第百八十話「人外!」
俺は夢でも見ているんだろうか。いくら剣と魔法の世界とはいっても槍で大砲の砲弾を撃ち落すとかもう意味がわからない。これはもう人間離れしているんじゃなくて人間じゃないんじゃないだろうか?
「さぁ!次はフローラちゃんの番よ!」
えっ!?いやいや!待って!俺は人間だから!人外の化け物であるお母様と一緒にしないで!
「まっ、待ってください!武器もありませんし今日は衣装もこのような衣装です。とてもそのようなことは出来ません」
俺は自分の武器なんて持ってきていないしスカートのドレスを着てきている。ただの視察だと思っていたから当然だろう。こんな格好で素手で大砲の砲弾と対峙しろとか死んでこいと言われているのと同じだ。
「大丈夫よ。お母様だってこんな格好だったんだから!それにフローラちゃんの剣も持ってきているから安心して!」
確かに母もスカートのドレスだ。だけど全然安心じゃない!何で俺の剣まで持ってきているというのか。困惑する俺を他所に母は剣を持ってきて俺を大砲の的の前に立たせる。
いやいやいや!ちょっと待って!本当に死んじゃうってば!
「ちょっ!お母様!私にはまだ無理です!」
そもそも圧倒的な質量と速度を誇る砲弾に普通の剣で斬りつけて剣がもつとは思えない。父の大剣ですら一発目でぽっきり折れて終わりだろう。
俺の剣は父の剣に比べたらまだ小さい。父の剣だと大柄な父が剣の影に隠れたら盾に出来るくらいの大きさだ。それに比べれば俺の剣は辛うじて俺が隠れられるかどうかでしかない。確かに厚みも重みも普通の剣より何倍もあるけど大砲の砲弾を耐えられるようには出来ていない。
「いい、フローラちゃん?お母様の動きをよく思い出すのよ」
「そんな……」
母はもう譲る気はないようだ。俺はこんな所で死ぬのか……。
でもそうだな……。母の槍も何の素材で出来ているのか随分硬いし丈夫で重いけど大砲の砲弾を受けて耐えられるとは思えない。それなのに母の槍はまだ無事だ。
……母の動きを思い出す。母はどうやって凌いでいた?それは……。
「撃てぇ~い!」
「――ッ!?」
アインスの合図と同時に大砲が火を噴いた。正面から見たら巨大すぎる砲弾がこちらに迫ってきているのがはっきり見える。安全な所で見ていた時はまだまだ小さな砲弾だと思ったものだけど自分の方に迫ってきているとなればこんなに大きく見えるものなのか。
不規則にブレているから絶対とは言い切れないけど恐らくこのままなら突っ立っているだけでも砲弾は俺を逸れて当たらないだろう。命中精度の低い『カーン砲』で人間一人を狙ったところでそうそう当たるものじゃない。
だけど当たらないからってこのまま突っ立っていていいのか?そんなことで母が許してくれるとは思えないし弾道は不規則だ。恐らく当たらないというだけで絶対とは言い切れない。突然弾道が変わってこちらに来る可能性もある。
やれ!やるんだ!撃ち落せ!
どうせ母は俺が砲弾を撃ち落すまで何度でもやらせるだろう。それならこの当たらないと思われる砲弾を撃ち落すんだ。やり直しをさせられたらもっと苦しくなるかもしれない。まだしもどうにかなりそうな時に母の満足のいく結果を出しておくんだ!
とはいえ真正面に立って砲弾を受けるのは愚の骨頂だ。正面から受けて剣がもつとは思えない。それに怖すぎるし事故が起こる可能性もある。あんな不規則な弾道の砲弾だ。正面に立って受けようとしたら直前に弾道が逸れて思わぬ事故に発展する可能性もある。
よく思い出せ。母は自分の動きを思い出せと言っていた。母はどうやって砲弾を撃ち落していた?正面から受けるような愚を冒していたか?そうじゃないだろう?
「はぁっ!」
弾道の横に立った俺は横を通り抜ける瞬間に上から砲弾を叩き落した。これだ!母も正面からは受けていなかった。いくら正面に対しては物凄い威力を発揮する砲弾でも側面から軌道を逸らすだけなら出来る。
「やった!やりました!」
「やったわねフローラちゃん!」
「お母様!」
わーい!生き延びた!大砲の砲弾を撃ち落せなんて死んでこいと言われているようなものだと思ったけど何とか凌ぎ切ったぞ!
「……え?」
笑顔のお母様に向かって駆けて行こうとした俺は固まった。何故ならば……。
「それじゃじゃんじゃん行くわよ、フローラちゃん!」
「ヒィッ!」
何門もの『カーン砲』がこちらを向いている。そして砲兵達が今にもその砲を放とうとしていた。どうやら俺はまだ凌ぎ切っていなかったようだ…………。
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今日は酷い目に遭った。まさか実の母に殺されかけるとは……、あれ?それって結局いつものことじゃね?毎朝殺されかけてるな……。
まっ、まぁいい。とにかく『カーン砲』の最終試験は完了だ。今日の試験はあくまで俺へのお披露目が目的であって実際には試射試験はこれまで幾度となく繰り返されている。耐久性も測られているし実際に射撃してみて問題点の修正も何箇所か行なわれている。その結果すでに先行量産が行なわれており砲兵部隊の訓練も実施中だ。
陸海軍、あっ、海軍なんていないね。カーン警備隊やカーン家商船団に新設した砲兵部隊は訓練を重ねている。今日俺がカーン砲の出来を確認してゴーサインを出せばあとはドックで待っている新型ガレオン船にカーン砲が搭載されて船上での射撃訓練に移っていくだろう。
先行量産型だし鋳造の問題でそれほど砲門数は確保出来ていない。何よりこれからまだまだ問題点が出て来るだろうからいきなり何百門と生産しても欠陥品だらけになる可能性もある。まずは必要最低限の先行量産を進めているだけだ。
それらの砲はまずドックで完成待ちのガレオン船に搭載される。それと同時にキャラベル船も順次改装を受けてカーン砲が搭載されていくことになる。何故積載量に余裕のあるキャラック船ではなくキャラベル船に先に搭載するかといえば次の作戦のためだ。
ハルク海を海上封鎖しているホーラント王国の船は小型快速の船が中心だ。というよりはうちから見ればほとんどの船は小型に見えてしまう。大型のキャラック船は船体規模に比べて優速ではあるけど流石に小型艇には及ばない。
だけどキャラック船よりもさらに大型でありながらガレオン船は船足が速い。全幅と全長の比でガレオン船はキャラック船よりスリムであり喫水も浅いためにより高速が出るというわけだ。そのガレオン船に随伴して艦隊行動を取るにはキャラック船では船足が遅くキャラベル船しか随伴出来ない。
そこで先行量産のカーン砲をガレオン船とキャラベル船に搭載してホーラント王国の船と海戦を行なおうというわけだ。キャラック船はその間の定期便の運航や他の船の護衛についてもらう。
カーン砲の試射試験は何も問題なかったので当然すぐにゴーサインを出している。まだガレオン船への搭載やキャラベル船の改装で時間がかかるだろうし、実際に船上での射撃訓練も行なわなければならない。俺が試射試験の日程をこの休みの前の方に持って来た理由はそれだ。
搭載、改装完了、射撃訓練を行なって実際に艦隊行動に出れるまでまだ暫くかかるだろう。俺が長期休暇で滞在している間に決着をつけようと思ったら日程はギリギリだ。いや、むしろ本来なら訓練の日程が足りていないとすら言える。
とはいえ今回の長期休暇を逃せばまた半年先になるわけでそこまで悠長に構えていられない。ルーベークも今はまだ耐えているけどそういつまでも耐えられるものじゃないだろう。
そんなわけで一刻も早く解決したいわけなんだけど……。
「あのカーン砲?っていうの?あれいいわねぇ。これから毎朝フローラちゃんの訓練に使いましょうよ」
「お母様……」
勘弁してください。毎朝毎朝あんな大砲が鳴り響いていたら周りからクレームだらけになるわ……。それに大砲も余裕はないわけでむしろ全然足りないくらいだ。そんな馬鹿げたことに使っているくらいなら艦載砲と砲兵に回す方が良い。
そもそもあれは訓練でも何でもない。ただの殺人未遂じゃないか?今日は何とか生き延びたけど毎朝あんなことをしていたらいつか事故で死んでしまう。剣や槍なら何とか寸止めも出来るけど発射された砲弾は止めることが出来ない。ちょっとの事故で即死だ。
俺と父が説得したことでカーン砲での訓練は諦めてくれたようだけどまだ油断は出来ない。この母のことだからいつまた何を言い出すかわかったもんじゃない。
「とっ、ともかく今日の残りの視察はキーン市街の視察だけです。町の視察はゆっくりしましょう」
今日の残りの視察は町を視察するだけになっている。これなら何も危ないことはないはずだし機密もない。港町ならではの市場などを見て回ることにしよう。
「うわぁ!こんなに魚がいっぱい!」
「カーザーンでも同じようなものではないですか?」
港の市場を見て回っているとルイーザが珍しそうに魚を見ていた。だけどディエルベ川で魚が運ばれてくるカーザーンも似たような魚が出回っていたはずだ。王都は港から遠いから運んでこれる魚にも限りがあったけどキーンとカーンブルクやカーザーンはそう違いがない。
「私がカーザーンに居た頃はまだ貧乏だったし子供だったから……。こんなにたくさんのお魚なんて見たことなかったんだ」
「そうですか……」
そうか……。ルイーザは貧民育ちでカーザーンの時は貧乏人だったからな。王都に移ってから上役になって収入も増えただろうけどこっちに居た頃はまだ生活も苦しかっただろう。
「置いてる魚の種類は私の故郷とも変わらないわね」
「そうでしょうね……」
ここから魔族の国まですぐそこだ。同じ海で漁をしているはずなんだから獲れる魚も同じだろう。何故ミコトはそんなことを誇らしげに言ったのかよくわからない。
「すごい港に大きな船……。海の幸も豊富ですわね」
まだ生きている魚が怖いのか恐々と市場を眺めながらアレクサンドラもキーンを褒める。俺にとって自慢の港だから褒められて悪い気はしない。
「それより僕はまださっきのカーン砲とやらが信じられないよ……」
クラウディアはまださっきの大砲の試射のショックから立ち直っていないようだ。軍人ならあれがどれほどのものであるかわかるだろう。俺だって敵だけがあんなものを持ち出してきたら泣きたくなるに違いない。
「ついでに言わせてもらえばあんなものを生身の人間が撃ち落すことも信じられないけどね」
「ははは……」
それに関しては俺も渇いた笑いしか出てこない。母はあんなに若くて綺麗に見えるけどきっと人間じゃないんだろう。そう言われた方がまだしっくりくる。
港や市場を見学した後は製塩所の視察に向かう。製塩も少々機密が含まれているけどどうしても隠しておかなければならないというほどでもない。製塩自体はあちこちで行なわれているし製法が広まってしまってもそれは塩の流通量が増えて価格の下落が起こって良いことだ。
そもそもちょっと見ただけで真似出来るものではなく理屈を理解していなければ同じように製塩することは出来ない。この製塩所も様々な理屈によって作業工程が確立されているわけでただ意味もわからず見ただけで真似出来るほど簡単なものじゃない。
今日一日キーンの視察を行なった俺達は別邸に戻って夕食を済ませる。家に帰っても俺に暇はない。カーン家、カンザ商会の書類仕事が山ほど残っている。それに学園の宿題だ……。暇を見つけては宿題もやっているけどあまり順調とは言えないかもしれない。
「明日は朝から開拓村へ向かう予定でしたね」
「はい。明日のうちに村へと到着し村開きが行なわれる予定となっております」
カタリーナにそう言われてゲンナリする。片付けても片付けても一向に問題が減らない。仕事は山積みだしサボってなくても仕事が増えていく。色々有能な人材も増えて仕事を割り振っているはずなのに何故俺の仕事が減らないというのか。
「もっと根本的にどうにかする方法はありませんかね……」
仮に俺が全ての最終的な決定だけしかしないとしても相当な仕事量になる。その上あれもこれもとやることが多すぎる。いっそ俺がもう一人……、いや、それならもうどーんと十人くらい居れば良いのに……。
「学園関連のことをおやめになればもう少し手が空くのでは?」
「それはそうかもしれませんが……」
確かに学園は別に一日も出席しなくても、試験がオール0点でも卒業出来る。俺は知らないけど今年の一年生の中にも一度も出席したことがない生徒だっているかもしれない。でもなぁ……。
「まぁ……、青春は一度しかないのですよ……」
俺の言葉にカタリーナは不思議そうな顔をしていた。学園は何も勉強のためだけに行くわけじゃない。人生のうちで青春を謳歌出来るのは学生の時だけだ。前世で学生時代に青春を謳歌していなかった俺としては、もう一度学生生活が出来るのなら出来るだけ青春を謳歌したいという思いもある。
学生として皆と青春を謳歌したい。ミコトや、アレクサンドラのような同級生はもちろんルイーザやクラウディアとも、カタリーナだって、皆と一緒に……。これだけ仕事に追われている俺が青春を謳歌出来ているかどうかは別だけどね……。