第百五十二話「お休み!」
昨日の夜会は疲れた。別に何もしてないんだけどルートヴィヒとルトガーが関わってくると無駄に疲れる。まぁ救いとしてはミコトとアレクサンドラにマルガレーテの紹介が出来たことはよかったかな。ミコトはともかく他の皆はエリーザベトやマルガレーテと関わる機会はそうないだろうからそれだけはよかったと言える。
それはともかく今日は折角の休日だけどやることがある。昨日ヘレーネの夜会で披露したプリンをカンザ商会で販売開始することになっている。昨晩はあえて宣伝していないから今日カンザ商会に訪れた客が初めてプリンの販売を知ることになるだろう。
「フローラ様、二人が来ましたよ」
「はい、今行きます」
カタリーナが呼びにきたから既に準備万端な俺は最後に姿見でおかしな所がないか確認してから部屋を出た。
今日はルイーザとクラウディアの三人でカンザ商会に出かけることになっている。今日この二人が一緒なのにはもちろん理由があって、ルイーザとクラウディアは身分的に俺が関わるイベントに参加出来ないことが多い。例えば昨日の夜会でも当然ながら二人は呼ばれていない。
だからその埋め合わせとして今日はルイーザとクラウディアの二人を連れて町に出かける約束になっていた。
カタリーナは一緒の屋敷で暮らしているんだから一番一緒にいるのは間違いない。その次に俺とよく一緒にいるのがミコトとアレクサンドラだという指摘があがっている。もちろんアレクサンドラも同じ屋敷に暮らしているからというのもあるけど、救出されたのがつい最近というのもあってまだそこまで周囲から指摘はされていない。
だけど学園で一緒だったり夜会等の貴族のイベントに呼ばれて一緒になる機会が多くてルイーザとクラウディアだけ置いてけぼりで不利だという話になったようだ。
「「おはようフロト」」
俺が姿を見せるとルイーザとクラウディアが声を揃えて挨拶をしてくれた。俺も二人に応える。
「おはようございます、ルイーザ、クラウディア」
「あっ!今日は僕のことはクラウディオで頼むよ」
そう言われてクラウディアの姿をマジマジと見詰めてみた。そう言えば確かに男装をしている。クラウディアは元々騎士の格好をしていることが多いから気にしてなかったけど今日は男性として振る舞うということだろう。
「わかりました、クラウディオ」
「それにしても相変わらずフロトの格好はひどいね」
「本当に……。フロトはもう普通の格好をするか前みたいな格好をしてみたら?」
クラウディオとルイーザの指摘を受けて改めて自分の格好を見てみる。普通の商人の娘のような格好だ。姿見でも確認してきたし何もおかしな所はない。
クラウディオはパンツルックで低位貴族の子息や騎士かと思われるような格好をしている。クラウディオ自身がそもそも騎士なんだからそれ自体は何もおかしなことはない。
ルイーザは少し裕福な普通の一般市民という感じかな。生地の質やデザインや装飾から庶民からするとそこそこ高級品であるということは一目でわかる。ルイーザの仕事や立場からするともう少し高級な物を着ていても良いと思うけど控えめなのはルイーザの性格だろう。
「ひどい格好とはどういう意味ですか……。ルイーザの言う前みたいな格好って?」
「ほら、私と会ってた時みたいなさ」
あぁ、ようやく察しがついた。つまりまた男装してフロトにならないのかということだろう。ルイーザと会っていた当時は男装して男の振りをしていたからな。
でも今更男装しても男の振りは無理だろう……。まず胸が隠せない。当時と違って体が成長した今の俺じゃ格好だけ男装しても体型が女だと丸バレだ。クラウディオは俺と比べて胸も小振りだし長身で細身だから胸を潰して男装すれば男のように見えなくもない。だけど俺の顔立ちと体型でそれは最早無理な話だ。
不自然にボワボワの外套を羽織って体型を隠すなら出来なくはないけどそれでも何かおかしいと思われるだろう。だいたい季節や状況に関係なく常に外套を脱がないというのは不自然すぎる。近衛師団に顔を出した時は外套で体型を隠して誤魔化したけど毎日常に外套を纏っているのはさすがに無理がある。
「もう私に男装は無理でしょう。どう考えても不自然なのが一目瞭然だと思いますよ」
「それがわかってるならどうして今の自分の格好が不自然で一目瞭然だってわからないんだろう?」
さっきから何かクラウディオが酷い……。男装していると性格や口調まで男になってくるのか?
「ですからどういう意味ですか……。三人とも格好にそれほど違いがあるとは思えませんが?」
格好の豪華さで言えば俺はクラウディオやルイーザよりも高級な格好をしている。クラウディオがしている低位貴族や騎士の格好よりも豪商の娘の方が高級な格好をしているものだ。俺の格好はどこからどう見ても豪商の娘という格好で何もおかしくはない。
「だからね?それがおかしいんだよ……。私やクラウディオがこういう格好をしていても普段通りだから何も変じゃないんだけど、普段からすごいお嬢様の格好をしてるフロトがそういう格好をしても変なんだよ」
「それはルイーザが普段の私の格好を見慣れているからそう感じるだけでは?」
フローラが辺境伯令嬢でいつもドレスを着ている姿を見ているからこうして庶民の格好をしても違和感を覚えるだけだろう。
「あのさぁフロト……、格好だけの問題じゃないんだよ……。振る舞いとか所作とかそういうのが明らかに高位貴族のお嬢様の動きなのに格好だけ豪商の娘だから変だっていってるんだよ?」
……そうなのか?でも豪商の娘だってそれなりに良い教育を受けているはずだ。それほど高位ではない貴族家のメイドとしてそういう身分の者が成る場合も多い。だから貴族家のメイドに相応しい程度には教養がある。豪商ならその程度の教育を施すことも可能だ。
「フローラ様にこれ以上言っても恐らくご理解いただけないので時間の無駄かと……。それよりも早く出かけた方が有意義に時間を使えると思いますよ」
何かカタリーナがひどい。いや、カタリーナだけじゃなくてクラウディオもだったな。何気にルイーザもひどいことを言っている気がする。結局俺の味方なんていないんだ……。
「それもそうだね。じゃあ行こう」
「はい」
俺を無視してクラウディオとルイーザが歩き出す。高級な馬車に乗って移動したら変装している意味もないから今日は歩いて王都を散策しながらカンザ商会を目指すことになっていた。
王都でも下手な所を歩くと汚物塗れだったりするけど、さすがに貴族街は綺麗に掃除されている。貴族街から大通りに出れば大通りも綺麗なので無駄に汚れることなく歩くことが可能だ。路地裏に入ったりすると足が汚れる覚悟が必要だけどこのルートで歩く分には汚れる心配はほとんどない。
二号店は庶民向けで下町にあるから貴族街からは遠い。だけど一号店は会員向けの高級店であり貴族や豪商がメインターゲットなので貴族街からそれほど離れていない。大通りの店を軽く眺めながら歩いているとあっという間にカンザ商会王都一号店に到着した。
日本時代から考えたら結構距離があると思うんだけどこの世界の人間は皆健脚だ。移動手段がほとんど徒歩だから多少の距離なら女子供でも平然と歩く。到着した一号店はまだ開店からそれほど経っていないはずなのに随分と混雑していた。どうやらもうプリンが販売されている噂が広まっているようだ。
「うわぁ……、すごい人だかりだね。どうする?」
「やっぱり私なんかは入らない方が良いんじゃ……」
貴族達が大勢いる場だからルイーザは気後れしているようだ。クラウディオもあの混雑は避けたいのかな……?
「あんな混雑の中を入って行ったら周りのご令嬢たちと接触しちゃうよね。でもあれだけ混んでるんだから仕方ないよね……。えへへっ」
おいっ!クラウディオ!このやろう!不可抗力をたてにしてご令嬢達の間で組んず解れつを楽しもうってのか!
「そんなに女性達と触れ合いたいのであればクラウディオだけ一人で好きな所へ行かれればよろしいのではありませんか?」
「何だいフロト。ヤキモチかい?僕が愛してるのはフロトだけだよ」
ふんっ!と横を向いてそう言った俺の頬に手を伸ばしてきてクイッと俺の顔をクラウディオの方に向けられた。何か男がすると滅茶苦茶キザなことのような気がするけどクラウディオにされてもあまり不快な感じはしない。
「フロトだって僕と同じ気持ちがわかるでしょう?」
そっと、ルイーザに聞こえないように耳元でそう囁かれた。どうやらクラウディオは俺のことを同じ性同一性障害の仲間だと思っているようだ。
まぁクラウディオからすればそう思ってしまうのもやむを得ないのかもしれない。俺は性同一性障害じゃなくてTS転生したから精神的にまだ男のような気がしているだけなんだけど……。
あっ……?
俺は今何を思った?『精神的にまだ男のような気がしているだけ』?それはつまり俺は本心ではもう自分が女だって認めているっていうことか?
いや、違う!そうじゃない!俺は……
「ごめんフロト……。フロトを悩ませるつもりで言ったんじゃないんだ。本当にごめん……」
俺が考え事をしていたらクラウディオにギュッと抱き締められていた。どうやら難しい顔をして考え事をしていたからクラウディオの言葉で俺が変な葛藤に陥ったとでも思ったんだろう。
「クラウディオの言葉で悩んだわけではありませんよ。確かに私も可愛い女の子に囲まれて組んず解れつしたいですから」
だから俺もそっとクラウディオを抱き締め返してそう囁く。今俺が考えたのは別のことだ。それはクラウディオのせいじゃなくて俺が勝手にその考えにはまり込んだだけのことにすぎない。
「ちょっとフロト、クラウディオ……。こんなところでいきなり抱き締めあっていたら注目されちゃうよ?」
「あぁ、ごめんなさい」
ルイーザに指摘されて俺とクラウディオは離れた。確かにカンザ商会の店舗に殺到していたご令嬢達がこっちをチラチラ見ている気がする。お年頃のご令嬢も結構いるからこんな往来で男女が抱き合っていると思ってチラ見してしまうんだろう。実際には女同士なんですけどね。今日のクラウディアの格好はクラウディオだから仕方がない。
「それより折角ですからお店を見ていきましょう」
俺がルイーザとクラウディオの手を引っ張って店に向かうと二人もヤレヤレと言いながらついて来てくれた。今日プリンを売り出した所だというのにもうこれだけ人だかりが出来ているのには驚いたけど、だからって俺達が買い物を遠慮する理由にはならない。
二号店が出来たことでこちらは完全に会員専用店舗になったから来ている客は皆会員のはずだ。俺も店の入り口で受付に会員証を見せる。俺の会員証があればルイーザとクラウディオも通れるから問題はない。
ただ……、店員の方は俺達の格好を見ても他の客と同じように接客してくれるけど他の客達は俺達を見て少々ヒソヒソと話をしている者がいる。やっぱり会員専用店舗にしたことで少々普通の者には入りづらい環境が出来上がってしまっているようだ。
「フロト……」
ルイーザが不安そうに俺の服を少しだけ摘んでいた。それが何だか可愛らしい。ルイーザを安心させるように手を握って隣に並ぶ。
「心配いりませんよ。ですが流石に少々視線が鬱陶しいので奥へ行きましょうか」
ルイーザとクラウディオにそう言うと店員に声をかけて奥の個室に通してもらう。こちらの店舗では前から個室を用意していた。貴族ともなればあまり顔を出したくない者もいるだろうし、大口の取引ならば人の目のない所でしたい者もいるだろう。そういうケースを考えて個室が必要だろうと思って用意していた。
個室に入って暫く待っていると店員と一緒にフーゴがやってきた。店員にフーゴを呼ぶように言っておいたからだ。
「ようこそおいでくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
普通の店員達はまだ俺がカンザ商会のオーナーだと知らない者も多いからフーゴもわざとらしくそういいつつ他の店員を下がらせた。
「もうプリンが話題になっているようですね」
「はい。想定以上に広まるのが早くすでに売り切れ寸前です」
なるほど……。ちょっとこの世界の情報伝達網を甘く見ていた。こんな世界だから情報伝達速度も大したものじゃないだろうと思っていたけどオープンから僅かこれだけの時間であれほど客が集まりもう売り切れ寸前とはこの世界の情報網も侮れない。
その後は暫くフーゴと話をしつつ商品を見せてもらいルイーザとクラウディオに会員専用の香り付き石鹸を買ってプレゼントして店を後にしたのだった。
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昨日ルイーザとクラウディオの三人でデートしたのは楽しかった。少々店舗の方で他の貴族の客達に変な目で見られたけどそれ以外は特に問題もなかった。いや、問題はあったな。プリンが売り切れるのが早すぎた。
一日の個数を限定しているとは言ってもさすがに売り切れるのが早すぎる。卵や牛乳の確保が必要だし料理人の負担もあるからあまり一気に増やせないけどフーゴと相談してもう少しプリンの販売数を増やすことが決められた。今日は平日だから昨日より売れ行きが遅いかもしれないけど今日から早速増やしているから帰りにでも売れ行きを確認しに行った方が良いかもしれない。
そんなことを考えながら授業を受けていたけど……、今日はクリスタが来ていない?先生もヘレーネ達も何も言わない。何だろう……。何か嫌な予感がする。だけどその日は『たまにはそういうこともあるだろう』と思って帰りにカンザ商会に寄ってから帰った。
そして翌日……、その日もクリスタは学園を休んでいた。ドクドクと鼓動は大きく聞こえるのに血の気は引いているような嫌な予感が付き纏う。俺が直接出向くのはまずいだろう。クリスタのお見舞いに行ったとしてご両親に『カーザース辺境伯家の娘です』と正直に言ったら取次いでもらえない可能性も高い。
どうかこの嫌な予感が外れていますようにと願いながら昼休みにカタリーナに言伝を頼んでヘルムートにクリスタのお見舞いに行ってもらうことにしたのだった。