第百八十五話「下の兄!」
明らかにうろたえているフリードリヒの姿が見られて少しだけ溜飲が下がった。でも逆にフリードリヒは俺に対して色々と怒りを覚えたようだ。
「何故ラインゲン様やヴァンデンリズセン様のような方々がフローラのような者と?」
「フローラ様は学友でとても親しくしていただいております。今回も学園の長期休暇の間にご実家に招待してくださったので訪ねてきましたがご家族の方にご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」
クリスタが頭を下げる。これは完全に嫌味だな。
「頭を上げてください。このような田舎の小さな家ですがどうぞゆっくりしていってください」
何というか……。『カーザーンの神童』?学園始まって以来の俊英?これが……?
「そういえば『私達が乗ってきた馬車』が邪魔だったわね。荷物は後で良いわ。まずはどけてあげましょう」
「あぁ!気がつきませんでした。おいお前達!何をしている!早くヴァンデンリズセン様のお荷物をお運びしろ!」
「「「はっ!」」」
フリードリヒがゾロゾロと連れていた執事達が馬車の荷物を降ろそうとする。だけどこの執事達の程度の低さは何だ?荷物の扱いが悪すぎる。客人の荷物を預かっているというのになんて雑なんだ。これじゃかえって失礼だろう。
「ちょっと!あんた達は荷物の運び方も知らないの!もういいから触らないでちょうだい!」
我慢の限界に達したミコトに追い払われて執事達がスゴスゴと引き下がる。フリードリヒが連れている執事やメイドは皆若くて見た目は麗しいだろう。だけど執事やメイドとしての質は低いと言わざるを得ない。到底貴人を相手に接待が出来るような者達じゃない。
「それではお部屋へご案内しろ!」
「「「はっ!」」」
どうやらもうこれ以上顔を合わせていたらボロが出るだけだと思ったようだ。イケメン風執事達にミコト達を無理やり案内させて父や母共々家の中へと押し込んでしまった。残っているのは俺とフリードリヒ、そしてヘルムートとカタリーナだけだった。
他の俺の家人達や御者達は皆の荷物を降ろして馬車を移動させている。この場で向かい合っているのはこの四人だけだ。
「この愚か者が!人を紹介する際の作法も知らないのか!」
誰もいなくなったら早速俺に文句を言ってきた。確かに普通なら礼儀として高位の者から紹介していく。あの場で一番ならミコト、次がクリスタ、そしてアレクサンドラからは先ほどと同じ順となるだろう。それがクリスタやミコトの紹介が後になれば礼儀に反することであるのは間違いない。
普通に考えたら俺が取り得る手段は二つだった。一つは馬車が混んでいるから簡易的に挨拶を済ませるためにやってくる順に紹介することだ。これなら非礼にはあたらない。簡単に言えば並んでいる順に握手したり挨拶したりするのは当然の話だろう。そこへ後から高貴な者だからと割り込む方がマナーが悪いようになってしまう。
二つ目は全員が揃ってから家格や序列順にきちんと作法に則って紹介することだ。それなら何も問題はなかった。上の並んだ順というのは本当に簡単に挨拶を済ませるためだけの簡易的なものだから正式に挨拶するのならこちらだろう。しかし結果的にこのどちらでもなかった。
ミコトが後ろで操作していたから俺はミコトが前に押し出してくる者を順番に紹介するしかなかった。アレクサンドラ、クラウディア、ルイーザと徐々に家格が下がるように紹介されていれば残りはもっと低いと勘違いしてもやむを得ない。確かに順番だけで考えればな……。
だけど普通ミコトやクリスタの格好を見て平民のルイーザより後に紹介されるからってそれより低いと思うか?思わないだろ?
二人はそれほど豪華すぎないとはいえ十分上等なドレスを着ている。それで平民の後に紹介されるから平民だろうなんてどこの馬鹿が考えるというのか。そう判断したフリードリヒの頭が足りないだけだろう。
そもそも人を家格や序列でしか判断しないなんて奴は碌な奴じゃないと思う。父や母ならば俺がクラウディアやルイーザを連れて行った時もきちんと丁寧に対応していた。相手が自分より格下だからと偉そうに振る舞うような者は本人も小物だとしか思えない。
とはいえこの兄と揉めるのも得策じゃない。父が引退してフリードリヒが領地を継げば嫌でもお隣さんになる。これから長い付き合いになる隣の領主だというのにつまらないことで揉めてこれから何十年とネチネチやられるのも嫌だ。
「申し訳ありません」
「ふんっ!これだから使えない奴は……」
まだブツブツと文句を言ってるけど一応収まったというところかな?俺に直接言っているというよりは一人でブツブツ言っている感じだ。これなら放っておいても良さそうだな。
「まぁいい。私はこれから出かけなければならない。することもなくて暇なお前と違って私は将来このカーザース領を纏め上げるために毎日忙しいのだ。……ん?お前どこかで見たことがあるな?」
フリードリヒはヘルムートをジロリと見ながらそんなことを言い出した。……こいつもしかして昔自分に仕えていて、しかも自分がいらないと捨てた家人の顔なんて覚えていないのか?
「ご無沙汰しております。ヘルムート・フォン・ロイスでございます」
「ロイス?ヘルムート……。ヘルムート……。あぁ!使えないから私が放っていった執事か。何だ。私のお古の執事などあてがわれているのか?はははっ!愚図なお前には使えない執事がお似合いだな!」
ヘルムートが使えないねぇ……。俺が聞いた話では自分よりヘルムートの方がモテるから嫉妬に駆られて学園に通いに王都へ出るのをきっかけに捨てて行ったと聞いてるけどね。
「ヘルムートはなくてはならないほどに役に立ってくれています。それもこれもフリードリヒお兄様がヘルムートを私に譲ってくださったお陰です。とても感謝しています」
「ふんっ!……ん?そっちのメイドは見たことがないな。中々上玉じゃないか。どこで見つけてきた?何なら私のメイドとして雇ってやろう。名前は?」
今度はカタリーナに目をつけたらしい。ニヤニヤといやらしい顔で俺のカタリーナを舐めるように見ている。とても不快だ。俺のカタリーナをそんな目で見るな。
「カタリーナ・フォン・ロイスです」
「ロイス?ほう?ということはお前はヘルムートの妹か何かか?」
さすがのフリードリヒでもその程度の察しはつくか。まぁ普通はわかるわな……。ここに歳の近いロイス姓の二人が執事とメイドの姿で並んで立っていれば普通に考えて兄妹かなと思うだろう。
「はい。ヘルムートは兄です」
「ふむ……。おい、お前は今日から私のメイドになれ。どうせそのうち嫁いで出て行くフローラに従っていても先はないぞ。私のメイドになるのならばロイス家にも便宜を図ってやろう」
あぁ、くそっ!イライラする!俺のカタリーナをいやらしい目で見やがって!
「お断りいたします。私が仕えるのは唯一人、フローラ様だけです」
「カタリーナ……」
兄を相手にカタリーナは完全に言い切った。実家を引き合いに出したのは脅しも含まれているはずだ。それなのに微塵も迷うことなくカタリーナは即答で断った。
「どうやら言葉の意味がわからなかったようだな。ならば良い。兄妹ともどもどういう目に遭うか覚悟しておくが良い」
明らかに興醒めした顔でフリードリヒはカタリーナにはもう欠片も興味がないという表情をして顔を背けた。この兄は一度でも自分の思い通りにならなかった者は全て捨ててしまうんだろう。この兄の周りに侍る者達を見ればどういう者達が残っているのか考えるまでもない。
「フローラ、お前はカーザース家がより発展するための駒の一つでしかない。分を弁えておけ。いくぞ」
「「「はっ!」」」
最後にそれだけ言うとフリードリヒは用意された馬車に乗って出て行った。我が兄ながら何というか……。可哀想な奴だ……。どうしてあの父と母からあんな風に育ってしまったのか。もうあの歳になったら人格や性格が直る可能性も低いだろう。この先フリードリヒは色々大変なことになるかもしれない。
俺にその火の粉が飛んで来ないのなら知ったことじゃない……、と言えればどれほど気が楽なことだろうか。でもあんな者でも兄は兄だ。願わくばフリードリヒもせめて平穏な人生を歩めますようにと、走り去っていく馬車を眺めながら願わずにはいられなかった。
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家に入ると皆が俺を待ってくれていたようだ。そこには下の兄ゲオルクもいた。
「ゲオルクお兄様」
「やぁフローラ、おかえり。久しぶりだね。元気だったかい?」
この兄は気の良い兄だ。あるいは領主や貴族としてはフリードリヒのような者の方が優れているのかもしれない。現代日本の価値観を持つ俺からすればフリードリヒは到底人格者とは思えないような奴だ。だけどゲオルクのようにここまでおっとりしているのもどうだろうか。貴族としてはこれほどのほほんとしていたら生き辛いかもしれない。
それでも俺はゲオルクのことは好きだ。この兄となら良い関係を結べるだろう。俺がお隣の領主として考えるならばフリードリヒよりもゲオルクに領主になってもらいたい。それを判断するのは父であって俺じゃないから何とも言えないけど……。
皆の紹介も終わって打ち解けた所で食堂で全員揃って昼食にする。ここにフリードリヒが居たらクラウディアやルイーザが同じ席に座って食事を摂っているなど到底許されなかっただろう。フリードリヒが出かけてくれたのは都合が良かった。
フリードリヒがいないお陰で和気藹々とした昼食も終わり食休みをしているとミコト達が話している声が聞こえてきた。同じ部屋にいるんだから聞こえるのは当たり前であって決して俺が盗み聞きしているわけじゃないということは言わせてもらう。
「それにしてもあのフリードリヒって奴はいけ好かない奴だったわね」
「そうですね……。私とミコト様に対してだけはあからさまに態度が違いましたね」
ミコトの言葉にすぐさまクリスタが反応した。そしてそれに続いて皆もあーだこーだと言い出す。
「明らかに私達のことは見下しておりましたわね」
「そうだねぇ~。フロトのお兄さんだからあまり言いたくないけどあれはちょっとないかな」
「私は……、ちょっと怖かったかな」
皆の中ではフリードリヒの評判は最悪だな。まぁ初対面があれで良い印象を持てという方が無理な話ではあるけど……。皆の意見は、俺の兄なのにどうしてあんな最悪な奴なのか、という話になっているようだ。それは下の兄ゲオルクがまともだから余計にそう思うらしい。
俺だって何でこの家に育ってあんな風になったのか不思議で仕方がない。厳格な父と母に育てられて、きちんとした家庭教師もつけられている。その証拠に下の兄ゲオルクは至極真っ当だ。それなのに何故上の兄フリードリヒだけがああなのかさっぱりわからない。
「えっとね……、君達?私のことを良く言ってくれるのはうれしいけど私がいる前でそんな話をするのは不用意じゃないかな?」
「ゲオルクお兄様はフリードリヒお兄様に皆がこの場で話していることを伝えられるのですか?」
まぁゲオルクの言うこともわかる。ここには俺達だけじゃなくてゲオルクまでいる。そんな場所で堂々とフリードリヒの悪口をいうのもどうかと思う。思うけど言うのもやむを得ないだろう。着いて早々あんな奴に出会ってあんなことを言われたら誰でもすぐに愚痴の一つでも言いたくなるってもんだ。
「そんなことを言えば私が兄上に何を言われるかわかったものじゃないよ」
「ならばゲオルクお兄様が心の中に仕舞っておいてくだされば良いだけではないですか」
ゲオルクの答えは予想通りだ。ゲオルクがフリードリヒに密告しようとしてもそれを聞いただけでフリードリヒはゲオルクにまで当り散らすだろう。それならばわざわざゲオルクがフリードリヒに密告して教えてやる理由はない。黙って放っておくだけだろう。
「私のことではなくてね……。淑女達が真昼間から他人の目や耳がある場で殿方を批判するのは感心しないよ」
ゲオルクは真面目だねぇ。男だろうが女だろうが人間なんてこんなものだろう。ちょっとした愚痴や憂さ晴らしくらいは誰でもするものだ。それに皆はあえてゲオルクのいる場でこう言ってるんだと思うけどね。
まぁそれは俺の予想でしかないし、これからも皆はゲオルクやフリードリヒと長い付き合いになるだろう。だったらこうして腹を割って話すというのも重要じゃないかなと俺は思う。もしかしたら皆もそう思ってあえて本心でゲオルクと話しているのかもしれない。そんな食休みがゆっくり過ぎていったのだった。