第二十話「バレちゃ駄目だ!」
俺ももう九歳になった。農場や牧場で働く子達も古参の子達とはもう九ヶ月以上の付き合いになる。皆とは打ち解けたと思うし普通に接してくれている。騎士見習いということになっている俺に物怖じすることもなく本当に年相応の友達同士のような関係だ。
最近ではオリーヴィアの作法の授業以外は家庭教師達の授業もかなり少なくなっている。今俺がやっているのは自分で調べて研究したり資料をまとめたりすることがメインだ。俺独自の魔法の研究・開発や内政や統治方法の研究、昔の戦争などを調べて戦術や戦略の研究など大学の頃のレポートをしているような気分になってくる。
もちろん日課の訓練は続けている。ただ最近は昔のように魔力が空になるまで魔法を使い続けるというのが難しくなってきた気がする。中々魔力が空にならずに魔力切れが起こらない。
「ねぇフロト、これであってる?……ねぇってば!」
「え?あぁ、うん。どれどれ?」
ルイーザの声で物思いに耽っていた俺は現実に引き戻された。ここは農場から少し離れた場所に通っている小川の土手だ。最近俺は、というかかなり前から農場の仕事が終わると二人でこうして川の土手で一緒にいる。
別にデートとかの色恋沙汰じゃない。ルイーザには魔法の才能があった。というか本来ならばこの世界の人間には誰しも魔法を使える才能はある。だけど幼少期の頃からしっかりした教育を受けられる環境も余裕もない庶民は魔法を身に付ける機会がなくてその才能を眠らせたまま一生を過ごす場合がほとんどだ。
ある時たまたまルイーザの魔力量を調べてみた結果普通の子達より魔力量が多いことが判明した。他の子に比べて年齢が高いからというだけじゃなくてルイーザには普通よりは魔法の才能があったということだ。そこで農場の仕事が終わってからお昼までの少しの時間だけこうしてルイーザに魔法を教えてみることにした。
ルイーザは飲み込みも早いし頭が悪いわけじゃない。ただ貧民育ちで教育を受ける機会がなかったからこんな生活を余儀なくされているだけだ。そんなルイーザはメキメキと頭角を現しすでにある程度簡単な魔法くらいなら使えるまでになっている。
本来高貴な血筋とされている貴族以外は滅多に使える者がいないとされている魔法を使えるようになっているのだからそれだけでも世間からすれば十分才能があると認められるだろう。
俺はルイーザにも俺式の魔法を教えている。神に祈ってどうだとか、精霊に魔力を捧げてどうだとかそんな教え方は一切していない。ただ魔力を練り魔法術式を描き魔法を発動させる。この教えでもきちんと魔法が発動出来るのだから余計な詠唱だの何だのは必要ない。
それから魔力の増大方法も俺と同じものを試させている。食物や空気から魔力を吸収するのを意識させて普通以上に魔力を取り込んだり、瞑想して魔力を練り上げたり、魔力が枯渇寸前になるまで魔法を使って回復したらまた限界まで魔力を使うのを繰り返させたり、今まで俺がしてきた方法とまったく同じだ。
訓練の成果かどうかはわからないけどルイーザの魔力量もかなり増えている。このままいけばどこへ行っても十分通用する魔法使いになれるんじゃないだろうか。
「それでね?これがわからないんだけど……」
「ちょっ!ルイーザ!近いよ!」
俺が持ってきた魔法の勉強用のテキストを持って隣に座っていたルイーザは俺に体をくっつけるように寄り添ってくる。ただテキストを一緒に見ようとしているだけだというのはわかるけど俺の方はどうしても意識してしまって集中出来ない。
まだ十一歳のルイーザ相手に何を言っているんだと思うかもしれないけど最近はルイーザもちょっとだけ胸が出てきていると思う。太っているわけじゃないのに小さくぷっくりと先っぽの辺りだけ膨らんでいる……、たぶん?妙に女の子らしい顔をする時もあってドキッとしてしまう。
そもそも俺は前世から今まであまり女の子にモテた記憶がない。いや、はっきり言えばモテたことなどない!そんな俺が小さな子供とはいえ今生では自分より少し年上の女の子とこうして毎日デートのようなことを繰り返してこんなに密着されてたら気にしないわけがないだろう!
「え?アタシ……、汗臭いかな?」
俺からパッと離れたルイーザは顔を赤くしてスンスンと自分の腕の臭いを嗅ぐような仕草をしていた。何か可愛らしい。
「あっ……、いや、あの……、別に汗臭くはないよ?」
本当は日本人の感性からすれば少々臭う。別に汗臭いというだけじゃなくてお風呂が普及していないとか欧米人と日本人の体質や嗅覚の違いという問題だ。決してルイーザだけが臭うわけじゃなくてこの世界の普通の人間は皆俺からすれば少々臭う。
それにももう慣れたしこの世界ではこれくらいは普通だからルイーザだけが特別なわけじゃない。むしろルイーザの臭いならちょっと嗅ぎたいくらいだ。……っていうと何か変態チックになってしまった。別に変な意味じゃなくてこう……、甘酸っぱい青春というか……。
あぁ!俺は一体誰に何の言い訳をしてるんだ?それもこれもルイーザが無防備に俺に迫ってくるから悪いに違いない!
「本当?」
「うっ!」
ほんのり頬を赤らめたまま上目遣いにこちらを覗きこむような仕草をするルイーザが可愛い。普段は小さい子供達を叱ってる気の強いルイーザが俺とこうしている時は何だかしおらしくて大人しい。もしかしてルイーザは俺のことを好きなんじゃないだろうかと勘違いしてしまいそうになる。
この世界は早熟だ。地球でならば結婚や出産が許されない年齢でも当たり前のように結婚して出産している者が大勢いる。もちろん地球でだって結婚や出産の年齢を十代後半以降に決めたのは歴史から見れば比較的最近の話にすぎない。ほんの少し、百年、二百年前には一桁台で結婚、十代に入ってすぐに出産なんてこともあり得た。
この世界も平均寿命がそれほど長くないのか結婚も出産も皆早い。貴族である俺がもう婚約相手が決まっているのも当たり前だし一般庶民であってもルイーザくらいならそろそろ嫁入り相手を探していてもおかしくないらしい。
もちろん実際に嫁入りしたり出産したりするのはまだ数年以上は先になるだろうけどそういうことを意識し始める年齢には差し掛かっている。
「本当だよ」
「そっか……。よかった」
にっこり微笑んでまた俺の隣にぴったりと並んで座るルイーザをついつい意識してしまう。俺だけが意識しているのか?それともこれはルイーザなりのアピールなんじゃ……。
「アタシちょっとは魔法が使えるようになったかな?」
「えっ?あぁ、うん。十分使える方だと思うよ?」
他の貴族は知らないけどほとんど魔法が使えない人ばかりらしい一般庶民からすればルイーザは十分魔法が使える部類に入るだろう。これならどこかの貴族の家に仕えることも……。
「そっか……。それじゃどこかの貴族が妾にでもしてくれるかな?」
その言葉を聞いて俺の胸がズキリと痛んだ。
あぁ……、そうか……。それはそうだよな……。ルイーザがこうして一生懸命魔法の勉強をしているのは魔法が使えればどこかの貴族の目に留まって愛人として囲われる可能性が高いからだ。
男の魔法使いならば配下として召抱えられるだろう。そして女の魔法使いならば生まれた子供に高い魔法の素養が現れるかもしれないから愛人として囲われることがよくあるらしい。貧民であるルイーザからすれば貴族の愛人になるのは人生の一発逆転だ。兄弟達も大勢いるらしいルイーザの一家が貧しい生活から抜け出すためにはルイーザがその身を貴族に売るしかない。
ルイーザは特別美人ということはないけど愛嬌はある。普通の一般庶民としてみればどこかの店で働けば看板娘として有名になれるくらいの器量はあるだろう。それくらいの器量がある者で魔法の素養も高ければどこかの貴族の目に留まるのは間違いない。
そこらの貴族のおっさんに……、ルイーザが組み敷かれて穢される……。想像したくもないのに想像が止まらず胸糞が悪くなる。そして俺にはそれを止める術がない。ルイーザが家族のためにその身を捧げて貴族の愛人になると覚悟しているのならばそれを赤の他人の俺がとやかく言うことは出来ない……。
あぁ……、この胸の痛みは何だろう……。あぁ……、どうして俺はルイーザに魔法を教えてしまったのだろう……。
「ルイーザなら……、どこの貴族家でも……、引く手数多だよ……」
俺は俯いてそれだけの言葉を絞り出すので精一杯だった。
「本当?それなら……」
その後もうれしそうに貴族に囲われる話を続けるルイーザの言葉は俺の頭には入ってこなかった。
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ここ数日俺は家でゴロゴロしていることが多くなった。もちろん朝晩の訓練は続けているし巡回にも出ている。家庭教師達の授業も受けているしルイーザへの魔法の授業も続けている。
だけど何だろう。このぽっかり穴が空いたような空しさは……。研究も手につかず自由時間はこうしてゴロゴロダラダラしている時間が多くなった。
それに俺はこうしている間にもう一つ気付いたことがある。俺は牧場と農場では『騎士見習い』のフロトということになっている。九ヶ月以上も一緒に居た友達が実は性別も名前も偽っていたまったくの別人だったらどう思うだろうか?
大人同士ならば相手にも何らかの事情があったのだろうと考えてくれる人もいるだろう。もちろん大人だからって全員がそうじゃないことはわかってる。年齢的に大人でも精神的に子供な者が増えた昨今では相手の事情などおかまいなしに怒り狂い、捲くし立て、相手を非難したいがために非難するだけの者も大勢いるだろう。
ましてや精神的にも未熟な幼い子供ならどうだろうか。ほんの些細なことでも友達と喧嘩した覚えが誰にでもあるだろう。それが許し難い問題だったら子供達がそれを許してくれるだろうか?
性別や名前を偽っていたからってそんな大した問題じゃないと思うだろうか?それは違う。俺はこの地を治めるカーザース辺境伯家の一人娘だ。そんな者が名前も地位も性別も偽って庶民に混ざっていたというのが知れれば必ず大きな反発を食らう。
自分に当てはめて考えてみればわかるだろう。自分達とは次元の違う権力者や金持ちが身分も名前も偽って自分達の中に混じっていて『庶民の生活とはこんなものか』とか『庶民が普段どのように生活しているか学ぶためにやってきたのだ』なんて言えば反発するだろう。
もちろん俺にはそんなつもりはない。だけどそうされた相手がどう受け取るかの問題だ。この辺りで最も高位の貴族であるカーザース辺境伯家の一人娘が身分も名前も偽って庶民や兵士に混ざってこんなことをしていれば上から目線で偉そうに見ていると思われても仕方がない。
だから俺は絶対に身分を知られたら駄目だ。何があっても絶対騎士見習いのフロトで通さなければならない。万が一にもあの子達に本当の俺のことが知られたらもう二度と今までのように笑い合って過ごせなくなってしまう。
そう思うとますます外に出るのが億劫になった。会えばどこかでボロが出てしまうのではないかと思うと農場に出かけるのが怖い。俺はいつからこんなに人と接するのが苦手になってしまったんだろうか。前世でもこんなことはなかったはずだ。
前世ではそれなりに友達も作って学生生活をエンジョイしていた。モテなかったとはいっても一切女の子との甘酸っぱい思い出だってないわけじゃない。そういう思い出の一つや二つくらいは俺にだってあった。
それなのに今生の俺はどうだ?人付き合いが下手で少し誰かと親しくなってもうまくいかない。俺はいつからこんなに人付き合いが苦手になったんだ?
だけど出かけないわけにはいかない。明日もまた巡回に行かなければならないと思うと気分が重く沈んでいくのだった。
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嫌でも時間は過ぎる。今日もまた巡回の時間がきてしまった。兵士達に混ざって巡回に出かける。農場に着くといつも通り俺は巡回から別れて農場を手伝う。今日も何事もなく過ごせますように……。
そう思っている時に限って何かが起こるものなのだろうか。これがフラグというやつか?俺はただ平穏無事に過ごしたいだけだったのに世界はそうはさせてくれないようだ。
巡回の兵士達が全て通り終えて町の周囲を見回るために向こうまで行った後で北の森に嫌な気配を感じた。俺は別に何かの達人とかじゃないから気配で何かを察知するなんていうチート能力は持っていない。それでも何かを感じずにはいられない。
嫌な予感とでも言うような感覚に従って北の森に視線を向けるとのっそりとソレは姿を現したのだった。




