第百九十六話「告白!」
ロイス子爵ハインリヒ三世に言われてヘルムートの家の準備をし始めてから一週間ほど。今日で実家に帰ってきてから二週間、学園が休みになってから三週間が経過している。帰りの日程を考えたらあと一ヶ月もいられないほどしか時間がない。
ヘルムートに譲る家の準備をしている間俺はもう毎日毎日視察と研究と面会と面接の連続だった。休む暇もない。ロイス子爵を連れてヘルムートの家を見にいかなければならないから一日予定を空ける必要がある。その分を前倒しで終わらせるためにこの一週間は本当に忙しかった。
予定していた視察も強行軍で同時に行くことが可能な近辺の視察は一日で無理やりまとめたり、各種研究の進捗状況を確認して俺がアドバイス出来ることは全てアドバイスしたり、新規の入植者やうちの関連工場や農場、牧場で働く者達の面接をしたり……。
何より曲者なのがうちと取引したいとかカンザ商会の会頭に会いたいという者達との面会だ。カンザ商会から金を毟り取ろうとする詐欺師同然のような者から、今のうちにカンザ商会に擦り寄っておけば甘い汁を吸えると思って寄って来る者まで一癖も二癖もあるような者ばかりだった。
もちろん中には有用な相手や有能な人物もいる。全てがそういった詐欺師や自分の利益しか考えない者というわけじゃない。だからこそ面会してみないと相手の人となりがわからないわけで時間を割いて会っていたわけだけどこれがまた疲れる……。こちらの弱味は見せられないから一番気を使うやり取りだった。
ともかくそんなわけで一週間頑張った俺は一日予定を空けたのでヘルムートとクリスタを連れてロイス邸へと向かった。カタリーナも両親に会いたいだろうと思って連れて行ったのに何かあまり楽しそうじゃない。ヘルムートもカタリーナも実家に帰ったのもあの日一日だけだったし……。すぐに行ける距離なんだからもっと実家に帰ってあげれば良いのに……。
まぁそれは俺がとやかく言うことじゃないから二人に任せているけど今日はロイス夫妻を連れてカーンブルクへ行かなければならない。
別に俺は気にしていないんだけどどうやら父の方針でカーザース家臣団はよほどの用がない限りはカーン領には入らないようにしているらしい。
確かにカーザース家とカーン家だけじゃなくて近隣の他の領も含めてだけど、用もないのに無闇に貴族が出入りするのは少々憚られる。もちろん王都へ行かなければならないとなれば他領を通り抜けて行かなければ到着出来ない以上は他領に絶対入ってはいけないということはない。だけど用もないのにちょっと隣へ遊びに行ってきますというのは難しい。
もちろん全ての人間の往来を管理しているわけじゃないから黙って行ってもわからないだろう。それにもし見つかったとしても違法なことさえしていなければ文句を言われる筋合いはない。でも余計な評判が立つ可能性はあるから気をつけておくべきだろう。
例えば自分の所の家臣がやたらと隣の領主の領都に訪ねて行っていたらおかしいと思わないか?隣の領主と結託して何か善からぬことでも企んでいるのではないかと疑われてもやむを得ないだろう。そういう余計な評判やあらぬ疑いをかけられないためにも無闇に他領に頻繁に通うべきではないことはわかるはずだ。
しかもすでにほとんど有名無実化しているけどフロト・フォン・カーン騎士爵はカーザース領を追放されている。俺が未だにカーザース領内ではフロト・フォン・カーンを大々的に名乗らないのはこのためだ。忘れそうになる時もあるけど……。
領主が追放されて出入り禁止にされているような隣の領に用もなく出入りするのはあまりお勧めされないのはわかるだろう。そういうわけでカーザース家臣団の者達はよほどの用がない限りはカーン領への出入りはしないという暗黙の了解があるらしい。
ロイス子爵もカーン領に入ったことはないそうなので今日が初めてのようだ。今日はカーザース家のロイス子爵としてではなく、カーン家の執事長ヘルムートの両親として来ているという体になっている。
まぁそれにいくら暗黙の了解でもカーン領に出入りしているカーザース家臣団の者もいることは確認されている。実際に用がある者もいればただの観光や儲け話がないかと思って様子を見に来ている者もいるらしい。こちらとしても犯罪者でもない者を追い返したり捕まえたりする理由はないので放っているけどこちらに来ている情報は掴んでいる。
そんなことを考えている間に馬車はカーンブルクの最も北に到着していた。増改築されて前よりも大きくなったカーン邸が見える。そのカーン邸から向かって右側、方角で言えば西に建つ大きな屋敷がヘルムートに譲る屋敷だ。
カーン邸の左右の前には大きな屋敷が何軒も建っている。これはカーンブルク開拓初期には入植者達が自立出来るようになるまで共同生活を希望する者達に貸し与えていた建物の跡だ。建て替えられている物もあるしそのまま改装されただけのものもある。さすがに体育館のようなただのがらんどうじゃ住めないからね。
ここは開拓が進んで入植者達がいなくなれば将来はカーン家に仕える者達が住む貴族街として整備する予定だった。だからこそ一軒一軒の敷地も広いし建物も大きく、造りも貴族の邸宅になるように建てられている。
プロイス王国は右上位といって右の方が尊い。日本では左上位だから右大臣より左大臣の方が格上だ。それに比べてプロイス王国では右の方が格上ということになる。ヘルムートに与える屋敷は領主で主家であるカーン邸の右の前、つまり一番最上位に位置するということを内外に示す意味がある。
イザベラとヘルムートは最初期から俺に仕えてくれている人物で仕事も出来る有能な者達だ。これまでもこの二人には散々助けられてきた。だからこそ最上位の位置であるここの屋敷を与えるのは俺のヘルムートへの信頼を表している。
というのは建前でもう一つの意味はクリスタの後押しだ。これだけされてヘルムートが結婚を渋るようだったら二人の結婚はうまくいかないだろう。自分の両親には紹介されて、両親の主家であるカーザース辺境伯にも認められて、自分が仕えるカーン家にまでここまでされて、それでも結婚を渋ったり断ったり普通は出来ない。それでもヘルムートの態度が乗り気でないのならばそれはもう無理に結婚させても不幸にしかならないだろう。
もしここまでされてもヘルムートがクリスタに対して結婚に前向きな態度を取らないようなら俺は力ずくでもクリスタを止めるつもりだ。俺はクリスタには幸せになってもらいたい。だからこそヘルムートと一緒になりたいというのなら後押しをする。でもそのヘルムートと結ばれても幸せになれないのだとしたら俺はそれを止める。
「外から見ているだけではわからないでしょう。中もご覧ください」
いつまでも外から建物を眺めていても意味はない。二人の新居を確認してもらおうと建物の中へと案内する。
「綺麗!ねぇフロト、あれは何?」
「あれはシャンデリアというものです」
エントランスホールに入ってすぐにクリスタが上を見上げながらそんなことを言う。エントランスホールの上にはそこそこ立派なシャンデリアが吊るされていた。
ガラスの製造が可能になってからシャンデリア自体はいつか作ろうと考えていた。安い製品に付加価値をつけて高く売りつける、もとい、利益を上げるのは当然のことだろう。そこで何か良い物はないかと考えた時にシャンデリアはどうかと思っていた。こういう見た目が豪華とか綺麗な物は高値で売りやすいからな。くくくっ!
そういうわけで学園に行く前にシャンデリアのことを伝えて研究と試作をさせていたわけだけど、今回完成品第一号であるシャンデリアをこの家につけてみることにした。カーン邸より先にヘルムートの家につけるのかと思うかもしれないけどそこは心配ない。うちの開発者達はこれはカーン邸には相応しくないと言って断固カーン邸にはつけさせないと言っていた。
ガラスのカットの仕方や光の取り入れ方、反射の様子、ガラスの付け方とか色々と研究中だという。いかに綺麗に見えるか、そういう研究を行なっている最中でこれはあくまで試作を終えて実用化第一弾というだけのことで完成には程遠いという。
俺はこれでも十分綺麗だと思うし今までになかった物だから相当驚かれるとは思ったんだけど、うちのスタッフはこれでも気に入らないらしい。カーン邸に相応しいものを作り上げると気炎を揚げていた。俺としても綺麗な物や可愛い物は好きなので是非頑張って欲しい。
……でもおかしいな?俺はそんなに綺麗な物とか可愛い物とか小物とか好きだったわけじゃないはずだけど……。前世の俺の家はほとんど何もなかった。あったのは百合グッズや女児向けアニメの物ばかりだ。あとはゲームとかかな……。
グッズが汚れないようにきちんと仕舞って整理整頓はしていたけどあとはベッドやテーブルのような生活必需品以外は何もない生活だった。シャンデリアを見て綺麗!とか小物を見て可愛い!とか言う奴ではなかったはずだ。むしろ男である前世の俺がそんなことを言っていたら気持ち悪い。
まぁそれはいいか。今は俺もこういう物を見て綺麗だと思うしクリスタも喜んでくれている。あとヘルムートの母親のクレメンティーネも少女のようにきゃーきゃー言っていた。このお母さんは面白い人だ。それに美形のヘルムートやカタリーナの母親だけあって若くて綺麗に見える。ヘルムートより上の兄がまだいるんだから年は……、考えてはいけない……。
屋敷を見ていくけどやっぱり突貫工事だったから内装はいまいちだ。あとでまた手直しをするとして今はロイス夫妻やヘルムート、クリスタに一応見せるだけだからこれでもやむを得ない。
上下水に風呂にトイレは俺的には必須設備だから外せない。俺が住む家じゃないんだけどそれでも俺が人に譲るのなら絶対必須だ。他にも大きなガラス窓を多用したり、鏡を取り付けたり、細工の細かい家具やヘクセン白磁の食器、ガラスコップなど一応すぐに住めそうな程度には準備は整っている。
一通り見終わった後でクレメンティーネにもヘルムートの給料について突っ込みを入れられてしまった。カーン家の執事長でありカンザ商会でも重要な役に就いているヘルムートが四十万ポーロではさすがに安すぎる。ということでとりあえず五十万ポーロに昇給させることを告げて今日はお開きとなった。
ちょっと難しい顔をしていたロイス子爵だけど表立っては文句を言われなかったから一応は納得してくれたんだろうか。俺は直接クリスタの家に行ったことはないからわからないけど今回の屋敷がラインゲン家の屋敷に劣るとしてもやむを得ない。ヘルムートの給料から考えてもクリスタの生活水準は前に比べて落ちるだろう。
可能な限り後押しはするけどそれにも限度はある。ヘルムートの給料だってまだ安いとは思うけど他との兼ね合いもあるからヘルムートだけをやたら昇給させるというわけにもいかない。家や給料のことを言われなかったから一応最低限はクリア出来ていると納得してもらえたのだと思っておくことにする。
そして……、ロイス夫妻を送り届けてカーザース邸に戻ってから……。お風呂もご飯も済ませた俺は屋敷の裏手にある誰もいない練兵場に出ていた。
「フローラお嬢様……、こちらにおいででしたか」
「ヘルムート……」
俺が外で星空を見上げているとヘルムートがやってきた。そういえば……、かなり最初の頃はこの練兵場から森に入った所にこっそり鳥小屋を作っていたっけ。その頃からヘルムートとイザベラに色々と手伝ってもらうようになったんだ。まだ少し前のことでしかないのにもう随分昔のことのようで懐かしく思う。
「フローラお嬢様……、私はずっとフローラお嬢様をお慕い申し上げておりました」
「………………は?」
は?こいつは今何て言った?今さらっと気持ち悪いことを言わなかったか?
「今でもフローラお嬢様をお慕いする気持ちに変わりはありません。ですが……、あの時クリスティアーネお嬢様をお守りするように言われてから……、今までクリスタが私に寄せてくれた想いにも応えたいと思うようになりました。私はまだフローラお嬢様への想いがなくなったわけではありません。ですがクリスタとも向き合いたい。これからクリスタと向き合って……、自分の想いを確かめたいと思います」
「そっ……、そうですか……」
何て言ったらいいんだ?あまりに衝撃的すぎて何も言えない……。ヘルムートの野郎……、俺をそんな目で見ていたのか?これは何があってもクリスタとくっつけるしかない。やっぱりクリスタより俺の方が良いからとか言って戻ってこられたら堪らない。
傍で仕えてくれるのは良い。ヘルムートはとても優秀で頼りになる。だけど俺を女として見ているとか好きだとか言われたら気持ち悪い。俺は今は女なんだからそう見られても仕方ないよね、なんて割り切れるものじゃない。男同士の友達だと思っていた相手が自分を好きだったとか言い出したらどう思う?大半の者は気持ち悪いと思うだろう?今の俺の気持ちはそれだ。
「都合の良い勝手なことを言っているということはわかっています。これからもフローラお嬢様への忠誠が変わるわけではありません。こんな自分勝手な私でもこれからもお傍でお仕えさせていただけますか?」
「もちろんです。私はクリスタにもヘルムートにも幸せになって欲しいと思っていますよ。ヘルムートがどうしてもクリスタの結婚に乗り気でないのならばクリスタを止めるつもりでした。ですがヘルムートもそこまで前向きになってくれているのですから止める理由はありません。これからはクリスタと二人で支え合って私についてきてください」
「ありがとうございますフローラお嬢様!」
何とか取り繕えたかな……。頭を下げるヘルムートに……、俺は何とも言えない気分だった。