第百五十六話「種明かし!」
全員から見えるように二通の書類を台の上に置いたディートリヒは大仰に振り返り両手を広げながら傍聴人達の方に向かって語りかけた。
「さて皆様……、勝手に『搬入業者』として入り込み、貴族達に大評判となったプリンの製法を盗み出し、ヘクセン白磁を持ち去った者が果たして翌日からそれを町中で堂々と販売するなどということをするでしょうか?」
ディートリヒの言葉に全員が頭に『???』を浮かべる。何が言いたいのかよくわからない。因果関係は今ディートリヒが言った通りではないのかと思うばかりだ。
「う~ん……、わかりませんか?物を作るには作る人手と材料が必要なのですよ?夜会の翌日から商会は市販を開始している。昨日知って翌日にすぐそのようなことが出来ますか?プリンの主原料は言えませんがそんな簡単に用意出来る物ではありませんよ?皆様もそれはおわかりでしょう?作る職人はどうするのですか?一晩でいきなり作れるようになるものですか?」
「そういえば……」
「なるほど……」
普段物作りなどしたことがない貴族達はそのことに気がいかなかった。事実関係の整合性だけを考えてかえって整合性が取れていないことに自分達では気付かなかったのだ。
確かに一見、製法を知ったから翌日から販売を開始した、というのは筋が通っているように見える。しかしそれらを作る職人達に作り方を周知し練習させ、販売に耐えるだけの個数を作るための材料を用意しなければならない。
どこにでも売っているような材料だけで作られているのならばあるいはそれも可能だったかもしれない。しかし単純に考えてもプリンには砂糖が使われているだろう。いくら価格が下がり流通量が増えたと言っても前日の晩に知ってから翌朝に製品にして販売するまでの間に大量の砂糖を買ってこれるとは思えない。
元々商会なのだから店や倉庫に在庫が……、と考えることも出来るかもしれないがそれならば普段から大量に買い付けていたり流通に関わっている商会でなければあり得ないだろう。またそれほど大量に流用してしまえばどこかに歪みが出て来る。突然砂糖の販売量や流通量が減ったという事実は存在しない。
ならば考えられるのは事前に準備していたということだ。製法を知った翌日に急に販売を始めたのではなく元々準備していたからその日から販売が始められた。夜会で披露されたのはたまたま、もしくは最初からそれが狙いで……、ということになる。
「そもそも前日の夜に他者から盗んできたお菓子を翌日から大々的に売りますか?絶対に話題になってすぐにこういう事態になると思いませんか?さらに言えば推定何千万ポーロ分にもなるかもしれないほどのヘクセン白磁を盗んだ翌日にそんな目立つことをあえてしますか?私ならヘクセン白磁を持ってとっとと王都から逃げますがね」
「むぅ……」
「ふ~む……」
アルトは『まずい!』と思っていた。明らかに傍聴人達は意見が傾いてきている。このままディートリヒにしゃべらせていてはまずい。
「お待ちください。ディートリヒ殿下のお言葉はあくまで推測でしかありません。ディートリヒ殿下ほど聡明なお方ならばそうかもしれませんが、浅はかで愚かな者がそこまで考えるでしょうか?」
「う~ん……?」
アルトの苦しい意見に傍聴人達の反応はいまいちだった。言われてみればその通りだ。商会の微々たる売り上げに固執していつまでも王都に居るくらいなら持ち去ったヘクセン白磁を持ってどこかの地方都市でも周りながら徐々にヘクセン白磁を売っていけば良い。
いくら何でも何十枚も何百枚も同じ場所で売っていればすぐにおかしいとバレてしまうだろう。だから行商の振りをして各地を転々としながら少しずつ売り捌くのが良い。商会を経営している者ならばその程度のことは考え付くだろう。
「なるほどなるほど。それではまずプリンの権利侵害の方から片付けましょう。ヘクセン白磁についてはバイエン家から残りのヘクセン白磁を持ってきた後にお話します」
そう言って再びディートリヒはアルトから傍聴人達に向き直って話し始める。
「皆様が参列された夜会ではプリンの他にクレープも出された。それは誰もが認める所ですね。さて、このクレープとプリンですが販売を手がけている商会はどちらも同じ商会です。では……、夜会で出されたプリンとクレープは誰が作り用意し提供したのでしょうか?」
「……は?」
ディートリヒに間近まで顔を近づけられてそう言われた傍聴席の一番前に座っていた貴族の男性は少ししてそんな間の抜けた声を漏らすことしか出来なかった。
「それはバイエン家の夜会なのですからバイエン家では?」
「おや?おやおやおや?それは不思議ですね。ではバイエン家はどうやってクレープを用意したのですか?クレープはクレープカフェでしか販売されておりません。誰もその製法を知らず誰もその店の真似が出来ない。いえ、仮に製法を知っていたとしても誰も同じ材料を集めることが出来ない。そう、販売価格を気にせずお金に糸目をつけなかったとしてもです!」
「――ッ!」
さらにディートリヒに顔を近づけられた男性貴族はただ黙って息を飲んだ。傍聴席から若干ドヨドヨとどよめきが起こった。
「クレープを作って提供したのはクレープカフェを経営している商会です。そしてそのクレープカフェが用意したクレープと一緒にプリンが提供された。これはもう誰が作って提供したのか明白ですよね?そ~う、つ・ま・り、プリンを作ったのもまたクレープカフェの商会だったのです」
芝居がかったディートリヒの熱弁に全員が聞き入る。もうアルトは限界だった。
「でたらめだ!クレープもプリンも用意したのは我が家の料理人達だ!そこの商会共ではない!」
ダンッ!と机を叩いて立ち上がったアルトが叫び被告人席に立たされている者達を指差した。
「そうですか。では今からクレープとプリンを用意してください」
「…………へ?」
アルトはニヤリといやらしい笑みを浮かべているディートリヒの顔をポカンと眺めることしか出来ない。
「おや?聞こえませんでしたか?では今からクレープとプリンを用意してください」
「なっ、何を……」
アルトはよろよろと後ずさった。先ほどの勢いはもうない。あるのはただ青褪めたおっさんの顔だけだった。
「どうしました?クレープもプリンも貴方の家で用意されたものなのですよね?特許も申請されているのでしょう?ならば今から作ってきてください。あぁ、どこかで買ってこれないように作る器はこちらで指定します。この夜会で使われたヘクセン白磁の器に作ってきてください。何分で出来ますか?何分でも待ちますよ?さぁ?どうしました?さぁ!」
「うっ……、あっ……。プッ、プリンを作った職人は今はおらず……、その……」
アルトの声はすぼみ何を言っているのかはっきりと聞き取れないほどになっていた。それでもディートリヒの追及は止まない。
「別に当日と同じ方が作る必要はありませんよね?特許申請されているのです。製法は御存知でしょう?誰でも良いですよ。家の料理人でも、何なら調理法が秘密だと言われるのでしたら貴方自身が調理してくださってもかまいませんよ?味や出来はどうでも良いのです。きちんと調理法を把握している。それを証明していただければ良いのですよ?さぁ?いつ出来ますか?何分待ちますか?」
「………………」
完全に黙り込んだアルトが全てを物語っていた。傍聴人達の答えはもう出ている。しかしここで止まらないのがディートリヒだった。
「一つ、お話しましょうか。ヘレーネ嬢の夜会の十三日前、即ちアマーリエ第二王妃様主催の夜会の翌日にヴィルヘルム国王陛下と私はとある場所にて新しいお菓子を献上されました。ヴィルヘルム国王陛下も私も家に持ち帰って家族にも振る舞いましたのでプロイス王家でもクレーフ公爵家でも、そして王城に滞在していたグライフ家のご令嬢も全員がその日の夜にその新しいお菓子をいただいたのです」
突然の語りにまた傍聴席が若干ざわつきながらも耳を傾ける。
「さらに翌日、ヘレーネ嬢の夜会の十二日前にはそのお菓子を作った者が直接登城し王城にてその調理法を披露し、その場に居た王家の方々に再びそのお菓子を献上したと聞いています。そしてその時に調理法を教えられた宮廷料理人達はすでにそのお菓子の調理が出来るようになっています」
傍聴席のざわつきが次第に大きくなってくる。もう誰もがわかっている。
「そしてこちらの先ほど出した二通の書類のうちの封書の方ですが……、これは特許庁にヘレーネ嬢の夜会の六日前に出されたあるお菓子の製法に関する特許の書類です。そのお菓子とは……、『プリン』。そう、アルト公が出されたという特許申請よりも前にすでにプリンの製法は特許申請されておりました」
傍聴席のざわめきは最高潮に達する。
「そして……、アルト公が登城し特許庁へ行ったとされるヘレーネ嬢の夜会の四日前ですが……、アルト公が登城された記録はありません。アルト公が登城されたのはヘレーネ嬢の夜会の三日後。即ちこのアルト公の特許申請は偽造されたものです」
シンと静まり返る法廷。先ほどまでのざわつきが嘘のように静まり返っていた。
「特許庁職員ヘルマン・エルリッツ子爵はすでに逮捕されてアルト公に頼まれ書類を偽造したことを認めています。ヘルマンをこちらへ」
ディートリヒが合図を送ると外で待たされていたヘルマンが入廷してきた。その姿は縄で縛られ完全に罪人として扱われている。
「ヘルマン、君はアルト公に頼まれてこの特許申請の書類の日付を偽造した。間違いないね?」
「はい……、間違いありません……」
「ヘルマン貴様ぁ!誰に頼まれた!これは私を貶めるための陰謀だ!」
先ほどまで大人しくなっていたアルトはヘルマンの証言を聞いて再び怒鳴り出した。しかし最早誰もアルトの言うことを信じる者はいない。
「それではもう一つ。このアルト公の特許申請ですが中身は何も書いていないと推測されます。陛下この封書の開封許可をお願いします」
「今回は重要な事件の証拠となり得る。よってヴィルヘルム・フォン・プロイスの名においてその封書を開封することを許可する」
「はっ!ありがとうございます」
普通であれば何があっても勝手に開けることは許されない。しかし国王の名の許に事件解明のために特例として開封されることが宣言された。それに異論のある者は誰もいない。
「やっ、やめろぉ~~~っ!」
アルトの叫びも空しく開封されたアルトの特許申請書類には名前のプリンという所以外には何も記されていなかった。署名と開発料理名以外は白紙の書類が入っているだけだ。
「ご覧ください。アルト公が証拠として提出した書類には製法は何も記されておりません。これはとりあえず名前だけ登録しておいてプリンの権利を奪おうという明白な犯罪行為です」
白日の下に晒されたほぼ白紙の書類を前にアルトは椅子に崩れ落ちた。その後まだヘルマンの証言が続きアルトとヘルマンの罪が暴かれていたが最早アルトは騒ぐこともなくただ生気のない目でそれを眺めているだけだった。
「おや?こちらも届いたようですね。皆様、どうやらバイエン家のヘクセン白磁が到着したようです。それでは次はヘクセン白磁の件を片付けましょう。まずはこちらに並べてください」
バイエン家から持ってこられたヘクセン白磁が丁寧に並べられる。その数は種類の違う食器やカップを合わせて四十枚にも及んでいた。四十枚もヘクセン白磁を持っているだけでもさすがは大領地を持つ公爵家である。
「皆様、実はヘクセン白磁にはお皿やカップの一つ一つが見分けられるようになっていることを御存知でしたか?」
「え?」
ディートリヒの言葉に再び傍聴席がざわつく。誰もそんなことは知らなかった。当然だ。誰にもわからないほど巧妙に隠されているのだから……。
「私も今回の件で関わり販売元から聞くまでは知らなかったんですけどね……。ヘクセン白磁には裏面の柄に隠れるように製造番号なるものが刻まれているそうです。わかりますか?これです。これにより同じ製造番号の物は二つとない唯一無二の食器となっているのです」
そう言ってバイエン家の物とは別の何枚かの皿を提示する。そこには確かに何らかの記号や数字が記されていた。何枚か見せられた皿の番号は連続して続いており同じ数字は一つとしてない。
「そしてヘクセン白磁の正規販売業者であるカンザ商会は最初にヘクセン白磁を売った客に渡した商品の製造番号を全て控えているそうです。それがこちら。もう一通の書類です。これにはバイエン家に販売したヘクセン白磁の種類と製造番号が記されています」
「なっ!」
生気が抜けたように沈んでいたアルトは再び顔を上げて驚愕の表情で持ってこられた食器とディートリヒが持つ書類を見詰めた。
「本来このような販売記録は各家の秘密とされるべき情報です。ですが今回はそのお皿が盗まれたということですので事件に関係しています。陛下、これを公開してもよろしいでしょうか?」
「許可する」
バイエン家の意見は聞かれずヴィルヘルムが独断で許可を出す。しかしそれに異を唱えられる者は存在しない。
「それでは開けます。バイエン家が購入済みのヘクセン白磁は『大皿』『小皿』『ティーカップ』『ティーカップセットのソーサー』それぞれ各十ずつ。そしてその製造番号はこちらです。検察や裁判所の職員の方も確かめてください」
ずっと前から先に出されていた書類の製造番号とバイエン家から持ってこられた食器の裏面に刻まれている製造番号が確認されていく。それらは全て完全に一致していた。
「はい、間違いありませんね?ご覧のようにカンザ商会では全ての販売済みヘクセン白磁の最初の買い手について記録が残っております。もちろんカンザ商会の知らない所で転売していればその後の持ち主についてはわかりませんがね。さて……、これによるとバイエン公爵家はここにある四十のヘクセン白磁しか購入していないことになっております。残りはどうされたのですか?」
「うっ……、ぐっ……」
再び話を振られたアルトは口篭って俯くことしか出来ない。
「まさか転売で購入したからカンザ商会の記録に残ってないなどとは言いませんよね」
「そっ、それだ!カンザ商会以外から買ったのだ。だからそこに情報が載っていなくとも……」
ディートリヒの言葉にすぐに乗っかったアルトは言葉を口にした。しかしディートリヒはニヤリと口を歪めるだけだった。
「ほう!ほう!カンザ商会以外で買われたと?ではこの皿が最初に買われた相手はカンザ商会の記録に残っているはずですね?ですがそんな記録はどこにもない。カンザ商会はこれらの皿は売っていないのです!」
そう言って扉の方に合図をするとまるで背中に棒でも入っているのかと思うほどに美しい姿勢の給仕達が大量の器や皿、透明なガラスコップを持って入廷してきた。その姿を見て傍聴人達や証人達はあることを思い出していた。
「あの時の夜会にいた給仕達!?」
あまりに姿勢も所作も美しく、高位貴族家の最高位のメイドや給仕でも中々これほどの者はいないと思われるような者達だったのだ。その印象は深く、全員の顔を全て覚えてはいなくともその姿を見れば間違いなくあの時に居た給仕達であると断言出来る。
「こちらの給仕達とこの食器が夜会当日に使われていた物です」
そう言われたら確かにその通りだとしか思えない。お皿の一枚一枚、給仕の一人一人全てを覚えているわけではないがこれだけ同じような物を集めることは不可能だろう。ならばこれらはその時に使われていた物が集められているだけだと考えるのが妥当だ。
「これらがアルト公が持ち去られた食器だと言われているものですが……、カンザ商会はこれらの食器を一切誰にも販売しておりません。それはカンザ商会の販売記録を見れば一目瞭然です」
「でっ、ではこれらの食器は一体どこからどうやって?」
それまで黙っていた傍聴人がついに堪らず口を挟んだ。本来傍聴人は口を挟まず黙って聞いていることしか許されないがその答えを聞きたい者も大勢いるために誰も規則違反だとは訴えない。
「どこからどうやっても何もありませんよ?ヘクセン白磁の製造から販売まで全てを手がけているカンザ商会が自らの商品をどこでどう使おうとも誰にも何も言われるものではないでしょう?」
ディートリヒの言葉に……、意味のわからない者は首を傾げる。そして『クレープとプリンを作った者が同じ』と聞いてから『クレープカフェを経営している商会』が何者であるか知っていた者達はうんうんと頷いていた。
「クレープカフェも、プリンを販売していた店舗も、ヘレーネ嬢の夜会でクレープとプリンを出し、この給仕達を用意し、ヘクセン白磁をはじめとした食器類を用意したのは全てここにいるカンザ商会の方々です」
「「「「「なっ!」」」」」
ディートリヒが被告人席に立たされている三人に手を向けてそう宣言すると廷内は驚きに包まれた。
「馬鹿な……。相手は……、カンザ商会……?」
「おや?アルト公は御存知なかった?検察も裁判官も?おやおや?被告人の商会の名前も知らない?これは不思議ですねぇ……。まぁいいでしょう。そしてこちらの最後の証人です。何故カンザ商会がヘレーネ嬢の夜会に手を貸すことになったのか。その全てを握る人物に証言台に立っていただきましょう」
再びディートリヒが合図を送ると証人の入廷用の扉が開かれた。そこから入って来た人物の姿を見てアルトの横に座っていたヘレーネが立ち上がる。
「なっ!貴女は……、クリスティアーネ!」
入廷してきた少女は少し高い席に座り見下ろしてきているヘレーネと視線を交わしたのだった。