第百五十話「邂逅!」
とうとう来てしまった……。今日はヘレーネの夜会の日だ……。
俺は今日非常に憂鬱だった。ヘレーネの夜会自体は別にどうでも良い。多分ヘレーネのことだから最初は俺一人を自分の派閥の者ばかりがいる場に呼び出して笑い者にでもしようと思っていたんだろう。そこをルートヴィヒに聞かれてルートヴィヒまで参加することになって、あれよあれよと言う間に夜会の規模が拡大してしまったんだと思う。
クリスタにいくら聞いても教えてくれなかったけど、色々とバイエン家の調査をイザベラとヘルムートにしてもらっている間にそういう結論に達した。
俺は別に一人でヘレーネ派閥の夜会に参加させられて笑い者にされてもよかった。どうせヘレーネが考える嫌がらせなんてつまらない幼稚ないじめのようなものばかりだ。飲み物をかけられるのは社交界デビューの時から何度も経験している。周りから馬鹿にされて笑われたりドレスを汚されたりその手のいじめは社交場でザラだった。今更その程度のことでうろたえる俺じゃない。
それよりも問題はルートヴィヒが聞きつけて自分まで参加すると言い出したことだ。ヘレーネは辻褄を合わせるためにその後であちこちに招待状を出したようだけど一番最初に招待状を受け取り、ルートヴィヒとヘレーネのやり取りを見ていた俺からすると時系列が丸わかりだ。
明らかにヘレーネが他に送った招待状の時期が俺より後になっている。少し調べればそれくらいはすぐにわかる。そして普通なら俺を誘うのなんて他の招待客と同時か俺の方が後だろう。俺とヘレーネの関係性で俺に一番最初に招待状を渡すなんてことがあるはずもない。
そういった諸々の状況や突然大慌てで夜会の準備に奔走していたことから元々こんな規模の夜会をするつもりじゃなかったのに、ルートヴィヒが参加すると言い出したためにこんなことになってしまったのだと推測される。
それを見かねたクリスタがヘレーネを助けるために独自に動いたというのがカンザ商会に依頼を持って来た経緯だろう。イザベラ達に調べてもらっているうちにそこまで掴んだ俺達はクリスタにだけ協力出来るように色々と手を回した。
今回の夜会でカンザ商会が手を貸せば今後色々と問題が出てくることが予想される。特にバイエン公爵家が後で何を言ってくるか想像するのは簡単だ。だからそれについてこちらに瑕疵がないようにしておく必要がある。根回しと証拠の確保は十分だからこちらが被害を蒙ることはない。
向こうが何もしてこなければ何の問題もなくただ契約終了となるだけだけど、もし万が一にも向こうが俺達が予想しているようなことをしてきたら相応に報いを受けてもらうことになる。どうなるかはまだわからないけどバイエン家もそこまで馬鹿じゃないと思いたい所だ。
それはさておき俺が憂鬱なのは何もカンザ商会関係やバイエン公爵家、ヘレーネ関係のことじゃない。ヘレーネ達のいじめなんてどうでも良いことだし、カンザ商会のことも備えはしているから心配することはない。俺が憂鬱なのは……。
「フローラ様、ルートヴィヒ王太子殿下が参られました」
「はぁ……、今行きます……」
カタリーナの言葉を受けて最後に大鏡で自分の姿を確認してから部屋を出る。そう、俺が憂鬱なのはこの夜会でルートヴィヒが同伴を務めるということだ。
俺はエリーザベト王妃とマルガレーテと組んで俺とルートヴィヒの婚約を破棄し、マルガレーテとルートヴィヒの結婚を推進することで合意した。いや、向こうの二人ははっきりそうは言ってないけど俺がそう言ったのに反対しなかったということは二人も合意したということだろう。
それなのにこの空気を読まない馬鹿王子は今日の夜会も俺を迎えに来て一緒の馬車に乗って行くとか言い出しやがった。
そりゃエスコートするんだから一緒に行くのが筋かもしれないけどそこまでする必要はないだろう。会場で適当に会って、適当にちょっとだけ一緒に歩けばそれで十分だ。何故家まで馬車で迎えに来て一緒に向かい一緒に帰らなければならないというのか。俺の憂鬱の原因はルートヴィヒだ。
玄関口までやってくると一台の馬車が停まっていた。王家の紋章に王太子専用の紋章が添えられている。これはまた無駄に目立つ馬車で来やがって……。俺はそっと一人で壁の花でもしておきたかったというのにこれじゃ周囲に注目されてしまうじゃないか……。俺はこんなに目立たないように努力しているというのにルートヴィヒの馬鹿が全部台無しにしやがる。
「フローラ!とても良く似合っているよ。綺麗だ」
「ふん!田舎娘でも着飾ればそれなりにはなるもんだな」
……何でルトガーまで一緒に馬車の前にいるんですかね?
「ありがとうございます。それで……、あの……」
俺がチラチラとルトガーに視線を送るとルートヴィヒがすぐに察してくれた。
「本当は僕一人でフローラを迎えに来るつもりだっただけどね……。ルトガーにそのことを知られて自分も一緒に行くと絡まれてしまって振り切れなかったんだ。二人っきりのはずだったのにすまない、フローラ」
いやいや……、お前と二人っきりじゃなくなったのはむしろ良いことだよ。だけどさらにルトガーが一緒というのはいただけない。エスコートが二人というだけでも異例なのにそれが王太子と王族で宰相家の嫡男の二人とか滅茶苦茶目立つことこの上ない。
だいたいさぁ……、こんな狭い馬車に男二人と一緒に詰め込まれて、しかもエスコート二人とかどうすればいいんだ?エスコートが二人の場合の作法なんて習ってないぞ?
「あまり俺に熱い視線を送るなよ、田舎娘。ここにはルートヴィヒ殿下もいるんだ」
…………は?ルトガーがコソッと俺にだけ聞こえるようにそんなことを言ってきた。さっき何故こいつがいるのかと視線を送った時のことか?熱い視線って鬱陶しい相手をチラチラ見る時に使う言葉だったっけ?俺がおかしいのかな?この国の言い回しではそういう意味とか?
「こうしていても仕方がない。早速向かおう」
「はい……」
ルートヴィヒの言葉で馬車に乗って出発する。俺は恥をしのんで馬車の中でエスコートが二人の場合どうすれば良いのか二人に聞いてみたけど二人は顔を見合わせていただけだった。結局着くまでに話し合い二人が左右に分かれて俺が真ん中ということで決着がついた。やったことはないけどあとは適当に本番でそれなりにやるしかない。
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会場に着いた俺達は予想通り注目の的だった。ルートヴィヒの馬鹿はこんな目立つ馬車に乗ってくるし、ルトガーは慣例を無視して三人で会場入りするなんていうことをするし、しかも王族二人にエスコートされるなんていう状況で目立たないはずがない。
俺がいくらモブに徹しようともこの二人がいるだけで全ての努力は水泡に帰すことになる。やっぱりこの二人とはうまく距離を取るしかない。
「フローラ!」
「ミコト……、それにアレクサンドラも」
会場に入ってからずっと周囲からジロジロ見られていた俺達に声をかけてくる者がいた。当然デル王国の王族として招待状が送られていたミコトと、何故かこちらも招待状が送られていたアレクサンドラだ。
ミコトに招待状が届くのはまだわかる。デル王国の王族を夜会に呼べたとあれば相当な宣伝になるだろう。失敗すればかえって大ダメージになるわけだけど自信があるのなら呼ばない手はない。
だけどいくら伯爵家の中では最上位クラスとはいってもアレクサンドラまで呼ばれていたのは正直驚いた。でも参列者達を見てみればそれも納得だ。あまり家格が高くない家もチラホラ呼ばれている。
恐らく最初に俺を嵌めようと思っていた時は自分の派閥の者のかなりを呼ぶ予定だったんだろう。派閥の中には当然家格の低い者もいる。自分の派閥の下位の者だけ呼んでいるのに他の派閥の下位の者は呼ばないというわけにもいかないだろう。他派閥とバランスを取るために下位の方の者まで相当数に招待状を出したのだと思われる。
結果、この夜会の規模は雪だるま式に膨らみこれほど大規模になってしまったというわけだ。その中でリンガーブルク家にまで招待状を出さなければならなかったんだろう。
「ルートヴィヒ王太子殿下、ルトガー殿下、私は少し女の子同士のお話をしてまいります。ここまでの同伴ありがとうございました」
ミコトが声をかけてきたのを良いことにこいつらと別れる口実にする。でなければいつまでもずっとこの二人と一緒に周りからジロジロ見られる羽目になる。
「そうか……。まぁ女の子同士で話すこともあるだろう。それではまた後で」
「同伴がいないからと思って声をかけてくる迷惑な奴がいたらすぐ俺に言えよ」
ルートヴィヒとルトガーはあまり深く追及してこずに素直に離れてくれた。流石にガールズトークの中に男が混ざるのはマナーが良くないと理解しているからだろう。それにルートヴィヒとルトガーに挨拶したいと待っている貴族達も多い。向こうは向こうでこれから挨拶地獄の始まりだろう。
「助かったわミコト」
「フローラの貞操のためだもん。これくらい当然よ」
貞操のためって何だよ……。
「カタリーナにフローラの例のお話を聞いた時は驚きましたけれど……、本当なのですわね」
「アレクサンドラまで……」
五人はもうカタリーナに聞いて俺がルートヴィヒと結婚したくないと思っていることは知っている。ミコトが声をかけてきてくれたのも俺があの二人から離れる口実を作るためだろう。ちなみにアレクサンドラはまだカーザース邸に住んでいるけど今日は別の馬車で先に会場にやってきている。
ルートヴィヒだけじゃなくてルトガーまで高位貴族達の挨拶攻めに遭っているのを遠目に眺めながらミコトとアレクサンドラと三人で壁の花になる。
チラチラ視線は感じるけど誰も声をかけてこない。普通に挨拶してくる程度の相手はいるけどダンスのお誘いなんかは一回もなかった。
ミコトもアレクサンドラも家格も容姿も何の問題もないと思うんだけどな……。何で誰も声をかけてこないんだろう?
この場にはリンガーブルク家と同じくらいの家格の家もたくさん呼ばれている。普通に考えたらアレクサンドラみたいな可愛くて伯爵家としては申し分ない家格の相手ならたくさん申し込みがありそうなものだ。まぁリンガーブルク家の状況を知っていたら声をかけづらいのかもしれないけど……。
ミコトに関してもそうだろう。本当は魔族の国の王女様だけどここではデル王国の王族ということになっている。見た目も可愛いのに誰もナンパしてこないけどこんなものなんだろうか?ミコトは性格が少々あれだけどそれは話してみなければわからないことでまずは声をかけてこないことにはわかりようもない。
いや……、俺としては二人がナンパされない方が良いんだよ?むしろ二人がそこらの男にナンパされてダンスでもしようものなら相手をぶん殴って俺がダンスの相手を務めるかもしれない。
だけどこんなに可愛くて綺麗な二人がまったく声をかけられないというのも不思議だ。何か俺の知らない事情でもあるんだろうか?
「ねぇ……、ミコトもアレクサンドラもとても綺麗で可愛いし同伴もいないのにどうして誰も声をかけてこないのかしら?」
だから俺は堪らず二人に聞いてみた。わからないことがあれば聞くのが一番だ。
「はぁ……、フローラ、貴女本気で言ってるの?」
「ミコトさん……、フローラはこういう娘なのですわ……」
何か二人に呆れたような可哀想な子を見るような顔で見られてしまった。結局二人は理由を説明してくれず俺一人だけ仲間はずれだ。
夜会はずっと盛り上がりに欠けていた。だけど中盤から終盤に差し掛かろうかという頃に飛び出してきたクリスタのお陰でそこからは大盛り上がりだった。クレープもプリンも大人気であっという間にその数を減らしていく。
「フローラ様御機嫌よう」
「マルガレーテ様、御機嫌よう」
クレープとプリンが出てきてから暫くしてルートヴィヒ達と一緒にマルガレーテがやってきた。三人ともプリンを食べているようだ。もちろんこちらの二人もプリンを食べている。
「ルートヴィヒ王太子殿下……、先ほどもクレープを食べ、プリンもそれで三個目ですよね……。あまり甘い物ばかりお食べになりますとお太りになられますよ?それに病気にもなります。ルトガー殿下も」
クリスタが持ってきたクレープとプリンは最初は中々貴族達には受け入れられなかった。二人が皆の前で率先して食べてくれたお陰で他の者達も食べ始めてうまくいったわけだけどいくら何でも食べすぎだ。
「お二人のお体をご心配されるなんてさすがはフローラ様ですね……。私はそこまで考えが到りませんでした……」
「え?あの……?」
そして何故かマルガレーテは『よよよ』と泣き真似をする。全然意味がわからない。
そりゃこの世界の人はまだ糖分の摂り過ぎによる病気とか肥満とかを理解していなくても当然だろう。俺は現代知識があるからそういうことに気をつける方が良いと理解しているだけのことだ。
「フローラ!フローラの気持ちは確かに受け取ったぞ!」
「いやいや、ルートヴィヒ殿下。あれは俺に言ってくれたんですよ」
「何を言う!僕の方が先に名前を呼ばれただろう?ルトガーはついでだ」
何かルートヴィヒとルトガーが揉め始めた。面倒臭いからマルガレーテも連れて四人で二人から少し離れる。
「そういえばご紹介がまだでしたね。こちらはマルガレーテ・フォン・グライフ様です」
「ミコト・ヴァンデンリズセンよ。よろしくね」
「アレクサンドラ・フォン・リンガーブルクです。本日はグライフ様と出会うことができ望外の喜びで……」
アレクサンドラの挨拶が暫く続く。長い……。こういうお堅い所は相変わらずだ。まぁリンガーブルク伯爵家の者として恥ずかしくないように、と長年叩き込まれて育ってきたのだからやむを得ない部分もあるんだろう。
「それにしてもフローラ様はミコト・ヴァンデンリズセン様からではなく私からご紹介されましたわね」
……あっ!そうだな……。普通なら高位の者から紹介するのが礼儀だろう。だからこの場ではミコトを紹介するのが普通だ。他国の王族の紹介を後回しにするなんてことがあってはならない。
もしそんな例外的なことが許されるとすればそれは身内の場合だ。身内といっても血縁である必要はない。それほど親しいという意味だ。
例えば相手の方が出迎える方より地位や身分的に低いとしても先に紹介されるべきは訪ねてきた方であり、その次から出迎えた側の身分の高い順に紹介されることになる。
つまり今のやり取りからはマルガレーテが外様であり俺達三人は相当に親しい間柄であると示してしまったことに他ならない。
別にこの場でマルガレーテにそれがバレたからといって何も困ることはない。ここで少し話していればすぐにそれに気付かれたことだろう。だけどだからって不用意にしても良いということにはならない。俺も少し迂闊だったようだ。マルガレーテのお陰でこれから気をつけるべきことも教えてもらえた。
「これからは私もこの輪の中に加えていただきたいわ」
「そうね。私達はこれから協力する必要があると思うわ」
マルガレーテの言葉にミコトが応じる。つまり俺とルートヴィヒの婚約を破棄してマルガレーテと結婚させようという同志であると示したわけだ。
この後俺達は夜会が終わるまで四人で色々と情報交換に勤しんだのだった。