第二百二十一話「ガクブル!」
ルートヴィヒはまだ若く事の重大性が理解出来ていないようだがヴィルヘルムとディートリヒは今すぐ叫びながら廊下を走り回りたいくらいの気持ちになっていた。もちろんそんな奇行をすれば城中から変な目で見られてしまうからしないが、気持ちとしてはそれくらいの衝撃と混乱なのだ。
「それから……、私はカーザース領より西のフラシア王国に割譲されたプロイス王国領を取り戻すつもりです。そして地続きになればホーラント王国にも今回の海賊行為の報いを受けさせます」
「「「…………」」」
その言葉に、今度こそさすがにヴィルヘルムとディートリヒだけでなくルートヴィヒも驚くしかなかった。確かに西部方面はかつてフラシア王国の要求によって不当に領土を割譲させられている。当時はフラシア王国とプロイス王国の力関係で無用な波風を立てて逆らえるような状況ではなかった。
プロイス王国が今よりももっと弱い小領主の集まりのような一つの国家として基盤が整っていなかったということもある。単独での魔族の国への対処が限界を迎えており妥協してでも対魔族の国でフラシア王国を巻き込むしかなかったというのもある。
しかし仕方なかったとはいえ横暴なフラシア王国に西部の大部分を奪われることになった。魔族の国へ至る部分とは関係のない領土まで多く割譲させられプロイス王国の国境は東へ大きく後退したのだ。そのことについては未だにプロイス王国でも盛んに議論されている。
もちろん当時はそうするしかなかったのだとしても、それでも当時の首脳陣に対する批判や、人の弱味につけこんで関係ない場所まで大きく領土割譲を迫ったフラシア王国に対する恨みというものは根強く残っている。西部地域奪還はプロイス王国の悲願でもある。
ただフラシア王国に割譲された地域を全て取り戻しては対魔族の国における人類の共同戦線が崩壊しかねない。魔族の国に対する国境が全てプロイス王国になってしまったら、今度からはプロイス王国のみで魔族の国に対応しなければならない。
「魔族の国への対応はどうするつもりかな?」
ディートリヒの問いにもフローラは想定内とばかりに落ち着いて答える。
「もう長い間魔族の国との争いは起こっていません。仮に現時点でプロイス王国が西部地域を取り戻したとしても即座にプロイス王国だけで魔族の国と対峙しなければならないという状況にはならないでしょう。また魔族の国もカーマール同盟を中心としたハルク海を支配する海洋勢力であり大陸国家ではありません」
「ふむ……」
確かにそれは一理あるかもしれないがだからといって大丈夫だという根拠にはならない。現実にプロイス王国は過去何度となく魔族の国に煮え湯を飲まされている。
「これまでの魔族の国との戦史を振り返っても魔族の国はヘクセンナハトを防衛の要として陸戦は最小限にし、大勢力を誇るハルク海の海上戦力によってプロイス王国を圧迫してきていました。現状のように西部地域をフラシア王国に割譲していてもヘクセンナハトで防衛に徹するつもりである魔族の国に対しては大した効果はありません」
「はは……、フラシア王国もプロイス王国を上回るほどの大陸国家なんだけどね……」
もう乾いた笑いしか出てこない。つまりフローラはプロイス王国と同等以上であるフラシア王国の陸軍など何の役にも立たないと言っているに等しい。役に立たないフラシア王国に西部地域を割譲しておくより取り返して自分達で国境を守った方がマシだと言っているのだ。
だが確かにどうせ攻め切れないヘクセンナハトの大山脈のこちら側にプロイス軍とフラシア軍が屯していてもあまり効果的とは言えない。プロイス王国がヘクセンナハトに張り付けておかなければならない陸軍への負担は減っているかもしれないがそれだけのことだ。いざ戦争になれば足並みの揃わない両軍では足の引っ張り合いにすらなるだろう。
「もちろん敵がヘクセンナハトを盾にした防衛に徹しているからといって油断して良いものではありません。場合によっては向こうがヘクセンナハトを越えてくる可能性もあります。ですがここにフラシア軍を張り付かせておくよりもプロイス王国が西部地域を治めておく方が利点がたくさんあります。こちらを……」
そう言って次の資料が渡される。それに目を通したヴィルヘルムとディートリヒはもう今日何度目になるかわからない驚きに包まれた。
「キーンとフローレンという町から船を出して敵前で揚陸しようというのか!?」
フローラが出した資料にはいくらかの周辺地図や魔族の国と戦争になった場合の作戦案が記されていた。大山脈であるヘクセンナハトを盾にして陸からの侵攻を防いでくる魔族の国に陸から攻め込むのは難しい。そこでキーンと、もう一つ知らない場所に記されているフローレンという町から川を下って海へと出て海上から攻撃すると書かれている。
そもそもの話、ホーラント王国にですら敵わないプロイス王国海軍では海上から攻撃しようにも打って出た瞬間に全ての船が拿捕か撃沈されるだけだろう。しかしホーラント王国海軍を破ったフローラがこのように主張しているということはどうにかする方法があるのかと思わざるを得ない。
実際大山脈を盾にしている敵に対してあくまで大山脈を突破しての越境を企てても頑強な抵抗に遭うだけになってしまう。それでは仮に国境を突破出来ても大損害を蒙るだろう。ならば敵が手薄な海上からの敵前揚陸作戦というのもわからなくはない。
しかしいくら理屈が通っているとしてもそれならばよほどうまく敵に見つからないように海へと出て、敵のいない沿岸にこっそり上陸するしかないだろう。さらに仮に上陸出来たとしても補給はどうするというのか。制海権を得られないプロイス王国海軍ではこっそり揚陸出来たとしてもそれに気付かれた時点でそれ以降の接近が出来なくなる。上陸部隊への補給は不可能だ。
あるいはフローラが作り上げた新型船ならば出来るのかもしれない。実際にすでにホーラント王国海軍は退けているのだ。今はまだ無理だとしても今後あの新型船を建造していけばあるいは……。そう思わせられるだけの説得力があった。
フローラも今すぐに出来るとは言っていない。フラシア王国から西部地域を取り返すだけでもまだ何年、あるいは何十年とかかるだろう。その間に海軍を増強して陸から大山脈を越えるのではなく海を越えて揚陸出来るだけの戦力を確保していけば良い。
何もハルク海、ヘルマン海の制海権全てを得る必要はないのだ。プロイス王国沿岸から魔族の国の南部付近だけでも良いから揚陸と補給が出来る程度の勢力圏を維持出来れば良い。それだけでも魔族の国に対して十分な牽制になる。
それなら西部地域を取り戻し、魔族の国を単独で抑えることも不可能ではないかもしれない。しかしフローラの話はそれだけではなかった。
「あと……」
「まだあるのか!?」
まだ何か言おうとしているフローラにさすがにヴィルヘルムは驚いて腰を上げた。これまででももうお腹一杯だ。正直もう勘弁してくださいと泣きを入れたい気持ちになっている。しかしフローラの口は止まってはくれない。
「はい……。実は海賊に海上封鎖された件を発端に自由都市単独では今回のようなことに対応出来ないことからカンザ同盟という自由都市による同盟が結ばれることになりました。その詳細はこちらです」
さらに渡された資料に目を通す。それは驚愕に値するものだった。そこに書かれているカンザ同盟というものの内情は実質的にカーン騎士爵家、カンザ商会が各自由都市を自らの領地に編入しているようなものだ。うまく法の網の目を潜り抜けて違法にならないように細心の注意を払いつつ大胆にもこれほどのことを行なおうというのだ。
自由都市は本来教会と王国によってその権利を保障されている。それは逆にいえば権利を保障している教会と王国の許可がなければ勝手なことも出来ないことを意味する。自由都市としての看板を下ろそうと思えば教会と王国にお伺いを立てて許可を貰わなければならない。
それを名目上は自由都市の看板を下ろすことなく実質的にカーン家の領地として取り込んでしまう。緻密に法の網の目を潜り抜け何ら違法性も批判される落ち度もなく達成しようとしている。いや、すでに達成してしまっている。これは事後報告であり、そして事後報告だったからといって罰を与えたり批難したりする根拠もない。何しろ何ら違反していないのだから……。
自由都市やカンザ同盟の言い分や役割も理解出来る。今後またホーラント王国が海上封鎖してきたようなことが起これば自由都市単独では対処出来ない。国家レベルの相手に一自由都市で対抗することなど不可能だ。
本来はそれを対応するのは国家がすべきことだっただろう。しかし今回プロイス王国は何も有効な手立てを用意することが出来なかった。海上封鎖されていることを知りながら、ルーベークからも報告が来ていたというのに何ら対応しなかった。
もちろん見捨てるつもりなどなかった。報告を受けてからずっと対応を協議していたし準備も進めてはいたのだ。しかし実際に何もしなかったことに変わりはない。それを破ったカーン家、カンザ商会を中心に相互援助の同盟を作ろうというのは当然の流れであり止めることも批難することも出来ない。それなら何故プロイス王国は対応しなかったのかと自分達の方が批難されてしまう。
しかし問題はそんなことではない。本当にこのままフローラを野放しにしていて良いのか?ヴィルヘルムとディートリヒは真剣にそのことを考えていた。僅か十五歳ほどの女の子が何の後ろ盾もなくこれほどの手腕を発揮し瞬く間に大勢力を築き上げつつある。
このまま放っておいたらあと数年もすればプロイス王国全土を上回るほどの大勢力になってしまうのではないか?
普通ならたかが一地方貴族、騎士爵程度に何が出来るのかと笑い飛ばすところだ。しかし実際に今起こっていることはどうだ。たった数年であり得ないほどに領地を急激に発展させ、プロイス王国海軍ですら相手にならない外敵を単独で退け、王国ですら完全に制御出来ていなかった自由都市を手懐け纏め上げてしまう。その危惧が単なる杞憂だと誰が笑えるだろうか。
「このカンザ同盟ですが……、ダンジヒとケーニグスベルク、それから今後さらに東に拡がることを考えるといずれポルスキー王国、モスコーフ公国等、東方の国家群と衝突する可能性があります」
そしてこれだ。正確に時流を読んでいる。情報収集も正確だ。確かにこれまで幾度となくハルク海沿岸の自由都市はポルスキー王国やモスコーフ公国に被害を受けている。ただ単純に領地が増えた、拡がったと無邪気に喜んでいるだけではなく現実の脅威も認識し常に対処を考えている。
老練の大貴族ですらここまで頭が回り手馴れているだろうか?たかが十五歳の少女の手腕では断じてあり得ない。
「あと船の建造、保有申請をします。今度はとりあえず五十隻ほど……」
「「あの巨大船を五十隻!?」」
さらにこれだ。今後東方へ進出するにしろ、ホーラント王国と争うにしろ、フラシア王国から領土を奪還し魔族の国に備えるにしろ、全て船が必要になる。海上戦力の構築は急務だ。それをわかった上で五十隻もの建造・保有を目指すという。
「え~っと……、恐らく陛下と殿下はキャラック船をご想像かもしれませんが別の船です。以前試作の許可を提出した新型船のガレオン船を五十隻建造します」
「「…………」」
ヴィルヘルムとディートリヒはお互いに視線を交わした。お互いの言いたいことはわかっている。新型船の試作を作りたいという報告と申請は受けている。それは大型船のキャラック船よりもさらに大型化された超巨大船だ。それを五十隻作って保有するなど一体どれほどの設備と予算が必要になることか……。
「あっ、細かく何度も申請するのが大変なので建造・保有枠の確保のために五十隻先に申請しておくだけで、今すぐ五十隻同時に建造するわけではありませんよ?順次作る予定です。ですので五十隻と言わず百隻でも申請しておきたいところですが……」
それはそうだろう……。いくらフローラが化け物でもさすがに今すぐ五十隻同時に建造出来るほどの設備がすでに準備済みであるはずはない。
確かにホーラント王国、フラシア王国、魔族の国、そして東方諸国と対峙するためには五十隻や百隻は必要になるだろう。それはわかるが……。
「それでは……、先に保有枠を確保するための申請だというが、五十隻完成するまでの予定期間は?」
「え?」
その質問は予定外だったのか一瞬フローラが止まる。今までは全てスラスラと答えていたのにそれは随分意外に映った。フローラのことだからとっくに建造計画まで立てているかと思ったからだ。
「え~っと……、二年というところでしょうか……」
「にっ、二年!?」
キャラック船を上回る超大型船五十隻の建造が二年あれば出来るなどもう意味がわからない。フローラを抑え付けて言う事を聞かせるとか、手綱をつけて操ろうという気はもう失せていた。この者を下手に止めようとしてはいけない。ただ敵にならないように細心の注意を払って敬意を持って接するしかない。
下手なことをして反旗を翻されたら国が滅ぶ。それが理解出来た三人はこれからもフローラを敵に回さないようにしようと心に誓ったのだった。




