第百五十九話「死体蹴り!」
法廷を出た俺は未だにイライラが治まらない。もし出来ることなら今すぐヘレーネの下へ向かってその顔面が変形して二度と元に戻らないほど殴り飛ばしてやりたい。それでもクリスタが受けた痛みと苦しみ、恐怖には到底及ばないだろう。もっと……、生まれてきたことを後悔するほどの目に遭わせてやらなければ収まりがつかない。
「フロト……、私のことで怒ってくれているのはうれしいわ。だけど私のことについてはもうヘレーネ様を許してあげて?」
「クリスタ……」
この娘は……、いい子すぎるだろ!聖女様かよ!
俺ならこんな目に遭わされたら到底相手を許せるとは思えない。それなのにクリスタはヘレーネを許そうとしている。
「ヘレーネ様は今回のことでもう十分罰を受けたわ。それにこれでも私達は幼少の頃から共に育った仲なの……。だから私のことについてはもう許してあげて」
「クリスタがそういうのなら……」
本人がもう許してしまっているのにそれを部外者である俺がとやかく言うことは出来ない。こうして泣き寝入りのようなことを繰り返していたからヘレーネはクリスタの心もわからず好き勝手にしていたんだろう。本当ならもっときちんとヘレーネにクリスタの気持ちが伝わるようにした方が良いとは思う。
だけどもう今更な話だ。今更ヘレーネにクリスタのこの優しさを知らせた所で何の意味もない。
恐らくヘレーネは今までクリスタがほとんど逆らわず何をされても黙っていたのはバイエン家の力を恐れてとか、何でも黙って従う自分の部下のように思っていたんだろう。だけどそうじゃなかった。クリスタはただその持ち前の優しさで幼馴染のわがままを許していただけだったんだ。そのことがわからなかったヘレーネにはこれから先も永遠にクリスタの優しさなんて伝わらないだろう。
「フロト様、クリスティアーネお嬢様、お疲れ様でした」
「ヘルムート……」
「ヘルムート様っ!」
俺達が王城から出るとヘルムートが馬車の前で待っていた。その姿を見た途端にクリスタの顔に朱が差しうれしそうな声が漏れた。
うん……。これは俺でもわかるわ……。そうかぁ……。クリスタがヘルムートをねぇ。
実を言えば今回バイエン家の訴えで俺達が無罪になったからめでたしめでたしでそれで終わりとはならない。物語ならそれで終わりだったかもしれないけど現実ではそこで終わりじゃない。ここから先はバイエン家のみならずバイエン派閥の全てが大変なことになるだろう。それは今回被害者だったラインゲン家も例外じゃない。
今回のことではクリスタは被害者だった。それは確かだけどこれから起こることではラインゲン家も厳しく追及されることになる。それが終わった後でラインゲン家がどうなっているかはわからない。
ヘルムートはロイス子爵家の跡継ぎでもない。元々家を継ぐ可能性もほとんどない上に侯爵家と子爵家では家格に差がありすぎる。そしてラインゲン侯爵家の今後も見通せない。もしかしたらお家お取り潰しの可能性もあるし最悪の場合は犯罪者として投獄や処刑される可能性もないとは言い切れない。二人の前途は多難だろう。
それでも……、今はこの若い二人が思いのままに青春を謳歌して欲しいと願う。せめて二人が納得の出来る結末に落ち着きますように……。
「ヘルムートは馬車でクリスタを送ってあげなさい」
「え?フロトも一緒に帰らないの?」
俺の言葉にクリスタがポカンとしている。まぁ普通に考えたらこのまま皆で一緒に馬車に乗って帰りましょうという流れだろう。だけど生憎俺はまだ帰ることは出来ない。
「私はまだしなければならないことがあります。ヘルムートは先にクリスタを送ってあげてください」
「フロト様!それならば私もここで……」
俺の言葉にヘルムートは自分も残ると言おうとしていた。最後まで言わせずに言葉を被せて遮る。
「ヘルムート!貴方は私に重大なことを隠していましたね?後でどうなるかわかっていますね?まずはクリスタを送り届けてきなさい」
「ぅ……。わかり……ました……」
渋々了承したヘルムートは捨てられた子犬のように俺を見てくるけど情けをかけたら駄目だ。
俺は今回クリスタが証言台に立つなんてことは聞かされていなかった。それにクリスタが暴行を受けた事実も今さっき知ったばかりだ。
カタリーナに言伝を頼んでヘルムートにクリスタのお見舞いに行ってもらった時にヘルムートはその情報を知ったはずだろう。それなのに俺に何も報告しなかった。
確かに今回クリスタが証言してくれたお陰でより確実に俺達の勝ちの後押しにはなっただろう。だけど別に無理にクリスタにあんな辛い思いをさせなくても俺達の勝ちは確定していたも同然だ。それなのに俺にクリスタが暴行を受けたことは黙っているわ、証人として呼んでいることは黙っているわ、何もお咎めなしで許せることじゃない。
「フロト!ヘルムート様を許してあげて!これは私が言い出したことなの!だからお願い!」
「ぅ……」
両手を胸の前で組んでウルウルと俺をフードの下から見上げてくるクリスタのこの破壊力よ……。これじゃまるで俺が悪いみたいじゃないか。
もしかして……、クリスタって本当は小悪魔なんじゃ?自分でわかっててやってないか?これが全て計算尽くならクリスタは相当なやり手ということかもしれない。
「ヘルムートやクリスタに考えがあったことはわかっています。それに二人のお陰でより確実に勝てる手助けになったことも否めません。別にヘルムートに罰を与えるとかそういったことではありませんので安心してください。……とにかくヘルムートはまずクリスタをきちんと安全確実に送り届けてくるように!」
「はい!」
「ありがとうフロト」
姿勢を正したヘルムートは俺ににっこり微笑んだクリスタを馬車に乗せて出発していった。ヘルムートに甲斐性があれば送り狼になってご休憩してくるくらいはするかもしれないけどあのヘルムートじゃ無理だろうなぁ……。
まっ、あの二人がくっつくというのなら俺は反対はしない。出来ればヘルムートとクリスタがくっついたとしてもヘルムートには俺に仕えてもらいたいけどそれは難しいだろう。クリスタと結婚でもすればラインゲン家の縁戚になるわけでそんな者が俺に仕えるというのは立場上問題がある。
それらの問題をクリアしようと思えば俺がもっと高位に陞爵されるのが手っ取り早い。ラインゲン侯爵家の縁戚の者が仕えてもおかしくないほど陞爵……、うん、あまり考えるのはやめておこう。そんな立場になったら俺の胃に穴が開く。それにまだ二人が結婚すると決まったわけでもない。
ヘルムートに憧れを抱く女の子は実は割りと多い。ヘルムートは優秀で大変助かっているけど俺からすればヘルムートを男として見た場合にあまり良いとは思わない。だけど世の女性には大変ウケが良いようだ。クリスタもそんな者達の中の一人にすぎずヘルムートがクリスタと結婚しようと思っているかどうかはわからない。
まぁ優しくてそこそこハンサムな年上のお兄さんに憧れる思春期の女の子の一人、という程度のことだろう。二人が進展するかどうかはクリスタ次第かな。もちろん邪魔はしないどころかクリスタが望むのなら応援くらいはするけどどうなるかはわからない。今はただ温かく見守ることにしよう。
「若い二人はいなくなったことですし、それではここからは年寄りの役目ですね」
「フロト様が年寄りならば私はもう干物ですかな?」
俺の言葉にフーゴがそう言って笑う。ビアンカは困った顔をしているだけだ。
「ビアンカは仕事に戻ってください。カタリーナ、ビアンカをクレープカフェまで送って差し上げて」
「かしこまりました」
もう一台待機していた馬車でビアンカを送ってもらうことにする。俺とフーゴにはまだ一仕事残っているからな。
「え?あの?私だけ戻るんですか?」
上司やオーナーを残して自分だけ帰っていいのか悩んでいるんだろう。だけどここからはビアンカに出来ることはない。
「ええ、ここから先はビアンカに出来る仕事はありません。それならばお店に戻って仕事をする方が有意義でしょう?」
「はい……、わかりました……」
ちょっと言い方が悪かったかな。でもここから先はビアンカのような夢や希望がある若者には関わって欲しくない。ここから先はドロドロの醜い世界だ。いつかはそういう世界に触れて、後進達のためにビアンカが前に立たなければならない時が来るだろう。だけどそれは今じゃない。今はまだ俺やフーゴが汚い仕事をする番だ。
カタリーナがビアンカを連れて出発していく。残ったのは俺とフーゴの二人だけ。ここからは大人の汚い世界だ。
「さぁ、ここからは私達の仕事です。落とし前をつけさせに行きましょうか」
「はい」
俺はフーゴを連れて王城に戻る。
確かにクリスタに関することは本人が許している上に無関係の俺は何もすることが出来ない。本当はハラワタが煮えくり返る思いだけどクリスタが許してあげてと言っているんだからそれは尊重しよう。だけど俺達が関わることは別だ。
カンザ商会は今回のことで色々と被害を受けた。バイエン家が訴えた嘘の罪状では無罪判決が出たけどそれはバイエン家が訴えた裁判に関してだけのことだ。ここからは俺達がバイエン家を訴えさせてもらう。
実費の損害としては精々クリスタのドレスを切り裂かれたことくらいだろう。本当はあれは俺がクリスタに贈ったつもりのものだからカンザ商会がヘレーネに損害賠償を請求する権利はない。だけど裁判でクリスタはあれはカンザ商会から借りたものだと言った。本人もそのつもりだったんだろう。
ドレスに関してはレンタルの契約も譲渡の契約も結んでいない。だから本人がレンタルだったと証言した以上はクリスタとカンザ商会が交わした夜会の協力に関する契約の中に含まれていると解釈される。なら損害賠償請求は俺達がしても問題はない。
今回の騒動で俺達は他にも色々と損害を蒙っている。店舗では商品や店が破壊されたという報告もあるし営業も妨害されている。また取調べもなくいきなり犯人として裁かれそうにもなった。これらが裏でバイエン家と裁判官や検察官が結託して行なったことだと証明されればそのことについても争えるだろう。
もちろん俺達だけじゃなくてそれは犯罪行為なわけでプロイス王国としても刑事裁判として訴えることになるだろう。そちらの罪も償わせなければならない。今回のことで俺達はバイエン家に相当な数の訴えを起こすことが出来る。さらにプロイス王国の法を犯しているために刑事罰もかなりのものになるだろう。
それだけじゃなくて今回の件を発端に王様はバイエン派閥の例の犯罪、投資詐欺事件にもメスを入れると言っていた。今回の裁判でディートリヒやヴィルヘルムが出て来たのは偶然でも何でもない。最初から俺が仕組んでいたことだ。
クリスタが個人でカンザ商会と契約を結んだ時点で俺はこういう事態になる可能性も考えて対策を施していた。プリンの特許登録を先に済ませていたのもその一環だ。
バイエン家の夜会でプリンを発表したりうちの持ち出しの食器を使えばその権利を主張してくる可能性は考慮していた。まさか本当にそれらを奪おうとしてくるほど馬鹿だとは思わなかったけど備えはしていてよかったと言うべきか。何にしろこちらは全て対策済みだったから今回は何の問題にもならなかった。
それに加えて俺はヴィルヘルムやディートリヒと緊密に連携して今回のことに備えていた。お陰で全てスムーズに済んだわけだけど、あの二人はヴァルテック侯爵夫人からの聴取を終えて証拠集めも終わっていた詐欺事件についても今回の件に絡めて処理するつもりだと伝えてきた。
俺は詐欺事件にはあまり関係ないので二人がそうと決めたのなら勝手にしてくれという所だけど、このまま黙って詐欺事件でバイエン派閥が潰されてしまったら俺達の損害賠償請求先がなくなってしまう。やるなら俺達も今のうちに一緒にやってしまわなければならない。
何よりクリスタをあんな目に遭わせてくれたんだ。本人は許すと言っているけどこちらに名分があることに関しては毟れるだけ毟ってやらなければ気が済まない。死体蹴りのようになるけど出来る範囲でとことん追い込んでやろう。
「フロト様……、悪い顔になっておられますよ」
「おや?それはフーゴもでしょう?」
俺の横に並んで歩いてるフーゴも大概悪そうな顔をしている。こういう時に老練な仲間がいると頼りになって心強い。
「私はまだ顔を出すわけにはいきませんので頼みましたよ」
「はい。お任せください」
カンザ商会の会頭として顔が売れると今後やりにくくなる。俺も参加はするけど声も出し難い状況だ。隣で聞いているし最悪何かあれば止めに入るけどフーゴに任せておいても大丈夫だろう。
これからさらにカンザ商会からの訴えまで受けるとは思ってもいないだろうアルト・フォン・バイエンとヘレーネがどんな顔をするかと思うと、我知らず口角が上がるのを止められないのだった。