第百八十八話「水掛!」
俺一人での視察の予定だった時はアースタル川からヴェルゼル川までの掘削ルートを確認しながらヴェルゼル川まで行って帰ってくる予定だった。だけど皆を連れてのピクニックとなった今回は流石にヴェルゼル川まで行って帰ってくるだけというわけにはいかない。
調査員や職人の棟梁達や役人達だけでヴェルゼル川まで調査に行ってもらうことにして俺達は途中でアースタル川まで引き返すことにした。お昼になるまでの半分の時間進んできたから残りの時間を戻りに費やせば昼頃にはアースタル川まで戻れるだろう。
皆とピクニックしたいからって俺が仕事をサボっていると思ったら大きな間違いだ。どうせ俺がヴェルゼル川までついて行っても専門的なことはわからない。発想や知識としては現代日本の知識がある。そういう面で多少のアドバイスは出来るけどこの時代のこの国の技術水準でどのようなことが出来て、出来ないのかは俺にはわからない。
そういうことを考えるのは専門の者達の仕事であって、俺はそこに少しのアドバイスや意見を言ったり、最終的な可否を判断したり予算執行したりするだけで良い。皆だって仕事の時に現場のことなんて大してわかってもいない上司がやってきてあれこれとトンチンカンな指示を出したら鬱陶しいだろう?それと同じだ。
だから俺は決して遊んでいるわけじゃない。専門のプロにお任せして後で説明を受けたり最終的な判断を下せば俺の役目をきちんと果たされている……、ということにしておこう。
いいじゃないか!ちょっとくらい皆とピクニックを楽しんだって!俺だってちょっとは歳相応に遊びたい!中身おっさんだけど若い女の子達とキャッキャウフフしたい!休暇中なんだからこれくらいバチは当たらないだろ!
「ねぇフローラ、一人でバタバタとどうしたの?」
「いつもの発作です。そうっとしておいてあげてください」
おい!カタリーナ!それはいくら何でもひどくないか!?ミコトも心配しているというよりは呆れているような感じだ。なんて薄情な友達なんだ……。
まぁいい。それより今はピクニックを楽しもう。
「さぁ皆さん、アースタル川が見えてきましたよ。あの辺りに敷物を敷いてお昼ご飯にしましょう」
ひどいことを言うミコトとカタリーナをスルーしてピクニックによさそうな場所を見つけて皆を誘導する。行く時からある程度目星をつけていたから慌てて探すこともなかった。
川の横にあるちょっとだけ盛り上がった土地に木が生えている。その木陰を利用するようにレジャーシートを広げて川を見ながらお昼ご飯にすることにした。日除けシートやビーチパラソルのようなものも持って来ているだろうけど日除けシートを張るのは流石に少々手間がかかりすぎる。木陰を利用しつつ木陰から出る部分にはビーチパラソル的なものを使うということで良いだろう。
地球でも古代ギリシアやエジプト、ローマなどでは日傘があった。だけどローマ以降の文明の衰退や日照時間の短さなどもあって西欧では次第に廃れて十七世紀くらいまでは利用されない時代が訪れる。プロイス王国でも日傘を差すというのはほとんど見たことがない。プロイス王国で晴天の日中に差すのは日傘じゃなくて汚物除けだ。そこで俺は自分用に日傘を作った。今持って来ているのもカンザ商会の商品の一つであるビーチパラソルだ。
俺としては別に無理に日傘を広める気もないし売ろうとも思っていない。だからカンザ商会でも日傘やビーチパラソルもどきはほとんど売れていない商品の一つだ。あくまでこれは俺が自分で使いたいから作ったものであって、売れないからって悔しくなんてないんだからね!
なんてな。まぁ本気で売ろうと思えばもっと売り込む方法なんていくらでもあるわけで本当にそんなに売ろうというつもりはない。あくまで俺の趣味だ。それに俺は色白だからあまり焼けるのもよくないと思う。普段からサテングローブをしたりして素肌をあまり出さないのもそのためだ。決して男に肌を見られるのが嫌だからじゃない。
「今日の昼食は何かしら?フロトのお料理はいつもいつも楽しみだわ」
「ふふっ、それはどうもありがとう。それじゃあ召し上がれ」
家人や護衛達が敷いてくれたレジャーシートの上に座るとお弁当を広げた。皆は蓋が開かれるお弁当に集中している。そこまで楽しみにしてくれているのなら作った甲斐もあるというものだ。こんなことならもっとちゃんとした料理を作っておけばよかった。今朝急にお弁当を用意したからそんなに期待されると少し申し訳なく思う。
「今朝急に用意したものなのでそこまで期待されると大したものではなくて申し訳ありませんが……」
「うわぁ!何これ?すごいね!」
ルイーザさん……、何かわからないのにすごいねって何かおかしくないですか?
「うん。おいしそうだね。フロトは良いお嫁さんになるよ」
「あっ……、ありがとうございます……」
うれしくねぇ……。クラウディアにとっては俺はお嫁さん側なのか……。俺からすると俺が夫で皆の方がお嫁さんなんだけど……。
「これは何ですか?どうやって食べるのかしら?」
「あぁ……、これはサンドイッチといいます。このようにして手で持って……、そのままかぶりつきます」
アレクサンドラに見せるようにたまごサンドを一つ取ってそのまま齧る。皆がおおーっ!と声を出す。そんなに驚くことか?
「私はこれにするわ!」
「じゃあ僕はこれかな」
「えっと……、私は……」
ミコトはカツサンドを取りクラウディアはサラダサンドを取った。ルイーザはどうしようかと迷っているようだ。
「別に一人一個とか一種類というわけでもありませんから……。どれでも好きなだけ食べてください……」
俺がそう言うと皆が色んな籠に手を伸ばし始めた。どうやら一種類の籠を手に取ったらそれを自分の分として食べるものだと思っていたようだ。皆が並べてある籠から好きなものを取れば良いと聞いて全種類を制覇しようとあれもこれもと手を伸ばす者や、自分のペースで食べる物を厳選する者など食べ方は色々だった。
今朝急遽用意したから俺は最初はお手軽なサンドイッチにしようと思った。だけどサンドイッチも挟む物によっては手間がかかる。たまごサンドのたまごだって茹でて潰してと多少の手間はかかるけどそんな比じゃないのが揚げ物だ。どうせならカツサンドも作ろうと思ったのが間違いだった。
カツを揚げるためには下拵えにも手間がかかるし油を熱するのにも時間と薪が必要になる。この世界では大量の薪を使うことは贅沢だし揚げ物なんてそう簡単に出来ることじゃない。
たまごサンド、サラダサンド、カツサンドの三種類のサンドイッチに加えて他にもおかずを用意してある。折角カツを揚げるのに油を熱して段取りしたからとさらに余計なものにまで手を出してしまった。
それはずばりから揚げとフライドポテトだ。
から揚げもどきは作ったことがあるけど胡椒は貴重だったし醤油はないしで魚醤をつけて作ったなんちゃってから揚げだった。だけど今は醤油もみりんも胡椒もある。そこで図に乗った俺はから揚げとフライドポテトまで作ってしまった……。事前の下準備もしていなかったのにそんなことをすれば出発が遅れるのも当たり前だわな……。
「これは何?」
「から揚げですね。この串で刺して取って食べてください」
一つ楊枝で刺して食べる。楊枝というか串というか……。それはどっちでも良いけど手軽に食べられるように今日は手や楊枝で食べられるようにしてある。そのためのサンドイッチやフライドポテトだ。
「ちょっ!うまっ!これ醤油?」
さすがにミコトは気付いたらしい。醤油とみりんに、胡椒と一緒に王都で仕入れてきたしょうがとにんにくで浸けて揉み、じゃがいものでんぷんで作った片栗粉……、カタクリから作ってないから片栗粉じゃないけど現代だってじゃがいもから片栗粉を作ってるから良いだろう……、で衣をつけて揚げたものだ。
そう!現代のから揚げとほとんど変わらない。味や出来は調理した人間、つまり俺の腕が伴わないから所詮は家で素人が作ったレベルだろうけど素材で言えば現代日本とそう大きく変わらない水準にまで達している。
初期の頃から考えれば随分と材料も良くなったものだ。胡椒もしょうがもにんにくも今回たまたま手に入っただけで安定供給や仕入れのルートが確立されたわけじゃない。だから今回だけの特別なものだ。次はいつこれだけの食材が揃うかわからない。それだけに俺にとっても思い入れの深いから揚げとなっている。
「こっちの……、芋?これもおいしい!」
フライドポテトにも手が伸びたかと思うとあっという間に皆が食べ始める。フライドポテトも胡椒が手に入ったお陰で出来たものだ。
護衛や家人達にも少しだけお裾分けしておく。全員が満腹になるだけ作ろうと思ったら物凄い量を作らなければならなくなる。残念ながらそこまでの余裕も時間もなかったのでちょっとした味見程度だ。それでも皆満足してくれたようでお弁当はあっという間に空になったのだった。
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女の子用にしては多すぎたかなと思ったお弁当も全て平らげてくれた皆はサラサラと流れるアースタル川を眺めながら食休みをしていた。木陰とパラソルの日陰に涼しい風が吹き抜けて心地良い。
「そうだ!水遊びしましょうよ!」
「えぇ……」
ミコトはまた……、何というか本当にやんちゃなお姫様だ。魔族の国でも作法だのお姫様らしくだのというものはあるだろう。実力至上主義だ!なんてバイオレンスな世界でもなかろうに……。
「いいね!私も昔はよく小川で遊んだよ!」
「ルイーザ……、アースタル川とあの小川では規模が違うでしょう……」
確かにルイーザはカーザーン北の農場の隣に流れていた小川でよく遊んでいただろう。だけどあの小川とアースタル川では規模が違う。あの小川でどれだけ遊んでも溺れるのは難しいけどアースタル川では水難事故も起こり得るだろう。
「まぁそう堅いこと言いっこなしだよ」
「さぁフローラ様、まいりましょう」
「はぁ……」
皆に押し切られて川べりまで行く。クリスタもいるから事故だけは気をつけなければならない。
「ヘルムート、クリスタに事故があってはいけません。何かあれば守ってあげるのですよ?」
「かしこまりました」
これでいいか……。危ないからと何も与えないのは余計に悪い。危ないからといって子供に切れないハサミを持たせるようなことはしてはいけない。名言だな。
「えいっ!」
「おっと」
相変わらずいたずらっ子のミコトが水に入って俺の方にかけようとしてきた。当然俺がそんな水なんて被るわけがない。さっと避けるとミコトは頬を膨らませていた。
「どうして避けるのよ!」
「被ったら濡れるではないですか……」
そりゃ避けるだろう……。何で濡れるとわかっていて水を被らなければならないというのか。
「隙あり!」
「ありません」
ミコトの方を向いていると横からクラウディアが同じように水を掬ってかけてきた。だけどそんなものにやられるはずもない。再びさっと避けるとクラウディアも頬を膨らませていた。
「これは?」
「無駄です」
ルイーザまで一緒になって俺に水をかけようとしてくる。何で皆揃って俺に水をかけようとするのか。
「フローラ様、申し訳ありません」
「ですから被りませんってば……」
カタリーナまで……。これはあれか?全員敵なのか?
「皆さん、そうフローラをいじめるものではありませんわ。ねぇ?えいっ!」
「アレクサンドラ……」
アレクサンドラだけは味方だ。そんなことを思ったら駄目だ。口でそう言いながらアレクサンドラまで俺に水をかけようとしてきた。やっぱり全員敵だ。
「そこまでするということは自分達が反撃されることも覚悟の上ということでよろしいですね?」
「ちょっ……、まっ……、待ちなさいフローラ」
「ちょ~っと落ち着こうか?」
「あはは~……」
「私は何も……」
「フローラさん誤解ですわ」
何が誤解なのか。一方的に攻撃して自分だけ反撃されないなんて思ったら大きな間違いだ。俺の本気を見せてやろう。
「問答無用です!」
「「「「「きゃ~~~~っ!」」」」」
川の浅い所に入った俺はバシャバシャと皆に水をかける。俺の狙いから逃げられるわけもなく皆びしょびしょに濡れていた。
「ちょっと!フローラ!やりすぎよ!」
「こっちも皆で反撃するんだ」
「あははっ!」
皆濡れたことで吹っ切れたのかもっとバシャバシャと水を掛け合う。あぁ……、これだよこれ。これこそがまさにキャッキャウフフじゃないか?砂浜で走って追いかけっこするのも良いけどこういうのも良い。海じゃなくて川だけどこれこそが俺が求めていたものじゃないか。
転生して……、皆とピクニックに来てよかった。心からそう思える一時を楽しんだのだった。