第百八十三話「運河構想!」
もう命名されて大々的に発表されてしまったものは仕方がない。今更なかったことには出来ないし今から変更するとなればそれはそれで面倒なことになる。そもそも何故今更突然名前を変更するのかという話になるだろう。それはきちんと事前に名前をつけて管理していなかった管理者、つまり俺の落ち度ということになる。
別に俺に落ち度があったということが広まろうが批判されようが多少のことは構わない。実際新しい村の名前について事前に聞いていなかった俺も悪いだろう。いや、聞いたんだよ?だけど『当日をお楽しみに』と言われるだけではぐらかされていたからそのままにしていた。何かサプライズでもあるのかと思って無理に追及しなかったのがこの惨事の原因だ。
俺の落ち度なのは良いけど今さらこれだけ盛り上がっている第一次入植者達にやっぱり名前を変えますなんて言い出せない。これはもう決定として俺が我慢するしかないだろう……。
「それでは少し村を視察しましょうか」
「ご案内いたします」
村開きの催しも進み今は各自が立食形式のパーティーを楽しんでいる。挨拶回りも済んだ俺は新しい開拓村フローレンの視察に出ることにした。
到着した時は村の入り口からヴェルゼル川まで向かってから村開きの会場へと向かった。他の所はまだ何も視察していないから順番に見ていく。
まずざっと村を回ってみても普通の小さな村のようにしか見えないだろう。だけど当然ながらうちの領内は全て上下水完備だ。こんなすぐ隣に立派な川が流れているというのに上水が必要なのかと思うかもしれない。確かに他の普通の地域ならば川から直接水を汲んで利用するだろう。でもうちは違う。
フローレンの上流、南の方に浄水場が建設されておりそこから上水道を通って村に上水が供給されている。まぁ浄水場なんて言っても現代地球の浄水設備ほど大したものじゃない。水に混ざっているゴミや砂を取り除き、石や砂利や砂の濾過装置を通しているだけで現代のように塩素消毒しているとかそんなことはない。
元々川や井戸の水を汲んでそのまま使っているんだからこんな程度の浄水設備でもすぐさま健康に影響があるということはないだろう。むしろうちのように多少なりともそういった設備を通しているのに何かあるのならば他のただ水を汲んで利用している流域民は全員が影響を受けることになる。
下水も他の町と同じように下流まで引っ張っていきある程度の処理をしてから最終的にヴェルゼル川に流されている。上下水完備はうちの領地内では全て徹底するようにしている。そういった目に見えない埋設物はともかく村自体は計画的に区画整理されている以外は普通の村だ。だけど普通の村じゃないところもある。
まずこのフローレンは町の規模に比べて巨大な造船所、ドックが並んでいる。そしてそれらの造船所で建造される船が着く船着場、立派な河港が整備されている。
さらに村の川上の方、南側には巨大な要塞が建設中だ。ここは対フラシア王国の最前線になる軍事拠点ともなる。そのためには要塞や港が必要になるのはわかるだろう。
俺の目的としてフローレンに期待したい役割はいくつかある。まずはヴェルゼル川を下ってヘルマン海に出る水路を確保することだ。ヴェルゼル川は途中でフラシア王国の領内を通ることになる。だけどそれらを跳ね除けてでもヘルマン海に出るのが俺の目的だ。そのためにはここを十分な軍港にする必要がある。
それにこちらが戦争を意図していなくても向こうから攻めてくる可能性もある。陸路で攻めてくるのならばもっと南を通るだろう。下流に行くほど川の流量も多くなるし川幅も太くなり水深も深くなる。そもそもこの辺りは渡ったとしても深い森の中であり大軍が行軍するには向いていない。
今でこそカーン領として俺が整備しているけどそんなことはフラシア王国側は知らないだろう。それならば大軍を送り込んでプロイス王国を攻めるならば旧来の大きな街道を通ってくる可能性が高い。となればカーザーンより南にある両国を渡る街道を通るのが一般的だ。
それ以外にヴェルゼル川を渡河して奇襲してくるつもりならばカーザーンよりは北側、つまりフローレンの南側を通る可能性がある。そういう敵を防ぐために要塞を建設している。
陸路で来るのならフローレンよりは南を渡河するだろうけど船がやってくる可能性も考えておかなければならない。その場合はヘルマン海からヴェルゼル川をフラシア王国の船が上ってくることになる。そういった船と戦うことも考えて北側には敵の船に対処するための設備が建設されている。
ヴェルゼル川はディエルベ川に比べてやや小さい。水の流量も川幅も水深もディエルベ川に劣るものだ。この川でもうちの大型船でも通れるだろうけど思わぬ浅瀬もあるだろうし調査と川底の改良は必要になるかもしれない。
キャラベル船やガレオン船は喫水が比較的浅い。ガレオン船は船体が大きいけど喫水は浅いからある程度はヴェルゼル川でも使えるだろう。キャラック船はわからない。キャラック船は喫水が深いので浅い川底に乗り上げる可能性もある。
フローレンに建設されている造船所はキャラベル船用のものが完成しており船の建造も開始している。ガレオン船用のものは現在建設中だ。ガレオン船が入るドックならキャラック船も建造出来るからうちが造っているキャラック船用サイズのドックはここにはない。
俺は最終的に過去にフラシア王国に割譲された領土を奪還しようと思っている。もちろん国と国の問題だから一地方領主でしかない俺一人でプロイス王国とフラシア王国の戦争を決定することは出来ない。ただ何も戦争をしなくても取り返す方法はあるだろう。お前達が奪った土地を返せと言えば良い。
魔族の国と話をつけて不可侵条約でも結ぶ必要はあるだろうけどプロイス王国の発展のためにもフラシア王国に奪われた領土は是が非でも奪還しなければならない。
プロイス王国には他にも重要な河川がある。その中の一つにレイン川というものがある。レイン川はヴェルゼル川よりさらに西側を流れる大河でありその大きさはディエルベ川よりもさらに大きいと聞く。
レイン川はプロイス王国の南西にある大山脈を源流とするそうでそこからプロイス王国を北に流れてヘルマン海へと注いでいる。その流域は元々はほとんどがプロイス王国領内を通り、最後にホーラント王国を通ってヘルマン海へと注いでいた。しかし今では下流域のほとんどはフラシア王国に割譲されている。
これらの地域を取り返しヴェルゼル川、レイン川からヘルマン海へと出なければ早晩プロイス王国は凋落するだろう。
もちろん無理に戦争をして奪い返そうというつもりはない。フラシア王国が通行の自由を保障するのならばプロイス王国の領土でなくとも良いのかもしれない。だけどプロイス王国が海洋へと出て発展するのをフラシア王国が黙って見ているはずがない。歓迎するどころか妨害してくることは間違いないだろう。
俺がフラシア王国にあまり良い感情を持っていないのは領地が隣接しているから、というだけのことじゃない。カーン領は直接フラシア王国と戦火を交えたことはないけど父や母は争ったことがある。それに外交だの何だのというのにも関わっていた。そういう話や過去の事実から鑑みてフラシア王国はあまり信用ならない。
昔から大陸に覇を唱えるフラシア王国は大国気取りで周辺国に無茶な要求を突きつけて断れば戦争を仕掛けるなどやりたい放題だった。今でこそプロイス王国はフラシア王国と並び立つ大国のようになっているけど昔はプロイス王国も散々にやられたようだ。
そもそも現在でも王権が強いフラシア王国に比べて領主の権限が強く連邦制とでもいうような、地方領主の集まりであるプロイス王国は規模でこそ並んでいるけど実際に行動を起こすとなればフラシア王国に劣る。
簡単に言えばプロイス王国の全領主が協力して全兵力を出せばフラシア王国と渡り合うことが出来るとしても、各地の領主が出兵に協力しなければ途端に動員出来る兵力が減るというわけだ。
フラシア王国のように王権の強い国ならば王が命令すれば集められる兵が、プロイス王国では各地の領主が反対したり、少ししか兵を出さないなどということになって総数に比べて出せる兵力が不安定になる。そして当然フラシア王国はそこにつけ込む。
各地の領主達に出兵しないように根回ししたり、寝返るように説得することでプロイス王国の兵力が思うように集まらないようにしたりしている。ヴィルヘルムとディートリヒが領主達の権限を弱めて王権を強くしようとしているのはこの辺りが理由だろう。
フラシア王国の横暴を抑えて奪われた領土の奪還とプロイス王国の発展の礎を築く。そのためにはこのフローレンは重要な拠点となる。名前はちょっとアレだけど……。
村や要塞の視察を終えた俺は満足してパーティー会場へと戻った。今日は夜通し村開きの祝いが行なわれるようで夜になってもその騒ぎが収まる様子はなかった。
フローレンに建てられているカーン家別邸に入った俺達は休むことにする。一晩中騒いでいる領民達に付き合っていたらこちらの身がもたない。一晩中お祭り騒ぎをするなと止めるつもりはないけど最初から最後まで付き合うのは勘弁してもらった。
別邸に入って寛いでいる皆を他所に俺は自室に戻ってまた地図とにらめっこする。重要な計画の計画書を確認しなければならない。
現在ディエルベ川やハルク海からヘルマン海へ出るには魔族の国の半島とその北側に張り出している半島の間の海峡を通るしかない。その海峡は基本的に魔族の国によって封鎖されているので簡単には通れない場所だ。
デル王国などの魔族の国の属国というか友好国というか保護国というのか……、の一部の国はその海峡を通ることが出来る。北側の半島やハルク海の東の沿岸国はカーマール同盟という魔族の国を中心とした同盟というか連合というか……、そういった集まりが出来ているらしい。
魔族の国の北側にある半島からぐるりとハルク海を囲む国々がこのカーマール同盟に加盟しており、実質的にプロイス王国の東側から北側にかけてのハルク海沿岸は魔族の国が盟主となっている。カーマール同盟に参加していないプロイス王国は半島の間の海峡を通る許可はもらえておらず、一部の商人が個別にカーマール同盟に許可を貰って通行しているのが現状だ。
この状況を打破するために俺はある計画を練っている。その計画書が今目を通しているものでこれが成功するかどうかが今後の大きな分水嶺になると思われる。
その計画とはずばりディエルベ川とヴェルゼル川を繋げる運河の建設計画だ。
これまで言ってきた通り現状のプロイス王国は自国領内だけを通ってヘルマン海に出る道はない。そしていくらディエルベ川からハルク海に出てハルク海を制したところで魔族の国と北の半島に挟まれた海峡を通るのは難しい。例え魔族の国やカーマール同盟に通行許可を貰ったとしても狭い海峡を通るというのはリスクが高い。
他人の領域内を通るということはいつ通行禁止を言い渡されるかもわからない。さらに狭い海峡を通行中に両岸から攻撃されると船は脆い。敵対するつもりはなくとも通行権や通行中の船を人質に相手に好き勝手な要求をされる可能性もある。
そこでカーザーンの南を通って流れている川を拡げて、さらに西のヴェルゼル川まで運河を通す。これならディエルベ川とヴェルゼル川の往来が可能になりカーンブルクからカーザーンの南を通ってフローレンまで水路が通ることになる。
さすがにカーンブルクが取水している西側の小川から船で往来するのは難しいだろう。小船ならともかくキャラベル船どころか旧式のコグ船でも通れるかどうか……。なのであくまでカーザーンの南だけ拡げて真っ直ぐ西へ伸ばすことになる。通行可能なのはディエルベ川からヴェルゼル川への往来だけだ。
この運河が完成すればディエルベ川側に配置している船もヴェルゼル川側へ運ぶことが出来る。フローレンにフラシア王国が攻めてきた時も応援を送りやすくなるだろう。
ただし逆にフラシア王国に占領された場合にはヘルマン海からヴェルゼル川を上って運河を渡ってきたフラシア王国艦隊にカーザーンやカーンブルク、ルーベークやキーンを含めたハルク海まで全てを攻撃されることになりかねない。
何より運河建設には色々と高いハードルがある。生態系への影響もあるだろう。建設予算、建設技術、労働力・資材の確保、あともしかしたらプロイス王国へのお伺いも必要かもしれない。今まで運河が建設されたことがあるのかどうか知らないから勝手に運河なんて作って良いのかどうかもわからない。
色々と問題はある。そもそも本当に建設出来るかどうかも不明だ。それでも俺はこの運河建設構想に思いを馳せつつフローレンの別邸で初めての夜を過ごしたのだった。