第百六十六話「森の怪異!」
捜索は二手に別れて行なうことになった。近衛師団一個小隊に生徒の有志五名で一組となって夜の森へと入って行く。ルトガーとジーモンはルートヴィヒとは別の組になっているのでこちらの組にはいない。
「おい……、そういえばいつものデブの騎士はどうした?」
「そういえば……」
森に入って暫くしてから……、捜索に加わっていた近衛師団の騎士の一人の姿が見えない。その騎士はいつもルートヴィヒ達の護衛を任されていた分隊に所属し『司令部』付近をウロウロしていたので全員が良く覚えている。何よりも不自然に胴体だけ大きな鎧をつけているので一度目にすれば忘れるはずがない。
その分隊が今回の捜索でもルートヴィヒの護衛についているので森に入った当初はいつものデブ騎士も居たはずだ。それなのに気がついたらいつの間にかデブ騎士の姿がなくなっている。
「あんな奴どうせいても役に立たないだろ」
「それはそうかもしれないけど一人でも減ったらそれだけ俺達が危なくなるじゃないか」
「あぁ……、戦いで役に立たなくても肉の壁でも使い道はある。あんなのでも食べられている間はモンスターや獣の足止めくらいにはなるだろ」
生徒達が滅茶苦茶なことを言っているが近衛師団員達は黙って聞いているしかない。近衛師団でもあのデブの騎士は笑い者にされているが実戦も知らないボンボン育ちの高位貴族の子息達に近衛師団を馬鹿にされる謂れはない。しかし声を大にして反論出来ないのが近衛師団の立場だ。
またルートヴィヒも聞こえてはいるが彼らを窘めることは出来ない。今ここで窘めて意見の対立を起こせば連携にヒビが入り全員がより危険になる可能性がある。それにその騎士が勝手に居なくなっていることは事実であり言い方はともかく勝手に居なくなったことに不満を口にするのもわからなくはない。
そして今は生徒達の捜索が最優先であり森の浅い部分でいなくなった近衛師団員を探している場合ではない。近衛師団員ならば死んでも本人の責任となるが生徒を死なせたとあっては後で面倒な話になる。だから居なくなった騎士の捜索よりも生徒の捜索が優先される。
元々大して役に立ちそうもなかったデブの騎士のことなど放っておくことになり捜索が進められたのだった。
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「ひっ!」
「ヒィッ!」
「なっ、何でこんな所に森狼が!?」
野営地から逃げ出した生徒達のうちの三人は固まって森の中を歩いていた。まだそれほど森の奥へは入っていないはずだがそこですぐに狼の群れに囲まれてしまった。
森狼とは呼ばれているが必ずしも森にいるわけではない。地球でならば生態系の上位に位置する猛獣であってもモンスターが跋扈するこの世界では野生の獣など食物連鎖の下位に属する。この森狼も当然下位の獣であり森に潜みモンスターをやり過ごすために『主に森で暮らす狼』だから森狼と呼ばれている。
またこの森狼はモンスターに分類されているが生物的にモンスターというわけではない。この世界では生物学や進化の過程による分類はされておらずモンスターと猛獣の境は曖昧だった。
地球の生物学や分類学においてもモンスターを分類するのは簡単ではない。モンスターとは強力な魔力を持ち人間に害を為す生物、というようなニュアンスだ。しかし人間も野生動物も多寡はともかく全ての生物が魔力を持っている。人間にとって有害というのならば熊や狼だって有害なモンスターと言えてしまう。
もう少し学術的に分類すれば、何らかの理由により本来その生物が持つ魔力よりも強力な魔力を宿し変質した生物、というのがモンスターだと言えるだろう。モンスターは進化の過程や類似性が存在しない。もともといる生物が何らかの理由によりモンスター化していると考えられる。
だから森狼は定義上はただの森に住み着くように変化した狼でしかないが、人間に害を為す、つまり害獣としてモンスターに数えられている。実際このようなことは多々あり、モンスターなのに獣に分類されていたり獣なのにモンスターに含まれているものが数多くいる。
ただそのような分類などどうでもよく、例え森狼がモンスターであろうがただの獣であろうがこの三人の命が風前の灯であることに変わりはなかった。
「何でこんな浅い所に森狼がいるんだ!」
「狩り班は何をしていたってんだよ!」
生徒達はそう悪態をつくが狩りはきちんと行なっていた。しかしほとんどが夜行性である狼の例に漏れず森狼も夜行性であり、さらに狼や犬は長大な移動が可能な能力を誇る。日中に大勢の人間が入って来たのを察知して森の向こうまで逃げ出し、夜のうちに戻ってくるくらいの移動距離など狼達にとっては軽い散歩程度だった。
「グルルルッ」
「ガウッ」
「「「ヒィーーーー!」」」
ついに森狼達が生徒達に襲い掛かろうとしたまさにその瞬間……、ビュンッ!と突風が吹きぬけた。
「……え?」
「あれ……?」
今まさに飛び掛ろうとしている森狼達に目を瞑って顔を背けていた三人の生徒達は、いつまで経っても森狼達が襲ってこないことを不思議に思ってソロリと目を開ける。その目の前には……、何もいなかった。狼達も、そして争った跡すらなく最初から何もいなかったかのように森狼達は煙の如く姿を消していたのだった。
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三人の生徒達の前を駆け抜けた一陣の風、不自然なほど胴体の鎧だけ大きな騎士が森の中を駆け抜けていた。鎧がつっかえるために右手と右足、左手と左足の同じ方を出さなければ走ることもままならない。そんな不自然な動きにも関わらず信じられない速度で森を移動している。
その両手にはそれぞれ鞘から抜いていない剣が握られている。その剣には先ほど三人の生徒達を襲おうとしていた森狼達が引っかかっていた。両手と剣を広げて狼達を全て引っ掛けて駆け抜けてきたのだ。
そんなことをしたら狼達が暴れて騎士の方が襲われるように思えるかもしれない。しかし狼達はそのほとんどがすでに死んでいた。物凄い速度で硬い棒で殴られたようなものだ。首が引っかかっている狼はあり得ない方向に首が曲がっており、胴体を引っ掛けられている狼もその部分だけ体の厚みがあり得ないほどに括れている。
中にはまだ息のある狼もいるがすでにどの狼も致命傷を負っていた。今更その狼達が何らかの脅威になることなどあり得ない。
三人の生徒達の前を駆け抜けた太い騎士は一瞬止まって狼達を振り落とすと念のために止めを刺し再び走り出したのだった。
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森のあちこちで奇怪な出来事が連続して起こる。それらに遭遇した者達はそれぞれがバラバラに別の場所で別のタイミングによってそれらに遭遇したためにそれらの一連の出来事が連続してつながっていることをまだ知らない。ただ一つわかっていることは彼らは皆モンスターや獣に襲われそうになった所で何かに救われたということだけだ。
最初の三人組は目を瞑っていたために何が起こったのか目撃していない。しかし中にはそれを目撃した者達もいた。
ある者の証言では鈍色のモンスターが目の前のモンスターを一飲みに食ったと言う者がいた。またある目撃者の言葉では手足のない鎧が独りでに飛び回りモンスターを殺していったという。
どれが正しいのか、そもそも本当にそんなことが起こったのか、そんな者が居たのか、それは定かではない。ただ一つだけ言えることは後日の調査により確かに森の中に不審な形で死んでいるモンスターや獣が転がっていたということだけだ。
しかしその死骸も他の獣達に食い漁られており死因もはっきりしなかった。何らかのモンスターや獣の死骸があちこちにあったであろうことだけしかわからない。中には血の跡だけが残っていて死骸すら残っていなかったものもある。全ての真相はその後の調査でも判明しなかった。ただしそれは後のことだ。今現在では誰も何が起こっているか知る由もなかった。
あちこちで突風が巻き起こり生徒達を襲おうとしていたモンスターや獣達が断末魔の叫びを上げる暇もなく息絶えていく。それらに遭遇した生徒達は森の危険を身に染みて思い知り慌てて森の外へと戻り始めていた。
「おい!誰かいるのか?こっちだ!」
ガサガサと誰かが走っている音を聞きつけてルトガーが叫ぶ。その声を聞いて相手は急いでルトガーの下へと駆け込んできた。
「ルッ、ルトガー殿下!助けてください!」
「わかったから落ち着け!一体何があった!?」
「わかりません!ただモンスターに襲われて……、妙なものがモンスターと争っている隙に逃げ出してきたんです。金属質の……、見たこともないモンスターです」
「「「「…………」」」」
ルトガーやジーモン、近衛師団の騎士達は顔を見合わせる。
「ほっ、本当なんです!あっちで!あっちにモンスターの死体が転がってるはずです!」
「わかってる。疑ってるわけじゃない。とにかく落ち着け。俺達と行動を共にしてもらうぞ」
ルトガー達はここに来るまでにも何人もの生徒達を見つけて保護していた。全員で合流しつつ他に残っている生徒を探していたのだ。そしてその保護した生徒達の大半は皆似たようなことをいう。見たこともない何かが物凄い速さで通り抜けていった。そうすると自分達を襲っていたモンスターが消えるか死んでいるかのどちらかだと。
「ひっ!もう嫌だ!森の奥へ行くのは嫌だ!俺は外へ出る!」
今保護した生徒は完全に怯えており森の奥へ行くのを嫌がって動かなくなった。折角合流したのに一人で森の中を歩かせては意味がない。かといっていちいち一人発見するごとに野営地まで送り届けるほど人手は余っていない。となれば自然と合流した者達を連れてさらに森の奥へと向かう以外に選択肢はなかった。
「元はと言えば勝手に森の中へ入ったお前の自業自得だろうが!ここで放り出されるのと俺達と一緒に他の学園生を探すのとどっちが良いか選べ!」
「ヒィッ!」
ルトガーに怒鳴られた生徒は腰を抜かしながらガクガクと首を縦に振った。ここに放っていかれるよりは近衛師団の騎士達に守られて行動を共にする方がまだしもマシだ。本来ならばこれほどの経験をすれば『まだしもマシ』などという言葉が出て来るはずもなく感謝して当然ではあるがこの生徒は未だにそこまでは到っていなかった。今でもまだ近衛師団を見下している。
仮にそれがわかったとしてもルトガーの立場上『近衛師団を見下しているからここに捨てて行く』などという選択肢は取れない。面倒ではあるがそういう者も多くいるのが高位貴族の子女が通う学園だ。何とか近衛師団と生徒達の間を取り持ちつつさらに森の奥へと分け入り他の生徒を探していく。
その後暫く森の中を捜索し十七名の生徒達と合流した。さすがにこれ以上は今の規模の近衛師団では面倒を見切れない。こちらがこれだけ合流出来たのだから残りの生徒はルートヴィヒ達の方に合流している可能性もある。そういった情報交換も必要だろうと一時野営地へ戻ろうとしていた時にそれは現れた。
「うっ、うわぁぁ!」
「ヒイィッ!」
「なっ……、何だこいつは!?」
「ブモオオォォォーーーーーーッ!!!」
ルトガー達の前に現れたそれが咆哮を上げると森の木々がざわめき大地が揺れているのかと錯覚するほどの振動を受けた。その咆哮だけで生徒達は竦み上がり気を失う者まで現れる始末だ。
「こっ……、こんなモンスター見たこともないぞ!?」
「退け!学園生を連れて退け!」
最精鋭の近衛師団ですら今まで一度たりとも見たことがない。情報ですら聞いたことがないまったく未知のモンスター。その姿はまるで筋骨隆々の二足歩行する牛のようだった。牛頭人身。この世界の人間達にとっては見たことも聞いたこともないまったく未知のモンスター、それは地球人が見れば恐らく誰もが『ミノタウロス』のようだと答えるだろう。そんな姿をした化け物がルトガー達の前に立ち塞がる。
「学園生は早く逃げろ!戦える者は殿を務めるぞ!一分隊は学園生達の護衛についてこの場を離れるんだ!」
ルトガー達は野営地で話し合いながら装備を整えて森へと入った。それに比べて最初にパニックで森へと入った生徒達は寝間着のまま着の身着のまま逃げてきた。そんな装備では何も出来ない。きちんと装備を整えている者が盾になるように生徒達を守りながら急いでその場から離れる。
「くそっ!一体何だってんだ!」
悪態をつきつつも撤退していく生徒達を庇うように後方に位置取るルトガーは生き残るために必死に頭を働かせていたのだった。