第百九十三話「相談!」
皆と牧場や農場の視察をした翌日の朝、急に父に呼び出されたので父の執務室へと向かったらとんでもないことを告げられて驚いた。ロイス家の三男の結婚についての相談……。つまりヘルムートの婚約、結婚についてだ。
俺は今までそんな話は聞いていない。ほとんど毎日俺に仕えていたというのにヘルムートは俺に何の説明もしていなかった。しかもクリスタという相手がいながら一体相手はどこの馬の骨だ!と思っていたらその相手はクリスタだった。二度驚きだ。
ロイス家が勝手に婚約や結婚話を持ってきていたのかと思ったらどうやらヘルムートとクリスタの婚約についての相談だったらしい。クリスタがヘルムートにお熱だというのはわかっていたけどまさかもうここまで進んでいるとは俺にとっても予想外だった。
クリスタもヘルムートも俺に一言の相談もないんだもんなぁ……。主君や親友としてはとても寂しく思う……。あるいは俺は信用されていないんだろうか……。
普通女の子の親友同士だったら恋バナとかするのが普通じゃないか?恋愛相談とか結婚の相談とかさぁ……。
まぁ逆に?現代だと友達とかにもそういう相談すらせず、恋人がいることすら知らなかった友人が急にできちゃった結婚します、とかいうお知らせをしてくるというのもあるっちゃあるだろうけど……。
俺としてはこうさぁ……、もっとこう……、『クリスタは好きな人いるの?』『私はヘルムート先輩が……』『きゃー!それでそれで?告白は?』『そんなのまだだよぉ。どうしたらいいかなぁ?』みたいな……。ちょっと夢を見すぎか……。現実はこんなものかもしれないな……。
それはさておき一先ずヘルムートの幸せ者にはおめでとうというしかない。クリスタはとても良い子だ。俺が普通の男だったら放っておかないレベルの子だろう。まぁ元根暗オタク系の俺がこんなキラキラなクリスタお嬢様に声をかけたり出来るかどうかは別として……。
どうもヘルムートパパはラインゲン家が何かを企んでいるんじゃないかと疑っているというか父の指示を仰ごうとしているようだけどその心配はないだろう。
ラインゲン家もバイエン派閥も今は大変な状況で余計な謀略を練っている余裕はない。そもそもクリスタの両親やクリスタがそんなことを考えているとも思えない。ただ単純に身分違いであろうとも、いや、だからこそ今のうちにクリスタだけでも家から切り離して投資詐欺事件の責任に巻き込まれないように送り出そうとしているのかもしれない。
俺もクリスタの結婚を後押ししつつ考える。今のヘルムートの扱いは非常にややこしい。ヘルムートだけじゃなくてカーザース家からカーン家に出向しているような形の者は全員だけど……。
最近の家臣達はカーン家の直臣が増えている。イグナーツをはじめとした兵士達は全員カーン家が直接雇っている。最初の頃こそイグナーツやアルマンやオリヴァー達は異動や出向だったけど今では直臣だ。家庭教師達もカーザース家との契約は終了してカーン家が雇っている。
それに比べてヘルムートやイザベラのようにカーザース家の家臣や家人でありフローラに仕えているという形になっている者は状況がややこしい。フローラに仕えるカーザース家の家臣でありながらフロトに仕えるカーン家の家臣でもあるようなものだ。今回のヘルムートの件をきっかけにこの状況を正したい。
父もヘルムートもあっさり了承したのでカーザース家から切り離されてカーン家の直臣になった……、と思ったけど思わぬ待ったが入った。
「ちょっ、ちょっとお待ちください。カーン騎士爵家の直臣になるということは給金の支払いはカーン騎士爵家からということですか?カーザース家ではなくカーン家がヘルムートや……、クリスティアーネを養えると?」
そりゃ養えるだろう。今のところカーン家から給料形式で払われているけど将来的にはどこかの代官を任せるか、いっそ領地の開拓が進めば領地を与えることもあり得るかもしれない。ヘルムートとクリスタが暮らすくらいのお給料は現在でも払っている。
「現時点でもカーン家からヘルムートの手当ては支払われています。クリスタと二人で暮らすくらいの額はあると思いますが?」
「いえ……、その……、人間二人が暮らせるだけのお給金があれば良いというものではなく……、その……、侯爵家のご令嬢の生活が……」
あぁ……、そういうことか。つまりヘルムートの安月給じゃクリスタの生活水準が落ちてしまうんじゃないかということだな。確かに現在のヘルムートの収入はラインゲン侯爵家には遠く及ばないだろう。同じだけの収入があって自由にお金が使えて生活水準が同じとはいかない。そんなことはクリスタも重々承知のはずだと思うけど……。
「わかりました。それではカーンブルクにヘルムートの家を用意しましょう」
これなら良いだろう。家は……、カーン邸に近い場所に入植初期に使われていた大きな建物がある。現在は使用されておらず倉庫代わりになっているからそこを改装すれば二人の新居に丁度良いだろう。広さも十分ある。何しろ数十人、数百人が入植初期に共同生活をして暮らしていた建物だ。
新婚夫婦に譲る新居が新築じゃないのは申し訳ないけどそれはこの世界では当たり前だから辛抱してもらおう。この世界では建物なんて中古が中心であり引越しても中古がほとんどだ。
そもそも貴族街とかは土地の広さが決まっている。町の中心などにあってそれ以上拡げられない場所が貴族街になっているために後から貴族街に家を持とうと思っても誰かの後しかあり得ない。もちろん家そのものを建て替える者もいるだろうけど貴族ですら基本は内装などのリフォームだけで中古の家に住むものだ。いくら侯爵家のご令嬢とはいえ若い二人の新居としては十分だろう。
すぐに倉庫代わりにしているので荷物を全部撤去して内装のやり替えを指示しなければならない。基本の造りはいつか直臣達の貴族街にしようと思っていたから貴族の邸宅風になっている。あとは入植者達が住んでいた時の簡単な間仕切りを撤去したり、庶民用に質素にしていた内装を貴族向けに豪華にすればほとんど手を加えることなく住めるだろう。数日か遅くとも数週間後には住めるようになるはずだ。
「家があってもですね……。もうはっきりお伺いしましょう。ヘルムートのお給金は一体いかほどなのですか?」
そうか……。まぁそうだな。執事は基本的に衣食住は保証されているからな。給料はそんなに多くない。現代風に言えば社宅に住んでいて食事も会社の食堂で提供されていて給料から天引きされているようなものだ。それなら手取りが安くとも仕方がないことはわかるだろう。
「カーン家からの名目では二十万ポーロです……」
月給二十万ポーロ。ざっと日本円で六百万円。年収七千二百万円だ。ヘルムートのような腕の良い筆頭執事がこの金額では安すぎる。腕の良い執事やメイドや家庭教師はどこでも引っ張りだこだ。もしヘルムートが自由契約ならば億円プレイヤーだろう。
「二十万……、それはさすがに……」
ハインリヒ三世も明らかに渋い顔をしている。そうだよな……。ヘルムートなら年収億単位でも当然だ。だけど待って欲しい。実は収入としてはそれだけじゃない。別名目で支払っているお金がある。
「ですがヘルムートには商会でも働いてもらっています。というよりもカーン家の仕事と当家の商会の仕事は不可分なので働いてもらっている分、商会から別途お給金が支払われています」
「ほう?それはいかほどで?」
うぅ……。ハインリヒ三世がジロリと睨む……。大した金額じゃないとわかっているんだろうな……。ヘルムートほど有能なら本当はもっと払ってあげたい。だけどヘルムートがこれで十分だっていうからその言葉に甘えてしまっていた。結婚するというのならご祝儀や家族手当的な意味も込めて給料を上げよう……。
「商会からも二十万ポーロです……」
両方合わせて月給四十万ポーロ。月給一千二百万円。年収一億四千四百万円だ。これで何とか辛うじてヘルムートを繋ぎとめている。だけどヘルムートの働きからしたら明らかに安いよな……。カーザース家の執事長マリウスはこの倍は下らないだろう。
「う~む……。四十万ポーロ……、それならば何とか……」
ハインリヒ三世も何とか渋い顔ながらも納得してくれたらしい。俺はカーザース家の内政にはノータッチだから当然ロイス家の収支については知らない。ただ子爵家の規模から考えたら収入はもっと遥かに多いだろう。固定の支出やカーザース家や王国への納税もあるから自由に使える金とイコールではないだろうけど……。
ラインゲン家もそうだ。それこそ侯爵家ともなれば相当な収支だろう。年間何十億何百億かもしれない。まぁ具体的なことは知らないけど……。その中から自由に使える金が一割や二割しかないとしても相当なものだ。
カーン騎士爵家の税収は微々たるものでしかない。人頭税と地税、そして農作物の貢納。領主貴族が領地から得る本来の収入のメインはこれらのものだ。他にも商人のような耕作を行なっていない者への税として市場税や営業税、関税などが課されている。
ただし現時点でのプロイス王国の税収としてはほとんどが人頭税や地税、貢納であり商業関係の税収はそれらに比べて微々たるものでしかない。理由は簡単でそれだけ経済が発達していないというだけのことだ。人は皆畑を耕し税として納め残りを食べる。これが基本であり大半だ。
うちは商業や運送が盛んで農業人口は少ないからむしろそちらの税収がメインになっている。農業関連の税収に比べて商業関連の税収は何十倍、何百倍、何千倍とある。それとは別にカンザ商会の売り上げがカーン家の個人的収入となっているから使えるお金はそれなりに豊富だ。
普通の大貴族ならば家臣に、例えば百人の住民がいる村を一つ与える、とかいう風にするだろう。そこから村を与えられた家臣が自分の分と主家に納める分の税金を徴収するという風になる。うちはそれが難しい。町も村も少なく人口もほとんどいない。ヘルムートに村を与えて終わり、というのは不可能だ。現金で我慢してもらうしかない。
「今度……、ハインリヒ子爵も一緒にヘルムートに与える家を見にいきましょう」
まだ不安そうにしているハインリヒ三世にヘルムートに与える家も見てもらうことにする。確かに執事の間なら屋敷に住み込みも出来るから衣食住の心配はなかった。給料とは別に全ての衣食住は保障されていた。だけど嫁がいるとなったら流石に屋敷に住み込みというわけにはいかない。給料の代わりに現物支給で何とか納得してもらおう。あとヘルムートの昇給も考えておく……。だから許してください……。
「はぁ……、わかりました……」
ハインリヒ三世の都合も聞きつつ予定日を決めておく。少し時間を空ければヘルムートに譲る屋敷の準備も済むだろう。俺もあまり暇じゃないからお互いの都合の良い日で改装も終わってそうな日を決めてその日はお開きとなった。
朝から予定外の面会があったけど俺はこの日の当初の予定通りに面接を行なう。本来の今日の予定はカーン家やカンザ商会に雇う者達の面接とか、カーン領への入植者達の面接だった。
近頃は色々とうちの情報を調べようとしている者達も多いからおいそれと変な人を入れるわけにはいかない。ある程度の事前調査や篩い落としは他の者達がしてくれているけど最後に俺が直接確認することも多い。
特に職人や技術者、重要な場所に雇い入れる者なんかがそうだ。ただ町に入って畑を耕したり家を建てたりする程度ならそこまで厳しくないけどそれでも無条件に誰でもというわけにはいかない。
あとカーン領と新たに商売をしたいという商人なんかもいるのでそちらの対応もある。これは俺が姿を見せたら舐められることもあるから隣室でこっそり様子を窺ったりして判断している。
朝に予定外のことがあったから少々時間は押しているけど概ね予定通りだ。順調に進めながら考える。
とうとうヘルムートも結婚か……。七つ上の兄と同い年だから二十二歳ということだ。この国では二十二歳なら結婚はむしろ遅いくらいとも言える。普通の貴族なら十代前半には婚約者がいて成人と同時に結婚してもおかしくはない。
幼い頃から支えてくれた有能なヘルムートと可愛い親友のクリスタの結婚か……。複雑でもあるけど素直に二人に祝福を伝えるとしよう。
あとヘルムートの昇給も考えてあげなくちゃな……。ハインリヒ三世に怒られない程度の給料と待遇は用意しないといけないだろう……。