第二百四話「下準備!」
フェルディナントにまで詳しく説明して良いものか悩むところではあったけど、ある程度は情報も流しておかなければお互いに判断のしようもないだろうと思ってヴィクトーリアと一緒に事の経緯を聞かせる。ざっとゴスラント島を拠点にしていたホーラント王国の艦隊を壊滅させた話をしてみた。
「いやはや……、もう海賊を壊滅させたという話も、ゴスラント島が協力していたという話もにわかには信じ難い話ですな」
フェルディナントの言うこともわからなくはない。フェルディナントはあくまで海賊と言っているけどそれがホーラント王国の海軍だということは理解している。ホーラント王国の海軍だと言うと問題が大きくなるから政治的配慮で海賊だと言っているだけだ。
そんな一国の海軍が、たった数日のうちに一地方領主で、しかも騎士爵でしかない俺達にやられたなんて誰が信じるだろうか。
そしてそれよりもカーマール同盟の勢力圏内にあって公平中立を謳っているゴスラント島が一勢力、ホーラント王国に協力していたというのはハルク海で商売をしている者には中々信じられない話だろう。
ゴスラント島はカーマール同盟の勢力圏内にあり、その庇護下にあると思われている。俺は領主のグスタフから詳しい話を聞いているから実際はそうじゃないことを知っている。グスタフが言うには臣従しているわけでもないゴスラント島は特にカーマール同盟の庇護下にあるわけでもないようだ。
だけどハルク海で活動している者達にはそう思われている。ゴスラント島に手を出せばカーマール同盟が出てくると誰もが思っていることだ。そのかわりゴスラント島は中立を謳い寄港する船を差別しない。全てを受け入れ公平中立を貫く。それがゴスラント島の方針だと思われている。
それなのに蓋を開けてみればホーラント王国に一方的に味方し、プロイス王国の船や沿岸都市の不利益になるようなことに手を貸していた。公平中立でもなければカーマール同盟の庇護下でもない。俺達がホーラント王国海軍を攻撃するのにゴスラント島にも侵攻したようなもんだけどカーマール同盟が口を出してくることはないだろう。
この海で商売してきた者にとっては今まで信じてきたことが覆される大事件だ。ちょっと口で説明されたくらいで、はいそうですか、と信じられる話ではないんだろう。普段なら無理に信じさせる必要もないと言うところだけど今回はそうも言っていられない。
「ここから港が見えます。あの曳航されている二隻が今回拿捕したホーラント海軍が使っていた海賊船です。そしてホーラント王国海軍の提督とゴスラント島の領主も捕まえて連れて来ています」
「ほぅ、どれどれ……」
フェルディナントは席を立って俺の横から窓の外を見た。普通の者ならこんなことは出来ないだろう。親しくもない、それこそ今日が初対面の一介の商人如きが特に断ることもなく貴族の俺の横に立って窓を覗くなど不敬も良いところだ。
俺は何となくわかってきた。ヴィクトーリアは嘘を言っているつもりはないだろう。だけどフェルディナントとルーベークの意思はわかった。こいつらは俺を敬っても畏れてもいない。それどころか舐めてかかっている。だからこそこんな態度が取れるんだろう。
ヴィクトーリアは『まずは海賊を退けてカンザ商会の有用性を示してから事の詳細を交渉しよう』と言った。きっとそういう風に説明されて言葉通りに素直に受け取ったんだろう。だけどフェルディナントをはじめとしたルーベークの議会とやらにその気はない。
俺達に先に海賊を追い払わせて、後から交渉で条件をつけるだの、そんなことは言っていないだのとごねるつもりだったんだろう。恐らくこれから俺達がルーベークと交渉してもそうなる。それはそうだろう?先に手札を切る馬鹿はいない。
こいつらが海上封鎖されて困っている間ならば多少無茶な条件でも今よりマシなら黙って飲むしかないとスムーズに交渉が進んだだろう。だけど海上封鎖を先にこちらが解いてやったらルーベークからすればもうカンザ商会に遠慮や譲歩する理由はない。
何の礼もなしだとさすがに角が立つ上に次に何かあった時に利用出来なくなる。だからいくらか謝礼でも払って適当に感謝してますとだけ言っておけば良いと考えているに違いない。海上封鎖された状態だったならばカンザ商会の優越を認めただろうけどもう海上封鎖が解けた今となってはそんな条件を飲む必要はないと思っているはずだ。
別にルーベークを傘下に収めたいとかそんなことは考えていない。ヴィクトーリアがこの話を持って来た時も別にルーベークを傘下に収められるから手を貸そうと思ったわけじゃない。だけどこのまま舐められたままというのもいただけない。
カーン騎士爵家もカンザ商会も新興勢力だ。当然古くからいる者達にとってはそんな新興勢力なんて舐めてかかる。詐欺まがいの取引で財産を巻き上げても『勉強代だ』なんて言うことはザラにある。俺達は今までそんな手に引っかかったことはないけどそんな話はどこにでも転がっている常識だ。
この業界は舐められたら終わりであり、一度舐められたらとことん舐められる。噂が広まれば今まで普通にしていた相手にまで舐められて足元を見られる。だからここでこのルーベーク議会の舐めた態度を許すことは出来ない。
これがカーザース辺境伯家のような大貴族やクルーク商会のような老舗の大店ならばこんなことはなかっただろう。どちらも実績も実力もあり広く世間に浸透している。救国の英雄アルベルト・カーザースにふざけた態度を取る馬鹿はいないし、クレーフ公爵家の後ろ盾もあるプロイス王国一の商会、クルーク商会に喧嘩を売る世間知らずもいない。
ここが転機だ。俺達が本当の意味での貴族や商会になるのか。ただの一地方の地元の貴族や商会で終わるのか。ここでの対応次第でカーン騎士爵家やカンザ商会がどちらに転ぶかが分かれる。
別に舐められたまま地方の小さな商会と思われていてもいいとは言っていられない。これからの俺が考えていることを実行するためには……、カーン家もカンザ商会も大きく羽ばたいていかなければ……。
ガレオン艦隊をこちらから見えない向こうの港に入れたのは失敗だったか……。いや、これで良かったんだ。
キーンには通常の港の他に周囲から見えず沿岸砲台に守られたキーン軍港がある。まぁキーン軍港はまだ建設中で完全に完成はしていない。港の水深確保や消波ブロック、砲台の設置は完了しているけど陸上施設がまだ建設中だ。
キーン軍港は完全なる軍事施設であって民間人は立ち入れない。ガレオン艦隊はうちの虎の子だから建設中のキーン軍港へ回航させたためにフェルディナントはガレオン艦隊の存在を知らないだろう。ガレオン船は進水式も身内だけでひっそり行なわれたからほとんど情報が出回っていないはずだ。
ディエルベ川を通ってルーベークのすぐ目の前をキャラベル船やキャラック船が通っているからそれらの船についてはルーベークも承知しているだろう。実際両船がルーベークの護衛にもついている。とはいえ艦載砲を積んだ改修を受けたものはほとんど見たこともないだろうし砲の威力も知らない。ちょっと大きくて珍しい船くらいにしか認識されていないと思われる。
ルーベーク議会が俺達を舐める要因は色々ある。止むを得ない部分もあるだろう。これまで海千山千の商人や貴族達を相手にしてきた老練なルーベーク議会だ。最近急に隣に興った新興貴族など所詮はヒヨッコと侮っているんだろう。
だったら思い知らせるしかない。カーン家とカンザ商会を侮ったらどうなるかその身を持って思い知ってもらおう。
とか言いながら実は全て俺の考えすぎでそんなことはなかった……、なんてこともあるかもしれない。これはあくまで万が一そういうこともあるかもしれないと考えて備えておこうというだけのことだ。もしルーベークが素直に相応の態度を取るのなら無理に脅しつける必要はない。俺の考えすぎであってくれればそれが一番だ。
「ヴィクトーリアさんもフェルディナント議長も本日はお疲れでしょう。当家の屋敷でゆっくりお休みください」
「いやいや、キーンとルーベークの間はすぐでしょう?船に乗ればあっという間だ。今から出ればルーベークに着けますよ」
ほらな……。そういう所が舐めてるっていうんだよ……。今日海賊討伐から戻ってきて下船したばかりの俺に今からルーベークまで来いという時点で舐めている。普通なら俺が今から行こうと言っても疲れているだろうからまた後日で良いと言うべき立場だろうに。
自分達のために戦って勝利してきた者達を、戦って疲れた状態のまま呼びつけるなど王の振る舞いだ。そんなことが許されるのは主君が働いてきた家臣を労う場であって、たかがルーベーク議会如きに俺達がそうされる謂れなどない。俺達はルーベークの部下でも傭兵でもなくルーベークのために働いているわけでもない。
「どうやらフェルディナント議長は言葉の理解が足りないようですね。疲れているのでしょう。今日はゆっくり休まれた方が良いですよ」
「あっ、いや……、これは失礼……」
俺が少し威圧を込めてそう言うとようやく自分の失言を察して引き下がった。つまりあの態度と言葉こそが本心というわけだ。もし本当に俺達を敬っているのならば今日帰還したばかりの者達に今すぐルーベークまで来いなどと言えるはずもない。
その後簡単な打ち合わせをしてから退室していくフェルディナントを見詰めながら俺はこれからについて頭をフル回転させていた。
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フェルディナントとの話も終わり、夕食も済ませた後で俺は二人の人物を呼んでいた。キーン別邸の執務室で二人を待つ。
「失礼いたします。お二人をお連れしました」
「ご苦労様。下がって良いですよ」
「はっ……、ですが……」
二人を案内してきた者はチラリと呼ばれた二人を見る。俺に何かするかもしれないと思って警戒しているんだろう。だけどその心配はない。抵抗したり俺に何かするつもりならゴスラント島の時にすでにしているだろう。いや、しようとして失敗したからもう無理だと悟っているというべきか。
「問題ありません。下がりなさい」
「はっ」
俺がちょっと強めに言うと案内係は下がり二人だけが残る。二人に席を勧めて向かい合いながら声をかけた。
「当家の食事はお口に合いましたか?ラモール提督、グスタフ卿」
俺の前に座るラモールとグスタフはお互いに顔を見合わせていた。
「いくら士官でも捕虜に食わせる食事じゃありませんな」
「私も領地で食べている食事とは豪華さが違いすぎて何やら国力や経済力の差を見せ付けられただけな気がします」
「まぁ!お二人とも面白いことをおっしゃいますね」
ラモールとグスタフは歯に衣着せぬ物言いでそんなことを言った。普通この二人の立場なら俺に対してこんな軽口は利けないだろう。よほど神経が図太いのか、もう諦めているのか。ルーベーク議会やフェルディナントのように俺達を侮っているというわけじゃない。あれだけ一方的にやられた俺達を侮る気持ちはもう微塵もないだろう。
「実はお二人にはとても大事なお話があって来ていただきました。ラモールとその部下達も、グスタフとヴィスベイ、いえ、ゴスラント島も私の配下になってください」
ゴスラント島での会談でもラモールには配下に加われとは話してあった。現在でも明確な返事はなく保留されているけどいつまでも保留のまま放置しておくわけにもいかない。それにルーベークの動き次第ではこの二人にも一芝居打ってもらう必要がある。まぁ一芝居ってわけじゃなくて本当に俺の配下になって行動してくれればいいだけだけど……。
恐らくこのまま何の策も持たずにルーベーク議会に顔を出してもあーだこーだと言い訳しつつ、今回の海上封鎖解除の俺達の働きは有耶無耶にされるだろう。俺としても別に無理にルーベークを支配下に置こうとか報酬や賞賛が欲しいというわけじゃない。
ただこのまま舐められて働かさせられたとあっては今後も何かあるたびにうちにやらせれば良いという風潮が出来上がる。俺達を小間使いのように考えて今後も用心棒のようなものだと思われたら俺達の今後の商売にも差し支えることになる。今回の件はきっちり落とし前をつけなければならない。
とはいえそう簡単にはいかないだろう。別に事前に何か報酬に関しての取り決めがあったわけじゃない。先に海賊討伐してもらったらその報酬について後で話し合いましょうと言ってきていただけだ。どんな報酬になるのかは後で話し合うと言っているんだから向こうは何も約束を違えることはしていないと主張するだろう。
それらしい報酬を匂わせておきながら相手を先に働かせて後で報酬を減らす。そんなことはどこの時代や世界でも日常茶飯事だ。もしちょっとの海賊討伐報奨金だけを出して終わりだとルーベークが言っても何ら違法でも違反でもない。むしろ俺達が報酬が少ないと言って圧力をかければルーベーク側が被害者として王国や教会に訴え出るだろう。
だからこそ……、ここから先にはラモールとグスタフの協力が必要だ。中々良い解決策は思い浮かばなかったけどヴィクトーリアが良いヒントをくれていた。恐らくヴィクトーリアはこうなることも織り込み済みで俺がそれに気付くかどうか試しているんじゃないだろうか。
ヴィクトーリアは言っていた。カンザ商会を盟主とした『カンザ同盟』を作ろうと。作ってやろうじゃないかカンザ同盟。ハルク海もヘルマン海も、そしてその先にある大洋も全てにカーン家とカンザ商会が乗り出してやる。そのためにはこの二人の協力が不可欠になる。
何か若干引き攣ったような顔をしている二人に俺はこれからのことについてじっくり話し合ったのだった。