第二百二十二話「マルガレーテ改造計画!」
フローラが退室していった扉を眺めたまま三人は暫く呆然としていた。あまりの出来事に脳が理解することを拒否しているようだ。何も考えたくない、何も聞いていないと耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。
「ふぅ~~~っ…………。ルートヴィヒ……、わかったか?」
「…………はい」
父の言わんとしていることはわかる。今まで何故あまりフローラに関することを教えてくれなかったのか。王城を訪ねてきているフローラが父や宰相と何か話し合っているのは知っていたがその詳細は頑として教えてくれなかった。
それはそうだ。もしもっと幼い頃の自分がこんなことを聞かされたら取り乱してどうなっていたかわからない。今でもそうなのだから……。
「とにかくフローラ姫を敵に回すようなことはしちゃいけないよ」
「はい……」
フローラが敵に回ればプロイス王国が滅びる。それだけは嫌というほど思い知らされた。学園に通う学生程度でどこに周辺各国と戦争になった場合の作戦案まで纏めている者が存在するだろうか。
フローラがこの場で出した資料も研究書類も作戦案もどれもそれぞれの専門家でも考え付きもしないようなこと、今後何十年と研究しなければならないことが記されていた。
あのような運河の建設方法など聞いたこともない。過去にプロイス王国で造られた運河など先ほどの計画に比べれば小川の治水工事のようなものだ。
次々出されてくる新型船、紹介はされなかったが研究資料には書いてあった跳ね橋以外の常人には考え付かない橋の数々、本職の軍人や歴戦の将軍ですら思いつかない戦争計画。
どれも遊びでも子供の空想でもない。その資料や研究は本物でありプロイス王国の中でそれぞれにおいて最高の者にやらせてもフローラの物以上の物など出来はしない。
すでにフローラが資料を持ち帰ったためにこの場には何も残っていない。まるで先ほどまでのことは夢だったのではないかと思うほどだ。むしろ夢であって欲しいとすら思ってしまう。
もしフローラが言うように本当にキャラック船を超える超大型船五十隻が二年で完成するのだとすれば……、二年後にはプロイス王国はカーザース・カーン連合に勝てなくなる。
陸軍国である大陸国家と海軍国である海洋国家は両立し得ない。しかしそれぞれが同盟すればどうか?
カーザース辺境伯家は小国を凌ぐほどの陸軍を保有する北西の要石だ。もし陸続きであったならばホーラント王国程度の小国ならばカーザース家だけで潰してしまえるだろう。プロイス王国全体やフラシア王国には敵わないまでもそれほどの力は持っている。
当然それほどの陸軍を持つ小規模な大陸国家並なのだから海軍に関してはとても貧相だ。プロイス王国は歴史的にも周辺国家との状況からも大陸国家であり国防のためには強力な陸軍を持つしかなかった。そのためカーザース家も強力な陸軍を持っている。
だから陸戦ではホーラント王国を圧倒していても海戦はからっきし出来ない。ホーラント王国に海上封鎖や沿岸都市への攻撃を受けた場合には対処しようがないのが現実だ。陸続きであったならば沿岸地域は防衛に徹してホーラント王国本国を攻め落とせば良いが現状ではフラシア王国領内を通らなければならないために本国への攻撃は出来ない。
しかし……、もしここに強力な海軍が加わったらどうなるだろうか。ホーラント王国の海軍を圧倒し制海権を握り、海上輸送によって陸を通らずに大量の陸軍をホーラント王国に揚陸出来るようになったとすれば?
そうなればホーラント王国などあっという間に陥落するだろう。そしてその脅威は何もホーラント王国だけに有効なわけではない。
ホーラント王国海軍を超える圧倒的な力を持ったカーン家の海軍がプロイス王国のハルク海沿岸部及び大河川沿岸を我が物顔で往来する。プロイス王国は海上や河川を封鎖され、しかも超大型船によってカーザース陸軍がいつどこへ上陸してくるかわからない。
さらにそれを指揮するのが救国の英雄アルベルト・フォン・カーザース、前線で戦うのは『血塗れマリア』ことマリア・フォン・カーザース、そして……、全てを操るのは底が知れない怪物フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース、あるいはフロト・フォン・カーンだ。
勝てる気がしない……。それならまだしもカーザース家抜きでフラシア王国と戦う方がマシだ。
もうここまで来てしまったら一蓮托生。今更フローラを下手に止めようとして離反されるくらいならフローラはプロイス王国を裏切らないと信じて、またプロイス王国もフローラを裏切らないように行動していくしかない。
フローラのこれだけの実績と実力があればどこの国も喉から手が出るほど欲しいだろう。もしカーザース家、カーン家が揃ってフラシア王国にでも寝返ればプロイス王国・オース公国連合では成す術もなく蹂躙されるしかない。もはや重きを置くべきはオース公国ではなくカーザース・カーン両家になっている。
「よいかルートヴィヒ。よ~く肝に銘じておけ。見誤るでないぞ?」
「はいっ!お任せください!」
ルートヴィヒの返事にヴィルヘルムとディートリヒは若干の不安を覚えた。ルートヴィヒはフローラと結婚して良い夫婦になれば良いと考えていそうだ……。しかしその夢は最早叶わないのではないかと二人は思っていた。
なにしろすでにフローラは本物の大国の姫並の存在なのだ。こちらの都合だけで結婚を迫って不興を買う方が恐ろしい。それなら無理に結婚を迫るよりも同盟関係になった方が良い。
「それでは私は早急に運河に関する法律を定めてまいります」
「うむ。頼んだぞ」
フローラは運河建設に関してプロイス王国と共同でも良いと言ってくれた。その言葉はまるでカーン家が主でプロイス王国が従のように聞こえるが実際その通りだ。
今度造られる運河には新技術や新技法、建設方法が用いられる。本来それらは何十年、何百年という時間の中で磨かれ秘匿される最上位の機密であってもおかしくはない。
つまりこの運河建設はプロイス王国が資金と人足の一部を負担する代わりにカーン家のそれらの技術や建設方法を教えてもらうという意味合いが強い。普通なら資金や人足を出したからと簡単に教えてもらえるようなことではないだろう。
そもそもカーン家はプロイス王国が援助しなくとも単独でこれらの工事をやりきってしまうだけの力と資金がある。だからこそ王国が援助しなければと言った時に即座にカーン家単独で行なうと言い切ったのだ。
この機会を逃せばプロイス王国の土木・建築技術を高めることが出来なくなるかもしれない。折角カーン家が資金と人足を出せば教えてくれると言っているのだから気が変わる前に着手してしまうに限る。
「必ず一ヶ月以内に纏めるようにな」
「はい……」
気軽に言ってくれるがそんな簡単なことではない。ディートリヒだけではなく関連する法服貴族や役人達はこれから一ヶ月間寝る間も惜しんで早急に法案を纏めたのだった。
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マルガレーテの私室にて、三人の人物が匙でプリンを掬っていた。
「さすがは宮廷料理人ですね」
「ん~!ぷりんちゃんのぷりんの方がいい~!」
宮廷料理人達が用意してくれたプリンを掬って食べたフローラは素直においしいと思ったがエレオノーレはフローラが作ったプリンの方が良いと駄々を捏ねた。
「まさか今日登城するとは思っていなかったので何も用意していないのですよ……」
自分のプリンの方が良いと言ってくれるのはうれしいがないものは仕方がない。今から作るとなると時間もかかる上に王城の厨房にそう何度も入るべきではない。そもそも何かあった場合に余計な疑いをかけられることになる。そんな無用な危険を冒す理由はなかった。
「私はそれほど料理が得意というわけでもありませんし、やはり本職の料理人の方に作ってもらった方がおいしいですよね?」
「そんなことはありませんよ。フローラ様のプリンは何というか……、そうだ!優しい味がします!確かに料理人達の方が色々と凝っているのかもしれませんが私もフローラ様のプリンの方が好きですよ」
フローラは自分で作ったプリンよりこちらの方が美味しいと思っているが二人は自分のプリンの方がおいしいという。半分以上はお世辞だろうが悪い気がすることでもないし無理に否定し続けても無駄なので素直に受け取っておく。
「ありがとうございます。……それでマルガレーテ様、ルートヴィヒ王太子殿下との進展はいかがですか?」
「えっ!?」
急に話題が変わってマルガレーテが固まる。
「私はルートヴィヒ王太子殿下とはマルガレーテ様がご結婚なさるのが一番良いと思っています。そのためならばどのような協力も惜しみませんよ」
「それは……」
マルガレーテは何とも言えない。そもそも婚約者は今そう言っているフローラでありルートヴィヒもフローラのことが好きだ。それなのにフローラにそう言われても困るだけだった。
「暑い季節でしたし涼みにでも誘われましたか?」
「いえ……、どこにも……」
実際マルガレーテとルートヴィヒには何の進展もない。確かに両者は親しいがルートヴィヒにとってはマルガレーテは親しい幼馴染という認識でしかなかった。もちろん涼みにでも誘えばどこかへ出かけることも出来ただろう。しかしマルガレーテにはそれが出来なかった。
「まぁ……。う~ん……。それではまだ残暑も厳しいですし舟遊びにでも誘われてはいかがでしょうか?」
「えっと……、私はあまりそういうことに詳しくなくて……」
シュンと俯いてマルガレーテが答える。マルガレーテはそういった遊びはしたことがなく知らない。
「詳しくなくても……、何なら知らなくてもルートヴィヒ王太子殿下に引っ張ってもらえば良いと思いますが……。それならば夕涼みなどいかがでしょうか?」
「えっと……、それは何をすれば?」
夕涼みと言われても何をすれば良いのかわからない。
「別に何をするということはありません。暑い夏の日の夕方に外に出て涼むのですよ。ルートヴィヒ王太子殿下をお誘いして二人で夕日でも眺めながら涼んでお話をなさればよろしいかと」
「ルートヴィヒ殿下と二人っきりになってお話ししようにも私は面白いお話の一つも出来ません……。それにルートヴィヒ殿下も私などと話しても楽しくないでしょうし……」
「あ~…………」
そう言って俯くマルガレーテを見てフローラはようやくわかった。マルガレーテは引っ込み思案で自分に自信がないのだ。ヘレーネほど自信過剰なのもどうかと思うがマルガレーテは引っ込み思案すぎる。ネガティブで自信がないから機会があっても自分から積極的に行動することが出来ないでいるのだ。
「はぁ……。わかりました……。それではまずは私と一緒に遊びましょう」
「…………え?」
フローラの言葉の意味がわからずマルガレーテは首を傾げる。フローラは不敵に微笑んでいた。
「まずはマルガレーテ様改造計画ですね……。ルートヴィヒ王太子殿下をどうやって落とすかではなく、まずはマルガレーテ様に変わっていただかなければどうしようもありません」
「あっ……、あの……?」
突然様子が変わったフローラに不安を覚えたマルガレーテが恐る恐る声をかけるがフローラには届いていなかった。
「ふっふっふっ。こーしてあーして……、それから……、あっ、あれも……、それに……。むふふっ!」
「ひっ!?」
何かをブツブツ言っているフローラに薄ら寒いものを覚えたマルガレーテは逃げ出そうとした。しかしその腕はガッチリと掴まれていて逃げることが出来ない。
「心配いりませんよマルガレーテ様。怖いのは最初だけです。慣れればどうということはありませんよ。何でも慣れです。ね?」
「いっ、一体私をどうするつもりですか……?」
「それは遊んだ時のお楽しみです」
一体自分はどうされてしまうのか。不安ではあるが詳細を聞くのも怖い。しかし何も聞かないまま全てを任せるのはもっと怖い。
「エレオノーレもぷりんちゃんとあそぶ~!」
「あ~……、そうですね……。私もエレオノーレ様と遊びたいですよ……?」
でもいくら何でも王女様を連れまわしたり、ましてや妙なことに参加させる許可は下りないだろうと思って言葉を濁す。そもそも仮に許可が下りても王女様を城の外に連れ出して連れ回すのはさすがに難しい。
「やー!ぷりんちゃんとあそぶ~!」
「ははは……」
「ぷっ!」
苦笑いしているフローラを見てマルガレーテも笑みを零した。少し緊張が解れたマルガレーテはどうせこのままでは駄目なのだから少しだけフローラに任せてみても良いかと覚悟を決めたのだった。




