第百六十八話「初心?」
空が白み始めた頃、ようやく王都の兵も到着していた。事態が起こってからすぐさま伝令が出されていたが夜のうちに駆けつけたのは昨日のうちに王都に戻っていたもう一つの近衛師団の大隊だけだった。他の兵は今更ながらにやってきたのだ。
そもそも近衛師団の大隊も『最終日で野営地付近を守るだけで良いはずだからそんなに人数は必要ない』と言われて一個大隊は無理やり帰らさせられた。伝令が届いて急いで出ようとした時も『勝手に軍事行動を取ることは軍規違反だ』とか『統帥権干犯だ』と言われて中々動けなかった。
それでも近衛師団は反対を押し切り夜のうちに派兵を決定し野営地へとやってきたのだ。近衛師団の一個大隊が到着した頃には野営地のモンスターは全て討伐を終えていたがまだ予断を許さない状況だった。モンスターの数もわからず再び攻めてこないとも限らない。応援に戻ってきた一個大隊と合流出来たことで余力が増えた近衛師団はようやく森に大規模な捜索隊を出せるようになった。
そのお陰で夜のうちにルートヴィヒ達を救助でき、今では全員が野営地の天幕の中で休息を取っている。ルトガー組が十七名、ルートヴィヒ組が九名しか救助出来ておらず一名が依然消息不明だった。しかし最後の一人も夜が明けてくる頃に出した捜索隊により森に入って間もない場所の木のウロの中で眠っている所を発見されて保護されていた。
当然野営訓練は昨晩の時点で中止ということになりそれまでの成績で評価されることになった。まだ狩りが出来ていなかった班は反発したが残り二班だったこともあり残り時間があれば全ての班が課題を終えられたはずのものとして考慮すると言われて少なくとも表面上は全員が納得している。
兵士達は森へと入り牛頭人身の化け物と馬頭人身の化け物の死体を運び出していた。実は今日はこのあと英雄を称えるパレードが行なわれることになっている。
ルートヴィヒとルトガーという二人の王族が未だ嘗て見たことがない化け物を討伐し学園生達を守った、という英雄譚へと仕立て上げられている。そのための準備もすでに着々と進んでおりパレードの目玉として討伐されたモンスターを荷車に乗せて民衆達に誇示するためだ。
色々と不可解な点はある。しかしそれは今言っても仕方がない。二体の見たこともないモンスターは回収してきたが森の中で生徒達が襲われたほかのモンスター達の死体は回収も調査も出来ていない。それらは今後の調査でわかってくるだろう。
昼前まで野営地にて足止めされ色々と事情聴取を受けたりしていた学園生達は昼になってようやく野営地を出て王都へと戻ることが出来た。そして城壁を越えて王都内へと入った瞬間……。
「わぁ~~~!」
「ルートヴィヒ殿下~!」
「英雄達の凱旋だ!」
大歓声に包まれた。
見たこともない化け物を討伐し生徒達を守った英雄達。ルートヴィヒ、ルトガー、ジーモンは野営地で休息したり事情聴取されている間に御触れを出してまわった兵士達によりすっかり王都の英雄として祭り上げられていた。
最初に兵士達がパレードの開催とその理由を説明して回っていた時はイマイチ信じられなかった。王族だからといって特別な力があるわけではない。プロイス王国の王家は何らかの特別な血筋や力があるから王族なのではなく次第に勢力を拡大していった領主が王になっただけだ。
しかし……、本当に見たこともない化け物の死体が荷車に載せられて大通りを通ると人々はその巨体と力強さに恐れ戦いた。そしてそれを討伐した三人に最高の賛辞を贈る。
もしこんな化け物が王都に侵入してきていたら……。それは相当な被害が出たことだろう。それを城壁の外で討ち取ってくれたのだ。兵士達が喧伝したほどに王太子達が活躍したかどうかはともかくこんな王都の近くにいた化け物を討ち取ってくれたということに対する感謝は忘れない。
朝に御触れを出した所だというのに一体どこにこれほどの人がいたというのかと思うほどに大通りの沿道には大勢の人が詰め掛けていた。
「凄い人ですね」
「そうか?いつもこんなものだろ?」
ジーモンの素直な感想にルトガーは不思議そうな顔で平然と答える。確かにルートヴィヒやルトガーがパレードを行なったりする場合にはこれくらい、いや、これ以上に人が集まる。今回は突然だったこともありいつもより少ないくらいだ。
しかしそれはルトガーの感覚での話であっていつもは外から見ている側だったジーモンからすればこれほど多くの民衆に囲まれて、それも歓声や声援を送られた経験などない。そんなジーモンからすればこれだけ大勢の人に囲まれて歓声に包まれるだけでも圧倒されることだった。
「うわっ!あれが噂の化け物か!」
「でかい!」
「何て体だ!よくあんなものを倒したな!」
「見て!あっちは上半身がなくなってる!」
「向こうは両腕が綺麗に切り落とされているぞ!どんな達人が斬ったらああなるんだ!?」
行く先々で人々は屋根のない馬車に乗って手を振っているルートヴィヒ達に声を送り、荷車に載せられている化け物を見て驚きの声を上げる。
「何でもあの上半身がないのはルトガー殿下とジーモンという貴族様が二人で放った魔法で焼き尽くしてしまったそうだぞ!」
「あっちの方は両腕両足をルートヴィヒ殿下が斬り、止めに喉を突いて倒したらしい」
兵士達が事細かに御触れを叫んで回り、立て札をたてて話を広めて回ったために多くの民衆がその時の情報を知っていた。
最初にそんな情報を聞いた時は新種のモンスターと言ってもどうせそれほど大したものでもないのだろう、とか、どうせ同行していた近衛師団が討伐したのだろう、と思っていた。思っていたが……、現物のモンスターを見た者達は全員が意見を変えた。
もしこれほどのモンスターが暴れていれば大変な被害が出たことだろう。近衛師団でも討伐するのは容易ではなかったはずだ。これまでの近衛師団の活躍からその実力は民衆達も認めている。しかしそれは同時に近衛師団の限界もある程度知っているということに他ならない。近衛師団は確かに優れた騎士達の集まりだが出来ることにも限度がある。
そんな近衛師団がほとんど犠牲を出すことなくこれほどのモンスターを討伐出来たということは、いつもとは違うなんらかの新しい力が加わったからだということは民衆にでもわかる。学園生達が居たとは言っても所詮貴族のボンボンである学園生達が役に立つとは思えない。ならば今言われている三名がそれなりに活躍したことは間違いないだろう。
そして何よりも誰が討伐しようともこの学園生達と近衛師団達によってこれだけの化け物が討伐されたという事実は変わらない。そのことに対する感謝と祝福は本物なのだ。それが王太子達の手柄が誇張されているとかどうとかいうこととは関係ない。
「あの……、ルートヴィヒ殿下……、これでよかったんですか?これはあの子の……」
「――!そうか。ジーモン君も気付いていたのか」
周囲から歓声を贈られている中でジーモンは居心地が悪そうにルートヴィヒにこっそり話しかけた。この騒ぎの中ならば他の者には聞かれていないだろう。
「僕はあの子の魔法を見たことがあるので……」
「あぁ……、そういうことか。なるほどな。確かにあの子の魔法を見たことがあればアレが誰の仕業かはわかるか……。ルトガーも知ってるのか?」
こんな常識外れの魔法が使える者など限られている。それこそプロイス王国中の情報を知ることが出来るはずの国王であってもこんなことが出来る者など一人しか思い当たる者はいない。一度でも『あの子』の魔法を見たことがあればすぐにそれと結びつけることは出来るだろうなとルートヴィヒも納得した。
「いえ、ルトガー殿下は御存知ありません。僕から話しておきましょうか?」
「いや、黙っておこう。僕とルトガーは恋敵でもあるんでね。少しばかり僕が有利な情報を握っていても良いだろう?」
悪戯っぽく笑うルートヴィヒにジーモンは口をパクパクさせるだけで言葉にならない。
「きっ、気付いておられたのですか……」
「それは当然だろう?僕とルトガーは子供の時からずっと一緒に居たんだ。ルトガーが誰に恋をしているかくらい一目でわかるさ」
それはそうか、とジーモンも納得した。ジーモンも幼馴染のあの子が何を考えどう思っているかくらいはパッと見れば大体わかる。たまには読めないこともあるがそれも大事だ。何もかもお互いにわかるのも素敵かもしれないが、わからないことがあるからこそお互いを知ろうとすることもまた二人の絆にとって重要だということをジーモンは知っている。
「あの子は今回のことを周囲に誇るつもりがない。だから表に出てこず手柄を人に譲るようなことをした。ならば僕達がすべきことはあの子の情報を余計な所に広めることではなく、あの子の気持ちを汲んでそっとしておいてあげることだ。違うかい?」
「いえ……、そうですね……」
ジーモンも『あの子』には大変な恩がある。その『あの子』が少々変わった子で目立つのも嫌うことをジーモンも理解している。ならばルートヴィヒが言うように『あの子』の希望に沿うようにしておいてあげるのが自分達の役目だろう。
ジーモンの『あの子』に対する感情は『敬愛』と『忠誠』だ。多少は異性としての憧れもあるが自分では釣り合わないと思っている。何より昔から想っていた相手がいたためにそこまで強烈に愛や恋という感情は抱かずに済んだ。もしジーモンが『幼馴染の彼女』と出会っていなければきっと今頃は『あの子』の虜になっていたことだろう。
そして目の前に本来仕えるべき将来の主君がいるというのにすでにジーモンの忠誠は『あの子』に捧げられている。もちろん王国貴族として王家に仕え守る覚悟はあるがもし王家と『あの子』のどちらかしか守れなくなればジーモンは迷うことなく『あの子』を守るだろう。
「ですが……、ルトガー殿下にお伝えして広めないように申し上げておいた方が良いのでは?このままでは何も知らないルトガー殿下が調査を命じられる可能性も……」
「それは大丈夫だろう。ルトガーの情報網に引っかかるようならもうとっくに『あの子』のことは露見しているはずだ。そんなに迂闊な子じゃないよ」
「なるほど……」
妙に説得力のあるルートヴィヒの言葉にジーモンも納得してしまった。このあとパレードは王城まで続き、今回功績のあった者達は国王陛下に褒美を賜ることになったのだった。
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翌日、元々今日から三日間は学園も休みの予定だが当然そんな暇はなくなっている。あちこち情報収集に駆け回り事情聴取や現場検証が行われ森に人が入り現地調査も行なわれている。そんな中ルートヴィヒはある屋敷を訪ねていた。
「やぁフローラ」
「え……?ルートヴィヒ王太子殿下?」
いつまで経ってもルートヴィヒ『王太子殿下』としか呼んでくれないフローラに苦笑しつつ、お茶を飲んでいたフローラの向かいに座る。
本来訪ねてきた者があればいきなり主人の部屋へなど通すはずはなく、まずは客人が来たことを告げるのが普通だ。それなのにルートヴィヒが訪ねて来たことを知らせに来ることなくそのままルートヴィヒを通したヘルムートにフローラが視線を向ける。その意味を察してルートヴィヒがフォローを入れた。
「あぁ、彼……、ヘルムートを責めないでやってくれ。僕が無理やりフローラに黙ったまま通せと命じたんだ」
「そうですか……」
挨拶を済ませて座ったルートヴィヒにフローラはじっと視線を向ける。ルートヴィヒは何も言わずに目だけ動かして少しだけヘルムートの方へ視線を動かした。それで察したフローラが周りの者を下がらせる。
「ご苦労様でしたヘルムート。下がって良いですよ」
「はっ……」
ルートヴィヒの前にお茶を出すと他のメイド達も揃って全員が出て行く。全員がいなくなってからお茶を持ち上げ香りを楽しんだ後で口に含んだルートヴィヒはじっくり時間を置いてから口を開いた。
「一昨日は助かった。そのお礼が言いたかったんだ」
「一昨日?私は学園の試験が終わってから家を一歩も出ておりませんが?」
澄ました顔でそう言うフローラにルートヴィヒは苦笑する。
「僕が勝手に言いたいだけだから聞いてくれるだけで良いよ。僕はあの時ほど自分の無力を感じたことはなかった。剣も魔法も勉強も、どれも人並み以上には出来るつもりでいたけどそんなものは何の役にも立たない。僕のせいで犠牲を出してしまうところだった。誰も死なずに済んだのはあの時助けてくれた者のお陰だ。だからありがとう」
そう言ってルートヴィヒはそっとフローラの手を取るとその手の甲に口付けをした。
「――ヒッ!?」
変な姿勢と表情でフローラが固まる。普段はとてもお淑やかで所作にも隙がない完璧超人かと思われがちなフローラではあるが実は弱点がある。とても初心で少しルートヴィヒが接触するだけでも途端に真っ赤になって固まってしまうのだ。そんな初心な愛しい許婚の姿にクスリと笑みを漏らしたルートヴィヒは立ち上がった。
「ごめんね。本当はもっとゆっくりしたいんだけど暫く時間も取れそうになくてね。今日もこっそり抜け出してきたんだ。お茶おいしかったよ。それじゃまた」
「…………」
魂が抜けた人形のようにまだ手の甲にキスした時と同じ格好と表情で固まっているフローラに手を振ってルートヴィヒは急いで王城へと戻ったのだった。