第百五十五話「反撃開始!」
ヴィルヘルム国王に続いてディートリヒ宰相が現れたことで会場中がどよめいた。一体何が起こっているのか誰にも理解出来ない。いくらバイエン公爵家の裁判とはいえたかが特許の権利侵害と窃盗の裁判にわざわざこの二人が出てくるなど何事かと無関係の傍聴人と証人達は好奇心を刺激された。
逆にバイエン公とその息がかかった裁判官、検察は焦りを隠せない。元々の予定では取調べもせずに犯人が犯行を認めたという形で証人達に証言させ傍聴人を納得させてすぐに判決を言い渡すつもりだったのだ。それなのにディートリヒが弁護人を務めるとなっては通常通りの手続きの裁判をしなければならない。
もうこの時点で裁判官と検察は非常に立場が悪い。そもそも嫌疑がかけられている三人は取調べも受けておらず犯行も認めていない。所詮平民や小さな商会ならば裁判の手続きも知らないであろうし、仮に知っていて反論しようにも貴族や裁判官達に逆らえないであろうと無理やり押し通すつもりだったのだ。
それなのにディートリヒが弁護人になってしまってはすでに宣言した取調べの結果犯行を認めたという嘘がすぐにバレてしまう。それだけでも検察の首が飛ぶのは確実だ。よしんば裁判官は検察の報告を読み上げただけだと言い逃れしたところで圧倒的に立場が悪いことに変わりはない。
あまりに予想外のことにバイエン公アルトもどうすれば良いか考えがまとまらない。しかしかといって今更裁判をしないわけにもいかないのだ。ここで二人が出て来たからと裁判を中止にでもしようものならば余計に追及されてしまう。そうならないためにもここは裁判を押し切って勝つしかない。
大丈夫だ。証拠も証人も揃っている。多少検察の不手際があったとしてもアルトには関係ない。それは検察の捜査が問題だっただけで検察を切り捨てれば良い話だ。すでに検察の助かる道はないがアルトと裁判官は普通に裁判を進めて勝てば良い。そう考えて気持ちを持ち直す。
「少しよろしいですか?」
その時、アルトの横に座っていたご令嬢、ヘレーネが声を上げる。アルトにも娘が何を言い出すつもりかわからなかったが止める理由もない。裁判官が先を促したことでヘレーネが口を開いた。
「被告人の弁護にディートリヒ宰相殿下ほどの方がつかれては検察も裁判官も公正公平に真っ向から意見するのも難しいのではありませんか?ディートリヒ宰相殿下ほどの方が一方に味方されるのは公正公平な裁判の理念に反することと思います」
アルト、裁判官、検察は揃って『おお!もっと言ってやれ!』と思っていた。傍聴人達からも『なるほど』『確かに』という声が広がる。
「中々利発な子供だな、バイエン公爵よ」
「はっ、ありがとうございます」
ヴィルヘルム国王がそう言ったことでアルト達は勝利を確信した。しかし……。
「だが残念ながら理解が足りぬようだ。裁判官は王権たる司法権を余から委任されし者である。即ち裁判官の言葉は余の言葉であり例えディートリヒであろうとも余の言葉には逆らえぬ。ディートリヒが相手だからと公明正大な裁判を崩すような裁判官はおらぬ。そうであるな?」
「はっ、はいっ!」
ヴィルヘルムにジロリと睨まれた裁判官は背筋を伸ばしてそう答えた。それが全てだった。裁判官がそう認めた以上はもうそれは決定である。アルトは額に手をやり首を振ったがもう後の祭りである。
ヘレーネはギリギリと奥歯を噛み締める。何もわかっていないねんねだとこの場で国王に言われたと受け取ったのだ。あからさまにヴィルヘルムを睨みつけるがヴィルヘルムの方は子供のすることと黙って受け流す。
「それでは私がこちらの弁護人ということで良いね。では早速進めさせてもらうよ。まず時系列をはっきりさせるために整理しましょう。今回の件の発端はヘレーネ嬢の夜会ということでこの日を起点にします」
ディートリヒが時系列を整理していく。
・裁判が開かれている今日現在は夜会から四日後
・夜会の翌日商会でプリンが売り出される
・夜会当日、バイエン家の夜会にて貴族達にプリンが振る舞われる。この時に使用された食器、ヘクセン白磁はバイエン家のものであり夜会後に何者かに持ち出されたと主張
・夜会四日前に特許庁にてバイエン家の発明としてプリンが登録される
・アマーリエ第二王妃主催の夜会は十四日前
「これがバイエン家と検察、裁判官の主張ということでよろしいですか?」
「……はい」
アルトが頷いたことで裁判官と検察も頷いた。それは作り上げた調書等にも書かれているので今更誤魔化しようもなければ今から変える必要もない。ただバイエン家、検察、裁判官の主張と言っている所は引っかかるがそれを追及する意味もないので黙っておく。
「本来別々の二つの事件であるはずの裁判を同時に行なっているのは二つの事件が密接に関係しているからということですね。そしてそのプリンの製法を盗み出し権利を登録しているバイエン家に無許可で販売を始めた商会こそが、バイエン家の夜会に勝手に入り込みヘクセン白磁多数を持ち出した犯人であると……」
いちいち引っかかる言い方ではあるがこれも反論する理由はないので黙って聞いておく。時系列とバイエン家側の主張を整理したディートリヒは次へと進める。
「それではバイエン家側の主張と根拠、その証拠となるものを提示していただきましょう」
ディートリヒが裁判官にそう振ったことで証拠と証人が用意される。まず持ってこられたのは特許庁の書類だった。
「こちらがバイエン公爵家によって出された特許に関する書類です」
特許庁の職員が封のされた書類を持ってくる。持って来た職員がヘルマン・エルリッツ子爵ではなかったことに首を傾げながらもアルトもそれを確認した。
「これがバイエン公爵家が特許庁に出されたプリンの特許に関する書類で間違いありませんね?」
「間違いありません……」
アルトはそう答えるしかない。封が切られていないその封書には確かにアルト・フォン・バイエンとヘルマン・エルリッツのサインと封蝋が施されている。これを知らないととぼけるのは不可能だった。
「アルト・フォン・バイエン公爵の直筆の署名、特許庁職員へルマン・エルリッツ子爵の直筆の署名、そしてバイエン家と特許庁による封蝋が施されております。そして今バイエン公本人も間違いないと確認しました。どうぞ皆さんご確認ください」
そう言って裁判官や検察、傍聴人など全員の前で明らかにしたあとで法廷の中心の台に載せる。これで裁判中に誰かが勝手に触るということは出来ない。
「それでは次は証人のお話を聞きましょうか」
ディートリヒがそう言うとバイエン家側が用意した証人が証言台に立った。この証人は特にバイエン家の息がかかった者ということもなくただの夜会に呼ばれた貴族の一人である。
「それではお聞きしましょうか。貴方はヘレーネ嬢の夜会にて初めてプリンというものを知り、触れ、食べた。そしてそこで使用されていた食器がヘクセン白磁であったということで間違いありませんね?」
「はい。私はバイエン公爵家の夜会で生まれて初めてプリンというものを知り、食べました。その時に使用されていた食器はヘクセン白磁で間違いありません」
ディートリヒの質問に証人は答える。ディートリヒが全て聞いてしまうので裁判官や検察が聞くことは何もない。
「それでは……、貴方がその夜会で見たヘクセン白磁はこれと同じ物ですか?」
そう言ってディートリヒが用意させた皿を見て廷内がどよめいた。
「はい!そうです!この柄で間違いありません!とても素晴らしいお皿だったのでよく覚えています!」
その皿は非常に精巧に出来ており手の込んだ柄が施されている。そもそもヘクセン白磁が珍しく貴重なものであるためにそういうものに興味がある貴族達はよくその食器を眺めていたのだ。特徴のあるその皿を忘れることや間違えることなどあり得ないと証言した。
「ありがとうございました。それでは次の方と交代しましょう」
事前情報を知って公平性が損なわれないために別室で待たされている証人達は今のこの場でのやり取りを知らない。次々やってくる証人達は皆同じように答え、ディートリヒが出した皿を見て当時の皿と同じデザインで間違いないと答える。
アルト達は嫌な予感をヒシヒシと感じていた。いや、そもそもで言えば傍聴席にヴィルヘルム国王陛下が座っていた時から嫌な予感しかしていなかったのだ。しかし今更裁判を止めることは出来ない。
何の手抜かりもない。何の失敗もない。全て証拠は用意してある。仮にディートリヒが出して見せた皿が本当に当日の皿であろうがたまたま似ている別の皿であろうがどうでも良いことのはずだ。むしろその皿がどこから出てきたのか。もし件の商会が用意したものであるのならばバイエン家から盗まれたものであるという根拠を補完することが出来るだけのことだ。
アルトや裁判官、検察はそう思うことで自らの心を落ち着けた。
「さて……、ここまでがバイエン家側と検察が用意した証拠と証人というわけですね。確かに大半の夜会に参加した方はその夜会において初めてプリンを知った。そしてこのお皿と同じ物がプリンを載せる器に使われていた。さらにその夜会後にはバイエン家からこのお皿が全てなくなっていたということです」
傍聴人達からすればこれでもう答えは出ているかのように思えた。夜会のどたばたに紛れてバイエン家が契約もしていない商会がバイエン家の関係者と結託し勝手に夜会に搬入業者の振りをして侵入。夜会で出されたプリンの製法を盗み出し、さらにそれらに使用されたヘクセン白磁を持ち出し逃走。翌日から堂々と商会でプリンの販売を始めた。
全て辻褄が合っているように見える。普通ならこのまま商会の有罪が言い渡される所だろう。
「バイエン家側も、検察も、裁判官も、異論も意見もありませんね?」
「「「…………」」」
三者はお互いに顔を見合わせた。特にないはずだ。ここまでは全て予定していた通りに進んでいる。ヴィルヘルムとディートリヒの邪魔がなければ後は判決を言い渡して閉廷とするつもりだった。ここまでは全てバイエン家の思惑通りに進んでいる。
「間違いありません」
アルトの言葉に裁判官と検察も頷く。それに満足したようにディートリヒも頷いた。
「それではまずは時間のかかることから先に済ませましょうか。バイエン公、バイエン家にはまだヘクセン白磁の食器が残っていますね?」
「は……?それはあるが……?」
一瞬何を言われたのか理解出来ずにうっかりそのまま答えてしまった。相手の思惑もわからないのに正直に答えた自分の迂闊さに気付いた時にはもう遅い。何よりディートリヒの考えを読もうとじっくり考えている時間などなかった。返答が遅れるということはそれだけ周囲から見れば答えも信用出来ないものとして映る。どの道迷っている暇はなかったのだと自分に言い聞かせる。
「それではまずはそれを持ってきてもらいましょう。もちろん公平性のためにバイエン家の方に持ってきてもらうのは論外です。全ての者が納得出来る編成で行ってもらいましょう」
ディートリヒの言葉で嫌な予感がしたアルトは急いで使いを出してバイエン家に残っているヘクセン白磁を隠すように指示しようとした。しかしそれは叶わない。
「誰も動くな!余の指示なくこの場から勝手に出て行くことは許さぬ。バイエン家へと向かう者も余が決める。良いな?」
ヴィルヘルムの言葉で誰も動けなくなった。ヴィルヘルムが淡々と人員を選んでいく。とはいっても直接個人を指名しているわけではない。
まず裁判所の職員、検察職員、被告人側の見届け人、そして傍聴席に座るこの裁判のどちら側とも無関係な者から二名が選ばれた。その妥当な人選に表立って文句を言う者はいない。さらに現地にてバイエン家の者に立ち会わせることになっている。
この人選で困る者がいるとすればそれはバイエン家の者のみだ。この裁判の担当裁判官と担当の検察官はバイエン家の息がかかったものだが他の裁判所職員や検察職員は何の関係もない。先回りして食器を隠しておくように指示も出来ず、バイエン家に向かい食器を確保してくる者達の中でアルトの味方は一人も存在しなかった。
まだ大丈夫だ。元々バイエン家が所有していたヘクセン白磁の食器は確かにバイエン家に残っているがそれを押さえられたからといって何が困るというのか。
アルトはドクドクと脈打つ心臓を鎮めるように深呼吸をして整える。
「さて……、それではバイエン家のヘクセン白磁を持ってくるまでに時間がかかりますのでその間に色々と済ませておきましょうか。まずはこちらの二通の書類をここに出しておきましょう。今から一切誰も手をつけられないようにね」
そう言ってディートリヒが二通の書類をバイエン家の特許に関する書類が置かれている台と同じ場所に載せる。その書類の一通を見てアルトは再び心臓がドクドクというのを止められなかった。
一通の書類は何かわからない。しかしもう一通の方には非常に見覚えがある。何しろバイエン家側の証拠として出されている特許庁の封書と同じ物が置かれているのだ。それを見たアルトはただただこれからの展開に恐れ戦くことしか出来なかった。