちろんクレメンティーネ自身が年の割に若く美しいというのもあるが問題はそんなことではない。問題はクレメンティーネが着ている衣装だ。
真っ赤な生地に金糸をふんだんに使って刺繍が施されている。腰の辺りからフワリと大きく膨らみ、袖の丈は若干短く袖口は大きく開いている。レースやフリルもふんだんに使われており馬車や男性二人に比べて見るからに派手だった。
しかしその派手さも嫌味ではなく着ているクレメンティーネの美しさとスタイルの良さも相俟って見る者全ての羨望を集めることだろう。
また生地は特殊な光沢を放っており、見る者が見ればそれが絹で織られていることがわかるだろう。稀少な絹の生地を使い、金糸でこれでもかと刺繍を施し、細かい出来のレースをふんだんに使う。またキラキラと随所に小さいながらも宝石が散りばめられており、その衣装一着で大豪邸が買えるほどの金額なのは疑いの余地がない。
家族三人が揃いも揃ってそんな格好をしているのだ。誰がそれを見て子爵がやってきたと思うだろうか。
「はぁ……、素敵ですねぇ……」
「ありがとうございます」
マリアンネはクレメンティーネの衣装を見てうっとりしていた。こちらは呆然としているというのに女は強いというか何というか。主人達を放って二人はその衣装について色々と言葉を交わしていた。暫く呆然としていたカールはようやく我に返ってハインリヒ三世やヘルムートを家の中へと誘う。
「……はっ!これは申し訳ない。さぁどうぞ。中で話しましょう」
「ありがとうございます」
ハインリヒ三世との距離感を掴みかねているカールは下手に出た方が良いのか、普通に接した方が良いのかわからないままロイス家の面々を迎え入れたのだった。
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応接室でお茶を飲んで少し落ち着いてから話を切り出す。
「それでは本題に入りたいと思いますがよろしいですかな?」
「はい」
カールの言葉にハインリヒ三世もティーカップを置いて答えた。この場にいるのはラインゲン家側は現当主カール、妻マリアンネ、そして結婚する本人であるクリスティアーネ。対するロイス家は当主ハインリヒ三世にその妻クレメンティーネ、そして結婚する本人であるヘルムートだ。
本来貴族の結婚に本人の意思や同意は必要ない。両親によって勝手に結婚を決められて結婚式当日に初めて相手と会ったという者もいるくらいだ。しかし今回両者はすでに顔見知りどころか両思いである。むしろ今回の結婚は二人の意思に両家が引っ張られて合意しようとしているようなものだろう。
話し合いとは言ってもすでに結婚は規定路線なので揉めることはほとんどない。また政略的な意味もそれほどない結婚なので権利や密約についても話し合う必要はなかった。
ただこの話し合いでは最初にヘルムートとクリスティアーネの意思が確認されて、ラインゲン家から持って行く嫁入り道具や持参金について話し合われた。
クリスティアーネが現在使っている家財道具はそのまま持っていってもらえば良い。他に娘のいないラインゲン家にクリスティアーネの家具や道具が残されても使い道はないからだ。しかし多額の持参金を持たせるのは難しいと言わざるを得ない。
もともとこの国での持参金の制度は男性側の家格に応じて嫁ぐ女性側がある程度の相場の金額を持って嫁入りするというものだ。だから子爵家であるロイス家に嫁入りするのならば持参金の額は侯爵家からすればそれほど飛び抜けて高いということはない。
しかし……、である。
ロイス子爵家三人の服装を見て……、乗ってきた馬車を見て……、それで普通の子爵家相手の相場で済ませて良いのかという考えがカールの頭によぎる。
もちろん例え公爵家並の資産を持つ家だったとしても相手が子爵家であることに変わりはない。子爵家相手の相場で済ませても何ら問題はないだろう。
ただし見栄というものはある。例え傾きかかっていて、これから確実にさらに状況が悪くなるとわかっているラインゲン家であろうとも、侯爵家としての矜持が、誇りがある。それに犬猫の子をやるのとは違うのだ。可愛い一人娘を嫁がせるのに恥をかかせるわけにはいかないという気持ちもある。
そこで少しばかり探りを入れてみようかとカールはヘルムートの仕事について話題を振ってみた。
「ところで……、ヘルムート君はカーザース辺境伯家のご令嬢付きの執事をしているのだよね?」
「いえ、先日正式にカーザース辺境伯家に仕える身ではなくフローラ様の直臣となりました」
「……………………ん?」
暫く考えてから……、やっぱりそれでもわからずカールが首を傾げる。どこの家も制度は変わらないだろう。つまりラインゲン家で言えばクリスタ付きにさせている執事やメイドが、ラインゲン家に仕える身分ではなくクリスタに仕える直臣になった……、と言われてもやっぱり意味がわからない。
ご令嬢付きになった、というのなら意味はわかる。カーザース辺境伯家の家臣だがそのご令嬢付きの執事になりました、と言われたら……。しかしカーザース辺境伯家に仕える身からフローラというご令嬢の家臣になりましたと言われて意味がわかる者が存在するだろうか。
カールがクリスタの方を見てみても、ハインリヒ三世の方を見てみても、カールとマリアンネ以外は皆落ち着いている。ヘルムートが何か勘違いしておかしなことを言ったのなら誰かが注意するだろう。しかしそれが一切ない。全員が当然のこととして受け止めている。
言い間違いや勘違いでないのなら、信じ難いことではあるが、そうなのだろう。未だによくわかっていないがどうやらヘルムートはフローラというご令嬢の直臣ということらしい。
まぁ別にそれは良い。立場上どういう立場であろうともカーザース辺境伯家の後ろ盾があることには間違いないのだろう。でなければハインリヒ三世もこんなに落ち着いているはずはない。仮にも侯爵家の娘を嫁に貰おうとしているのだ。ヘルムートの立場や地位がしっかりしていなければ到底受けられないだろう。
常識のない者ならともかく常識があれば侯爵家の娘を娶る息子がまともに仕事の身分も保障されていなければここまで堂々としていられるはずがない。ならば細かい立ち位置はカーザース家臣団の部外者である自分にはわからなくとも問題はないのだろうと判断して次に進める。むしろ本当に聞きたかったのはここからであり、今のはこれを聞くための前振りだっただけだ。
「それでは……、ヘルムート君はその……、フローラ嬢からどれほどお給金を貰っているのかね?」
「はい……。お恥ずかしながら五十万ポーロです。これでもフローラ様に結婚祝いだと言われて十万ポーロも上げていただいたのですが……。侯爵家の収入に比べれば微々たるものとは思いますがクリスタに不自由はさせません」
「ふむ……」
カールは考える。ヘルムートの年齢と役職から考えて五十万ポーロも貰っているとすれば十分大金だ。むしろ多すぎて不気味だとすら言えるほどの高給取りということになる。十万ポーロも上げてくれたというのも驚きだがクリスタが嫁ぐことを考えればそれでも決して多すぎるということはない。
ただ年収五十万ポーロと言えば並の子爵家の収入の相当額になるはずだ。バイエン派閥で色々な家と関わっていたことからカールにもそれくらいはわかる。総収入という意味ではもっと多いが固定の支出もある。王国や寄親に収める税もあることから自由に使える金額というのはそれほど多くはない。
同じ子爵家と言ってもピンキリではあるだろうがどれほど裕福な家でも子爵家程度では自由に使えるお金は百万ポーロ以上、多くとも二百万ポーロにも満たない。その中の五十万ポーロもの額がヘルムートの取り分だと考えれば子爵家の子供にしては相当多いだろうと考えた。
しかし……、カールのその考え方自体がそもそも間違えている。それはあくまでカーザース辺境伯家の家臣であるロイス子爵家が賜った領地から上がってくる収入のうちの五十万ポーロをヘルムートが受け取っているという考えだ。だが実態はまったく異なる。
ヘルムートがフローラの、否、フロト・フォン・カーン男爵の直臣でありそこから月収で五十万ポーロを受け取っているということがわかっていないカールは大きな勘違いをしていた。
「五十万か……。クリスタはヘルムート君との暮らしで一緒に暮らしていけると思ったんだね?」
まだ爵位も継いでいない子爵家の子供が年収五十万ポーロも貰っていると考えれば相当に多い額ではある。しかしそれでも何不自由なく育った侯爵家の娘がその金額での生活に耐えられるかどうかは別問題だ。クリスタがそれでも耐えられるというのならカールから言うことはない。
「はい。先の休暇の間一緒に生活させていただきましたがそれはもう素晴らしいものでした。あれならばお父様とお母様もきっとご満足いただける……、あっ!そうです!お父様とお母様もヘルムート様のお屋敷で一緒に暮らしましょう?それがいいわ!」
急に何か良いことを思いついたとばかりにそんなことを言い出したクリスタに面食らう。箱入り娘とはいえクリスタも馬鹿ではない。カールやマリアンネが暮らすのにどれほどお金がかかるかはわかっているはずだ。それなのに『ヘルムートの屋敷』で共に住もうと言っていた。
『ロイス子爵家の屋敷』ではない。『ヘルムートの屋敷』ということはロイス子爵家とは別にすでにヘルムートが家を持っているということだろう。それはわかるが子爵家の本宅でもカール達が暮らすには不十分だと思われるのに、さらにその息子の別宅になどカール達が一緒に暮らせるとは思えない。
夫婦が二人で暮らせるくらいの家ではあるのだろうが、そこに義父母が一緒に暮らせるだけの家などこの年齢と子爵程度の爵位で持っているはずがないのだ。クリスタも馬鹿ではないのだからそれくらいはわかっているはず……、だがどう答えて良いものやら返答に困っているとクレメンティーネまで参加して何やら勧められてしまった。
「ほら!あなた!ラインゲン侯爵様もこう言っておられるわよ!うちも早く家督を譲ってヘルムートの家で一緒に暮らしましょう?ラインゲン侯爵様もご一緒に住みましょう?とても良いお屋敷ですよ」
完全に意味がわからない。両家の両親を同時に住まわせられるような家など一体どんな家だというのか。よほどの豪邸ならばそれも可能かもしれないが、まだ爵位も継いでいない子爵家の息子にそんな家が持てるとは思えない。
だが実際に見てきた、馬鹿ではないはずのクリスタも、子爵家の妻として長年過ごしてきたクレメンティーネもそう言っている。状況がさっぱりわからずカールとマリアンネはますます混乱するばかりだった。
「そうだわ!それなら次の長期休暇の時にお父様とお母様も一緒にヘルムート様のお屋敷に行きましょう?きっと二人も気に入ってくれるはずだわ」
クリスタも詐欺事件の調査が終わり罰を与えられたら父が隠居させられるくらいのことはわかっている。最悪の場合は投獄されることもあり得るかと覚悟していたが今の所そこまでは厳しくなさそうだというのはこの一ヶ月でわかった。ならば隠居させられた後は兄に家督を譲ってクリスタと一緒にヘルムートの屋敷で一緒に暮らせば良い。
そう思ったクリスタは必死に二人を説得した。その説得の甲斐があってか次の長期休暇にはカールとマリアンネも一緒にカーザース領、カーン領へと行くことになった。
こうして両家の話し合いもうまく纏まり二人は正式に婚約することになったのだった。




