百九十一話「説得!」
カタリーナに呼び出されたハインリヒ三世=ヘルムートパパとクレメンティーネ、ハインリヒ四世=ヘルムート兄の三人は落ち着いてカタリーナとヘルムート、そしてヘルムートの婚約者候補だという者達が帰ってくるのを待っていた。
ハインリヒ三世もクレメンティーネもこれまで長男や次男の結婚をまとめてきたのだ。三度目ともなればもう慣れたものでそれほど取り乱すことはない。最初の、長男の結婚の時は跡継ぎということもあり相手選びから初めての結婚の準備や段取りとおおわらわだった。
次男の時はさすがに長男の時よりは落ち着いていたがそれでも色々と知らなかったことも出てきて手間取ることもあった。
それらに比べれば三度目となる今回はそれほど慌てることもない。もうほとんどのパターンや手続きは経験しただろう。それにほぼロイス家の跡を継ぐ可能性がない子爵家の三男だ。嫁いできてくれる相手も相応のものだろう。もしかしたら貴族ですらないかもしれない。
ハインリヒ三世もクレメンティーネもそれでも良いと思っている。長男の時は完全なる政略結婚だった。次男の時はそこまで厳しくはなかったがそれでも政治的な色が濃い結婚だった。それならば家督を継ぐどころか領地も与えられない可能性が高い三男のヘルムートくらいは好きな相手と結婚させてやりたい。それが親心だった。
長男はこのままならばロイス子爵家を継ぐことになるだろう。次男の家も一門として領地に残る。ロイス子爵家の領地全てを継ぐのは長男だが次男の家にも領地が与えられて一門衆として家臣として仕えることになる。それに比べてさすがに三男にまで領地を与えるほどの余裕はない。
次男の家も領地持ちなのは一代限りかもしれない。まだ正式決定はしていないから流動的ではあるが永代領主にしてしまうということはロイス子爵家の領地が分割されるということであり先細りは目に見えている。次男の代だけ領主としてその子には引き継がせず長男家に領地を戻させて代官として領地を持たない家臣になる可能性が高い。
本家や次男家がそんな状況なのに三男に領地など与えられるはずもなく、そんな三男に嫁いでくる者など高望みは出来ない。
男爵や子爵家の次女、三女以下なら良い方で、下手をすればどこかの商人の娘、あるいは平民であっても不思議ではない。ヘルムートはフローラに仕えているためにフローラが嫁に出されるまでは仕事も安泰であろうが、フローラが結婚してカーザース家を出ていけば仕事すら失う可能性がある。
果たしてそんな状況で一体どのような相手が結婚してくれるというのか。それがわかっているから両親は無理に高望みせずヘルムートの望む相手と結婚すれば良いと思うようになっていた。
しかし……、その日カタリーナとヘルムートの帰省を待っていた三人が見たものは予想とはまったく違うものだった。両親と一緒に、領地経営は次男に任せてヘルムートの婚約者と会うために屋敷に帰っていた長男は我が目を疑う。両親も予想とはまったく違う相手が馬車から降りてきて少々驚きを隠せない。
馬車から降りたヘルムートが昇降台を用意し手を取って降りて来たのはとても美しく、また高度な教育を受けていることがはっきりとわかるご令嬢だった。年の頃はまだ少女と呼べるような幼いものだがとても美しく気品に溢れている。
家臣の贔屓目というわけではないが流石にそのご令嬢の気品や美しさも主家の娘であるフローラには敵わない。ロイス家の面々から見てもフローラは見た目の美しさも所作の完璧さも別格の存在だ。流石にそこまでとはいかないがそれでも長男や次男の結婚相手よりもよほど高位な貴族家のご令嬢ではないかと思える。
まさか、とは思う。ロイス子爵家を継がないどころか領地すら与えられない可能性が高いヘルムートにそんな高位の貴族家が嫁を出すはずがない。所作や教育水準が高くとも必ずしも高位貴族とは限らないだろう。商人の娘にだって高度な教育を受けて貴族と見紛うほどの所作を身に付けている者も存在する。そう気を持ち直して挨拶した。
「ようこそ参られた。私がこの家の主、ロイス子爵ハインリヒ三世だ」
「本日はお忙しい中お時間を取っていただきありがとうございます。お初にお目にかかります。私はクリスティアーネ・フォン・ラインゲンと申します。本日はヘルムート様と正式に婚約するためにご挨拶に伺いました」
堂々とした挨拶でハインリヒに応じる。姓も名乗っているしここまで堂々と貴族家の当主と接することに慣れているということは商人の娘の可能性はなくなった。子爵本人を相手にここまで堂々としていられるということは相当にこういったことに慣れている証拠だ。
チラリとヘルムートの方を見てみれば平然としている。これほど美しく、相当高度な教育を受けているであろうご令嬢を連れて来て平然としているヘルムートにハインリヒ四世は呆れとも嫉妬ともわからない複雑な感情を抱いた。
「こんな所で立ち話も何でしょう。さぁさ、座ってお話しましょう」
クレメンティーネの言葉で応接室へと移動する。このご令嬢が何者なのかはそこではっきりするだろう。そう思ってヘルムートパパ、ママ、兄は頷き合ってから腰掛けたのだった。
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簡単な挨拶や自己紹介を済ませてからさっそく本題に入る。息子や弟の結婚に関する話なのだから真剣な話だ。決して野次馬根性でこのご令嬢が何者か早く知りたいというわけではない。
「それで……、申し訳ないのだが私はラインゲン家という家のことを知らないのだが……、どのような家か教えていただいてもかまわないかな?」
クリスティアーネ・フォン・ラインゲンと名乗っていたのだから貴族であることは間違いない。しかしハインリヒ三世もクレメンティーネもハインリヒ四世もラインゲン家という家のことを知らなかった。知らないのなら相手に直接聞けば良いと尋ねてみる。
「はいお義父様、ラインゲン家はプロイス王国建国時より仕える歴史ある家です。戦功により侯爵家に叙されて以来今日までラインゲン侯爵家としてプロイス王国に仕えております」
「こっ、侯爵……?」
「「…………」」
その言葉を聞いて……、パパもママも兄も凍りついた。別に信じていないわけではない。確かにこれだけの高度な教育と所作を身に付けているご令嬢ともなれば侯爵家でも何ら不思議はない。問題はそんなことではないのだ。
侯爵家と言えば伯爵家の上だ。位が一つ違うことなど大したことじゃないと思ったら大間違いである。下の位の最上位と上の位の最下位ならばその差も僅かなものであろうが、基本的には位が一つ違えば天と地ほども身分に差がある。それが二つも違うということは最早別世界の人間と言っても過言ではないような相手だ。
そもそもカーザース辺境伯家の辺境伯とは伯爵家の家格に広大な領地と権限を持たせて辺境、即ち国境を警備する任を与えている。そのため辺境伯は伯爵よりも一つ上の格と看做される。つまり侯爵家とは自分達が仕える主家であるカーザース辺境伯家と同等かそれ以上ということだ。
辺境伯家の中でも最上位に位置するカーザース家は侯爵家と比べても家格は相当上位だろう。しかし辺境伯は所詮伯爵の上位強化版だと思われ侯爵家達からは軽く見られがちでもある。実際の家格や実力とは関係なく田舎のちょっと大きな伯爵家くらいに思われ軽んじられることもしばしばだ。
それに比べて正真正銘の侯爵家ともなれば侯爵家中最下位であろうともどこへ行ってもまず重んじられる。そんなまさに高位貴族のご令嬢ともあろう方が、まさか跡継ぎでもない、領地も与えられないかもしれない子爵家の三男の所に嫁いでくるなど到底信じられる話ではなかった。
もちろんこのクリスティアーネ・フォン・ラインゲンが侯爵家のご令嬢であることは本当なのだろう。それは疑っていない。もしこんな場で偽名を使い身分を偽ったとなれば最悪の場合は死刑もあり得る。ラインゲン侯爵家のことは知らなくとも調べればすぐにわかることであり、そんな無謀な嘘をつく理由もない。
信じられないのは何故ヘルムートの所へそんな身分のご令嬢が嫁ごうとしているのかということだ。身分に嘘はなくとも結婚話に嘘はあり得る。あるいは婚約だけして向こうから婚約破棄して『娘を疵物にしたから償いをしろ』などと言われるのではないかとすら思える。
「クリスティアーネ様……、しっ、失礼ながらヘルムートが三男で子爵家を継ぐ可能性がほぼなく、それどころか領地も与えられない可能性が高いことは御存知ですか?」
何とか震えそうになる声を堪えてハインリヒ三世はクリスティアーネに問いかける。
「はい。もちろん知っています。それでも私はヘルムート様と結婚したいのです。両親からもすでに許可は頂いております。あとはお義父様とお義母様、そしてお義兄様がお許しくだされば私はいつでも結婚する用意は出来ております」
真剣に、真っ直ぐに、そう言い切るクリスティアーネにパパ、ママ、兄は気圧される。何より『既に両親の許可を貰っている』というのが大きい。クリスティアーネが子供の憧れで一人勝手に結婚すると騒いでいるのならばご両親に伝えて宥めてもらえば良いだろう。しかしその侯爵家が許可しているとあっては子爵家では断るのは難しい。
逆に考えればわかりやすいだろう。どこかの高位貴族が、低位貴族のご令嬢を見初めて側室や妾、愛人として囲いたいと申し出てきた場合に断れるだろうか?答えは、断れない、だ。
もちろん断る方法はある。例えば自分の寄親や派閥の長に伝えて断ってもらうという方法はある。相手との関係は多少悪くなるだろうが何があっても絶対断れないということはない。そもそもそういう強引な嫁取りの場合でも一人娘や一人息子のような場合は強引に奪おうとしたら周りから反発を受ける。絶対に全てが上位貴族の思いのままということはない。
しかしそうは言ってもある程度の要求は通ってしまうのもまた貴族社会だ。長女は残すから次女や三女を妾に寄越せと言われたら断り難い。寄親や派閥の長に言ってもらうにしても相手と自派閥の力関係というものもある。その状況の逆を考えれば今の状況でロイス家が断れないのは一目瞭然だろう。
寄親であるカーザース家を頼る方法はある。そもそもカーザース家の寄子であるロイス家が勝手に他派閥の、それも侯爵家と結ぶなど許されることではない。まず寄親に相談というのは確定事項だ。それでもカーザース家が断ってくれるかどうかはわからない。カーザース家とラインゲン家の力関係がわからないロイス家にはそれは判断しようがなかった。
「良いのですか?当家では到底侯爵家の生活は保障出来ません。クリスティアーネ様はそれでも……」
「お義父様、そのクリスティアーネ様というのはやめてください。私はこれからお義父様の娘となるのです。家長が三男の嫁にそのような態度ではいけませんよ」
クリスティアーネにそう言われて言葉に詰まる。確かにそうなのだが侯爵家のご令嬢相手に子爵如きが偉そうになど出来るはずがない。そもそもクリスティアーネの狙いがわからない。ラインゲン家がロイス子爵家に影響力を持ったり乗っ取ったりしようとして何のメリットがあるというのか。大切な娘を嫁に出してまですることとは思えない。
相手の狙いがわからないのは不気味だ。もしこれがラインゲン家によるカーザース家臣団の切り崩しならば早急に対応しなければならない。
しかし……、ハインリヒ三世にもクレメンティーネにもクリスティアーネがそんなことを企んでいるようには見えなかった。たったこれだけしか話していないが芯の通った真っ直ぐした子だということはわかる。そしてヘルムートを見詰めるその目に含まれている感情が読み取れないほど耄碌もしていない。
クリスティアーネは間違いなく本心からヘルムートを慕っている。二人の身分の差から考えればラインゲン家が何故この結婚を許可しているのかはわからない。それはわからないが若い二人はお互いのことを好きあっているのだろう。もしかしたらここで結婚を許さなければこの二人は駆け落ちまでしてしまうのではないかとすら思えた。
ならばすることは一つだ。パパもママもヘルムートが本気で結婚したいと思い、相手もそれを承諾しているのならば迷うことはない。ただカーザース辺境伯家に相談に行き、ラインゲン侯爵家の本心を探り出す。
「わかった……。お前達の気持ちが固いというのなら私達から言うことは何もない。ただしカーザース辺境伯家に仕えるロイス子爵家としては主家にお伺いを立てることはしなければならない。その結果までは保証出来ないがそれで良いな?」
「ちっ、父上!?」
声を上げたのはハインリヒ四世だった。兄はまだ納得もしていないし何か裏があるのではないかと疑っている。しかしパパとママはもう許可しようという気になっていた。
もしかしたら自分は王都へ出向かなければならないかもしれない。カーザース家に相談した後、直接王都へ出向きラインゲン家と膝を詰めて話し合わなければならないかもしれない。その覚悟と同時にハインリヒ三世は若い二人の仲睦まじい様子を見て前途に幸多きことを願ったのだった。