第百六十五話「混乱!」
突然の襲撃に野営地は大混乱となり人とモンスターが入り乱れていた。
「第二、第四小隊は学園生の直掩につけ!」
「第二中隊!出るぞ!絶対にモンスターを通すな!」
「「「「「おうっ!」」」」」
一応夜警に立っている者がいたとはいえ警戒はほとんど西側を中心に行なわれていた。突然警戒の緩かった東側からこれほど大量のモンスターに襲撃されては普通の軍ならば総崩れになっていたことだろう。
しかし最精鋭である近衛師団は直ちに持ち直し東側に部隊を集結。すぐさまモンスターと対峙することで被害を最小限に食い止めていた。
「ホルスト師団長!東側防衛線の構築に成功しました!」
「よし!数が多いとはいえモンスターの種類はそれほど強力なものはいない!学園生の保護を最優先に絶対に死者を出させるな!」
「はっ!」
夜中に想定外の方向から突然の襲撃であったにも関わらずもはや戦局は安定している。前衛が防衛線を張ったお陰でそれ以上モンスターに侵入される可能性は極めて低く野営地でじっとしていればほぼ安全……、なはずだった。
ここに居たのが戦争慣れしている大人達や実戦経験者であれば大人しく野営地で近衛師団の直掩部隊に守られていただろう。しかしここに居たのは戦争経験どころか実戦経験ですらほとんどない高位貴族の子供達だけだった。そんな者達がパニックになっているこの場で普段見下している下級貴族である近衛師団の指示など守るはずがなかった。
「ひぃっ!逃げろ!」
「あっ!勝手に外へ出るな!」
天幕の中で震えていた一人の学園生が天幕を飛び出し西の森の中へ向かって駆け出していった。それを見て次々とパニックが伝播していく。
「もう駄目だ!モンスターが来るぞ!」
「こんな所に篭ってたら全員殺されるだけだ!」
「逃げろ!」
口々にそんなことを口走りながら学園生達が次々に近衛師団が守る天幕から抜け出して西の森へと入っていく。それを聞いた他の学園生達もこのままここに居てはまずいと思いあちこちからバラバラに森へと駆け出す生徒が続出していた。
「待ちなさい!ここは我々近衛師団が守っている!この天幕の中にいろ!ここは安全だ!」
「黙れ!お前達みたいな下級貴族の言うことが信じられるか!どけぇ!」
「うわぁ~~~っ!」
「ここに居たら殺されるぞ!近衛師団なんて役に立たないぞ!」
「近衛師団が崩壊したぞ!ここにモンスターが押し寄せてくるのも時間の問題だ!」
最初から近衛師団のことを『下級貴族の集まり』や『大した実力もなく自分達高位貴族を妬んでいる者達』と見下している高位貴族の子息達は簡単にそんな流言飛語に踊らされた。バラバラと何人、何十人もの生徒達が森へと駆け込んでいく。
これまでの野営訓練で西の森はかなり生徒達が踏み均し獲物を狩ってきた。普通に考えればもうそんなに危険な獣やモンスターはいないだろう。
しかしそれは絶対ではない。全ての獣やモンスターを狩ったわけでもなければ時間が経てば戻ってくる獣やモンスターもいる。何より日中と違って今は夜中であり人間は目が利かないのに夜行性の獣やモンスターは悠然と徘徊していることだろう。
昼と夜の森はその姿が一変する。昼の獣やモンスターはかなり狩ったがこの野営訓練中一度も夜は森に入っていない。夜行性のものはほとんど狩っていないとすら言える。そんな森に無防備なまま入り込んで無事に済むはずがない。
「全員落ち着け!近衛師団は僕達王族を守るこの国の最精鋭だ!その近衛師団がこの程度の襲撃で崩れるわけがない!見ろ!この天幕のどこにモンスターが迫ってきている?他人の言葉に惑わされずに自分の目で見て考えろ!」
「ルートヴィヒ殿下……」
森と野営地の間を隔てる柵の前で両手を広げたルートヴィヒが叫んだ。それを聞いてまだ外までは出ていなかった者達は一瞬で鎮まる。
「夜の森の中の方がより危険だ!それでも一人で森に入りたい者はここで名乗り出ろ!僕が聞いてやる!」
「「「「「…………」」」」」
ルートヴィヒの一喝で残った生徒達はお互いに顔を見合わせた。確かに言われてみれば碌な装備もなしに一人で夜の森の中を歩くのとここで近衛師団に守られながら装備を身に着けてモンスターに備えるのとどちらが安全かは誰の目にも一目瞭然だった。最早勝手に動く者はなく全員が一度落ち着く。
「よ~し!お前ら!班に分かれて班員を確認しろ!今森に入って行ったのは何人で誰だ?」
ルトガーの言葉に生徒達がざわつく。中々動こうとしない。
「さっさとしろ!仲間を見殺しにしたいのか!全員班ごとに整列!班員が足りない班は報告しろ!」
「「「「「はっ、はいっ!」」」」」
ルトガーにまで怒鳴られてようやく生徒達がキビキビと動き出す。確かに勝手に森に入って行った者達は自分で馬鹿なことをした。それで死んでも自業自得だろう。しかしだからといって助けられるかもしれない者をこのまま放っておくことは出来ない。今から追えば全員無事に助かる可能性も十分にある。
「いやぁ……、大したもんだなぁ。さすがは両殿下というところか」
「ホルスト師団長」
ルートヴィヒとルトガーが生徒達を抑えたのを見てホルストが手を叩きながら近寄ってくる。生徒達が班に分かれて確認している間にこれからのことについて話し合う必要があった。
「おっと!ルートヴィヒ王太子殿下、ルトガー殿下におかれましてはご機嫌麗しく……、え~っと……?」
「ホルスト師団長はそんな言葉遣いをする必要はないよ。今は緊急時でもある。時間がない。話し易いように話してくれ」
普段からきちんとした話し方をしていないホルストが慣れない言葉遣いに苦戦しているとルートヴィヒが機先を制した。今ここでは話し方がどうこうと言っている場合ではない。素早く、的確に、間違いなく、伝わりやすいように話し合う必要がある。
「それは助かる。森へ入って行った生徒の捜索だが今近衛師団で出せるのは二個小隊が限度だ。それ以上はモンスターの討伐が進むまでは難しい」
他の軍は編成がまた違うが現在の近衛師団は四人で一個分隊、三個分隊で一個小隊、三個小隊で一個中隊、三個中隊で一個大隊となっている。今日の日中までは野外訓練のために二個大隊がこの場に居て生徒達を護衛していたが生憎と今は一個大隊は王都に戻っており一個大隊しか残っていない。
一個大隊百八名プラス、ホルストをはじめとした指揮官や参謀、衛生兵などといった戦闘以外の役割を持つ者も含めてこの場には百二十名の近衛師団がいる。現時点ではその内の二個小隊二十四名しか捜索には出せない。それ以上人手を割いては野営地の防衛線の維持と残った生徒達の護衛が足りなくなる。
「二個小隊……、少ないな……。わかった。ならば学園生からも有志を募って近衛師団の二個小隊に同行しよう」
ルートヴィヒの申し出にホルストは少し考える。夜の森は危険が多い。本職の兵士や騎士でも油断して良いものではない。しかし森の中で人を捜索するとなれば人手が必要だ。日中ならともかく夜ともなればますます人手が必要だろう。
それにここから出て行った生徒達の台詞や態度からしてもこのまま近衛師団が追いかけていっても言うことを聞いてくれない可能性が高い。それならば同じ学園生に説得してもらった方がまだしも話を聞いてもらえるかもしれない。
これまでの野営訓練で森には大勢の人間が入り獲物を狩った。前々から森のモンスターは近衛師団達が狩り間引いていたこともあり普段よりさらに危険は減っているはずだ。ならばここはルートヴィヒの意見を聞いて近衛師団二個小隊に学園生の有志を加えた体制で捜索に臨む方が良いかもしれない。
「それはありがたいが勝手に森に入った者と捜索に加わる者に何かあっても近衛師団の責任だとは言わない者にしてもらえますかね。こっちも今は余裕がない。捜索に加わって森に入るってことはそれくらいの覚悟はしてもらわにゃなりませんよ」
「それは僕とルトガーが保証する」
「ああ、お前らも聞いたな?勝手に先走って森に入って行った奴らは自業自得だ。そしてこれから捜索に加わりたいって奴も自業自得だ。その覚悟がある奴は捜索に加われ!」
ルートヴィヒとルトガーの言葉を受けて生徒達も再び騒がしくなる。自分の身を危険に晒してまで勝手に森に入って行った者を助けに行こうと思う者は少ない。
一先ず整列と点呼が完了し居ない者が割り出される。この場の点呼でいなかった者は二十七名だと判明した。その居ない人物の名前も特定されてホルスト達近衛師団の指揮官達と学園生の司令部にて情報が共有される。
「二十七名も……。多いな……」
ルートヴィヒは生徒達を止められなかった自分の不甲斐無さに拳を握り締める。そんなルートヴィヒを見てホルストが声を掛けた。
「ルートヴィヒ殿下が止めてくれたお陰で二十七名で済んだ。それは紛れもない事実だ。モンスターの討伐が終われば捜索にもっと人数を割けるが今はこの人数でやるしかない。森で迷ったりモンスターに襲われる前に一刻も早く捜索に向かおう」
「ああ!」
ホルストの言葉に今すべきことを思い出したルートヴィヒは力強く頷いた。
「それで学園生で捜索に加わる有志は?」
「ああ、それはこいつらだぜ」
ルトガーが手を向けた先に居たのは……、八名だけだった。
「これだけ……か……。いや、八名も立派な者がいてくれてよかった」
立候補した有志は全学年で二組の生徒が一名、三組が一名、四組が六名だけだった。その上四組の生徒は本当に自主的に立候補したのかも疑わしい者が混ざっている。
一組や二組といった上位クラスの者はまず他人のために危険な森に自ら入ろうなどとは思わない。野営訓練中もずっと司令部に居たような連中ばかりだ。
三組の生徒はどうも友人が森へ入ってしまったらしい。その友人を探しに行きたいというのが志望理由としてある。それ以外には三組ですら捜索に参加しようという者はいなかった。
四組の立候補者のうち数名は恐らく派閥の関係だろうと思われる。いなくなった高位貴族の派閥に属する低位貴族が渋々参加しているように見受けられる。また他の四組の生徒は腕っ節の立つ者ばかりだ。周囲からの圧力によってこちらも渋々参加している可能性が高い。
ただ一人、二組から参加している者だけはそんな打算や周囲のせいではない。ルートヴィヒもルトガーもそうだと一目で見抜いていた。何故ならば……。
「ジーモン君、君も誰か友達でもいなくなったのか?」
「いえ……。森へ入って行った人の中に友人はいません。ですがこのまま見過ごすことは出来ません。僕は魔法が得意ですので少しはお役に立てると思います」
真っ直ぐに、ルートヴィヒの目を見据えながらそう言い切るジーモンにルートヴィヒとルトガーは信頼と好感を持った。
「よし!それじゃ僕とルトガーは別れよう」
「え!両殿下も捜索に加わるつもりですか!?」
ルートヴィヒの言葉にホルストが驚きの声を上げる。他の者達も全員が信じられないとばかりに言葉を失った。
「当然だ!僕達が行かなくてどうする!そもそも見つけても他の者では説得出来ないかもしれない。僕とルトガーなら最悪の場合は強制的に戻ってくるように命令も出来る。僕らが命令したのに逆らったのならばそれは近衛師団の責任じゃない」
ルートヴィヒの言葉には一理ある。確かにルートヴィヒとルトガーのどちらかが説得か命令すればまずほとんどの者は従うだろう。そしてそれでもなお逆らうというのならばそれは最早誰の責任でもない。ルートヴィヒの言葉の一部は真実ではあるが、勝手に森に逃げ出してしまった生徒達を制御し切れなかった責任を自ら取ろうとしての言葉だ。
それがわかるのでホルストもルートヴィヒに『御身が大事だから絶対に行かせるわけにはいかない』とは言えない。ルートヴィヒとルトガーの男気を感じ取ったホルストは黙って頷いた。
「わかりました。……おい、野郎共!絶対にルートヴィヒ殿下とルトガー殿下に怪我一つ負わせるんじゃねぇぞ!近衛師団の誇りを見せてやれ!」
「「「「「おお~~~っ!」」」」」
本来ならばルートヴィヒとルトガーを止めるべきだ。それはわかっている。しかし二人の男気に応えたい。もし二人の身に何かあれば責任問題どころでは済まない。それでもホルストは二人を捜索隊に加えることを了承した。
近衛師団一個小隊に生徒五人ずつを加えた二個小隊プラスアルファが夜の森へと行方不明者達の捜索に入っていったのだった。