第百七十九話「試射試験!」
昨日造船所の視察を終えた俺はキーンの別邸に戻って皆と夕食を摂ってから休んだ。今朝もいつもの特訓をさせられてから朝の準備を済ませる。今日の視察は皆一緒だ。
今日はアインスの大砲の試射試験の視察であり……、まぁ言わば物凄い機密なわけだけどこれは皆に見せても問題ない。どの道もうすぐ戦場でお披露目することになるし大砲の存在そのものを隠すつもりはない。抑止力という意味からもある程度は情報が出ている方が効果がある。
ただあまり早くに真似されても困るので製造方法や運用に関しては機密にしておく必要はある。あくまで当分の間はうちがアドバンテージを握っている状況は確保しておかなければならない。そういう観点からも試射試験を見学させるだけならば特に問題もないと判断した。
「それでは行きましょうか」
「フローラがそこまで重視するほどすごいものなのか?」
「父上……、それは直接見て判断していただけばよろしいかと……」
今日の試射には父も母も同行する。それだけ注目度が高いということだ。剣と魔法の世界であるここでは砲はあまり発達していない。いや、はっきり言えば実戦レベルでは一切使用されていない。どこかにはあるのかもしれないけど少なくともプロイス王国やその周辺では確認出来なかった。
試射試験で大砲が実用化されて、さらにホーラント王国との海戦で有用性が証明されればこの世界での戦争が一変しかねない。それだけ危険なものであり、だからこそ技術の流出には細心の注意を払う必要がある。
そんなことを考えながら馬車でコトコトと揺られていると目的地に到着していた。キーンから結構な距離を西に進んだ先にある秘密の研究所だ。
ここはヘクセンナハトとハルク海の間に挟まれた小さな平地であり山にも海にもすぐに面している。とはいえそこそこ広さはあるし試射試験はそのための場所も確保されているから心配はない。あくまで研究所は隠れるように建てられているだけだ。
「これはこれはカーン様、ようこそおいでくださいました」
「アインス、ご苦労様です」
研究所に入るとアインスが待っていた。爆発したような髪型をしているアインスだけど見た目に反して?というのか滅茶苦茶優秀だ。俺のなんちゃって知識でいい加減なことを言ってもそれを何とかモノにしてしまう。一種の天才だろう。
「それでは早速向かいましょう!」
俺達は着いた所だというのに早く試射を見せたいとばかりにすぐに移動を促してくる。普通なら父のような高位貴族もいるわけで、お茶にも誘わずそのような態度など失礼にあたるだろう。しかし誰もアインスにそのようなことは言わずに黙ってついていく。この博士にそんなことを求めても無駄だと理解して……、いるはずはないけどこのキャラに押されて何も言えないのかな。
父だけじゃなくてミコトやクリスタも十分高位貴族以上なわけで普通ならアインスに対して怒ってもおかしくはない。皆も早く試射試験を見たいからなのか、アインスのキャラ的に何も言えないのか、何にしろ揉め事が起こらなくてよかったと思いながら試射場へとやってきた。
「それではご覧ください!こちらが新兵器『カーン砲』でございます!」
「「「「「おお……」」」」」
アインスが白い幕を取り除くとそこには……、何というか俺から言わせるとレトロな大砲が鎮座していた。他の皆はそれがどういうものかわからないので一瞬どよめきのようなものが起こったけどすぐに静まった。ただの金属製の筒を載せた台車という風にしか見えない。
「まずはその威力を実際に見ていただくのが早いでしょうな。それでは早速試射試験に入りたいと思いますがよろしいでしょうか?」
アインスが俺に最後の確認をしてくる。だけどこの位置で試射するのはまずい。皆にはもっと安全な位置に下ってもらってからだ。
「この位置ですぐに撃つのはいけませんね。皆様には安全な場所まで下っていただきましょう」
「そのように心配されずとも完全なる安全を保証いたしますがね!」
まぁこれを作った本人が危ないかもしれないから下がりましょうなんて言うわけもないわな。これまでだって試射試験はしているはずなわけで安全で確実だと思っているから俺の前でお披露目するんだろう。それを考えれば皆を安全な所に下らせなくても大丈夫だと言うのも頷ける。
だけど物事には絶対はないし音や衝撃でびっくりさせることもある。まずは皆を安全な位置に下らせて注意事項を伝えてからだ。音や煙もあるから耳を痛めないための注意も必要だろう。
そんなわけで皆を安全な場所まで下らせてから射撃時には大きな音がするから出来るだけ耳を塞いだ方が良いことも伝えておいた。全ての準備を終えて、いざ試射試験開始だ。
「それでは……、撃てぇ~!」
ドォーーーーンッ!
アインスの号令と同時に大きな音がして『カーン砲』とやらから煙が上がると同時に遥か先にある標的付近に衝撃が走り土煙が上がった。
「おおっ!」
「これは……」
父と母の驚きの表情が見える。こんなに驚いている父を見るのはもしかしたら初めてかもしれない。的は巨大な板張りに円を描いているだけのものだ。距離はざっと大砲から500mほどというところだろうか。
的がでかすぎるからむしろ当たって当たり前くらいに思えるものだったけどそれでも的の端にギリギリ当たった程度だった。これは技術的にやむを得ないだろう。
現代人の俺が考える砲と言えば駐退機を備えていて、車に牽引される機構などと一体化された台座を持ち、ライフリングされている長い砲身を持ったものを思い浮かべる。それに比べてここにある砲は砲身も短く滑腔砲で駐退機も備えていない。
現代では戦車砲に再び滑腔砲が採用されているけどそれは砲弾の進化の理由によるもので普通に砲弾を撃ち出すだけならば滑腔砲よりもライフル砲の方が良い。
野球やサッカーでも無回転ボールというのが不規則な変化をする一種の魔球的な扱いを受けていることを知っている人は多いだろう。銃にしろ大砲にしろ砲から撃ち出される砲弾にも同じことが言える。
無回転のまま撃ち出された砲弾にしろボールにしろ、それらは空気の影響や弾やボールの形状の歪みから真っ直ぐに飛ばずに不規則にその弾道が変化する。野球やサッカーにおいてはそれは相手に弾道を見切られないために有利に働く魔球となるが銃や大砲においてはその限りじゃない。狙った場所に飛ばない砲弾ほど無意味なものはないだろう。
攻撃手段として砲から撃ち出すならば可能な限り狙った場所に当たる方が良い。命中精度が高いほどより優れた武器となり得るわけでどこに飛ぶかわからない弾など何の意味もないとわかるだろう。それらの問題を解決しコントロール精度を上げるのがライフリングというものだ。
砲身に螺旋状の溝を掘ることでそこを通った砲弾を一定方向に回転させる。回転している砲弾は滑腔砲による無回転の砲弾と違いほぼ真っ直ぐ飛ぶようになる。命中精度を引き上げるためには砲身にライフリングを施す方が良い。
俺は知識的にライフリングを施した方が良いと知っているけどそれは技術的に難しい。大砲の砲身ですら鋳造するのが精一杯の今、いきなり砲身にライフリングを施せと言っても無理な話だ。
地球の歴史においてもまずは滑腔砲が発達した。攻城戦のような動かない目標や船のような大きな目標が相手であり、とにかくぶっ放してどこかに当たれば良いという運用が基本だった。もちろん対人用にも大砲は活用されるけどこちらも大勢の敵兵のど真ん中に弾を落とせば良いわけで元々は細かい命中精度などなかったものだ。
だから船に装備された大砲もたくさんの砲を並べてどれかが当たれば良いというものだった。また砲で船を沈めるだけの威力はなくすぐ近くまで接近しての必中の距離での撃ち合いとなる。あくまで接舷して白兵戦に乗り込む前の露払いのような使い方だ。
そこから次第に砲と船が進化して……、という話になるけどそれは一先ず置いておこう。
現時点でいきなり現代地球並の大砲を作れというのは技術的にも不可能だ。試射試験では500mほど先に標的を置いたけど実際の最大射程なら2~3kmは届くと思う。ただそれだけ離れると命中精度がガタガタで実用には耐えない。このままなら精々実戦では1km以内の運用が限度だろう。
それから弾込めの方式も問題だ。現代ならば後装式が一般的だけどそれは構造上難しい。まず問題点として前装式は装填速度が遅い、不発や遅発が起こった場合に取り除く作業で重大な事故が起こる可能性が高い、等色々と問題がある。
後装式なら不発、遅発、弾込め時の重大事故の可能性が減る、装填速度が速い、艦砲ならば砲を動かさなくて良いので再度の照準が合わせやすい、などの利点がある。
ただしじゃあ後装式にしましょうとはならない。後装式は構造が難しい。きちんと尾栓が密閉されていないと燃焼ガスが漏れて周囲に撒き散らされて危ない。さらにガスが漏れるということはそれだけ砲弾にエネルギーが伝わらずロスしているということであり砲威力が下る。
構造もきっちりしたもので強度も必要であり、何度も繰り返し発砲しても尾栓が耐えられるだけの構造と強度でなければならない、等問題も色々とある。
今回アインスが開発した『カーン砲』というのは前装式で短口径長の滑腔砲だ。これだけでもこの時代の戦場を一変させるだけの威力はあると思うけどまだまだ俺からすれば満足のいく出来とは言い難い。ただし一つだけうちの砲で優れていることがある。それは火薬だ。
もともと地球では黒色火薬が使用されていた。やがて黒色火薬から改良された褐色火薬が使用されるようになる。ただどちらも煙がひどいものだった。無風状態では自身が放った発砲煙で真っ白になって視界が遮られていたほどだ。
それからさらに技術が進歩して無煙火薬が発明されるに到るわけだけど現代でもその無煙火薬が使われている。無煙火薬とはいっても当然煙は出るけど有煙火薬よりはずっと少ないものだ。
その現代でも未だに使われている無煙火薬だけどその一種はニトロセルロースで出来ている。そう、うちが綿から作っているセルロース、そのセルロースに硝酸と硫酸を混ぜて出来るのがニトロセルロースだ。
これらの火薬も色々と問題点はあるけど有煙火薬より優位でうちだけが自領内で賄えるというのが大きい。技術的優位や他所への流出という観点から考えてこれほど良いものはない。
その後複数の大砲を並べての試射試験や連射による耐久試験が行なわれた。俺にとってはまだまだ未熟と言わざるを得ないものだけどこれだけでも大きな変化と言えるだろう。今後のさらなる研究は必要だけどこれがあればホーラント王国の船に一泡吹かせることが出来る。
「大したものだ」
「ありがとうございます」
そう言った父の顔は険しかった。単純に褒めているわけではないのだろう。これが……、大砲が齎す変化について薄々気付いているのかもしれない。
大砲は誰でも少し訓練すれば扱える。そして普通の魔法使いではそう簡単に連発出来ない威力を簡単にいくらでも連発出来る。魔法使いなら魔力が切れたら終わりな上に魔法を行使するまでに長い時間を要する。それに比べて大砲ならば弾薬が尽きるまで撃ち放題だ。
そしてそれを受ける兵士や騎士達は成す術もなく薙ぎ払われるだろう。どれほど鍛錬を積んだ騎士であろうとも大砲の前には成す術がない。騎士の鍛錬の努力も、魔法使いの修練も、何もかもを吹き飛ばす悪魔の兵器だ。
兵を預かる者として、また自身もこの国で最強の一角である騎士として……、父も思う所があるんだろう……。
「ねぇフローラちゃん!お母様あれを受けてみたいわ!ね?いいでしょ?お母様に向かって撃ってちょうだい!ね?ね?」
「…………お母様」
そしてこの母よ……。大砲を生身で受けるつもりか?俺は母がミンチになる所なんて見たくないぞ……。
「さぁ!いつでもいいわよ!早く撃ってちょうだい!」
「いつの間に……」
俺がちょっと考え事をしている間に母はどこから持って来たのかいつもの槍を構えて標的の前で立っていた。
「それではいきますぞい!」
「おい!馬鹿!やめろ!」
アインスがすぐに射撃指示を出す。砲兵が何も戸惑うこともなく発砲した。まるでスローモーションのように砲弾が撃ち出されるのが見えて……。このままじゃ母が……。いや、この砲の射撃精度ならピンポイントで立っている人間に当たるなんて滅多にないはずだ……。どうか死なないでお母様!
「はぁっ!」
「ぇ…………?」
俺は目の前の光景が信じられずに手を伸ばした姿勢のまま固まった。明らかに母から逸れていた砲弾に向かって突進していった母はいつもの槍で砲弾を撃ち落した。
いや……、全然意味がわからない。何だこれは?夢か?生身の人間が、いくら現代から考えれば相当旧式とはいえ大砲の弾を撃ち落すとかどういうこと?
「もっとじゃんじゃん来て良いわよ~!」
「それでは……、撃てぇ~い!」
ドンドンドンッ!
と次々放たれる砲弾を撃ち落す母を見ながら俺は思考がフリーズしていた。