第百六十九話「休みをくれ!」
今日は学園の正規の休みの二日目だ。女子は筆記試験が終わって、一日実技試験に行けばそれ以外は実質的に休みと同じだけど正規の学園の休みはこの最後の三日間だけであり他は一応試験休みと言えるけど学園は休みではないことになっている。
そりゃ男子はずっと実技試験である野営訓練に出ているんだから女子が出ていないからって休みだと言うわけにはいかないだろう。女子だって自宅で自習する日になっているだけで建前上は休みではなかったというわけだ。そして今日はその三日ある休みのうちの二日目だ。
昨日は俺は誰とも会わなかった。昨日は何もなかった。良いね?俺は昨日何もなかった。何もなかった……。誰も訪ねて来ていないし何もなかったんだ!
「ふーっ!ふーっ!」
ちょっと落ち着こう。昨日のことは考えてはいけない。何もなかった……。忘れるんだ……。
それはさておき今日は実は大事な用がある。今日はカンザ商会の訴訟の判決が言い渡される日だ。俺達は連れて行かれたその日にすぐに裁判になったけど本来裁判はそんなすぐに判決が言い渡されるなんてことはない。被害者と被告人の言い分も聞かれるし捜査や証拠集め、証人喚問も行なわれる。
俺達の訴訟はすでに前のバイエン家がカンザ商会を訴えた裁判で事実関係が明らかになっているからそれほど時間がかからなかった。これでも十分あり得ないほど早い裁判の進行であって本来ならもっとかかるのが普通だ。
では何故今日が判決の日なのか。恐らく王様やディートリヒが俺に都合の良いように今日にしてくれたんだと思う。俺は普段学園があるわけで、さらにこれから五日後くらいにはカーザース領、カーン領へと帰ることになる。それを考えれば裁判の決着をつけるには学園が休みの三日のうちのいずれかしかない。
普段はずっとフーゴが担当してくれていたしいくら俺が会頭だとは言っても必ずしも参加しなければならない理由はない。だけど最後の判決くらいは聞いておこうと思って今日は裁判に出ることにしている。
「フローラ様、お時間です」
「今行きます」
着替えも準備も済ませてあるからカタリーナに呼ばれたらすぐに出る……。前に一応姿見で最後の確認をしておこう。
「……うん」
どうせ全身を覆う外套を纏うから裁判では姿は誰にも見られないけど身だしなみは大切だ。ちょっとスカートを摘んで腰を捻って後ろも確認する。今日も可愛い服だ。
女になって今でも色々と戸惑うことは多いけど可愛い格好をするのは嫌いじゃない。いや……、正直に言うと好きだ。別に前世でゴスロリ好きだったわけじゃないけどこういうフリフリの格好も可愛いと思う。
最後にクルリと回って全身を確認した俺は外套を羽織って姿をすっぽり隠して部屋を出たのだった。
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王城の裁判所に着くと馬車を降りる前にフードを被って顔を隠す。馬車も紋章のないものを使っているしこれで俺がカーザース家の者だとは誰にもわからないだろう。受付で用件を告げると通された先にはすでにフーゴが来ていた。
「あぁ、フロト様」
「フーゴ、これまでの経過はどうですか?」
報告は受けているけど一応最後の判決が出る前だ。これまでずっとこのくだらない裁判に付き合ってきてくれたフーゴの生の声も聞いてみる。
「はい。もちろんカンザ商会の勝ちは確実ですがどの程度の賠償になるかという所ですね」
待っている間にフーゴが色々と話してくれたので待ち時間も退屈することなく過ごせた。そしてついに今日の裁判が開かれて判決が言い渡される。
「バイエン家に三千万ポーロの賠償金を命ずる」
ザワザワと傍聴人達が騒がしくなる。そりゃ驚くだろうな。俺だって驚いた。単純に比較は出来ないけどこの国の物価というかお金の価値というかはざっと円とポーロで三十倍くらいだと思えば良い。
例えば野菜のようなありふれた食料品は地球よりさらに安いし、逆に地球ではありふれた工業製品なんかは地球よりも遥かに高い。だから全てが一概に三十倍の差というわけじゃない。ただざっと生活していこうと思えば円の三十分の一のポーロがあれば生活出来る。
つまり今バイエン家がカンザ商会に支払うように命じられた額は日本円で凡そ九億円……。この時点で色々とおかしいと思うだろう。
実際に被害があったのはクリスタに譲ったドレスと一号店の店舗や商品が一部壊れただけだ。それだけで九億円もするはずがない。そもそも店舗を壊したのはフーゴを捕縛しようとやってきた兵士達であって本来バイエン家がその賠償責任を負うはずはない。
だけど今回はバイエン家が嘘の訴訟を起こしてカンザ商会に被害を与えた上に、裁判官や検察まで抱きこんで違法行為を行なっていたことも証明されている。だからそれらに関わった全ての責任をバイエン家が背負わされることになった。
さらに賠償金の中にはカンザ商会が不当な目に遭ったことに対する慰謝料も含まれている。謂れなき罪で不当逮捕された上に裁判に引きずり出されたわけだから相応に賠償責任もあると判断されたようだ。
そしてカンザ商会の評判まで貶めたと判断されてそれらが上乗せされている。その結果が三千万ポーロという大金の賠償額になったようだ。
まぁバイエン公爵家ほどの家ならば三千万ポーロくらい払えない額ではない。ただしバイエン家は他にも投資詐欺事件で起訴されており、今後そちらへの賠償もしなければならなくなる。さらに犯罪行為も行なっているわけで何もお咎めなしとはいかない。領地に関する王家の介入も起こるだろう。それを思うと恐らくバイエン家はこれから相当ガタガタになると思われる。
俺達に先に三千万ポーロもの大金を支払わせるのは王様やディートリヒなりのうちへの心配りだろう。
別に三千万ポーロくらいどうしても欲しいというものではないけど貰えるものは貰っておこう。これで一応クリスタの仇も取れた……、かな?ここから先は王様達や詐欺被害者貴族達の問題なので俺達はここらで手を引くのが良い。
ヘレーネが主な被告のはずだけど今日は、いや、フーゴに聞いた限りではあの時の裁判以来顔を出していないらしい。別にヘレーネの悔しがる顔が見たいわけではないけど一番の被告人が顔も出さずに判決が出て終わりというのも妙にすっきりしないけど……。アルト・フォン・バイエン公爵は顔面蒼白になってワナワナと震えているから良しとするか。
その後も続いた裁判の手続きを最後まで見届けてから閉廷した裁判所を後にしたのだった。
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今日王城にやってきたのは裁判の他にもう一つ目的があった。ぶっちゃけ裁判の方がついでだ。もう前の訴訟でほぼ勝ちは決まっていたしずっとフーゴに任せていたのに今更俺が来てもただ最後の判決を生で聞くこと以外にすることはなかった。むしろこれから向かう先での用件の方が大事だ。
裁判が終わってからこっそり人目につかない所で外套を脱いだ俺は何食わぬ顔でフローラとして王城に入る。誰も俺が先ほどの裁判で外套にフードで姿を隠していたカンザ商会の会頭だとは思うまい。
前々から今日会うアポを取っていたからスムーズに通される。公式な場、謁見の間とかでもよかったんだけど何故か後宮に通された俺は王様の私室の一つで待たされた。
「待たせたか」
「いえ、今来たばかりです」
挨拶を済ませた俺にそう聞いてくる。ここで『会う約束をしてたのに散々待たされたぜ!』なんて言えるわけがない。仮に本当は相当待っていても待ってませんと言うだけだろう。こういう言葉は王様なりの気遣いの振りをして実はただ自分は悪くないと相手に言わせて満足しているだけじゃないだろうか?
まぁそんなことはどうでも良い。実際今回はそんなに待たされていないし、王様がそれで自分は悪くない、待たせていないと相手に言わせて満足しているとしても俺には関係ないことだ。
「それで話というのは?」
さっそく向こうから話を振ってきてくれたので口を開く。
「はい。先日王太子殿下を守って傷ついた近衛師団の英雄達に二ヶ月以上の休暇をください」
「む……?」
俺の言葉にヴィルヘルムは首を傾げる。意味がわからないということはないだろう。何故俺がそんなことを言っているのかということがわからないから首を傾げていると思われる。
「前々からある近衛師団員の休暇を申請していたのですが一向に認められず……、そして先日のモンスターの件でその騎士は傷を負いました。そこで今回ヴィルヘルム国王陛下より特別にその方達に休暇の許可をいただきたいと思い参上いたしました」
「なるほどな……」
ヴィルヘルムは顎鬚を触りながら目を瞑る。これは簡単な話だ。俺はもうすぐ学園の長期休暇で実家に帰る。その時に連れて帰りたい者が大勢いるわけだけどその中にクラウディアが含まれている。クラウディアは近衛師団の団員なので近衛師団に休暇申請したけど二ヶ月も休暇の許可が出せるかと却下され続けているわけだ。何度も申請しているけど未だに許可が下りていない。
そこで俺は王様に直談判してクラウディアの休みを確保しようと思っていたけど先日の野営訓練の護衛でクラウディアが負傷してしまった。まぁ幸い傷は大したことはないし命に別状どころか生活にも支障はないんだけど、名誉の負傷をした騎士達に普段取れない休みを取らせてくれと王様に頼み方を変えたわけだ。
「それはかまわぬが……」
「ぷりんちゃんきてるー?あっ!ぷりんちゃんーーーっ!」
「エレオノーレ様っ!?」
ヴィルヘルムが何か言いかけた時扉が開いたかと思うとエレオノーレが顔を覗かせた。そして俺を見つけると笑顔でたたたーっと走ってきてそのまま足にダイブしてくる。慌てて抱え上げた俺はそのまま自分の膝の上にエレオノーレを乗せた。
「エレオノーレ様、走っては危ないですよ。それに私は『ぷりんちゃん』ではありませんが……」
「やー!ぷりんちゃんなのー!」
何がいやなのか……。でも可愛いから許す。可愛いは正義だ。もちろん性的な対象としてじゃないぞ!俺はロリでもペドでもない!
「これエレオノーレ……、今は大事な話をしておるのだ」
「やー!ぷりんちゃんといるのー!」
おおっ!何て愛らしい……。俺の胸にぎゅっと抱き付いてくるこの可愛さよ。
「はぁ~……、もうこのまま連れて帰ってしまいたいです……」
「……」
あっ……、心の声が漏れてしまった。王様にじっとりした目で見られている……。
「エレオノーレはやらんぞ」
「あっ、はい……」
ジロリと睨まれながらそんなことを言われた。これはあれだな。娘が嫁に行くとか言ったら駄々をこねて反対する親父のパターンだ。俺としてはルートヴィヒはいらないからエレオノーレが欲しいくらいだけど……。いや、だからロリでもペドでもないけどね?
「はぁ……、まぁ良い。フリーデン家の娘に其方の休みの間と同じだけ休暇を与えれば良いのだな?」
「そっ、そうですね……」
俺は誰にとはまだ言ってないのにさすがは王様というところか。前々から二ヶ月もの長期休暇を申請していた近衛師団の団員の情報まで知っていたということだろう。普通なら王様が近衛師団員の休暇申請なんていちいち知らないはずなのに相手がクラウディアだってわかってるなんて大したものだ。
「エレオノーレ様?どちらへ行かれたのですか?」
「マルガレーテ様」
そしてエレオノーレから遅れて暫くしてマルガレーテが開きっぱなしの扉から顔を覗かせた。
「あっ!ヴィルヘルム国王陛下、申し訳ありません!すぐにエレオノーレ様をお連れしますので」
「いや、良い。もう余の用件は済んだ。あとはエレオノーレの好きにさせてやるが良い」
「はい……。申し訳ありませんでした。プリンちゃんも……、あっ!いえ、フローラ様も……」
こいつ……、もしかして俺は王族達の間ではプリンちゃんで通っているのでは?そしてそれを広めているのはマルガレーテではないだろうかと邪推してしまう。だって普通普段から俺のことをそう呼んでいないとプリンちゃんなんて呼ぶはずないだろう?どう間違えたってフローラがプリンちゃんに間違われることはあり得ない。
「あっ!あっ!違いますよ?私がプリンちゃんって言い出したわけではありませんからね?エレオノーレ様がフローラ様のことをプリンちゃんと言い出したのですよ?ねぇ?ヴィルヘルム国王陛下?」
「うむ……。そうだな。余が知る範囲ではエレオノーレが最初に言っておった……、が、それを誰かが吹き込んでおったとしても余の与り知らぬことだ」
「あ~!ヴィルヘルム国王陛下まで!まるで私がエレオノーレ様にそういう風に吹き込んだように聞こえるではありませんか!」
こいつら仲が良いな。王様相手にここまでフランクに話せるなんてやっぱりルートヴィヒの嫁はマルガレーテで決まりだろう。
この後は真面目な空気でもなくなり王様にエレオノーレとマルガレーテを加えて他愛無い話をして一日を王城で過ごしてから家に帰ったのだった。