第二話「魔法がある世界だった!」
女の子として新しい人生に生まれ変わってから早三年が経っている。三歳の女児がぺちゃくちゃしゃべったらおかしいと思われるからあまりはっきりと周囲とは話していないけど早々に言葉を覚えた俺は大体のことはわかったはずだ。
まず俺の今生での名前はフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース。カーザース辺境伯家の長女として生まれた。最初に見た美人さんはやっぱり俺の実母でマリア・フォン・カーザース辺境伯夫人という。俺には二人の同母兄がいる。
父はアルベルト・フォン・カーザース辺境伯であり妻は俺達の実母であるマリアしかいない。ここはプロイス王国という国で、この国では父の持つ辺境伯とは伯爵位よりも上の爵位となっている。侯爵位に匹敵する上位の爵位であって辺境伯という爵位がただの辺境の田舎の伯爵の呼び方と思ったら大間違いだ。
そもそも地球においても辺境伯とは異民族等と接する辺境に位置し守護する役目の者に高い地位と広大な領地と権限を与えて異民族からの侵略を防いだりするために置かれたものであり、時代が進むにつれてさらに高位の位として扱われるようになったものだ。場合によっては侯爵どころか公爵並に扱われることもある。
このプロイス王国でも同じようなもので王族しかなれない公爵位を除けば普通の家臣がなれるのは侯爵が最高位となっている。その侯爵と同列並の辺境伯ということは実質的にこの国での最高権力者の一角ということだ。
辺境の守備をしているとは言ってもここの所は平和が続いてるようで特に戦争等は起こっていない。位置的には国の中心から離れた田舎と言われればそうかもしれないけどカーザース辺境伯領はかなり栄えた土地のようでカーザース家も領地も豊かだと言われている。
もちろん俺は実際に見たわけでもないし他の地域のことも知らないので比べようもない。ただそういう話を見たり聞いたりしたというだけだ。
それでも確かにこの領は平和で栄えていると思う。食卓やカーザース辺境伯家の暮らしぶりからすれば貧乏とは程遠い。重税を課して領主家だけが贅沢をしているというわけでもないだろう。それならそういう情報や周囲の状況というものが嫌でも耳に入ってくるはずだ。
ここまできて改めてはっきりしたのはやっぱりここは地球じゃないということだ。地球にはプロイス王国なんて国はない。文字も言葉も聞いたこともないものばかりで俺は三年もかけてようやくほぼ独学で学んだ。一部はメイドにも聞いたりして覚えたけど最初のとっかかりくらいはないといくら何でも覚えようもないからな。
そしてここが異世界だということは期待するあれもあるんじゃないかと思って調べてみた。もちろんありましたとも魔法!この世界では普通に魔法が使われている。誰もが自由自在に使えるわけじゃないけど確かにこの世界には魔法が存在している。
俺が読んで独自に調べた限りでは本には魔法は貴族などの高貴な者にしか扱えないと記されていた。ただ世の中には貴族以外の者で魔法を使える者もいる。その書物にはその者の血統にはどこかで貴族などの高貴な血が入ったのだろうと書かれているけどそうじゃないと思う。
俺が調べた限りでは恐らく魔法の才能は誰にでもあり得るものだと思う。ただ単に裕福な貴族の子息子女は子供の時から教育を受けられるために魔法の才能が発揮されやすい。貧民の子供などはその日一日を生きていくのも大変なので魔法の勉強や練習などしている暇などなく才能を持って生まれても気付くこともなく死んでいく者が大多数なのではないかと思う。
俺に魔法の才能があるかどうかはわからないけど俺もどうにかして魔法が使えないかと四苦八苦している。今日もこっそり書斎に入り込んで本を漁りながら魔法の勉強中だ。
これまで何度も書斎に入っては様々な書物を読み漁ってきた。だから油断していたんだろう。今まで見つかったことがないのだから平気だろうとどこかで油断していたに違いない。
最初の頃は書斎の前を誰かが通りかかったりしたら隠れていた。だけど誰も入ってきたこともないからどうせ今回も入ってこずに通り過ぎるだけだろうと本を読み進めていた。するとまさかの展開で入ってきたのだ。今まで誰も入っているのを見たこともない書斎に……。それもその相手は最悪の相手だった。
「フローラ、何をしている?」
「おとうしゃま……」
俺の言葉が『おとうしゃま』になっているのは決してわざとじゃない。舌っ足らずなしゃべりになるのは幼児だからだ。俺がわざとやっているわけじゃない。
書斎に入ってきたのは俺の父アルベルト・フォン・カーザース辺境伯その人だった。俺はこの人が何だか苦手だ。父は俺との接点がほとんどない。兄二人とはよく訓練などをしているようでしょっちゅう一緒にいるようだけど俺はこの父に構ってもらった覚えはまったくない。
厳格で良き領主であり、良き夫であり、良き父なのかもしれない。ただ俺はこの父は苦手だった。いつもしかめっ面で厳しい顔をして何を考えているのかわからない。子供に対しても父親というよりは指導者的な接し方をしてくる。
その教育方針が良いか悪いか、合っているか間違っているかは俺にはわからない。ただ一つだけ言えることは俺にとってこの人は怖くて近寄りがたい人、という感覚だ。
その父が眉間に皺を寄せて俺に近づいてくる。鋭い眼光はとてもじゃないけど三歳の愛娘に向けるものじゃない。まるで獲物を狩る狩人のような視線だ。俺はこの視線だけで殺されるんじゃないかと思うくらいに厳しい。
「お父様ではない。父と呼べと教えたはずだぞ」
「もうしわけありません、ちちうえ」
こえぇ……。これが三歳の娘に向ける目か?何故かこの父はお父様とか呼ばれるのは好かないようだ。兄達にも父上と呼ばせている。
「何をしていると聞いている」
「……ほんをよんでおりました」
あまりに鋭い眼光にいい加減な嘘はつけないと諦めた俺は正直に答える。丁度俺が広げていたのは魔法基礎と書かれた本だ。何とか魔法を使えないかと思って魔法に関する本を探しているうちに見つけた入門書のようなものでわけのわからない魔法理論が書かれているながらも何とか俺でも理解出来るくらいの内容になっている。
専門用語などは俺一人ではさっぱりなので誰か教えてくれる人がいればもっと簡単に魔法も身に付くのかもしれないけど、これまで俺は普通の子供として振る舞ってきたから誰も俺に言葉や文字ですら教えてくれた者はいない。そんな子供がいきなり魔法を教えてくれと言っても誰もまともに取り合ってくれないだろう。精々子供の夢物語として『はいはい、大きくなったらね』くらいに言われるだけだろう。
「何の本を読んでいる?」
「まほうきそです」
父は聞かれたことに端的に答えなければ気に入らないタイプなので明瞭簡潔に答える。いちいち会話するだけでも気を使って疲れる……。本当にこれが親娘の会話か?
「意味が理解出来ているのか?」
「いちぶせんもんようごはわからないものがあります」
魔法基礎とは書かれているけど内容は専門書並に難しく知らない専門用語もたくさん出てくるためにいちいち解読するだけでも苦労する。
「専門用語がわかれば魔法を使えるのか?」
「まほうはつかえましぇん……。まりょくそうしゃ……、そうさというのができないのです」
魔法を使うためにはまず魔力を使えなければならないらしい。その魔力を自在に扱うための技能『魔力操作』というものが出来なければ魔法は使えないようなので魔力操作が出来ない俺は現時点で魔法は使えない。
魔力操作の説明も書いてあるけど感覚的なものが多くて具体的にどうすれば出来るようになるというような記述は見つかっていない。その魔力操作をどうすれば出来るのかと思って本を読んでいるのだから出来るわけがないのは当然だ。
「そうか……。どうして勝手に書斎に入った?」
「しょさいへのたちいりがきんしとはいわれたことはありません。はいってはいけなかったのですか?」
これは俺が用意していた言い訳だ。でも嘘は付いていない。実際に俺は書斎への立ち入り禁止だと言われたことはない。それに俺以外であろうとも書斎への入室に制限があるという話もないのだから禁止とか制限があるというわけじゃないんだろう。それなのに俺が入ったからといって怒られる謂れはない……、はずだ。
「なるほど。確かにその通りだ。お前に書斎に入るなとは言ったことはない。……フローラ、魔法の勉強がしたいか?」
おっと!これは意外な質問だ。そんなことが聞かれるとは思ってもみなかった。もう少しすれば俺は社交界デビューに向けて色々なお稽古をさせられてマナーの勉強もさせられるだろう。カーザース辺境伯家唯一の子女である俺は将来社交界に出て他の有力貴族とでも結婚させられると思われる。
もちろん俺は男となんて結婚はしたくないけど高位貴族の娘として生まれた以上は家同士の決定には逆らえない。
でもその前に……、俺は憧れの社交界デビューを果たして可愛い貴族の娘達や綺麗な貴婦人達とキャッキャウフフな青春を送れるはずだ!
ちょっと脱線してしまった。その社交界に向けての習い事なんてさせられ始めたら魔法なんて習っている暇もないだろう。高位貴族の娘として社交界で恥ずかしくないマナーを身に付けるためには厳しい習い事の嵐に違いない。
その前にちょっとだけ……、憧れの魔法を習って……、ほんの少しでもいいから俺もこの異世界での生活を、魔法を満喫してみたい。別に物凄い攻撃魔法を身に付けて戦いたいとかそんなことじゃない。ちょっと空を飛べたらいいなとか。ほんの些細な火や水を手から出してみたいという程度の小さな願い。
もしそれが叶うのならば……、ちょっとくらいのわがままが許されるのならば……、魔法を勉強したい!
「はい!もしまほうがつかえるようになるならばべんきょうしたいです!」
「…………」
父は黙って俺を真っ直ぐ見詰める。俺もなるべく真剣な表情を作って目を逸らすことなく父を見返す。ここで子供の夢物語みたいな態度を取ってしまったら俺の真剣さが伝わらないだろう。いかに俺の本気を伝えるか。それを考えて暫く父と見詰め合っていた。
「わかった。それならば家庭教師をつけてやろう。それで才能がなければ諦めなさい」
「ありがとうおとうしゃま!」
どうやら父は俺に魔法を習う機会を与えてくれたようだ。母ならば反対したかもしれない。高位貴族の子女ともあろうものが魔法なんて習うのははしたないとか言われそうだ。何故父が俺に魔法を習わせてくれるのかはわからないけど折角異世界にやってきたこの身だ。この世界でやってみたかったことの一つがこんなに早く叶うなんてやっぱり俺はこの家に生まれて幸運だった。
もちろん俺が一番にしたいことは社交界にやってくる可愛く綺麗な貴族の子女達とキャッキャウフフすることだけどな!
「お父様ではない。父と呼べと言ったはずだが?」
「もうしわけありません、ちちうえ……」
浮かれすぎてまたうっかりしてしまった。母はお母様と呼ばないといけないからつい父もお父様と呼んでしまう。そして父は滅多に呼ばないからな。直接話したのもどれくらいぶりだろうか。生まれてからほとんど親娘として接した記憶もない。
俺のわがままを許してくれたのも放ったらかしにしている娘に対してのせめてもの罪滅ぼしなのかもしれない。そう思うともしかしたら悪い父でもないのかな。ただちょっと子供への接し方が苦手なだけの普通の父なのかもしれない。
「それから今後は無断で書斎に入るのは禁止だ。私か執事長のマリウスに言ってからにしなさい」
「わかりました……」
魔法の家庭教師をつけてくれることになったのはよかったけど書斎への出入りに制限をつけられてしまった。それはそうか。子供が書斎に出入りしていて貴重な本に何かあっても大変だ。この世界での本は貴重なもので全て手書きなために高価であろうことは容易に想像出来る。そんなものが大量にある部屋に幼い子供が自由に出入りしていたら心配になるのも当然だろう。
こうして俺は父の計らいで魔法の勉強が出来ることになった。子女向けのお稽古ごとが増える前にせめて簡単な魔法だけでも身に付けられたらいいな……。そんなことを考えながら俺は幸せな気分で書斎から放り出されたのだった。