第百九十七話「聖母?」
昨日はヘルムートの思わぬ告白で気持ち悪い思いをしてしまった。まぁどうやらヘルムートもクリスタと向き合うと言っていたし結婚に対してかなり前向きになっているのは間違いないだろう。ヘルムートは優秀だし俺に対して変なことを考えたりしたりしようとしないのであればこのまま仕えてもらいたい。そのためにも何としてもクリスタとうまくいってもらわなければ……。
それはともかく今日から俺はまた忙しくなる。しかもこれからは皆と一緒に行動出来ない。何しろ今日からは……。
「今日から私はキーンを活動拠点にして海へ出ることになります。今回の件は危険ですので客人である皆様はお連れ出来ません」
朝食の席で先に断っておく。今日から俺はキーンに向かってルーベーク周辺を海上封鎖しているホーラント王国の海賊船退治を行なう予定だ。残り一ヶ月もない時間で敵を捕捉して拿捕か撃沈しなければならない。
ずっと海に出たまま戻らないということはないけど一度出航したら何日も戻らない可能性もあるし、敵と遭遇すれば戦闘になる可能性も十分にある。狭い船上での戦いとなれば乗組員の安全は保障出来ない。戦いに向かない皆を連れて行っても危険に晒してしまうだけだ。
「言っておくけど私は何を言われてもついて行くわよ!」
「ミコト……」
予想通りというか何というか、一番最初に立ち上がって反対してきたのはミコトだった。それに続いて皆も声を上げる。
「僕は近衛騎士だよ。国を守るための戦いだというのなら僕も出るよ」
「わっ、私にはフロトに教えてもらった魔法があるから!」
「私もプロイス王国貴族として海賊船は放置出来ませんわね」
「皆落ち着いてください……」
俺が何とか宥めようとするけど聞いてくれない。いくら近衛騎士でも船上ではいつも通りになんて動けないだろう。相手は海戦のプロだ。いくらクラウディアでも船上で海戦のプロに敵うとは限らない。ルイーザだって魔法が使えるとはいっても所詮は素人だ。戦場で冷静に魔法を使うなんてことすら出来るかどうかわからない。
アレクサンドラに到っては話にもならない。確かにプロイス王国貴族にとっては無視し得ない話ではあるけどお嬢様育ちのアレクサンドラを逃げ場もない海戦に連れて行くわけにはいかない。
「フローラ様、こうされてはいかがでしょうか。船に乗せて戦場まで連れて行くかどうかは別にしてキーンまでは私達を同行させてください。キーンの港を拠点として活動されるのでしたらキーンでフローラ様の帰りを待つことくらいは良いのではありませんか?」
「私も!船に乗ったら迷惑をかけるのは判ってるからあの港町で待ってるよ!」
「カタリーナにクリスタまで……」
どうやら皆引きそうにない。確かにキーンの港で待っているくらいなら大丈夫かもしれないけど本当にそれだけで納得してくれるだろうか……。いざキーンの港に着いて出航する時に押しかけられたら俺はきちんと断れるか?
俺としては出来るだけ皆を危険に晒したくない。このままカーザーンとカーンブルクで観光を楽しんで帰ってもらいたい。
「フローラちゃん、恋人が心配なのはわかるけどそれはお互い様なのよ。皆の気持ちもわかってあげるのが良き夫婦になるコツよ」
「なっ!こっ、恋人って……」
母にズバリ突っ込まれてうろたえてしまった。これじゃ自白しているも同然だ。
「いいのよ。フローラちゃん達を見ていたらわかるもの。ね?でもフローラちゃんがこの可愛い恋人達が心配なようにフローラちゃんの恋人達だってフローラちゃんが心配なのよ」
「それは……」
俺だってわかってる。もし俺が逆の立場だったらきっと皆と同じように言うだろう。クラウディアがどこか俺の知らない戦場に出て命を落とすかもしれないと聞けば俺は絶対に同行する。ミコトが国で命を狙われるというのなら魔族の国を敵に回したって匿う。
ルイーザが町で襲われるというのなら俺は常に護衛するし、アレクサンドラがカスパルに襲われそうになった時俺は頭に血が昇りすぎて何も考えられず体は勝手に動いていた。カタリーナがメイドだからと他の貴族達に下卑た目で見られていたらその相手を滅茶苦茶にするだろう。
「お母様が皆の護衛をしてあげるわ。だから皆で一緒に行きましょ?」
「お母様……、……って、あっ!」
お母様ちょっと待ってください!ここには父上もですね……。俺が女の子達を恋人にしようとしているとか父上にバレたらかなりやばいんじゃ……。
「これはカーザース辺境伯家にも関わることだ。私もマリアと共に行こう」
……あれ?父はさっきのことに何も言わない。聞かなかったことにしてくれているということか……。結局両親にはバレバレってことだな。まったく……、やっぱりどこの世界でもいつまで経っても子は親には敵わないということか。
「わかりました……。それでは全員で参りましょう!」
こうして俺達は結局ほぼ全員でキーンへと向かうことになったのだった。
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今回はカーザーンから陸路でキーンへ向かう。元々は俺一人の予定だったから馬車で良いかと思って船を用意していなかった。貨物船や客船に無理やり乗り込むことは可能だけどこれだけ大人数が予定外に押しかけてきたら船員達も大変だろう。ということで馬車でヘクセンナハトを越えてキーンへと向かう。
簡単にホーラント王国の海賊船を拿捕または撃沈すると言っているけどそんな簡単なことじゃない。ハルク海が地中海だと言ってもかなりの広さがある。沿岸国も数カ国に渡り沿岸の総延長は相当なものだ。港もあちこちにあるし広い海の中にいる数隻の船を見つけ出すなんて簡単なことじゃない。他の船もいる中でホーラント王国の海賊船だけを探すのは非常に困難だ。
そもそもホーラント王国の海賊船達はどうやってハルク海にやってきた?考えるまでもない。魔族の国の半島とその北側にある半島の間の海峡を越えてきたのは間違いない。出入り口が一つしかないハルク海で船に乗るためにはそれ以外にならば領域内で建造された船を入手する以外にはないからだ。
乗組員だけが陸路でハルク海の沿岸部までやってきて現地で船を調達して海賊船として利用している可能性はほぼない。近隣国も含めてそんな簡単に大型船を建造出来る場所は存在せず普通なら国家事業として大型船を建造しているくらいだ。それを外から来たわけのわからない連中に簡単に売り渡すとは思えない。
そもそも目撃情報によればホーラント王国の海賊船はこの辺りの船とは少々違うらしい。ハルク海貿易に従事している船はほとんどがコグ船だけど件の海賊船は型が違うということだった。そのことからも海賊船たちがヘルマン海側からやってきたことは間違いないだろう。
じゃあ魔族の国やカーマール同盟が海賊を通したのかということになる。ここが非常に厄介な所だ。ちなみにこの魔族の国と北の半島の間の海峡をスカゲッラク海峡という。このスカゲッラク海峡を通るにはカーマール同盟の許可が必要だ。
基本的にカーマール同盟はスカゲッラク海峡の通行を禁止していない。プロイス王国は長らく魔族の国と敵対していたけどスカゲッラク海峡の通行を禁止するとは言われていないんだ。だからプロイス王国の商人でも許可さえ取ればスカゲッラク海峡を通行することが出来る。
ただしそれは表向きの話であって本当に無条件に通れるとは限らない。もし何かあれば突然海峡通行中に拿捕されたり両岸から攻撃されたりする可能性もある。あくまで表向きは誰に対しても開かれていますという建前だ。
それでホーラント王国の海賊船だけど、カーマール同盟がホーラント王国の船を海賊船と理解した上で通したのか、知らずに通したのかということが重要だ。
恐らく表向きは海峡を通った船が何をするつもりだったかなんて知らなかったと白を切るだろう。そりゃ海賊行為をするために来たのを知っていて通しましたとは言えない。問題なのはカーマール同盟や魔族の国がどの程度ホーラント王国の狙いを知っていて、どの程度協力しているのかということだ。
確かに海峡を通る船の通行目的を全て把握しているかといえばそれは難しいだろう。適当に嘘を並べて通行許可をもらおうとする者も数多くいるはずであり、いくら厳格にチェック態勢を整えていても漏れて入り込む者はいるはずだ。
だけどホーラント王国が海賊船を送り込むつもりだということはカーマール同盟なら知っていてもおかしくはない。ハルク海沿岸の掌握が生命線のカーマール同盟が他国の船の狙いもわからずに調べもせず海峡を通すはずがない。だから最低でもいくらか狙いや事情は知っていたはずだ。
ただそれを知っていたとしてもホーラント王国にとことん協力しているのか、自分達には害がない、いや、それどころか自分達にとってはライバルであるプロイス王国の港や船を襲ってくれるというのなら知らん顔をして黙って通しておこうと思っただけなのか、カーマール同盟がどこまでホーラント王国寄りなのかが今後の命運を分けることになる。
そして最低でも必ずホーラント王国の協力者がこのハルク海のどこかに存在するということだ。いくら物資を積んでいる船で海賊行為によって多少補給しているとしてもどこの港にも入らず一切補給せず活動し続けられるはずがない。ホーラント王国の海賊達は必ずどこかに寄港しており補給しているはずだ。
その港もホーラント王国の船が海賊船だと理解した上で積極的に協力しているのか、ただプロイス王国を攻撃してくれるのなら儲け物だと思って知らん顔をして協力しているのか。
もしカーマール同盟が全てを理解した上で海峡を通して、港を貸して、積極的に協力しているのだとすればかなり厄介な話になる。ホーラント王国の船を沈めたら終わりとはいかない。敵を捕捉して沈めるだけじゃなくてそれらの裏も取らなければ……。
「フロト様、キーンの港に到着いたしました」
「ありがとう」
色々考え事をしている間にキーンの港に到着したらしい。馬車を降りて造船所に入る。今日はこれから進水式だ。実はすでにこの新型船、ガレオン船は艦載砲を積んで進水し航海や砲撃の訓練を重ねている。だけど表向きはまだ未完成扱いであり『新型の試作船』ということになっている。
「うわぁ!前に乗った船よりもっと大きい!」
「これは凄いね……」
造船所へ入った皆は新型船、ガレオン船第一号を見上げている。今日これからこの新型ガレオン船は正式に進水式を行なう。立ち会うのは俺達と造船所の職員くらいだ。キャラベル船やキャラック船のお披露目の時に比べたら随分寂しいような気もする。
本当ならこいつらも大々的にお披露目して日の目を見せてやりたい。だけど残念ながら今回はそんな式典をしている暇もないしどこに敵が潜んでいるかもわからない状況で下手な情報も漏らせない。ホーラント王国の海賊達を沈めた後でこちらの戦力の情報がある程度明るみに出るのは良いけど、海賊船と一戦交える前にこちらの情報が漏れるのはまずい。
「ねぇねぇフローラちゃん!この船お母様が名付けて良いかしら?」
「え?……えぇ、まぁ……」
残念ながら俺には名前をつけるセンスはない。それなら母に名付けてもらっても良いかもしれない。もしかしたら誰かが名付ける段取りが出来ていて名前も決まっていたのかもしれないけど……。
「もしかしてもう名前は決まっていましたか?」
「いえ、フロト様に名付けていただこうと思いこの船にはまだ名前はありませんでした」
こっそり造船所の棟梁に聞いてみたけどどうやらまだ名前はなかったようだ。本当はあったけど嘘をついてくれたのかもしれないけどそう言われたら少しだけ気が楽になった。
「ずるいぞマリア。これほど立派な船に名前をつけるなど……。ここは私が……」
「何を言っているの。あなたはもうアルベルト号を名付けたでしょう?今度は私の番よ」
父と母がどちらが名付けるかで揉めている……。そんなに名前をつけたいのかな?父はキャラベル船の進水式でアルベルト号と名付けたから今回はもういいじゃないか……。キャラック船はヴィルヘルム号と名付けたおっさんもいたしな……。母は一体どんな名前をつけるつもりだろうか。
「もうお母様が決めちゃうからね!いい?言うわよ!この船はね~……、『サンタマリア号』よ!」
ドドーン!
とばかりに大きな胸を逸らしてプルンと揺れさせながら母は天高く指を差しながらそう宣言した。
「サンタマリア号……」
「サンタマリア号!素晴らしい名前です!」
「素晴らしい名前をありがとうございます!」
造船所の職人達は皆母に感謝していた。そんなに良い名前か?そもそも『血塗れマリア』さんが『聖母マリア』さんだなんて何の冗談なんだろうか。
「フローラちゃん?何か気に入らないのかしら?」
「ひぇっ!何も問題ありません。素晴らしい名前です!」
ギロリと母に睨まれた俺はすぐさまサンタマリア号の名前に賛同したのだった。