第十六話「料理を充実させる!」
カタリーナが来てから俺は色々と料理を研究するようになった。カタリーナを呼ぶ前からある程度はしていたつもりだったけど全然リサーチが足りなかったことに今更ながらに気付いたからだ。
そもそも俺は地球に居た時は一人暮らしの経験もあったからいくらかの自炊はしていた。だけどそれは日本の便利な食材や調味料を使ってのことだ。味に飽きれば世界中のあらゆる調味料が手に入る。珍しいメニューでもスーパーに行けばほとんどの食材が手に入る。そんな恵まれた環境だったからこそ自炊も出来ていた。
この世界でほとんど何もない状態から料理を作れと言われても俺にはそんなスキルはなかった。ちょっと考えが甘かったようだ。すぐにメニューも同じものの繰り返しになって飽きてしまう。毎日料理を考えるというのがこれほど大変だとは思ってもみなかった。
何よりこの世界では調味料も料理の種類もあまりに少なすぎる。硬いパンに薄い塩味の野菜スープ、塩を振って焼いただけの肉や魚がほとんどだ。辺境伯家ほどの大貴族ならば飢えることはないけど食事の貧相さという意味では現代日本人の貧しい家庭よりも貧相だと言わざるを得ない。
そこで俺はまず食材を活かすために調味料と調理方法を増やすことにした。料理人でも料理研究家でもない俺はそれほど料理に関する知識があるわけじゃない。そんな俺でもテレビや雑誌やインターネットで知った知識がいくつかある。その中でも材料さえあれば比較的簡単に出来る物から作ってきた。
この世界だけじゃなくて地球でもそうだけど乳といえば山羊や羊の乳の方が昔から簡単に手に入る乳として利用されてきた。だけど俺は牛乳が欲しい。栄養素的には牛乳よりも他の乳の方が優れていたと思うけど一頭当たりから取れる量に問題がある。大量に乳が必要だから牛乳で賄いたいと思ってヘルムートとイザベラに何とかしてもらった。
俺は気軽に二人に言って何とかしてもらったと言ってるけど相当大変だったと思う。この世界の牛は地球のホルスタインほど簡単に乳を搾らせてくれないから入手も簡単じゃない。それに酪農もほとんどされてないようだから牛の段取りをつけるところからだったはずだ。
それでも前々から言っていたお陰もあって最近ようやく何とか大量の乳を用意してもらえるようになった。もしかしたら二人はどこかで酪農のようなことをさせているのかもしれない。
ともかくようやく手に入った大量の乳を使ってまずは生クリームを作る。冷やしすぎず温めすぎず薄くて広い容器に入れて一晩寝かせる。下に溜まっている水分は取り除いて上に溜まっているドロッとした成分が生クリームだ。
さらに生クリームを再び温めすぎず適度に冷やしながら振る。振って振って振りまくる。分離した水分を取り除けば固まった部分はバターだ。保存料とか保存方法がないから必要な時に必要な分だけ作ってすぐ消費してしまうことにする。分離させた水分も牛乳として使うから無駄にはならない。ちょっと用意するのに時間と手間がかかるだけだ。
次にコンソメを作った。いや、コンソメというと間違い……、だったかな?とにかく醤油もないし味噌もないこの世界で出汁を作るのも難しい。昆布も煮干も鰹節もないのに日本風の出汁なんて用意出来るはずもないというわけだ。
そこで最初に考えたのがコンソメだった。日本でならばコンソメと言えば粉や固形の調味料を鍋に入れれば終わりのお手軽味付け出汁だと思っているかもしれないけどとんでもない。
豚骨スープや鶏がらスープのように鳥や豚と野菜や香草を入れて煮込む。そうして出来たのがブイヨンだ。確か?そのブイヨンをさらに煮込んで卵の殻や卵白を入れて灰汁を取り除いて綺麗に澄んだスープにしたのがコンソメだったはずだ。ただ俺はそこまで詳しい作り方を知らない。なので俺の作った出汁はコンソメと言うよりは豚骨、鳥、野菜、香草を煮込んで作ったブイヨンと言う方が正しいんだろう。
何にしろこの出汁があれば色々と料理の味に幅が出る。コンソメなのかブイヨンなのか、その中間の別物なのかはともかくだ。日本で食べられたコンソメに比べれば味は格段に落ちるけどそれでも無いよりはずっと良い。これだけでも煮物やスープに色々使える。
砂糖も大増産をかける。ふんだんに調味料を使えないと料理が単調になってしまう。だから今この国でも簡単に手に入る物から砂糖を作ることにした。材料はサトウキビじゃなくてテンサイだ。テンサイはサトウキビと違って寒冷地でも栽培出来る。現代地球でも砂糖生産量の半分近くは甜菜糖だったはずだ。
この国でもテンサイは栽培されている。ただし人間の食用じゃない。葉は薬用として利用されているみたいだけど根は動物達の飼料として利用されている。このテンサイから糖を分離出来たのは地球でも1700年代中・後半、工業化して生産出来るようになったのは1800年代に入ってからだった気がする。地球でも比較的最近になってようやく利用されはじめたものだ。
地球の品種改良されたものと違ってこの世界のテンサイは蓄えている糖度が少ない。それでも絞り汁を煮詰めていくと甜菜糖が出来た。絞りカスは動物の飼料にすれば良いから無駄にはならない。
そして俺がどうしても入手したかったのがラード、豚の油だ。地球の日本ほどお手軽に大量の油を手に入れられないこの世界において油の確保は最優先だった。地球でも豚は捨てる所がないと言われるほど全身全てを利用されるものだけど何とかラードだけ確保出来るように……、うん、ヘルムートとイザベラに頑張ってもらった。
本当に俺ってあの二人がいないと何も出来ないな……。食材探しも買い付けも全て二人がしてくれている。俺はというとこういう物が欲しいだとか、こういう物はないか、と二人に指示して探してこさせるだけだ。アイデアは出していると思われるかもしれないけど、それも結局は地球で知ってた先人の知恵であって俺が考えたわけでもない。
トマトケチャップも砂糖、塩、酢だけじゃなくて香草とか玉ねぎとかセロリとか色々と入れてみて改良を加えている。これらの研究のお陰で料理のレパートリーと味の幅は格段に広がったはずだ。
ラードが手に入るようになったから揚げ物も解禁している。それほど大量に使い捨てるわけにはいかないからギリギリの小さな鍋に薄くラードをひいて今日はコロッケを揚げる。コロッケが全て浸かって泳げるほどの油は使えないから片面が浸かるくらいに浅くひいたラードで片面ずつ揚げる。
潰したジャガイモの中にそぼろとにんじんと玉ねぎを入れる。それにコンソメ、じゃなくてブイヨン?もうどっちでもいいや。コンソメ味のロールキャベツも用意しよう。こちらも野菜たっぷりにしてカタリーナに食べさせる。
バターとレーズンを練り込んだパンも焼けたようで良い匂いがしている。食い合わせとか栄養のバランスとかは知らん。適当に色々食べていればそのうち栄養失調と虚弱体質は良くなるだろう。そう思って今日も俺とカタリーナの分の料理をカタリーナの部屋へと持っていったのだった。
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ここ最近朝、昼、晩と食事時になると漂ってくる良い匂いにフローラの生母マリアは食欲をそそられていた。しかし期待して待っていると食事の時に出てくるのはいつもの味気ない塩のスープと塩で焼いた肉や魚ばかりだった。可愛い一人娘も最近は一緒に食事を食べてくれないのでマリアの欲求不満は溜まるばかりだ。そしてついに我慢の限界が訪れる日がやってきた。
その日のメニューの調理課程の匂いが凶悪すぎたのだ。まずはバターの練りこまれたパンの焼ける匂い。いつも硬くてまずいパンを食べている者にとってバターの練りこまれたパンの焼ける匂いは何だか興味をそそられる匂いだった。
そしてクリームシチューの匂い。香り立つクリームの優しい匂いに釣られてしまう。さらに止めが鳥のから揚げだ。ラードで揚げられる香ばしい鶏肉の匂いにその料理の数々がどのような味か知らなくとも興味がそそられない者はいない。
ついに我慢の限界となったマリアは厨房へと駆け込んではしたないほどの大声で叫んだ。
「ちょっとフローラちゃん!カタリーナちゃんと二人だけでこんなおいしそうな匂いのする食事をしているなんてずるいわ!お母様も食べてみたい!」
「えぇ……」
すごい剣幕で乗り込んできた母に驚いていたフローラは母の言葉を聞いて目を点にしながらどう反応していいか困っていたのだった。
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今日こそは大事なことを直訴しようとアルベルトの執務室を訪れている者がいた。その者の名前はダミアン。隣国からやってきた料理人で現在はカーザース辺境伯家の料理長をしている。地球で言えばシェフということになるがシェフという言葉が出来たのがそもそも十九世紀以降の高級料理の発生に伴って出来たものなのでこの世界にも当然ない。
「アルベルト様!フローラお嬢様のことでお願いがあってやってまいりました!」
開口一番強い語調でそう言うダミアンをみてアルベルトはフローラがやらかしたのかと思った。野戦料理なら習わせていたが貴族の娘が本格的な料理など出来るはずもない。プロイス王国に比べて料理が盛んだという隣国からやってきたダミアンはフローラが厨房でうろちょろしているのが我慢出来なくなったのだろうと思ったのだ。
「言ってみなさい」
「はい!どうかこのわたくしめにフローラお嬢様の料理の数々をお教え願えないでしょうか?」
「……何?」
一瞬意味が理解出来ずにアルベルトは聞き返してしまった。フローラを厨房に入れるなとかその手のクレームを言いに来たのだと思っていたアルベルトの予想とあまりにも違いすぎたのだ。
「フローラお嬢様の素晴らしい料理の数々はカーザース辺境伯家の秘伝なのかもしれません!ですがどうかわたくしめにあの素晴らしい料理の作り方をお教えください!」
再び声を上げて頭を下げたダミアンの言葉をゆっくり噛み締めて聞き間違いや勘違いではないことを確認したアルベルトはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「まずは……、そのフローラの料理とやらを確かめよう……。フローラが良いというのならばフローラに料理を習えば良い」
「ありがとうございます!必ずやフローラお嬢様にお聞き届けいただきます!」
そう言ってすぐに執務室を出て行ったダミアンを追いかけることなくアルベルトはまずかかりつけの医者の話を聞いてみることにした。今日丁度カタリーナの診察に来ているはずだ。
うまくカタリーナの診察を終えて出て来た医者と会えたので詳しい状況を聞いてみて驚いた。医者が言うにはカタリーナの症状は信じられないほど良くなっているという。医者も治療魔法使いも匙を投げた状態だったカタリーナがたった一ヶ月ほどの間にかなり良くなっているというのだ。
それに料理に関してはうるさいダミアンがあれほど取り乱して駆け込んでくるなど一体何を作っているというのか。
突然ヘルムートの妹の治療をしたいと言い出した時には驚いたものだった。幼い少女が初めてついた頼れる年上の執事に恋でもしているのだろうと思ったがそうではないと言い切られてしまった。
ヘルムートが非凡な才能を秘めていることはアルベルトも理解している。優秀そうな同世代の子供達を長男フリードリヒにつけて幼い頃から苦楽を共にさせて腹心に育てさせるつもりだった。
だが現実は思ったようにうまくはいかずフリードリヒとヘルムートは打ち解けることなく別々の道を行くことになってしまった。
どうしてフリードリヒがヘルムートを切ったとか、どちらが良い悪いと言うつもりはない。今更そんな話をした所でもうどうにもならない。ただヘルムートの才能が惜しいとは思っていた。そこへ自分と同じくヘルムートの才能に気付き惜しいと幼い娘が言ってきたことが驚きだったのだ。
そんな娘の言い分もわかるために試しにヘルムートの妹の治療をさせてみたのだがどうやら事はそれだけで済まないらしい。カタリーナの容態は相当良くなっていると医者も太鼓判を押している。そしてダミアンのあの取り乱しよう。一体何事かとアルベルトも遅ればせながら厨房へと向かってみたのだった。
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フローラは困惑していた。普段は厨房になど絶対に入ってこない母がやってきた。それだけでも驚きなのに今日は料理長のダミアンまで大声をあげてやってきた。
最初はとうとう厨房から追い出されるのかと思って身構えていたフローラだったがフローラの料理を教えて欲しいと頭を下げられて混乱する。自分など一人暮らしでちょっと自炊したことがあるくらいの料理のド素人だと思っているのだ。その自分に料理長が頭を下げて料理を教えてくれなどと言うとは思ってもみなかった。
そして極めつけが父だった。最後に現れた父に言われて今日の昼食にと思って作っていた料理を味見に差し出す。
「この濁ってドロッとしたスープは何だ?」
「クリームシチューです……」
「ふむ……。なるほど……」
フローラに簡単な説明を聞きながらアルベルトはクリームシチューをスプーンですくって口に運ぶ。マリアは自分も食べたそうに見ているがアルベルトはあえて気にしない振りをして続けて他の料理も味見していく。
「これは?」
「これは魚醤で味付けした鶏肉をラードで揚げた鳥のから揚げです……」
「ふむ……」
少し熱いから揚げを食べて本当は少し口が熱いが皆が見ている前で取り乱すわけにもいかず何とか食べた。
「このパンも普通のものと違うな?」
「バターという牛乳から作った生クリームをさらに固めたものを練りこんでいます……」
「ふむ……」
アルベルトは全ての料理を味見して内心驚いていた。パンは柔らかく風味豊かで普段食べている硬くてまずいパンとは比べ物にならない。クリームシチューというのは見た目はドロッと不気味であったが濃厚な味わいがしておいしかった。から揚げは少々熱かったがいつもの塩を振って焼いた肉とは違ってジュワッと広がる旨味が素晴らしかった。
魚醤というものをアルベルトは知らなかったがどうやらフローラが遠くから取り寄せた調味料らしい。バターというのも生クリームというのもフローラが作ったそうだ。そもそも乳製品自体がほとんどないこの世界ではフローラの作る物の大半は初めて見るものだった。
「フローラよ。よければこの料理の数々をダミアンに教えてやってはもらえないか?」
そうすれば自分もこの料理の数々を毎日食べられそうだから、と言いかけてなんとか口を閉じた。皆が見ている前でそんなことは言えない。しかしマリアは目を輝かせて首がもげそうなほどに縦に振っていた。マリアもこの料理の数々を食してみたいと思っているのは明白だ。
「それはかまいませんが……」
いつもは子供らしくないはっきりしているフローラの歯切れの悪い言葉にアルベルトは首を捻る。これだけの新しく素晴らしい料理の数々を考えるのは大変だっただろう。それを人に教えるのが嫌なのかと考えていたがどうやら違ったようだった。
「私のような者が料理長であるダミアンに教えるなどと言えるものではありません。ですがもし私の料理の作り方を覚えてもらえるなら私が考えたメニューをカタリーナにも作ってもらえないでしょうか?私が作るよりも料理人であるダミアンが作ってくれた方がおいしいでしょうし、メニューもバランスを考えて共に作って欲しいのです」
そのようなことかと思ってダミアンを見てみる。ダミアンも首を縦に振っていた。これで話は纏まった。
「ならばこれからはフローラの料理をダミアンが習いダミアンがカタリーナも含めた私達カーザース辺境伯家の食事を作ることとしよう。これからはフローラとカタリーナも食卓を私達と共にしなさい」
「はい」
「これでフローラちゃんの料理が食べられるわ!」
「かしこまりました」
フローラ、マリア、ダミアンの返事を聞きながらクルリと踵を返して厨房から出て行ったアルベルトはこれからはおいしい食事が食べられると緩みそうになる頬を抑えるのに必死なのだった。