第百六十七話「英雄!」
「くそっ!くそっ!どうしたらいい?どうすればいい?」
退却していく近衛師団と生徒達の最後尾付近を走りながらルトガーは必死で頭を働かせる。
先頭は近衛師団の一個分隊が先導している。不用意に森の中を走っていればどんな危険があるかわからない。先頭に戦える者をある程度置いておくのは当然のことだ。そして保護した生徒達が続き、その両側を有志として捜索に参加した生徒達に守らせている。残りの近衛師団二個分隊とルトガーとジーモンはほぼ最後尾を走っていた。
牛頭人身の化け物は2~3mはありそうな巨体にも関わらず森の木々などまるで存在しないかのように気にすることなく追いかけてくる。人間なら藪や木の枝に阻害されてうまく走れないような場所でも、太い木の枝ですら気にすることなくへし折りながら突っ込んでくる様は勝気なルトガーですら恐怖で恐れ戦きそうになる迫力だった。
「焦るな……。落ち着け。落ち着け……。何か……、何か手はないか……」
走りながら恐怖を抑えて必死で考えるが良い案などそう簡単に浮かぶはずがない。どう見てもこんな少数の人間で勝てるような相手ではないのだ。そしてこのままでは大勢の騎士達がいる野営地まで逃げ切ることも難しい。ならば正面から戦わずにどうにかやり過ごすしかない。
「ジーモン!お前魔法が得意だって言ってたな?得意な魔法は何だ?」
「ひっ、火魔法が得意です!」
聞かれたジーモンは息を乱して走りながら答える。その答えを聞いてルトガーはさらに策を練った。
「……。……。…………。よし!近衛師団も聞け。学園生と先導の分隊はそのまま野営地まで駆け抜けろ。殿についている二個分隊と俺達はあの化け物の足止めをする。俺とジーモンが二人で火魔法であの化け物を炎に包む。魔法に集中している間近衛師団は奴の注意を引きつけてくれ。決して無理はせず注意を引くだけでいい」
走りながらルトガーは策を説明していく。このまま全員で走っていても早晩追いつかれることは目に見えている。どうにか逃げ切るためには敵の足止めをするしかない。しかしこの戦力で正面から相対しても勝てないどころか余計な被害が増えるだけだ。
そこで木などの障害物を盾にしながら近衛師団が敵の注意を引きつける。もちろん攻撃してダメージを与えることが目的ではないので深追いはしない。あくまで複数人がバラけてあの化け物の注意を引くだけだ。
そうして近衛師団が敵の注意を引いている間にルトガーとジーモンで魔法の集中を行なう。隙を見て近衛師団と敵が離れているタイミングで二人による火魔法で敵を炎に包んでしまおうという作戦だ。
この作戦の肝は敵をその火魔法で倒せるとは考えていない所にある。モンスターも多少は知能が高いものもいるが所詮は獣とそう大差がない。獣は火を恐れる。この化け物も炎で倒せるとは思っていないが森に火がつきこちらと向こうが炎で隔てられたらそれ以上深追いしてこないのではないかと考えてのことだ。
つまり火魔法で倒すのが目的ではなくあくまでこちらと向こうを遮断してこれ以上追ってこないようにすることに主眼を置いている。場合によっては火のついた森を迂回してさらに追ってくる可能性もあるが少しでも時間が稼げれば野営地に逃げ込める可能性も上がる。このまま何もしなければ絶対に追いつかれることは確実なのだからそれに賭けるしかない。
「絶対無理はするなよ!全員生きて帰るんだ!」
「「「了解!」」」
ルトガーの作戦に反対する者はいなかった。すぐさま近衛師団がバラけつつ化け物を誘い込む場所を探す。ルトガーとジーモンも近衛師団が注意を引き付けている間に隠れて魔法に集中できるポイントがないかと探していた。
「あそこだ!あそこに誘い込め!」
今向かっている野営地への進路から少し逸れたところに丁度良さそうな場所を見つけたルトガーが指示を出す。それに従い近衛師団員が化け物をそちらへ誘導する。
「こっちだ化け物!」
「こっちへこい!」
「ブモオオオォォーーーッ!」
石やナイフを投げながら挑発してくる近衛師団員にまんまとおびき寄せられた化け物はノシノシとルトガーの狙い通りに動く。
「ジーモン!ここから狙うぞ!二人で同時に放つ。いつでも撃てるように準備しておけ!」
「はい!」
味方を巻き込まず化け物だけを隔離出来る場所とタイミングをはかりつつ準備を行なう。足止めが失敗すればこちらに大きな被害が出てしまうだろう。そうさせないためにはここで化け物の足止めを確実に行なうしかない。失敗は許されないことに緊張しつつも魔力を高めてその時を待つ。
「今だ!全員下がれ!」
「「火の精霊よ、我が魔力を食らいて顕現せよ。その力にて我らが敵を包み込め!火柱!」」
ルトガーとジーモンの詠唱が終わり魔法が威力を開放する。その時、逃げようとしていた学園生達も、近衛師団の団員達も全ての者は目撃した。
二人が声を揃えて前に突き出した腕から信じられないほどの巨大な炎の柱が前に向けて撃ち出された。それはさながら現代地球で言えばアニメのレーザー砲のように見えるものだった。その巨大な炎が撃ち出されて通った場所にあったものは全てが一瞬のうちに燃え尽きている。
化け物の腹から上の上半身も、その向こうにあった木々も、やや下から斜め上に向けて放たれた炎の柱が通った跡には何も残っていなかった。そしてそれに触れたであろう周囲には火が燃え移っている。残っている化け物の下半身や進路上にあった木々の残りが燃え盛る中周囲は静けさに包まれていた。
「すっ、すげぇ!」
「何だ今の魔法は!」
「あっ、ありえない……」
逃げようとしていた生徒達も、近衛師団員達も、全ての者が驚き、ある者は歓喜の声を上げ、ある者は呆然と何が起こったのか理解出来ないとばかりに立ちすくむ。
そして一番驚いていたのはルトガーとジーモンだった。
別に二人の潜在能力が突然発揮されて、とか、二人の合体魔法によって、で、すごい魔法が発動されたわけではない。そもそも二人が唱えた火柱は普通所定の位置から火柱が立ち上がる魔法だ。今他の者達から見えたような手からレーザーのような火を撃ち出す魔法ではない。
そして根本的に確かに『周囲の者達から見ればまるで二人が突き出した手から魔法が放たれた』ように見えたが実際には二人の横の茂みからタイミングを合わせるように魔法が放たれたのだ。驚いた二人がそちらを見ると……。
自分達の隣の茂みにヤカンのような兜を被った者が潜んでいた。そして何やらワタワタと手を振っている。そしてその手は最終的にヤカンの上で止まった。どうやら慌ててから頭を抱えたようだということは二人にも理解出来た。二人がじっとそちらを見ているとヤカンも二人に見られていることに気付いたのか首をそちらに向ける。
「「…………」」
「…………」
三人はお互いに見詰め合って止まる。ルトガーとジーモンはただ呆然と、ヤカンの方は完全に顔まで覆われているので何を考えどんな表情をしているのかはわからない。ただお互いに顔を向け合ったまま固まっていた。
「うおおおっ!すげぇ!」
「さすがはルトガー殿下だ!」
「――ッ!」
歓声を上げながらこちらに向かってくる生徒達や近衛師団に気付いたヤカンは何やら身振り手振りを行なう。最初は意味がわからなかったルトガーとジーモンも何となくそのジェスチャーから言いたいことの察しがついた。
「こうしろってことか?」
二人にまた前に手を突き出せとジェスチャーしていると気付いたルトガーはジーモンと一緒に先ほどのように二人揃って手を前に突き出した。すると……。
「うおおぉっ!今度は水!」
「ルトガー殿下は火だけではなく相性が逆の水まで使えるのか!」
他のギャラリー達からはまるで再び突き出したルトガーとジーモンの手から水の柱が撃ち出されたように見えた。その射線は先ほどの火の柱とほぼ同じであり水の柱が通った後には燃え移った火は全て消えていたのだった。
「さすがですルトガー殿下!」
「ジーモンだったか?お前も凄いな!」
「あっ……、いや……、俺達じゃ……」
歓声を上げながら生徒達が駆け寄ってきたので自分達ではなくそこのヤカンがやったと言おうとしたルトガーだったが、そこにはすでに誰もいないことに気付いて今更言っても意味はないと理解して黙っておくことにしたのだった。
その後ルトガー達は多少のモンスターや獣に出会うことはあっても大きな危険もなく学園生十七名を保護して野営地へと戻ったのだった。
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学園生九名を保護したルートヴィヒ達の組はあり得ない化け物に襲われて窮地に陥っていた。
「ヒヒイィィーーーンッ!」
馬の頭にまるで人のように二足歩行するムキムキの体。馬頭人身の化け物に遭遇したルートヴィヒ達は森を盾にして逃げようと思っていたがそれは叶わなかった。化け物は2~3mにもなるかというほどの巨体でありながらとても俊敏で人間の機動力を超えている。森の中で障害物もあるというのに自在に駆け回る化け物に追いつかれ追い詰められていた。
「くっ!まだ戦える者はいるか?」
「うっ……、はい……」
近衛師団員達は勇敢に戦ったが生徒達を守りながら一個小隊で戦えるような敵ではない。近衛師団はあっという間に蹴散らされ化け物が駆け抜ける衝撃で吹き飛ばされた生徒達は皆木に打ち付けられ気を失っていた。辛うじて立ち上がれそうなのはルートヴィヒと同世代の細身で長身の近衛騎士だけだった。
その近衛師団員も無傷で無事というわけではなく辛うじて立てるというだけで他の気を失っている者達とそう変わりない。まだ元気なのは周りに守られていたルートヴィヒだけだった。
「どうすれば……、このままじゃ全滅だ……」
「私が時間を稼ぎます。殿下はその隙に野営地に向かってください」
「何を言う!皆を見捨てて僕だけ逃げろというのか!」
騎士の言葉にルートヴィヒは食い下がった。しかし騎士の言うことは正しかった。
「他の誰の命を失おうとも王太子殿下の命には換えられません。そしてここにいる全ての者は王太子殿下をお守りするためにいるのです。何よりあの化け物から逃げ切り応援を呼んでこれるのは最早殿下しかおられません。殿下にこのようなお願いをするのは厚かましいですが私達が全滅する前に応援を呼んできてください」
それは詭弁だ。ここに居た者は全員がルートヴィヒのために命を賭ける覚悟があったわけではない。偶発的にこのような状況になっただけで普段から命を賭ける覚悟をしている騎士達と違いただの学園生にそんな気などなかった。
そもそも確かにあの化け物から逃げ切れる可能性があるとすれば無傷のルートヴィヒだけであろうが、仮に逃げ切って野営地に応援を求めても戻ってくるまでに全員殺されているだろう。ここから離脱して応援を呼びに行くというのは建前でそれはただルートヴィヒを逃がすための方便だ。
「――ッ!」
ルートヴィヒは己の無力に拳を握り締める。その時……
「ヒヒィーーンッ!」
「なっ、何だ?」
突然の化け物の嘶きにそちらに視線を向けると信じられない光景を目にした。
化け物は両腕を切り落とされ、両太腿を深く斬られぱっくりと中の肉が見えている。足が動かなくなっているのか両足から崩れ落ちた化け物は両腕も失いただ正座か膝立ちかという形で座るようにして啼き声を上げることしか出来なかった。
あれほど素早かった化け物が成す術もなく一瞬で切り刻まれている。あの近衛師団の攻撃も通じなかった強靭な肉体が一太刀のもとに切り落とされている。何が起こっているのか理解が及ばない。しかしただ一つわかることは化け物の前に立つ胴体だけ異様に太い鎧を着た者がそれを為したのだろうということだけだ。
「きっ、君は……」
「…………」
その姿を見て……、ルートヴィヒは全てを察した。ただ黙って近づきそのヤカンのような兜に手を伸ばそうとした時……、その騎士は剣を落としてルートヴィヒには止めることも出来ない速さでその場からすぐに立ち去った。残されたのは地面に突き刺さった化け物の血塗れの剣だけだ。そして目の前の化け物はまだ生きている。
「フーッ!フーッ!」
両手を落とされ両足が動かないほど傷を負わされてもまだルートヴィヒを睨むその目には力が宿っていた。決してそれは死に行く者の目ではない。このままこの化け物を放置しておくことは出来ないと理解したルートヴィヒは地面に刺さった剣を抜く。
「このような形で止めだけ刺す僕を卑怯者だと思うか?ならば僕を恨め」
「うっ……」
「うぅ……」
気を失っていた生徒達や近衛師団員達が目を覚ますとそこに映った景色に息を飲む。
「今楽にしてやる……。はぁっ!」
ズシュッ!と肉の裂ける音と共に化け物の首に深々とルートヴィヒの剣が突き刺さる。数度ビクビクと痙攣して音にならないような啼き声を漏らした化け物はついに倒れたのだった。
「うっ、うおおぉぉっ!」
「ルートヴィヒ殿下があの化け物を倒した!」
「ルートヴィヒ殿下ばんざーい!」
まだふらついている者もいるが何とか立ち上がれる者は歓声を上げた。その声を聞きつけてやってきた後続の応援部隊に救助されてルートヴィヒ達の組は一人の命も失うことなく野営地へと帰還したのだった。