第百六十四話「襲来!」
野営訓練六日目からは全員で狩りの課題を行なっていた。
「おい!そっちへ行くぞ!逃がすなよ!」
「無理に追い立てるな!間をすり抜けられることなく前進していけ!」
ガヤガヤと騒がしく大勢の学園生達が森の中に入っていた。普通に考えてこれほど騒がしければ獲物が逃げてしまい狩りなど不可能だと思う所だろう。しかし学園生達は意図的に騒がしくしながら歩いていた。
それは何も狩りの班の邪魔をするためではない。むしろ効果を半信半疑に思いながらも司令部の命令だから従っているだけだ。
「どうだ?順調に進んでいるか?」
「はい。今届いた伝令によるとうまく進んでいると報告がありました」
野営地内にある司令部ではその報告を聞いて一先ず安堵していた。もしこの方法が失敗していたら提唱者であるルートヴィヒの指揮に大きな疑問符がつくことになり、今従っている生徒達も従わなくなる可能性があった。まだ完全に効果はわからないものの一応順調に進んでいるらしいと聞いてホッと一息つく。
ルートヴィヒの作戦は所謂追い込み猟だ。学園生を森の中広く輪になるように配置する。わざと音や気配をさせて輪の中にいる獲物を追い立てながら輪を狭めていくのだ。各軍、各隊、各員が獲物を逃さず決まった場所まで輪を縮めきればその範囲内にいた獲物は全てそこに追い込める。
もちろん中には包囲をすり抜ける獲物もいるだろうし、どこかで身を潜めてやりすごされてしまう可能性もある。貴族達は鍛錬や趣味も兼ねて狩りはよく行なう。当然学園生達も実家で狩りを行なったことがある者が大半だった。しかしどの貴族もこんな狩りの仕方をしたことはない。
貴族達の狩りと言えば息を潜めて森を歩き回り見つけた獲物をそっと狙うか、兵士や軍用の獣、犬などに追わせて弱っている獲物を狩るか、そのような狩りが普通だった。前の方法の狩りは本格的な狩りを目的としたもので低位貴族などに多い。後の方法は害獣駆除や食料調達という意味の狩りではなく高位貴族達が気持ち良く獲物を仕留めるための接待のようなものだ。
今回の方法は獲物を兵士に追わせて弱らせてから高位貴族に止めを刺させて楽しませる遊びや接待としての狩りに近い形ではある。しかしそのような狩りでも部隊を輪に配置して包囲を狭めて獲物を追い詰めるということはしない。
そういった狩りでは動員された兵や獣が周辺を探し回り獲物を見つけると追い立てて疲れさせ弱らせるだけだ。今回ルートヴィヒがやらせているような完全な追い込み、囲い込みは行なわない。
「よし!所定の位置まで追い込んだぞ!まだ課題を終えていない狩り班は前に!残りは包囲を維持しろ!」
森の中では仕上げに入っていた。同士討ちが発生しないように追い込む場所や方向、最終的に狩りを行なう場所や攻撃する方向などが決められている。まだ狩りの課題を終えていない班が所定の位置につき追い立てた獲物を狩り始めたのだった。
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八日目の夕暮れ時、司令部では意見が割れていた。
「こんなことは言いたくありませんがこのままじゃ間に合いませんよ……」
司令部の一人の言葉に他の司令官達や参謀達も無言で同意する。ここまで順調と言えば順調だった。現在狩り班の達成率は八割少々、八割五分近くであり追い込み猟をし始めてから三日で五割以上が達成されている。しかし残りの時間で全てが達成されるかと言えば未知数だ。
探索は最初から学園が課題の班の数以上に印を設置している。だから誰かが複数個取ったとしても余るように設定されている。全ての印が回収されることもなく全員が達成しても十分余ると断言出来る。それに比べて狩りは絶対に全員に行き渡るとは限らない。
獲物は自然にいるままのものを狩っているだけでそこに学園や近衛師団の介入はない。だから範囲内の獲物を全て狩ったとしても絶対に全ての班に必要な数だけの獲物が存在している保証はないのだ。
事実追い込み猟を始めた頃に比べて徐々に獲物の数は減ってきており効果は半減してきている。五割以上の達成もほとんどは前半で達成したものであり今日も狩れた獲物は初期に比べて格段に減っていた。このペースのままでは残りの班が全て達成出来るかどうかはわからない。
まだ二日もある、と考えるのは間違いだ。最終十日目は野営地の片付けまでして日没までに学園に帰らなければならない。十日目全てを狩りに使えるわけではなく実質的には明日の九日目でほぼ達成しているくらいの状況でなければまずい。
追い込み猟は確かに劇的な効果があった。しかしそれも前半のみであり……、こう言うのは憚られるために誰も言わないが暗にルートヴィヒの指揮や作戦に問題があったのでは……、という空気すら漂っている。
実際にはこれほど順調で全体が纏まって課題に取り組めた年は過去になく最も成績が優秀な年であることは間違いない。しかしそれは何年もこの行事を見てきた教師や近衛師団の評価であって今年参加している生徒達はそうではない。
自分はまだ課題未達成の班からすればどう思うだろうか。ここまで全体のために協力してきたというのに自分の課題は未達成のまま野営訓練が終わってしまったら……。そう思って心配になったり反発したりする者が出てきてもおかしくはないだろう。
教師達の視点の『例年よりも全体的に素晴らしい』という感想と、今年参加していて自らの成績に関わる生徒の『俺の分もきちんと達成させてくれると聞いたから協力してきたのに』という感想はどちらも矛盾しない。視点や立場が変われば意見も変わるというものだ。
「……わかった。それじゃあ明日はまだ手を広げていない野営訓練の指定範囲外まで出て狩りを行なおう」
「ルートヴィヒ殿下!」
ルートヴィヒの決定にルトガーは驚きを隠せなかった。ルートヴィヒはずっと範囲外に出ることは危険が一気に増えるから反対していたのだ。しかし司令部や課題が残っている生徒達からの突き上げを食らってルートヴィヒの方が折れた。
もう明日一日で達成率を九割後半くらいには持っていかなければならない。最終日は野営地の撤収作業にも人手を割かなければならないために午前中から午後過ぎまで狩りを行なえるとしても人手も狩れる獲物も数が知れている。九日目でほぼ達成完了くらいのペースでいかなければまずい。
「それでは明日の狩りの範囲と各軍の割り当てを決めておこう」
自ら折れたルートヴィヒは淡々とやるべきことをしていく。もう範囲外に狩りに出ると決めたのだから出来ることを精一杯するしかない。危険が増すのは確実だがそれでも多少は対応策もあるだろう。何もせずただ危険が増すだけよりは出来る限り対策して少しでも危険を減らす努力をするべきだ。そう決めたルートヴィヒは司令部で明日の作戦について話し合ったのだった。
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翌九日目、昨日話し合った通り各軍を動かし学園の訓練指定範囲外にまで足を伸ばす。もちろん指定範囲内だの外だのと言った所で何か柵があるわけでもなければ魔法の結界があるわけでもない。一歩範囲外に出たからといって突然危険が増すわけでもなければ襲われるわけでもない。危険に対して対策を施していたこともあり九日目の狩りも順調に進んだ。
新しい狩り場でも追い込み猟を行なったことですぐに成果が挙がり次々に獲物を仕留めていく。このまま今日のうちに全て狩り終えるかと思えるほどに順調に進んだ。
「やっぱり新しい狩り場に出て正解だったな」
「ルートヴィヒ殿下も慎重すぎるんだよ。猟の効率が下がってきてたんだし昨日のうちに範囲外に出てれば今日には全部終わってたぜ」
九日目の狩りを終えて戻ってきた生徒達は口々にそんなことを言っていた。ルートヴィヒの耳にも自分への批判は入っているが黙って何も言わない。
「それで……、残っている課題は?」
「あとは狩りが二班のみです。これならば明日には達成出来るでしょう」
狩りが二班だけならば残りはこの近辺で明日の午前中には終わるだろう。一度追われていなくなった獲物も時間が経てば戻ってくる。この辺りの獲物も全て狩り尽くしたわけではなく逃がしてどこかへ行った獲物もそれなりにいる。獲物二匹くらいならば大規模な追い込みをしなくても森で普通の狩りを行なっても十分狩れるだろう。
「そうか……。何とか全員達成出来そうだな」
司令部にも安堵の空気が広がり最終日に向けての話し合いが行なわれた。野営地の撤収準備にかかる軍、残った狩りの班を手伝う軍、様々なことが話し合われてついに最後の夜となり解散する。
「いやぁ、今年は優秀でしたなぁ」
「そうですね」
生徒達が最後の夜をやや緊張感の弛緩した中で過ごすのを眺めながら教師達も今年の生徒達の出来について話し合っていた。ここまでくれば残りの班が獲物を仕留められなかったとしても成績で不利になるということはない。実は学園の目的や成績の基準は今年の生徒の動きこそが満点とも言えるものなのだ。
学園が課している課題のルールはまるで生徒同士の争いを誘うかのようなルールを設定している。しかしその表向きのルールの解釈に乗せられて他人を貶めようとするような者には良い成績は与えられない。確かに課題をクリアすれば相応の成績は得られるがそれだけだ。このルールや課題には隠れた意味がある。
学園生達高位貴族といえど将来は軍務に服することも出てくるだろう。むしろ貴族とは率先して戦場に出て戦わなければならない者達だ。そんな時に『俺が手柄が欲しいから友軍の邪魔をしてでも自分の手柄を優先する』とか『指揮官のこいつが気に入らないから命令に従わない』などということが許されるだろうか。当然そんなことが許されるはずがない。
軍として行動するということは自分の利益を、それどころか自分の命を犠牲にしてでも全体のため、軍のため、延いては国のために働かなければならない。そんな組織の中で自分勝手に振る舞う者、自分の手柄を優先する者、命令に従わず規律を乱す者は許されない。
学園で行なわれている野営訓練ではそういったことが出来ているかを見ているのだ。これを実際の戦時に動員された軍人達と見立ててそのように行動出来るかをはかるのが真の趣旨だ。自分達の課題の達成、成績を犠牲にしてでも命令に従い全体の目的のために働けるか。それを見極め軍人としての素質を見ているのである。
そして今年はそれが完璧に出来ていた。全ての生徒が自分の成績を後回しにしてでも一致団結して野営訓練のために働けていた。ここまで出来ていれば実際に獲物を狩ったかどうかなど成績評価のおまけでしかない。まったく同じ働きをしていて狩った者と狩っていない者でまったく同じ成績には出来ないがその程度の差など大したものではないようにきちんと評価がつけてもらえる。
「それにしても今年は随分と獲物が少なかったですな」
「確かに……」
「これだけ大規模な狩りをしていれば例年ならとっくに確実に全員達成出来ているはずですがねぇ……」
それは教師達も近衛師団の団員達も不思議だった。例年ならここまでしなくともとっくに狩りは全て終えていてもおかしくない。確かに獲物の数など管理していないがそれでも必要十分以上が絶対にいるだろうと思える範囲を指定範囲にしているのだ。それを全て周ったのに獲物が足りないなどということは例年では考えられない。
事前の間引きや頭数の確認を行なって範囲を決めている。何年もの経験があり獲物の推移も見てきているし事前にもある程度は近衛師団が森に入って確認を行なっていたというのに、何故今年は突然これほど獲物が少なかったのか原因がわからない。
「近衛師団からの報告では三ヶ月前から行なっていた頭数調査と危険なモンスターの間引きで例年通り十分となっていたはずですが……」
不思議なこともあるものだ、と教師達は思いながらも、自然のことだからそういうこともあるだろう、と軽く流して打ち合わせを終えて寝床についたのだった。
そしてその日の深夜……。
「うわぁ!」
「総員配置につけ!」
「何をしている!モンスターを通すな!」
「学園生を守れ!」
東側に王都があり、西側に森があるいつもの野営地は毎年西側に対して空堀と柵が設置され森から出て来るモンスターに対して警戒していた。今まで森からモンスターが出て来ることはあったがそれ以外の方向からモンスターに襲われたことなど滅多にない。稀にあってもはぐれのモンスターが単独でウロウロしているだけで人の気配も多い野営地を襲ってくることはなかった。それなのに……。
「東側からモンスターの大群だ!近衛師団は東側の防衛配置につけ!」
突如として王都があるはずの東側から大量に押し寄せるモンスターに襲われ野営地は大混乱に陥ったのだった。