第二百七話「謝罪と賠償を要求する!」
自分はいくら損害を出した。自分はいくら受け取る権利がある。そんな話で議場は大盛り上がりだった。実際には何の損害も蒙っていない者まで、海上封鎖されていなければこれだけの利益が上がっていたはずだから自分にはこれだけ受け取る権利がある、などと言い出す始末だ。
実際に貿易船が被害を受けたものに加えて海上封鎖されている間に得るはずだった利益などという項目を勝手に加えてどんどん請求額を釣り上げていく。議員達はどうせ他人に払わせるものだからここぞとばかりに我も我もと自称の被害額を出していくのだ。
ようやく請求額が正式に決まったのはお昼になる少し前だった。その請求額はあり得ないほどに馬鹿げた額にまで膨れ上がっている。そしてその賠償金は全て議員達が個人的に受け取るものだ。ルーベーク再建のために使われる賠償など1ポーロたりとも含まれていない。
「ようやく決まりましたな。それではフロト・フォン・カーンを呼んできますか?」
「ん……、いや、待て。もう昼だな。生憎私はこれから重要な商談がある。フロト・フォン・カーンは午後まで待たせておけ」
「なるほど。それでは私も」
「ではまた後ほど」
フェルディナント議長の言葉の意味を悟った議員達もゾロゾロと議場を後にする。再開される時間だけ決められて議場には誰もいなくなった。
フェルディナントも議会議員達も本当に用事があるわけではない。そもそも個人の用事とルーベーク議会とどちらが重要であるのかは考えるまでもない。例え個人の用事や商談があったとしても議会が優先されるべきだ。しかし全ての議員は出て行った。
理由は簡単だ。ただ無意味にフロト・フォン・カーンを待たせておくためである。
ルーベーク議会議員達もフェルディナント議長もカーン家やカンザ商会を舐め切っている。そして嫉妬もしているのだ。新興商会の分際で自分達の領分を侵し利益を上げている。ただの嫉妬、妬み、やっかみ、逆恨み、そういった感情でしかない。だから無意味に待ちぼうけさせて憂さ晴らしとどちらが上であるのかを思い知らせてやろうとしているだけだった。
誰もいなくなった議場は午後の再開される時間になるまで静まり返っていた。
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再開の時間になりチラホラと議員達が集まり始める。もう完全に弛緩し切っている議員達はあとはフロト・フォン・カーンに感謝状を贈り、そして……、自分達が蒙った損害賠償を請求するだけだと思っていた。
「それでは今度こそフロト・フォン・カーンを呼びますか」
「いや、私は昼の間に良いことを思いついたぞ。フロト・フォン・カーンをこの神聖なる議場に呼ぶまでもない。フロト・フォン・カーンへの引見は尋問場でよかろう」
「おおっ!」
「それは良い!」
引見とは立場の上の者が立場の下の者を呼びつけて会ってやるという意味だ。例え自由都市の議員や議長であろうとも、相手が騎士爵であろうとも、そこは明確に貴族の方が地位が高い。しかし敢えて引見という言葉を使い自分達の方が立場が上であると宣言するだけで気分が高揚する。自分達は今貴族の上に立っているのだと錯覚が加速していく。
そして議場を神聖な場とし、その神聖な場にいる自分達こそが選ばれた者であると議員達に強烈に印象付ける。
尋問場とは議場とは別にある場でルーベークにおける裁判や証人喚問、議会による尋問などが行なわれる場である。そこに立たされる者は何らかの疑惑がかけられている嫌疑者や、何らかの事件の被告人、あるいは証言を行なう証人や事の経緯を問い質される役人などだ。
明らかに隣接する領主を迎える場でもなければ、海賊を討伐して海上封鎖を解いてくれた功労者を立たせる場でもない。しかし議長に乗せられて高揚している議員達は深くも考えず場を尋問場へと移した。
尋問場は周囲を高い席に囲まれ威圧されるかのように見下ろされる真ん中に人が立つようになっている。いや、威圧されるかのようではなく威圧するためにこのように作られているのだ。ここに立たされ周囲から威圧されながら上から命令されればそれは物凄い圧力として感じられる。ほとんどの者はその圧力に屈して言いなりになるものだ。
「フロト・フォン・カーンが入場します」
フロト・フォン・カーンを呼びに行かせた役人が尋問場にそう声をかける。扉が開かれて尋問場へと入って来たのは年端もいかない小娘だった。議員達は全てフロト・フォン・カーンを見るのは初めてだった。こんな小娘が隣の領主だからと偉そうに踏ん反り返り、カンザ商会などという商会を立ち上げ自分達の利益を掠め取っているのだと思うと腹が立ってきた。
実際には隣の領主だからと偉そうに踏ん反り返ったこともなければ、利益を掠め取るどころかカーン領とカンザ商会のお陰で利益が大きく上がっているのだがそんなことは関係ない。嫉妬と逆恨みで濁った目と思考しか出来ない者達には客観的事実も冷静な判断も関係なかった。
「よく来たフロト・フォン・カーン。今回の働き実に見事。その功績を讃えて自由都市ルーベークから感謝状を贈ろう」
まずは議長によって感謝状の件が述べられる。そしてここからが本番だった。
「ルーベークはカンザ商会がカンザ同盟を立ち上げゴスラント島、ヴィスベイをその管理下に収めることを認めてやろう」
フェルディナント議長は声高に宣言した。それを聞いて議員達も拍手する。これでゴスラント島はカンザ同盟の管理となった。本来ならばルーベークにそんなことを決める権限などないが最早この場とこの流れに酔っている者達にはそんなことなど見えるはずもない。
「そして今回の騒動によりルーベークが蒙った損害は敗戦したヴィスベイが賠償金を支払う義務がある!ヴィスベイは十億ポーロの賠償金を支払うこと!ヴィスベイはカンザ同盟の管理下に置かれカンザ同盟はヴィスベイから利益を上げるのだからカンザ同盟が立て替えて支払うように!また分割で支払う場合は年の利息が……」
フェルディナント議長は議会で可決された案を読み上げていく。分割払いの利息や支払いが遅れた場合の対応、担保の差し押さえや追加の違反金について。さすが商人達の集まりというべきか事細かに、とにかく少しでも多く金を取れるようにと一方的に好き勝手な条件をつけて夢想を読み上げる。
しかしそんな馬鹿げた話を聞かされているフロト・フォン・カーンはただ黙って目を瞑り静かにしていた。それを見て議長や議員達はフロト・フォン・カーンが恐れをなして何も言えないのだと判断した。このまま強引に進めても何も問題はない。十億ポーロは自分達のものだ。
物価や経済規模や発達状況から考えて十億ポーロなど馬鹿げた金額だ。ルーベークが何十年経済活動を行ってもそんな利益が上がるはずなどない。もちろん決算される取引額という意味ではない。
例えば十万ポーロで芋を仕入れた人が十一万ポーロで次の人に売り、十一万ポーロで芋を買った人が十二万ポーロで八百屋に卸し、十二万ポーロで買った八百屋が十三万ポーロで料理屋に芋を売ったとしよう。決算された取引額は四十六万ポーロになるが、取引される間に上がった利益は六万ポーロでしかない。
このようにたとえルーベークの経済で仮に一年間に一億ポーロの取引が行なわれているとしてもその中には同じ商品が何重にも決算されており、その取引額が全て純粋な利益というわけではない。
それなのにこのルーベークの請求額の根拠は『海上封鎖中にルーベークが行なったはずである取引額の全額』に加えて『本来得るはずだった利益が得られなかったことによる損失』と『襲撃などにより実際に蒙った被害』と『被害を受けた者達に対する慰謝料』となっている。
もちろんそれらの額はさらに相当額水増しされているがそもそも払う謂れのない金が大量に含まれているのだ。
簡単に言えば、十万ポーロの商品を仕入れるはずだったのに仕入れられなかったから十万ポーロ払え。その十万ポーロの商品を十一万ポーロで売るはずだったからその十一万ポーロも払え。合わせて二十一万ポーロの損害だ。と言っているのだ。こんな子供騙しの計算方法で誰が納得するというのか。
もし仮に十万の物を仕入れて十一万で売るつもりだったとしてもそれなら最大で賠償するにしても十一万ポーロ賠償すれば良い話だ。何重にも同じ商品に対しての賠償を計算して請求するなどあり得ない。しかしそのあり得ないを行なっているのだ。そして相手は何も言わない。自分達に恐れをなして言いなりになっているカーン家の小娘にはこのまま支払うように命令すれば良い。
「そうですか……。それはルーベーク議会の総意ということでよろしいのですね?」
「当然だ!全会一致で可決された正式な議案である!」
ポツリと……、フロト・フォン・カーンが呟いた言葉にフェルディナント議長は即座に答えた。それを受けてフロト・フォン・カーンは静かに頷く。それを賠償案を呑んだのだと理解した議員達は満面の笑みを浮かべた。労せずして大金が手に入るのだ。それも偉そうな隣接する領主に一泡吹かせて。
この調子ならこれからカーン家とカンザ商会から毟り放題だとこの先さらに集ることすら考え始める。
「そろそろ良い時間でしょう……。実は今日海賊討伐、海上封鎖解除をルーベークの住民達にも広く知らせるために式典を予定しております。皆様もご一緒に式典にご参加ください」
フロトの言葉に……、議長も議員達もポカンとする。この小娘は一体何を言っているのか。あまりのことに混乱しているのかもしれない。
「カーン家が用意した式典ね……。よかろう。諸君、参加してやろうではないか」
「おっ、おお……」
「そうですな……」
フェルディナントはどんな式典なのかと馬鹿にしながら議員達に参加を勧める。議員達も気持ちを持ち直して議長の考えを理解し賛同し始めた。
何の準備もしていなかったはずのカーン家が行なう式典とは一体どのようなものなのか。どうせ大したことなど何も出来まい。そう高を括って馬鹿にする。式典に参加してつまらない式典を馬鹿にでもしてやろう。そうすればますます萎縮してカーン家はルーベークの思いのままになるはずだ。そう思った者達は意気揚々と尋問場を出てフロトの案内に付いていったのだった。
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議事堂から出て行くフロトについていく。よくよく考えてみればフロトが連れていた三人の執事やメイド達がいなくなっているのだがルーベークの議員達はそんなことなど気付いてすらいなかった。
少し高い位置にある議事堂を出るとルーベークの町が一望出来る。いつの間にか町は人で溢れ返っており大混雑している。まるでお祭りでもある時のように人々は外へ出て並び一様に海の方を眺めていた。
一体海に何があるというのか。低い位置にある町からは少しでも見晴らしが良い場所を取ろうと人が集まっているが、高い位置にある議事堂からは海もよく見える。その海の向こうから何かが接近してきているのが見えた。
「んん?何だあれは?」
「船……か?」
ポツポツと……、遠くから徐々に大きくなってきている影を見てそれが船であろうことは想像がついた。貿易で成り立っているルーベークを統べる者達だ。さすがにそれくらいはわかるというものだった。
「ふん……。あんなものが何だと……」
港湾都市であるルーベークの者にとって船など珍しいものでも何でもない。最近ではカーン家所有のキャラベル船やキャラック船などという最新の大型船も見慣れている。多少の船を見た程度で今更驚きはしない。しかし……。
「なんだ?あの船足は……?」
「随分速いな……」
「おい……。あの船……、とんでもなく大きくないか?」
「馬鹿な!あの船体であの船速だと!?」
次第にその船達が近づいてくるにつれて……、自分達の常識を遥かに上回る船団であることに気付いた。四列の縦陣になって航行している船の先頭を進むのは見たこともないほど巨大な船だった。最新鋭の巨大船キャラック船よりもさらに大きい。そしてそんな巨体でありながらあり得ないほどに速い。
先頭を走る四隻の後ろには見慣れたキャラック船がそれぞれ二隻ずつ、四列で八隻続いている。さらにその後ろにはキャラベル船が二隻ずつ八隻。各列は先頭に見たこともない巨大船。その後ろにキャラック船二隻、キャラベル船二隻を従えている。
その船団、いや、艦隊は一糸乱れぬ艦隊行動により真っ直ぐルーベークへと向かってきていたのだった。




