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第十八話「カタリーナ帰る!」


 籠の鳥のような生活をしていたカタリーナはいつも読んでいる本の世界に憧れていた。煌びやかな世界で蝶よ花よと周囲から持て囃されるお姫様。自分も高貴な家に生まれていれば……。そんな夢想をしながら狭い部屋でほとんどの時間をベッドの上で過ごしていた。


 敬愛する兄が仕えている家のご令嬢を連れて来ると聞いてカタリーナは舞い上がっていた。この地を治めるカーザース辺境伯家のご令嬢ということは本当に本物のお姫様と言っても差し支えない。姫とは何も王女のことだけを指す言葉ではなく身分の高い女性や貴人の娘という意味だ。


 だから本当ならば一般庶民からみればカタリーナもロイス家の姫と言うことが出来るしカタリーナから見ればカーザース家のご令嬢は姫と言うことが出来る。そんな自覚はなくとも自分よりも圧倒的に高い身分のご令嬢が来るということでカタリーナは楽しみにしていた。


 そして初めてフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースを見た時カタリーナは衝撃を受けた。物語を読んで夢想していたお姫様の中のお姫様、まさにそれを体現したかのようなフローラの姿を見てカタリーナは心の底から感動に打ち震えた。


 ただ一日フローラというお姫様と会えただけでも一生の思い出ともいえる体験だったというのにさらに後日カタリーナがカーザース辺境伯家の屋敷に招かれると知って天地がひっくり返るほどの驚きに包まれた。


 そして訪れたカーザース辺境伯家での生活はまさに夢のような生活だった。高級ではあるが成金趣味ではない落ち着いた感じの邸宅。数々の調度品はもちろん仕える執事もメイドもロイス家の者達とはレベルが違う。


 カーザース辺境伯家の人々も皆が優しくカタリーナに接してくれる。仕える家臣の家の娘だからと雑に扱われることもなくまるで本当の家族のようだった。


 何より驚いたのが振る舞われる食事だ。ロイス家では食べたこともないような見たこともない料理の数々が出てくる。一番最初にそれらの料理を見た時は嫌いな食材が使われていたり嗅ぎなれない匂いに戸惑い食べたいとは思わなかった。


 それでも目の前でフローラが食べて食事を勧められたら断れない。意を決したカタリーナが食べた料理は今まで経験したことのないおいしいものだった。嫌いだったはずの野菜も肉も何でも食べられる。しかもそれが憧れのお姫様直々に手ずから料理してくれたものだと聞かされた時は天にも昇る気分だった。


 カーザース辺境伯家の人々がこれほど自分に良くしてくれるなんてもしかしたら本当は自分はカーザース辺境伯家の子供なんじゃないかなどという妄想が捗る。そうなれば自分も憧れのお姫様として社交界デビュー出来るのではないかと思うといつも寝る前にベッドでゴロゴロと転がりながら身悶えていた。


 カタリーナは決してロイス家に不満があるわけでもないし敬愛する兄と離れたいとも思っていない。ただたかが家臣の、それも娘でしかない自分がこんなにも特別扱いされていればそうでも考えないと幼いカタリーナには理解出来ないのだ。


 ロイス家に居た頃はほとんど部屋から出たこともないカタリーナがカーザース辺境伯家にやってきてから外に興味を持って家の中を歩くようになっていた。ロイス家でずっとカタリーナの世話をしていたクラーラからすれば驚きの行動だ。


 カタリーナはあちこちに興味があるためかキョロキョロ見回しては楽しそうに家の中を散策する。カーザース辺境伯家には家の中を歩く許可を貰っているので余計な部屋に入りさえしなければ問題はない。いつもならば少し歩いただけでもすぐに疲れるはずのカタリーナはカーザース辺境伯家の中では元気に歩きまわっている。


 地球でもそうだが子供は自分が楽しい時には無限の体力があるかのように元気に振る舞う。普段それほど体力がなかったり運動が得意ではない子供でも遠足や運動会や何か楽しい遊びをしている時はとても元気に歩き、走りまわる。


 この世界でも経験則的にそういうことがあることは大人なら重々承知している。そしてそういう時に体の弱い子供が無理をすると後でたたって寝込んだりするので大人が注意して抑えておかなければならない。クラーラもハラハラしながらカタリーナを見守っているがここ一ヶ月ほど毎日出歩いているというのに寝込むことも熱を出すこともなく毎日元気にしている。


 カタリーナがこの屋敷にやってきてからすでに三ヶ月ほどが経過している。最初の二ヶ月ほどはロイス家に居た頃と同じようにほとんど部屋のベッドで過ごしていたカタリーナも今では外に興味を持ってここ一ヶ月ほど毎日部屋を出て歩いていた。


 そんな時ふと廊下の向こうの部屋から誰かが怒られているかのような声が聞こえてきた。年配の女性が誰かを叱っているようだ。ベテランメイドかメイド長が若い新人メイドでも怒っているのだろうかとこっそり近づいてたまたま少し開いていた部屋の扉を覗き込んだカタリーナは驚きのあまり言葉を失った。


「何度言ったらわかるのですか?足の開きが大きすぎます」


「はい。もう一度お願いします」


 そこに居たのは確かに年配の女性と若い女性だった。若い方は女性というか女児という方が適切だろうか。フローラが誰かに何度も叱られながら何かをしている。何かと言うこともなくカタリーナにも本当はわかっている。フローラは家庭教師に礼儀作法を習っているのだろう。


 カタリーナとてロイス家で様々な教育を受けていた。ほとんどベッドの上で出歩くどころか立ち上がることさえあまりないカタリーナではあったが貴族のご令嬢としてそれなりには教育を受けている。何か行動をするという実践的な教育はあまり受けていないが知識的には十分すぎるほどの教育だ。


 ヘルムートは子供の頃から優秀だとロイス家の家庭教師達の間でも評判だった。その兄にも劣らないほどカタリーナも優秀であると言われていた。ベッドから出ないことやたまに癇癪を起こしたように感情の起伏が激しい以外ではとても優秀だったのだ。


 そんなカタリーナから見てもフローラのマナーは完璧の一言に尽きる。他に表現しようがない。優雅で落ち着きのある姿には気品が感じられる。そんな完璧のはずのフローラがマナーの家庭教師にボロカスに叱られている。カタリーナから見てどこが変わったのかと思うような小さなことまで何度も何度も注意を受けていた。


 それはまるでイジメのようでもあり難癖をつけているだけじゃないかとすら思えた。それなのにフローラは家庭教師に何か反論することもなく何度も何度も同じ動作を繰り返す。自分とロイス家の家庭教師だったならば『これくらいでもういいだろう』ととっくに授業を終わらせているはずだ。それなのにフローラとその家庭教師は一息も入れずにずっと授業を繰り返していた。


 カタリーナには信じられなかった。ただ何か見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって慌ててその部屋の前から逃げ出す。それから二日カタリーナは部屋から出なかった。ただベッドの上で呆然としていただけだ。


 その姿に心配になったクラーラはヘルムートに事の顛末を説明して指示を仰いだ。クラーラからすればフローラが家庭教師に怒られていても当たり前のようにしか感じられない。だからカタリーナが何故急に部屋から出なくなったのかさっぱりわからなかったのだ。


 ヘルムートに相談した時も最初はフローラの授業風景を見たからだとは思っておらず急に部屋から出なくなったとだけ相談した。ヘルムートが詳細を尋ねていくうちに何かに納得したかのように頷いていただけでその時点でもクラーラには何が何だかさっぱりだった。


 大体の事情を察したヘルムートは翌日カタリーナの部屋を訪れた。クラーラにはヘルムートがどうやってカタリーナを説得したのかわからない。ただ連日午前中にヘルムートとカタリーナの二人で部屋を出て行っていることは知っていた。


 ヘルムートはカタリーナを連れてフローラの授業風景を見せていた。授業の内容はカタリーナにはさっぱりわからない。ただ内政や軍政に関係あることであろうことはおぼろげながらに理解出来る。ヘルムートにも劣らないほど優秀と言われて様々なことを学んでいたカタリーナですらさっぱり意味がわからない内容なのだ。


 そしてさらにクラーラも寝ている早朝、ヘルムートに言われていたカタリーナはその日朝早くから起きていた。まだ日が昇って間もない頃、屋敷の中をヘルムートに先導されて裏手が見える二階の窓辺までやってきた。窓からは裏の練兵場が見える。その練兵場を見てカタリーナは『あっ!』と声を漏らした。


 練兵場では小さな子供が大人を相手に訓練をしている。相手の大人は剣を持った人物が二人、槍を持った者が一人、そして離れた位置から魔法を使っている者が一人。四対一で子供を相手にしている。


 それまでうまく剣を受け流していた子供は大人達の連携に対応が間に合わず剣を持った一人とまともに打ち合ってしまった。当然体格でも腕力でも劣る子供が訓練を積んでいるであろう大の大人相手にまともに打ち合って敵うはずがない。


 遠目に見てもはっきりわかるほどに体勢を崩された子供は槍の突きを受けて明らかに浮き上がると後方に吹っ飛ばされてゴロゴロと転がった。転がった子供が仰向けに倒れたことで二階からでもなんとなく顔がわかるようになった。その顔を見てカタリーナが息を飲む。


「フっ、フローラ様?」


 金髪を束ねて巻いていたから遠目には女児だとは思わなかったが倒れたフローラの顔が見えてようやくその相手が誰だったのかカタリーナにもわかった。


 兄が言うには剣は練習用に刃を潰しているという。槍はいくら刃を潰しても本気で突けば突き刺さってしまうので石突のように丸くなっている。それでも浮かび上がって吹き飛ばされるほど突かれれば痛いどころではないだろう。


 それでもフローラは立ち上がると再び剣を構えた。何度も何度も大人三人を相手に斬り掛かっていく。離れた場所にいるもう一人は嫌らしいタイミングでばかりフローラにとんでもない威力の魔法を浴びせかける。二階から見ているカタリーナは何て嫌らしい魔法使いなのかと腹立たしくなっていた。


 飛んでくる魔法をフローラも魔法で迎撃して三人と打ち合う。四人を相手に一歩も引かずに剣を振るうフローラの姿を見てカタリーナは隣の兄を見上げた。


「お兄様!どうしてフローラ様があのようなことを?!すぐに止めてください!」


 しかし妹の言葉に静かに首を振ったヘルムートは諭すようにゆっくりと語りかける。


「フローラ様は私が知る限りでも五歳の頃から毎朝毎晩あの訓練を繰り返されている。私がお仕えするよりも前から家庭教師達に学び訓練に明け暮れていたそうだ。家庭教師達の授業はカタリーナも見ただろう?」


 ヘルムートの問いにカタリーナは黙って頷く。最初にマナーの授業を盗み見てしまってからヘルムートと一緒に他の授業風景も覗いてみた。カタリーナにはまったくついていけない高度な授業内容だったことはわかっている。


「マナーの授業というのならまだわかります!ですがどうしてお姫様であるフローラ様がこのような訓練を?」


 確かに上流階級であろうともマナーは習わなければ生まれつき身に付いているものではないだろう。フローラの授業は常軌を逸した厳しさではあったがそこはまぁ良しとしよう。ただ何故女性で子供のフローラが大人を相手に剣を振り回しているのかというのはまったく理解出来ない。


「フローラ様はカーザース辺境伯領の民を、延いてはプロイス王国を守ろうとされている。だからそのために必要なことは内政でも軍略でも剣術でも魔法でも何でも習われる」


 言わんとしていることはわからなくもない。しかしカタリーナと同い年の八歳の女児が一体何故それほどまでと思うと理解出来ないのだ。


 そんな話をしている最中に槍を叩き折り剣を受け流して斬り返す剣で剣を持っていた大人に胴を打ち込んだフローラはもう一人の剣を持つ大人に逆に胴を思い切り斬られる。しかし斬られたと思っていた胴はフローラの剣によってギリギリ防がれていた。


 だが剣を防いでも威力は殺せない。体格差も腕力差も圧倒的であるフローラを斬りつけた相手は実の父であるアルベルト辺境伯だった。英雄と讃えられるアルベルト辺境伯の斬撃は軽いフローラを三メートルは吹き飛ばした。吹き飛ばされたフローラが立ち上がろうとした時にはすでに追撃に入っていたアルベルト辺境伯によって思い切り肩を斬りつけられていた。


 どうやらそこで今日の訓練は終わったらしい。ダラリと肩を下げたフローラが立ち上がり大人達にお辞儀をする。防具として皮の鎧はつけているらしいが肩まで覆うような鎧ではない。そもそも皮の鎧はフローラの身を守るためのものではなく防具を身に付けたまま動けるように重りとしてつけているのだという。まったくもってカタリーナには理解出来ない。


「フローラ様はよく『権利には義務と責任がある』と言われている。辺境伯家として民の税で暮らしている自分達は民のために一番に働かなくてはならないと……。民のためといっても色々あるだろう。内政に明るい者ならば官僚という道がある。武技に優れる者ならば騎士や兵士という道がある。フローラ様はその全てにおいて自ら率先してそれを実行されているのだ」


 兄の言葉に……、カタリーナの瞳からポロリポロリと涙が溢れ出る。別にどこかが痛いわけでも悲しいわけでもない。それなのに止まらずに涙が溢れてくる。


「今のその気持ちを忘れるな……」


 涙を流すカタリーナにヘルムートはポンポンと頭の上に手を置いた。そう言われてようやくカタリーナは何故自分が涙を流しているかわかった。


 悲しいわけでもうれしいわけでもない。カタリーナは悔しいのだ。高貴なる者に生まれたから姫なのではない。姫として生まれたから姫になるのではなく姫たらんと努力しているから姫になるのだ。薄っぺらい御伽噺のお姫様は何の努力も苦労もなく姫だというだけでチヤホヤされる。しかし現実はそうではないのだ。


 自分は何もわかっていなかった。ちょっと勉強で兄に劣らないほど優秀だと言われて天狗になっていた自分が恥ずかしい。高貴なる者の生まれを羨んで妬んでいただけだ。自分は何も努力などしていなかった。


 フローラが日夜努力している時に自分は何をしていた?ただベッドの上で御伽噺のお姫様に憧れて羨んでいただけではないか。そんな者がお姫様になどなれるはずもない。そんな自分が恥ずかしくて悔しい。この気持ちはフローラへの嫉妬ではなく無知で自分勝手な自分への後悔だ。


「お兄様……、お願いがあります……」


 これまで見たこともないような真剣な表情で兄を見上げるカタリーナにヘルムートはわかっていると首を縦に振るのだった。




  =======




 カタリーナがカーザース辺境伯家のお世話になるようになってから半年が経過していた。二ヶ月くらいすぎてから出歩いても平気なようになっていたのはフローラがカタリーナのために作っていた料理のお陰だ。カタリーナはヘルムートに聞いて自分の病気のことについて知った。


 食べ物が偏ると必要な栄養というものが足りなくなり色々と体に不具合が出てくる。食事を改善すればそれらはかなり良くなるという。自分の身を持って体験したのだからそのフローラの説が正しいとカタリーナは信じていた。


 最初の頃は辺境伯家ともなれば豪華な食事が出てくるものだと思ったものだったが、あれらは全てフローラがカタリーナの病気のために作り出した料理の数々であってそれまでは辺境伯家もロイス家と大差ない料理を食べていたと聞いている。


 医者の診断でももう大丈夫と言われて今日カーザース辺境伯家からロイス家へと帰ることになった。見送りに来てくれているカーザース辺境伯家の人々にカタリーナは深く深く頭を下げた。そして……。


「カタリーナ、私達は友……、いいえ、最早姉妹と言っても良い関係です。またいつでも遊びに来てくださいね」


 にっこりと微笑みそんな言葉をかけてくれるフローラにカタリーナの胸が熱くなった。しかしそうはいかない。自分はもうあの時決めたことがある。


「いいえフローラ様。私如きがフローラ様と姉妹だなどと恐れ多いことです。ですが私は必ずもう一度フローラ様の前に戻って参ります」


 差し出されたフローラの手を握る。普段はサテングローブのような手袋をしているフローラの手の本当の姿を知る者は少ない。しかしカタリーナは知っている。このグローブの下のフローラの手は貴族の娘とは思えないほどにボロボロだ。


 剣を握り、あらゆる雑事を行い、料理までするフローラの手は労働者のそれとほとんど変わらない。特に最近は畑と牧場の巡回にまで男装して身分を隠し同行している。畑では農作業まで手伝っているという。この手のお陰でカタリーナも病気が良くなったのだ。それを汚い手だなどと思うはずもない。


 カタリーナの言葉にフローラは若干悲しそうな顔をしていたがカタリーナはそれに気付かない。そして見送られながら馬車に乗りカーザース辺境伯家の屋敷を出る。


 カタリーナはあの日、練兵場で訓練しているフローラを見てから心に決めたことがある。もっと勉強してフローラの役に立てる人間になりたい。フローラに仕えて一番傍でフローラを支えたい。そのためには早く家に帰って勉強のやり直しからしなくては。そう心に決めて家へと急いだのだった。



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