第百七十一話「クリスタを招待!」
時は少し遡り学園の試験開始から一週間、女子の実技試験が全て終わった頃、ヘルムートはラインゲン家を訪ねていた。
「おお!ロイス卿!よく参られた」
「ご無沙汰しております」
ヘルムートが訪ねるとすぐに中に通されてカール・フォン・ラインゲン侯爵直々に大歓迎を受ける。カールの妻マリアンネも同席しており二人ともヘルムートを笑顔で迎えていた。
ラインゲン家は今大変なことになっている。バイエン派閥の各家は投資詐欺事件に関して追及を受けておりどの家も取調べを受け逮捕者も続出している。ラインゲン家もその例に漏れず今も大変な状況だ。
しかしそのラインゲン家にあって一つだけ明るい話題があった。それはまるで気でも触れたかと思うほど塞ぎこんでいた娘が正気を取り戻したことだ。確かにカール、マリアンネ夫妻と娘クリスティアーネの間には多少なりとも確執は残っている。だがそれでも二人にとってはクリスティアーネは可愛い娘なのだ。その娘を治してくれたヘルムートに二人は心から感謝していた。
「娘も待っておりますよ。さぁどうぞ」
マリアンネもヘルムートの用件を聞く前にさっさと娘の部屋へと通してしまう。もちろんヘルムートはクリスタに用があったのだから問題はないのだが少しばかり困惑もしていた。そんなヘルムートの困惑などお構いなしに二人は早々にクリスタの部屋にヘルムートを放り込んだのだった。
「お久しぶりです、クリスティアーネお嬢様。あれからおかわりはございませんか?」
「はい。お心遣いありがとうございます」
穏やかに微笑むクリスタと向かい合って座りお茶を飲む。落ち着いているクリスタの姿からは少し前の様子が本当のことであったとは思えないほどだった。
「本日は一体どのようなご用件でしょうか?」
「はい。フローラお嬢様より手紙を預かってまいりました」
そういってヘルムートは懐から一通の手紙を差し出した。それを受け取ったクリスタは早速封を切り手紙に目を通す。
「まぁ!フロトのご実家へ……」
手紙の内容は学園の長期休暇の間フローラの実家に遊びに来ないかという誘いだった。二ヶ月もの間フローラやヘルムートに会えないかと思うと憂鬱になっていたクリスタにとってはまさに願ってもない誘いだ。
「私としては是非行ってみたいのですが……、このような時期に両親が許可してくれるとは……」
少し残念そうに視線を逸らしてクリスタはふっと笑う。今はラインゲン家も大変な時期だ。こんな時に領地を遠く離れたフローラの実家になど遊びに行くと言って果たして両親が許可してくれるだろうか。何よりも家が大変な時に自分だけ遊びに出て行くなどクリスタはそんなことをしていて良いのかと良心の呵責があった。
「クリスティアーネお嬢様、ご両親の説得は私が行ないます。ですからクリスティアーネお嬢様のお気持ちだけをお答えください。他の事など関係ありません。クリスティアーネお嬢様の思う通りのお答えが聞きたいのです」
「ヘルムート様……」
真剣に自分を真っ直ぐ見詰めてそう言い切るヘルムートにクリスタは目を逸らすことも出来ずに見詰め合ったまま暫く固まっていた。そして考えが纏まったのか少ししてから口を開いた。
「私は……、私はフロトのご実家に行きたい!フロトやヘルムート様と一緒にこの休みを過ごしたいです!」
「かしこまりましたクリスティアーネお嬢様。全てこのヘルムートにお任せください」
胸に手を置き大仰に頭を下げるヘルムートにクリスタは穏やかに微笑みかけていたのだった。
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クリスタの気持ちを確認したヘルムートはクリスタの部屋を出るとカールとマリアンネに再び会っていた。目的はもちろんクリスタが長期休暇中カーザース領、カーン領へ出かける許可をもらうためである。
「カール侯爵様、どうか学園の長期休暇の間、クリスティアーネお嬢様を領地へ招待する許可をください」
「「…………」」
いきなりそう言われてカールとマリアンネはお互いに顔を見合わせる。普通なら年頃の娘を若い男の領地へ、それも二ヶ月近くもの長期間預けることなどあり得ない。そのようなことをすれば例え二人がそのような関係ではなくとも醜聞として広まってしまう恐れがある。
プロイス王国では特に処女信仰があるわけでもなく以前に付き合っていた相手に関してそれほど厳しい目で見られることはない。幾度となく結婚と離婚を繰り返している者もいるし浮名を流している色男や美女も多数いる。
しかし結婚前の年頃のご令嬢が二ヶ月も男の領地に保養に行っていたなどと広まれば今後の結婚に大きな障害になることは間違いない。それも侯爵家のご令嬢と子爵家などという身分違いの恋だ。ラインゲン家の足を引っ張ろうと面白おかしく広める輩も現れるだろう。
だが……、どの道このままではラインゲン家もバイエン家と共に沈む運命かもしれない。それならば……、娘が望むのならば……、一人くらいは自由に、思うがままに生きさせてあげても良いのかもしれない。幸いラインゲン家には跡取りもいる。今後投資詐欺事件で罪に問われたならばラインゲン家と婚姻関係を結んでくれる相手もいないかもしれない。
それならば今のうちに……、この誠実な青年に……、自分達がどうやっても治せなかった娘を正気に戻してくれた男になら任せてみても良いのかもしれない。
「ロイス卿……、いや!ヘルムート君!娘をよろしく頼む!」
「クリスティアーネのことで何か困ったことがあればいつでも相談に来てくださいね」
「はっ!ありがとうございます!」
こうしてヘルムートは『クリスタのカーザース領、カーン領への旅行の許可をもらった』。そしてカールとマリアンネは『クリスタを相手のご両親に紹介に行く許可を出した』。
自分が徐々に外堀を埋められつつあることに気付いていないヘルムートはフローラから与えられた役目を果たせたことに満足しながらラインゲン家を後にしたのだった。
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ヘルムートが帰って行くのを窓から見送ったクリスタの部屋に父カールと母マリアンネが訪ねてきた。旅行の許可がもらえたことは先にヘルムートから聞いていたが一体何事だろうかと両親を招き入れる。
「お父様、お母様?どうされたのですか?」
「いいかいクリスタ。良く聞きなさい。私達はクリスタがどのような相手に懸想しようとも止めるつもりはない。クリスタに覚悟があるのなら例え身分違いの相手でも構わない」
「私達は家のことばかりで良い親ではなかったけれど……、これからラインゲン家は大変な時期を迎えるわ。だから……、クリスタは自分の思うように生きなさい。貴女が子爵家の生活でも耐えられるというのならば私達は反対はしないわ」
「え?え?」
急に何を言い出すのかとクリスタの方が首を傾げる。しかし両親の言葉は止まらなかった。
「二ヶ月もロイス子爵の家でお世話になるのだ。その間に色々な経験もするだろう。きちんとロイス子爵家の方々にも挨拶してくるんだよ?」
「早く孫が見たいけれど学園生の間はどうなのかしらね……。ほどほどに節度を保つ方が良いと思うけれどそれももう貴女の思うようにして良いのよ。学生の身で身篭ったなんて言われるかもしれないけれど気にすることはないわ」
「あっ、あの……?」
ご両親に挨拶だとか身篭るだとか言われてクリスタは頭が混乱しつつも真っ赤になって固まる。両親が何故急にこんなことを言い出したのかはわからない。そもそもクリスタが行くのはカーザース家の領地だ。フローラやヘルムートはカーザース領とカーン領を含めて言っているつもりだが他家の者からすればカーン領というのが馴染みがなく、フローラから実家へ誘われたとあればカーザース領への誘いだと受け取るのはやむを得ない。
それなのに何故かカールもマリアンネもロイス子爵領へお世話になりに行くと思っているようだということはクリスタにもわかった。
しかし……、両親が許可してくれているのならば何を躊躇うことがあるだろうか。侯爵家と子爵家の、それも跡取りでもない相手とでも両親が交際や結婚を許可してくれているというのならば……、自分はヘルムートを射止めるために動けば良いのではないか。
確かにクリスタが行くのはカーザース領ではあるがカーザース家に仕えるロイス家の家もカーザース領にあるだろう。この機会にヘルムートのご両親にご挨拶しておくのも良い手だと思い至ったクリスタは黙って両親の案に乗ることにしたのだった。
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出発当日、昨日学園では終業式も終わり前期の日程は全て終了した。今日から二ヶ月間の長期休暇でありクリスタにとって初めて訪れるカーザース領への旅行出発の日だった。
クリスタはこれまで自分の家の領地、バイエン家の領地、王都周辺しか行ったことはない。この国では未だに長距離移動や遠方への移動は命懸けであり長い時間と費用を必要とする。そう簡単に遠方まで出かけるなどということは出来ない。
超高速で駆け抜ける馬車に揺られて乗り物酔いで少々気分が悪くなりながらも何とか七日間耐え切った。フローラの話では十日前後はかかると言われていたが日程を大幅に短縮出来たようだ。
クリスタをはじめとしたお客さん側の者達は知らないことではあるがフローラは流通網を確立するためにカーン領、カーザース領内の街道整備に着手している。また駅も駅馬も増やし入れ替えも増やしているので前までよりもさらに馬の足を気にする必要が減った。
そしてまだ不完全ながらも馬車の改良が進んでいることが大きい。まだまだ酷い揺れは起こるがそれでも以前の馬車よりも高速で走れて揺れたり倒れたりしにくい新型の馬車の開発を行なっている。フローラからすればそれほど画期的な改良や改善は行なわれていないように思われるが、ほんの少しのフローラの知識や助言だけでもその性能は飛躍的に向上している。
まだ試作段階であり当然販売などされていないが、それら改良された馬車の性能試験も兼ねて飛ばしてきたので従来の日程よりも大幅に短縮出来たのである。
「せめてゴムがあればもっと速く走れるのに……。タイヤにリムスポークにサスペンション……、これだけあればもっと劇的に変わるはずなのに……」
揺れる馬車でフローラは時折ブツブツと何かを言っていた。その言葉の意味は誰にもわからない。ただフローラが時々そういう時があることを親しい者達なら皆知っている。またいつものことかと流されるだけだった。
「あれがカーザース領の領都カーザーンですか」
クリスタは少しだけ馬車の窓に身を寄せてそこから見える景色に驚いていた。立派な城壁に囲まれた城塞都市だ。遠くから見るだけでもその巨大さが窺える。ヘレーネ達は田舎の地方都市だと馬鹿にしていたが実際に見てみればそんな考えなど吹っ飛ぶ。
カーザーンに入ってみれば規模や人口こそ王都に劣るものの、その活気は王都に勝るとも劣らないものだった。何よりも町がとても綺麗だ。少し裏路地に入ると途端に汚物塗れの都市ばかりのプロイス王国において異質とも言えるほどに衛生が徹底されている。
しかし驚くのはまだ早かった。何故か馬車はカーザーンを通り過ぎて森へと向かう。しかし森の中を走っているはずなのにこれまでのどの街道よりも綺麗に均されたほとんど揺れない道が走っている。こんな綺麗な道は今まで見たことも聞いたこともない。
森を抜けると開けた場所に整然と建物が並んだ町が見えてきた。城郭もない森の中の小さな町のはずなのにその町並はとても先進的で王都よりもずっと優れているようにクリスタには見えた。
計画的に整備されている町並。歩く人々の数は多く王都やカーザーンよりも活気に満ち溢れてる。あちこちで今も建物が建てられている音が聞こえてくる。
何より最初は森の中の小さな町かと思っていたが入ってみればとんでもなく広い。カーザーンから走ってきた大通りの街道と十字に交差する街道に差し掛かってようやくその広さが実感出来た。
カーザーンから走っている街道が南北であり途中で東西に走る大きな街道と交差している。その東西に走る街道は端から端まで見渡せないほどに長いのだ。その道沿いに延々と建物が並んでいる。小さな町どころか広さだけで言えば相当な広さがあることがそこでようやく理解出来た。
もちろん建っている建物は小さい物や木が多く使われている建物も多い。数階建ての大きな煉瓦造りの建物が並んでいる町並と比べれば随分質素な気もするだろう。しかしこの町がまだ発展段階であり、そして発展の余地がまだまだある将来有望な計画都市であると客人達は程度の差こそあれその肌で感じ取った。
また町並は王都やカーザーンよりも圧倒的に綺麗で合理的に、計画的に整備されている。町の到るところに見たこともないものがたくさんあった。それらを馬車から眺めつつ早くこの町を歩いてみてみたいと強烈に思わせられる。
「すごい……。すごい町ですね!」
「ふふっ、ありがとうクリスタ。さぁ……、皆様カーンブルクへようこそおいでくださいました」
そう言って馬車を降りた者達を迎えたこの町の、そしてこの先にある大豪邸の主は悪戯っぽい笑みを浮かべたのだった。