第百六十二話「野営訓練!」
野営訓練一日目、学園生達は決められた場所に集合してから王都の外へと向かって歩き始めた。三学年の全男子生徒の集まりなのでそれなりの人数になっている。しかし周囲は毎年のことなので今年も温かく見守っているだけで特に驚いたりはしない。
整列して大通りを行軍訓練し城壁を出ると西にある近くの森へと向かう。いくら王都近郊で定期的に危険な獣やモンスターは狩られているとはいえ森の中で野営するのは死角が多く危険が伴う。本職の兵達ならば森の中で野営訓練することもあるだろうが学園生達に怪我でも負わせたら大問題になる。そのため森の外に野営地を設営していた。
「一年生はこっちを掘り起こせ。二年生はこっちから木を立てていけ」
テキパキと指示されて学園生達が動く。もちろん指示しているのは教師ではない。教師達もついて来ているがそれは採点するためであり指示は一切出さない。近衛師団の護衛もいないものとして動く。あくまで全て生徒達が自分達で判断して行動しなければならない。
学園に通える時点で高位貴族であることは間違いないがその中でも立場には大きな違いがある。学園最上位の公爵家と学園最下位の伯爵家が対等であるはずもなくその役割もまったく違う。
例えば公爵であれば一軍を預かり総指揮を執ることもあるだろう。それに比べて伯爵ならば一部隊を指揮し自ら前線に赴くこともあるだろう。それぞれ本人が担うべき役割も違えば求められる能力も異なる。全員に同じ能力が必要なわけではない。
各学年の一組上位の生徒達は他の生徒達を指揮し全体を管理する。一組下位や二組上位の生徒達がその指示を受けて各役割を分担している部門の指揮を執り、二組下位の者が各部隊の指揮を執る。三組、四組の生徒達が実際に現場で作業を行なう。
ここでは平民の兵士や下級貴族のような本来の実働部隊が存在しないだけでその上下関係や役割分担は実際の軍と何一つ変わらない。ただ将来指揮官として上に立つことになる学園生達も実際の現場での野営陣地設営等を経験しておかなければ指示のしようもない。そのための訓練である。
「あ~!きち~!何で俺達が穴掘りなんて……」
「だよなぁ……。どうせ俺達が穴掘りするなんてことはないのにな……。学園生の時の方が大変だぜ」
穴を掘り柱を立てて天幕を張るのはもちろん、周囲に空堀を掘り簡易とはいえ柵を設けて陣地構築をしなければならない三組、四組の生徒達は汗と泥に塗れながら愚痴を溢していた。
上位の生徒達は偉そうに踏ん反り返って簡単な指示を出すだけで手足を動かして働くことはない。それに比べて遅いだのこっちもやれだの出来が悪いだのと偉そうに言われるばかりの下位の生徒達は不満が一杯だった。
そもそももし現実に学園生達が将来戦場に出ることになったとしても例え四組最下位の序列の者でもまず本人が野営の設営を自ら行なうことなどあり得ない。もしそのような状況になっていれば野営などしている余裕すらなく敗走していることだろう。
だからこそ余計に不満が溜まる。こんなものは下級兵士がする仕事だろうとイライラが募る。
これらの訓練の趣旨は実際に自分達で野営で設営したり陣地構築したりすることで、いざ自分達が指示する時に的確に指示出来るようになることを目的としている。自分でしたこともない作業の指示など的確に出来るはずもなく、的確に効率的に指示出来る人材を育成しようと思えば自ら体験させるのが一番であることに間違いはない。
事実、ただ指示しているだけの上位の生徒達は、実際に作業を行なっている下位の生徒達からすればまるで何もわかっていないことがすぐに実感されていた。机上の空論であーだこーだと指示するのは簡単だ。しかしいざそれをしようと思ってもその作業を行なったこともない者が頭で考えただけの指示などうまくいくはずがない。
実際に作業を行なっている下位の生徒達は自分達が無茶な指示を受けながら作業を行なうことでそれを今正に実感しているのである。これが将来現場で直接指揮する立場になる彼らにとって良い経験となっているのだ。
そもそも設営用の資材も天幕も全て最初から用意されておりただ穴を掘って柱を立てて縛るくらいのことしかしていない。実際に一から設営しようと思えば資材の運搬、周辺の木を切り倒したり草を刈ったりとしなければならないことが今の何倍にも膨れ上がる。
ここはあくまで事前に兵や近衛師団達が段取りを済ませてある場所でありほとんどの雑用はする必要がなくなっている。所詮学園生達に現場に近い雰囲気を味わわせるための練習であり本物の軍事訓練や軍事行動には程遠い。
そして三組、四組の生徒達に偉そうに指示を出しているだけの上位クラスの生徒は無能なのかといえばそうではない。自分達で考えながら実際に指示を出させて失敗も学ばせているのだ。
現場を知らない指揮官や監督官が机上の空論で指示をしてもうまくいくはずがない。最初のうちは躍起になって細かく指示しようとする。またそれがうまくいかないのは働いている者達が無能だからだとすら感じるだろう。
しかし最初は一年生達が指示してうまくいかないものを、上級生達が交代して的確に指示することで同じ働き手でもきちんと指示すれば働きに大きな違いが出ると実感させるのである。自分達も去年や一昨年に先輩達にそうして教えられたように今度は上級生が新入生達に教えていく。
立場が上の者は実際の現場の細かい指示までする必要はない。全体の流れを読みどこにどれだけ人や物を集めて優先するか。遅れている所があれば人手をまわすなり、他を先に終わらせて残りを手の空いた者でやらせるなり指揮するだけで良い。その指示を受けて実働部隊を指揮する者が急がせたり人を移動させたりする。
それぞれが自分の役割をすれば良いのであってそのために立場や役割が分けられているのだ。自分の役割を超えて余計な指示をしようとしたり考えようとしたりする必要はない。
新入生達がムキになって現場の実働部隊にまで細かに指示しようとして失敗しているのを、交代した上級生達が簡単な指示だけで全体を掌握してしまうのを見て指揮の役割を理解していく。そうして野営地の設営に時間を割き一日目を終える。
「えっ!ルートヴィヒ殿下!何をなさっておられるのですか?!」
「僕も野営訓練に参加しているんだ。当然働かなければな!」
何とか日没までに天幕を張り終えた学園生達が夕食の準備をしているとルートヴィヒ王太子まで料理に参加している姿を見て新入生達は驚いた。
「ルートヴィヒ殿下、こっちは切り終わりましたよ」
「ルトガー殿下までっ!?」
後ろを向いて食材を切っていた者が振り返ったのを見てさらに驚く。ルートヴィヒのみならずルトガーまで料理に参加していたからだ。
「僕の許婚が料理が得意でね。色々な料理を作ってくれるのを見て僕も少し料理に興味を持ったんだよ。だから料理は僕に任せてくれ」
「ええっ!ルートヴィヒ殿下に許婚がっ!?」
確かにルートヴィヒの料理捌きはなかなか様になっている。当たり前ながら本職の料理人とは比べるべくもないが王族とは思えないほどに手馴れていた。しかし周囲の者が驚いたのはそこではなかった。
公式にはルートヴィヒは許婚も婚約者も何も決まっていないことになっている。しかし今本人の口から許婚の存在が示されたのだ。それに驚かないはずがない。もしそれが事実ならばこれからの身の振り方について考えなければならない。まだ子供とはいえ高位貴族の社会で生きてきた学園生達ならばその程度のことは考えられる。
問題なのはその相手だ。今まで噂になっていた相手なのか。それともまったく今まで名前もあがったことがない別の候補者なのか。どこの派閥のご令嬢なのか。とにかく情報を集めて今後の身の振りを考える必要がある。
「やっぱりバイエン家のご令嬢ですか?」
元々婚約者候補最有力と言われていたのがバイエン家のご令嬢ヘレーネだ。順当に考えればヘレーネである可能性は高い。そもそも大人達が可能性が高いと考えていたからこそ最有力候補と言われているのであってその考えを踏襲している子供達も当然同じ答えに行き着く。
「そういえばルートヴィヒ殿下とルトガー殿下が珍しく揃って夜会に参加していたのもバイエン家の夜会だった……」
なるほど、とか、そういえば、という言葉が周りから聞こえてくる。半ば公務として王族がとりあえず顔を出しておくために夜会に参加するのであれば何人もが顔を出す必要はない。実際高位貴族が開いた夜会でとりあえず王族の誰かも出席しておこうという程度であれば誰か一人が顔を出すだけだ。ルートヴィヒとルトガーが揃って夜会に参加するなど相当重要な相手や夜会の時でもなければ滅多にない。
「でもヘレーネ嬢が料理が出来ると思うか?」
「う~ん……」
そうだな、とか、そういえば……、と続いてまた全員で唸る。あのヘレーネ・フォン・バイエンが料理などする姿は想像がつかない。料理人に偉そうに文句を言うことはあっても自分で料理などすることはまずあり得ないだろう。となれば他に候補になりそうなのは……。
「やっぱりグライフ家のご令嬢じゃないか?」
「そうだな……。ほとんど王城に住んでいるも同然らしいからな……」
皆がそれぞれ有力な高位貴族のご令嬢や意外な大穴としてルートヴィヒが仲良さげにしていたご令嬢など様々な予想をたてていく。
結局ルートヴィヒ本人がその相手の名前を言うこともなく周囲もワイワイと予想大会に終始するだけで誰なのかはわからず仕舞いだった。そして学園の生徒達は一つの目標を立てた。
この野営訓練の間にルートヴィヒの許婚を当てて聞き出す。
日本の学生風に言えば修学旅行等で皆で恋バナをして誰が誰を好きだとか言い合うノリと近いのかもしれない。しかし致命的に違う部分もある。これは高位貴族にとっては将来を左右しかねない重要な情報だということだ。ただの日本の学生の恋バナのノリとは重みが違う。
その情報を知ることが出来れば今後の立ち回りで有利になる。ルートヴィヒの許婚に今のうちから近づいて親しくなっておく方が得策なのか。敵対して潰しておく方が得策なのか。どんな対応を取るにしても相手がわからないことには考えようがない。知ることが出来た者は圧倒的に有利になり、知れなかった者は圧倒的不利になる。家運を賭してそれを調べる必要がある。
そんなことになっているとも露知らずルートヴィヒとルトガーは二人でいつか自分達もフローラに手料理を振る舞おうと練習していた料理の腕を披露していたのだった。
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野営訓練二日目。初日は野営地の設営だけで一杯だったが今日からは分かれてそれぞれの課題をこなしたりしなければならない。課題も立場や学年によって大きく変わる。単純に狩りをするような課題は三組や四組のような前線向きの者達の課題だ。後方で総指揮を執るような者達にはまた別に色々と課題がある。それらの出来によって成績が決められる。
これからのことについて話し合わなければならないのだがその話し合いは一向に進んでいなかった。その原因は……。
「だから四組の班は森に……、ぷぷっ!森に……、ぶはっ!駄目だ!」
「わっ、笑うな……。うぷぷっ」
皆真剣に話し合おうと思っているがあるモノが目に付いてどうして笑ってしまう。それは昨日まではいなかったはずの妙ちくりんな近衛師団の騎士があまりにおかしいからだ。
背はそれほど高くない上に手足も別に太いという感じはしない。それなのに体だけやたらと大きな鎧を着ている変なデブの騎士がポテポテと歩いている。その姿形も異様ながら動く姿もまたおかしくてどうしても笑ってしまう。
自分の体より大きなダンボール箱を被ったことがある人はわかるだろうか。手足の関節部、肩や股関節より胴体部分に着ている硬い物の方が大きければ肩や股関節が自由に動かず変な動きになってしまう。その近衛師団の騎士はまさにその通りになっている。
肩が鎧によって押さえられているために腕は前後にはほとんど可動せず、腰より下まで鎧がきているために足も上げて歩けない。両手両足の同じ方を前に出しながらのっしのっしと歩く姿は滑稽で馬鹿らしい。あれで本当に騎士なのかとほぼ全ての者が笑い者にしていた。
また顔を完全にすっぽりと覆ってしまう兜を被っているのでどのような顔をしているのかもわからない。それがまた憶測を呼んでいる。他の騎士達はまだ顔まで覆うようなことはしていないのにその騎士だけは何故顔を隠しているのか。
よほど見られたものじゃない顔をしている、という者もいれば、いやいや、あれはきっと顔だけは可愛らしいくて体と合わないから舐められないために顔を隠しているのだ、という者まで様々だ。
しかし何より不可解だったのがそんな妙ちくりんな騎士がルートヴィヒとルトガーの班の護衛についていることだった。本来この二人につくような護衛は最精鋭のはずだろう。いくらほぼ安全な野営訓練で他にも周りに近衛師団がいるとしても、何故よりにもよってこの妙ちくりんのいる班が両殿下の班の護衛なのか理解出来ない。
それでも生徒達が近衛師団に口出しすることは出来ないので黙って見ているのだがどうしても笑いが出てしまう。そんな二日目が始まろうとしていた。